悪友の魔術師
王都に到着したクズオは、馬車を降りるなり、盛大に伸びをした。
「はあ~っ! やっぱり都会はいいな!」
目の前には、王都の大通りが広がっていた。
行き交う馬車。華やかな衣装をまとった貴族たち。魔導灯に照らされた商店街。
その光景を眺めながら、クズオは満足げに腹をさすった。
「田舎の連中とは、格が違うんだよ。分かるか、ロリーナ?」
「……王都に来るのは初めてじゃないんだけど」
「うるさい! 今は俺が話してるんだ!」
ロリーナは、心底うんざりした顔でため息をついた。
彼女は王都の街並みを眺めながら、周囲の人々を観察していた。
ここなら、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
兄のライルがいる。
母の没落によって家の立場は変わってしまったが、それでも彼は王都の騎士として暮らしているはずだった。
もちろん、今すぐ助けを求められるとは限らない。
クズオの隷属魔法がある以上、迂闊な行動は危険だ。
だが、可能性があるのなら、見逃すわけにはいかなかった。
「おい、何をぼさっとしてる!」
クズオの怒声で、ロリーナは我に返った。
「俺についてこい。これから、とびっきりの天才に会いに行くんだからな!」
「……天才?」
「そうだ! 俺の親友だよ!」
クズオは胸を張った。
「俺とあいつが組めば、できないことなんて何もない!」
ロリーナは、何も言わなかった。
彼の言う「天才」が、まともな人間であることを祈るばかりだった。
*
王都の大通りから外れ、細い路地をいくつも曲がった先。
そこには、古びた小さな店があった。
看板には、かろうじて読める文字でこう書かれている。
『ザーコ魔導具店』
店先には、年代物の魔導具や用途不明の金属製品が無造作に並べられていた。
ひびの入った水晶玉。
片方だけの魔導義眼。
何に使うのか分からない真鍮製の管。
黒ずんだ瓶に詰められた、怪しげな色の液体。
そして、扉の隙間からは、紫色の煙が細く立ち上っていた。
「……ここ、本当に店なの?」
ロリーナが顔をしかめた。
「当たり前だろ! ここが俺の親友の店だ!」
クズオは得意げに扉を開けた。
カラン、コロン。
古びた鐘が鳴った。
店内は薄暗かった。
天井から吊るされた橙色の魔導灯が、棚に並んだ魔導具をぼんやりと照らしている。
壁には用途不明の魔法陣が描かれた羊皮紙が貼られ、奥の作業机には、薬品の瓶や金属部品、分解された魔導具が散乱していた。
そして、店の奥。
黒いローブをまとった細身の男が、椅子に深く腰掛けていた。
灰色の短髪はぼさぼさで、頬は少しこけている。
顎には無精髭。
野武士を思わせる荒っぽい顔立ちに、黒い瞳だけが妙に鋭い光を宿していた。
男は口にくわえたタバコを指で挟み、紫煙をゆっくりと吐き出した。
「……おや」
男はクズオを見て、口元を歪めた。
「誰かと思えば、クズオじゃねえか」
「よう、ヤロウ!」
クズオは大股で店内に入り、勝手に近くの椅子へ腰を下ろした。
「久しぶりだな!」
「そうだな。最後に会ったのは……お前が例のメスガキ家に恥をかかされた頃だったか?」
「ぐっ……!」
クズオの顔が引きつった。
「その話はするな!」
「ははっ、悪い悪い」
ヤロウ・ザーコは、まったく悪いと思っていない顔で笑った。
「それで? 今日は何の用だ? まさか、また魔力を貸せって話じゃねえだろうな」
「違う!」
「じゃあ、女か?」
「……まあ、女の話ではある」
「ほう?」
ヤロウの眉が、ぴくりと動いた。
彼はタバコをくわえ直し、机の灰皿に灰を落とした。
「そりゃ面白そうだ。話してみな」
*
「実はな……」
クズオは声を潜めた。
もっとも、店内には盗聴魔法を防ぐための結界が張られているらしく、彼はそれを気にする必要がないと思っているようだった。
「俺、女をひとり手に入れたんだよ」
「へえ」
「メスガキ家の娘だ。ロリーナ・メスガキ。今はマナレベルが落ちて、俺の奴隷になってる」
ヤロウは、タバコを吸いながら黙って聞いていた。
「それで?」
「俺は《スレイブ》を使って、あいつを完全に支配できるようにしたんだ。命令すれば、基本的には逆らえない」
「ふむ」
「ところがだ!」
クズオはテーブルを叩いた。
「とんでもない邪魔が入ったんだよ!」
「邪魔?」
「天照大法院の倫理規定だ!」
ヤロウは、そこで初めて少しだけ姿勢を正した。
「……ああ、あれか」
「知ってるのか?」
「そりゃな。違法な強制命令を止める忌々しい邪神どものルールだ」
「そう! それだ!」
クズオは勢いよくうなずいた。
「俺が命令しようとしたら、頭の中に変な声が響いてきてな! 『エラーコードM072』とか言いやがるんだ!」
