禁断の魔導物質
薄暗い魔導具店の奥。
ヤロウ・ザーコは、椅子に深く腰掛けたまま、タバコの煙をゆっくりと吐き出した。
「さて、と。まずは現物を確認させてもらおうか」
彼はロリーナの手首に視線を向けた。
そこには、隷属魔法によって刻まれた黒紫色の紋様が浮かんでいる。
「へえ……。なかなか綺麗に刻まれてるじゃねえか。契約そのものは正常に成立しているらしいな」
「当たり前だろ! 俺の魔法だからな!」
クズオが得意げに胸を張った。
ヤロウは鼻で笑った。
「はいはい。お前の魔法は立派だよ。それで、問題の命令が通らなかったのは、契約の失敗じゃなくて、外部からの干渉が原因ってわけだ」
「そうだ! あの忌々しいエラーコードM072だ!」
「なるほどねえ」
ヤロウは灰皿にタバコの灰を落とすと、ロリーナに向かって手を伸ばした。
「ちょっともらうぜ」
「えっ?」
返事を待つことなく、彼はロリーナの髪を一本つまみ取った。
「ちょっと! 何するのよ!」
「検査だよ、検査。髪の毛一本くらいで大騒ぎすんな」
「勝手に取らないでよ!」
「おい、ヤロウ! 俺の奴隷に何してんだ!」
「うるせえな。お前の奴隷だろうが何だろうが、調べるにはサンプルが必要なんだよ」
ヤロウは悪びれもせず、店の中央に置かれた作業机へ向かった。
机の上には、古びた皿や金属製の器具、魔法陣の刻まれた小さな板が並んでいる。
彼は髪の毛を一枚の白い皿に載せた。
それから、黒いローブの内側を探り、赤黒い液体の入ったガラスの小瓶を取り出した。
液体は、瓶を傾けるたびに、まるで生き物のようにゆっくりと揺れた。
ロリーナは、思わず息を呑んだ。
「……何、それ」
「こいつか?」
ヤロウは小瓶を掲げた。
「ちょっとばかり、厄介な代物さ」
彼は栓を抜き、皿の上に載せた髪の毛へ、赤黒い液体を一滴垂らした。
「爆ぜろ」
低い声が響いた。
次の瞬間。
ボウッ!
髪の毛が、青黒い炎をまとって燃え上がった。
「きゃっ!」
ロリーナが反射的に後ずさる。
炎は皿の上で一瞬だけ揺らめき、煙を上げることもなく消えた。
あとには、何も残っていなかった。
クズオは目を見開いた。
「な、何だ今の!?」
「へえ。思ったとおりだ」
ヤロウは満足そうにうなずいた。
「反応が速い。しかも、通常の燃焼とは違う。こいつなら、魔法の認証系統に干渉できるかもしれねえな」
「おい、今の液体は何なんだよ!」
クズオが問い詰める。
ヤロウは、赤黒い液体の入った小瓶を指先で回した。
「イビルマナだよ」
「……は?」
クズオの顔から、表情が消えた。
「イ、イビルマナだと!?」
「ああ」
「おい、それって国内で禁止魔導物質に指定されているやつじゃないか!?」
クズオの声が裏返った。
イビルマナ。
魔力を蝕み、生体に異常を引き起こす危険な物質。
その取り扱いは厳しく制限されており、無許可での所持や使用は重い処罰の対象となる。
「お前、正気か!? そんなものを店に置いていたら、見つかっただけで終わりだぞ!」
「だから、見つからないようにしてあるんだろ」
ヤロウは、あっさりと言った。
「ああ、手に入れるのに苦労したがな」
彼は小瓶を棚に戻した。
「こいつを使って、外部からの信号を撹乱してやったのさ」
「外部からの……信号?」
ロリーナが聞き返した。
「天照大法院からの信号を正常に受け取れなくすればいい」
「もちろん、単純に通信を切れば済むって話じゃねえ。そんなことをすれば、契約魔法そのものが停止する可能性がある。だが、認証系統が正常に機能しているように見せかけながら、一部の判定を誤らせることができれば――」
「お、おいおい……」
クズオは、引きつった笑みを浮かべた。
「つまり、倫理規定を無効化できるってことか!?」
