手作りクッキーと、幼馴染み
アカリに、半ば無理やりロゼットを託したその日の夜、父親からメールが届いた。週末に帰宅する予定だったが荷物が遅れている関係で家に帰ってこれないそうだ。
『悪いな』という文字と共に、生活に必要なお金が足りなければ銀行で下ろすようにと、そこには書いてあった。
家で一人で過ごすのは慣れている。寂しさなんかを感じることはないのだけれど、就寝までの時間の使い方に悩む。
カーテンを少し開き、外を眺める。ガラスごしに半月を見ると、ガラスの汚れが目に止まった。僕は雑巾を手にベランダへ出ると拭き掃除をはじめ、時間を潰した。
──翌日の放課後、僕は図書室に立ち寄り、休日の間に読む文庫本を数冊借りた。複数の生徒とすれ違いながらいつもの神社を目指す。途中、バス停でアカリの姿を見つける。制服から派手な私服に着替えており、大きなバッグを抱えたアカリはスマホに目を落としていた。
僕の視線に気づいたのか、無表情で軽く手を上げてくれた。その様子から、昨日のことには怒ってはいなさそうだった。僕も歩きながら小さく手を上げて返す。
境内奥の、いつもの楠木の前のベンチに座る。僕を取り囲む木々が風に揺らされてザワザワと囁く。家から持ってきた水筒で喉を潤し、文庫本を開く。ただ文字を消費している僕の耳は、今は境内のささやかな音を拾わない。
──どれくらいページを進めただろうか、視線を本に落としたまま、水筒に手を伸ばす。僕が掴んだ水筒は随分と細く、違和感を覚えた。
「え?」
首を回して手に持ったそれを見る。僕が握っていたのはピンク色の可愛らしいスリムな水筒。
「やっと気づいてくれたね」
視界の端に真っ白な陰を捉えて、それに焦点を合わせる。少し離れた場所で日傘を差した一人の女の子が屈んでいた。セナだ。
「せ、セナ!?」
「や」
セナはサッと手を上げ、ニッと口角を上げた。
「いつからそこに?」
「かれこれ10分くらいしゃがんでたよ。ワタシ」
セナは膝に手を当てながら立ち上がる。今日の衣装はボリュームのある袖が印象的な白いブラウスに、下は黒のロングスカートだ。全体的にスッキリとしたシルエットをしている。髪はいつもの銀髪を三つ編みにして肩にかけていた。
「声、かけてくれたら良かったのに」
「めっちゃ集中してたからさ、なんか勿体無いと思っちゃって」
セナはいつものように日傘をくるくると廻すと、微笑み崩さず、ゆっくりと僕に向かって歩み寄ってきた。
「もったいないって?」
「夕刻前の静かな神社の境内。チラチラと木漏れ日が差す木陰の下。読書にふける若者の横顔……写真に収めたくなるほど絵になるじゃないか。あ、隣いいかな?」
僕の返事を待たず、セナは隣に腰掛けると、日傘を畳み「よいしょ」と言って、あと少し体を僕の方へ寄せた。
「なんか、今日、すごく嬉しそうだね」
彼女は何も言わずにニコニコ……というより、ニヤニヤした顔を、ずっと僕に向けている。白いつけまつ毛の奥の青い瞳が涼しげに見えた。
「今日はね、栄磨くんにオヤツを持ってきたんだよ」
セナは蓋のついた籠のバスケットを、僕たち二人の間に置いた。
「オヤツ?」
「そ。ワタシが手作りしたクッキー」
蓋を開け、中から小さなネコの顔の形をしたクッキーを取り出した。
「それと、紙コップで申し訳ないけど、その手に持ってる水筒に紅茶が入ってるよ」
そう言われて、僕は握ったままの水筒の存在を思い出した。
「あぁ、ごめん! コレはセナのなんだね」
「あはは、すり替えたのはワタシなんだけどね。返すね」
セナは僕の水筒をトンと置くと、僕の顔をじっと見つめた。
「もし、栄磨くんが嫌じゃなかったら……今日、一緒に居てもいいかな?」
上目遣いで、少し照れた様子でそう言われると、ドキッとした。ただ時間を潰すために本を読んでいただけの僕は、彼女の申し出を断われなかった。と言うより、断る理由がなかった。
「も、もちろん。いいよ」
セナの顔がパァと明るくなる。
「ありがとう。はい」
セナは包装されたクッキーを僕の手のひらに落とした。
「わからないんだけど……どうして僕にコレを?」
セナは紙コップに紅茶を注ぎながら答える。
「頑張った男の子には、ご褒美をあげたくなるのだよ。栄磨くん、キミは二人の女の子を救ったヒーローだ」
「二人を? 救った……?」
まるで見当がつかない。人助けをしたのか? 僕は首を傾げ、視線を上に泳がせた。
「ふふ、分からないなら、それでもいいよ。はい」
僕はセナから紅茶の入った紙コップを受け取る。手のひらには、その冷たさが伝わった。
「ありがとう」
紙コップの紅茶を口に含む。茶葉の香りが鼻腔をくすぐる……で、いいのか? ペットボトルの紅茶なら今まで何度も飲んだ経験はあった。でも、セナからもらった紅茶はそれとは全く違う旨みが感じられる。
「……美味しい」
本音が思わず口を衝いて出た。
「でしょ〜? ちょっと高いやつなんだからね。ほらほら、クッキーもどうぞ」
セナに勧められ、ネコ型のクッキーを口に運ぶ。サクっとした歯触りの後、クッキーは舌の上でほろりと崩れる。好きなタイプの食感だ。
「これも美味しい」
「ホント? 喜んでもらえて嬉しいよ」
僕はもう一度紅茶を口に含み、喉を鳴らした。ふぅとため息をつき、セナに顔を向ける。
「ごめん……」
そう謝ると、セナは青い瞳を瞬かせた。
「なんで謝るの?」
「ずっと考えてたんだけど、僕はやっぱりセナのことを思い出せない。昔の写真を引っ張り出しても、セナに似た子は見つからなかった。友達のヒサシに聞いても心当たりはないって……でも、もしかしたら、セナは、あの夏、僕らと一緒に秘密基地にいたんじゃないかな?」
セナは目を細めて、少し困ったように微笑む。白い髪が風に揺らされた。
「ちょっと意地悪がすぎたかな? そんなに悩んでいてくれてたなんて…… いいよ、実はワタシね、ある人に会いに来たんだ」
「ある人?」
「そう。その人は……!?」
そう言いかけて、何かに気づいたセナの言葉と動きが止まった。
僕はその視線の先を追った……!?
楠木の横で、両手にエコバッグを持った一人の女の子が立っている。うちの高校とは違う、四国の市内にある学校の制服の女の子。
「ふ〜ん。なんかめっちゃ楽しそうやん」
「り、凛!?」
凛は眉根を寄せて、じっと僕らを見つめていた。
次回、更新は金曜日の夜を予定しております。