「そう簡単な話でもねえよ」
ヤロウは肩をすくめた。
「規定そのものを消したわけじゃない。監視の目を一時的に誤認させているだけだ。効果がどこまで続くかも、まだ分からねえ」
「それでも、できるんだな!?」
「実験してみなきゃ分からねえな」
ヤロウは、店の奥を親指で指した。
「とりあえず、こっちに来いよ」
*
ヤロウに案内され、クズオとロリーナは店の奥へ進んだ。
通路の突き当たりには、重厚な金属製の扉があった。
ヤロウが扉の脇に手をかざすと、複雑な魔法陣が淡く光る。
カチリ。
重い音を立てて、扉が開いた。
「……何だ、ここは」
クズオが目を丸くした。
その先に広がっていたのは、まるで秘密の研究施設だった。
壁は分厚い鉛板で覆われ、隙間という隙間が厳重に塞がれている。天井には何重もの魔法陣が刻まれ、部屋の四隅には奇妙な形をした金属製の装置が据え付けられていた。
壁際の棚には、赤や青、紫色の液体が入ったガラス瓶がずらりと並んでいる。
別の棚には、魔法陣の刻まれた金属板や、魔術書、用途不明の魔導具が雑然と積み重なっていた。
中央には、大きな実験机。
その上には、先ほどのものとよく似た皿や、細いガラス管、複雑な刻印のある測定器が置かれていた。
「す、すげえ……」
クズオは、感嘆の声を漏らした。
「お前、こんな研究室を持ってたのか!」
「店の裏に、ちょっとした趣味の部屋を作っただけさ」
「趣味で鉛の壁まで作るのかよ!?」
「趣味だからこそ、金を掛けるんだろ」
ヤロウは、さも当然という顔で答えた。
「それに、ここなら余計な魔法の干渉も入らない。外から覗かれる心配もねえしな」
ロリーナは、部屋の中を警戒するように見回した。
薬品の瓶に貼られたラベルには、見慣れない記号や略号が並んでいる。
その中には、明らかに危険物を示す警告印もあった。
「……あなた、本当に魔術師なの?」
「おう。免許も持ってるぜ」
「免許があるのに、こんなものを……?」
「それとこれとは別だ」
ヤロウは、悪びれもせず笑った。
そう言いながら、彼は実験机の上を片付け始めた。
「さて、クズオ。ひとつ試してみようか」
「お、おう!」
「昨日、失敗した命令をもう一度やってみろ」
クズオは、一瞬だけ動きを止めた。
「……ここでか?」
「そうだ。さっきの処置が効いているなら、何かしら反応が変わるはずだ」
ヤロウは測定器の針を確認した。
「ただし、今度も必ず成功するとは限らねえ。そこは理解しておけよ」
「わ、分かってる!」
クズオは、ぎこちなくロリーナのほうを振り返った。
ロリーナの顔から、血の気が引いていた。
この男たちは、何をしようとしているのか。
答えは分かっている。
だからこそ、逃げ出したかった。
だが、手首の契約紋がある。
クズオの命令に逆らえば、魔法によって身体を拘束される可能性がある。
それに、この部屋の扉は、いつの間にか閉じられていた。
「……やめて」
ロリーナは、かすれた声で言った。
「そんなこと、しないで」
「うるさい。お前は黙ってろ!」
クズオは怒鳴ったものの、どこか落ち着かない様子だった。
昨日は、命令を実行できなかった。
だが、今度は違うかもしれない。
もし本当に規定を突破できたなら、自分の望みを邪魔するものはなくなる。
その期待が、彼の胸の中で膨らんでいた。
「さあ、やってみな」
ヤロウはタバコをくわえ、実験机の脇に立った。
クズオはロリーナに向き直った。
そして、昨日と同じ命令を口にした。
「俺の前で、マスターベーションしろ」
手首の契約紋が、黒紫色に明滅した。
ロリーナは、反射的に身を強張らせた。
昨日なら、ここで警告が響いていたはずだった。
『エラーコードM197』
『当該命令は受理されません』
だが――。
脳内に、あの無機質な音声は響かない。
代わりに、手首の紋様がじわりと熱を帯びた。
「……え?」
ロリーナは目を見開いた。
身体が、勝手に動く。
逃げようとしても、足が動かない。
抵抗しようと力を込めても、身体は命令に従おうとしていた。
「そ、そんな……!」
ロリーナの顔が青ざめた。
「いや……! やめて! 動かないで……!」
しかし、彼女の身体は、彼女自身の意思とは無関係に動いていた。
彼女の手によって、黒いリボンがついた純白の下着はゆっくりと滑らかに引き下げられた。
クズオは、その様子を見て、口をぽかんと開けた。
「……おい、ヤロウ」
震える声で尋ねる。
「今の……成功したのか?」
ヤロウは測定器を眺め、ゆっくりと煙を吐き出した。
「どうやら、そうらしいな」
「ほ、本当に!?」
「少なくとも、さっきの命令は拒絶されなかった。認証系統からの介入も確認できねえ」
ヤロウは、興味深そうに測定器の数値を記録した。
「へえ……。これは予想以上だ」
クズオの顔にみるみる笑みが広がり、ロリーナにさらに注文をつける。
「よく見えねえな。スカートを上げろ」
ロリーナが黒いスカートをまくり上げると、■■■■■■■■■■■■■■■■■が露呈する。
彼女は、■■■■■■■■■■■■■■■■■た後、ゆっくりと■■■■■■■■■■■■■■■■■た。
「あっ…」
ロリーナの声が漏れる。
彼女の顔は赤く染まり、涙目になりながら■■■■■■■■■■■■■■■■■す。
そのたびに、■■■■■■■■■■■■■■■■■た音が、部屋に響き渡る。
「ほお、こうなってるのか」
クズオは、■■■■■■■■■■を見て感心した声を漏らす。
「見ないで…」
ロリーナの■■■■■■■■■■■■■■■■■た。
彼女は「んっ」と声にならない嬌声を上げながら、■■■■■■■■せる。
「おお!■■■■■■のか!やった……! やったぞ!」
クズオは、その瞬間に喜びを爆発させて両手を握り締めた。
「見たか、ロリーナ! 俺に逆らえないだろうが!」
「……っ!」
ロリーナは、唇を噛んだ。
悔しかった。
怖かった。
昨日、ようやく見つけたと思った希望が、目の前で潰されてしまった。
あの倫理規定は、彼女を守ってくれるかもしれない。
そう思ったのに。
「ははははっ! どうだ! これが俺の力だ!」
「……違うな」
ヤロウの低い声が、クズオの歓喜を遮った。
「あ?」
「勘違いするなよ。今のは、お前の魔法が強くなったわけじゃねえ。外部からの監視が、うまく機能しなかっただけだ」
ヤロウは測定器を机に置いた。
「この状態がいつまで続くかは分からねえ。規定の検知が復旧する可能性もある。おまけに、イビルマナの影響が契約者や対象者にどう出るかも、十分に分かっちゃいない」
「……つまり?」
「つまり、実験はまだ終わってねえってことさ」
ヤロウは、楽しそうに笑った。
「むしろ、ここからが本番だ」
クズオは、その言葉を聞いて、再び目を輝かせた。
ロリーナだけが、笑えなかった。
彼女は手首の契約紋を見つめた。
昨日までは、そこにわずかな希望があった。
今は違う。
自分を守るはずだった仕組みが、目の前の男たちによって無力化されている。
それでも、ロリーナは心の中で繰り返した。
――諦めない。
母から教わった契約の知識も。
兄を探すという目標も。
自由を取り戻すという決意も。
まだ、何ひとつ失ってはいない。
彼女は、クズオにもヤロウにも気づかれないよう、静かに拳を握り締めた。
この部屋から出る。
そして、いつか必ず、この契約を破る。
その決意だけは、誰にも奪わせない。
薄暗い実験室の中で、ヤロウは再びタバコに火をつけた。
「いやあ、面白くなってきたな」
紫煙が、鉛の壁に囲まれた部屋の中をゆっくりと漂っていった。