「M072ねえ……」
ヤロウは、煙を吐き出しながら考え込んだ。
「18歳未満への性的行動の強制の停止か」
「よく知ってるな! 何とかならないか?」
「なるほどな」
ヤロウは椅子の背にもたれた。
「それで、お前はどうした?」
「生体魔法で、ロリーナの身体を一時的に成長させようとしたんだ!」
「……は?」
「身体を18歳にすれば、規定を突破できると思ったんだよ!」
ヤロウは、数秒間、無言だった。
そして。
「ぶっ……ははははははっ!」
突然、腹を抱えて笑い始めた。
「お、おい! 何がおかしいんだ!」
「いや、悪い。悪いって……! お前、昔から頭が悪いとは思っていたが、まさかそこまでとはな!」
「なんだと、この野郎!」
「いやいや、だってよ!」
ヤロウはタバコを灰皿に押しつけ、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「認証系統を甘く見すぎだろ!」
「うるせえ! だから、お前に相談しに来たんだろうが!」
「ははっ、なるほどな。俺なら何とかできるかもしれない、と?」
「そうだ!」
クズオは身を乗り出した。
「お前は魔術の天才だろ! 盗聴魔法だの、魔法薬だの、怪しげな研究ばかりやってるじゃねえか! こういうルールの抜け道ならお前の専門だろ?」
「おいおい。怪しげな研究ってのは余計だぜ」
「じゃあ、できるんだな!?」
「……まあ、話を聞いただけで断るのもつまらねえな」
ヤロウは、口元に薄い笑みを浮かべた。
その目には、クズオへの友情というより、厄介な仕組みに対する研究者としての好奇心が宿っていた。
「天照大法院の倫理規定は、単なる魔法の制限じゃねえ。
神々によるこの世界への監視・干渉によって命令執行の可否を判断してる」
「つまり?」
「どこで判定が行われているのか。それを調べなきゃ話にならねえってことさ」
ヤロウは、机の上から小さな金属製の筒を取り上げた。
先端には、複雑な魔法陣が刻まれている。
「こいつは、魔法の発動時に生じる認証反応を観測するための魔導具だ。まだ実験段階だがな」
「おおっ!」
クズオの目が輝いた。
「すげえじゃねえか!」
「ただし、規定の回避ができるかどうかは別の話だ」
ヤロウは釘を刺すように言った。
「下手に触ればお前の魔法資格が停止される可能性もある。最悪、契約魔法そのものが使えなくなるかもしれねえ」
「……は?」
クズオの顔が青ざめた。
「そ、それは困る!」
「だろうな」
ヤロウは愉快そうに笑った。
「お前、今の生活を支えてるのは、その魔法なんだろ? 自分より弱い相手を押さえつけるのに便利だからな」
「う、うるせえ!」
「ま、いいさ。まずは詳しい話を聞こうじゃねえか」
ヤロウは新しいタバコに火をつけた。
「そのロリーナって娘は、今どこにいる?」
「この店の近くに馬車を停めてある。母親に見張らせてるよ」
「そうか」
ヤロウは煙をくゆらせながら、しばらく考え込んだ。
「……実物を見たほうが早いかもしれねえな。契約紋の状態も確認したい」
「おお! やっぱり頼りになるな、ヤロウ!」
「勘違いするなよ。俺はまだ、何も引き受けちゃいねえ」
ヤロウは、灰皿に灰を落とした。
「ただ、面白そうだとは思ってる」
その言葉に、クズオは満面の笑みを浮かべた。
「そうこなくっちゃな!」
ヤロウは返事をせず、店の奥にある古びた棚へ目を向けた。
そこには、法的な認証を必要としない古い魔導具や、出所の分からない魔法薬が並んでいた。
彼の研究の大半は、合法と違法の境界線に立っている。
神々の定めた規定の目的には興味がない。
規定がどのように機能しているのか。
そして、それをどこまで理解できるのか。
ヤロウにとって重要なのは、そこだった。
「天照大法院か……」
彼は、煙の向こうで目を細めた。
「ずいぶんと面白い仕組みを作ったもんだ」
*
店の外。
ロリーナは、馬車のそばで待たされていた。
カナエは少し離れたところで、荷物の整理をしている。
王都の通りには、さまざまな人々が行き交っていた。
ロリーナはその中に、騎士の制服を着た銀髪の青年がいないか、注意深く目を配っていた。
兄のライル。
会えたとしても、今の自分を見て、彼が何を思うのかは分からない。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
そのとき、店の扉が開いた。
「おい、ロリーナ」
クズオが顔を出した。
「こっちへ来い。俺の親友に紹介してやる」
「……親友?」
「ああ。お前の問題を解決してくれるかもしれない、すごい魔術師だ!」
ロリーナは、店の奥をちらりと見た。
薄暗い橙色の光。
漂うタバコの煙。
棚に並んだ、用途も分からない怪しげな魔導具。
そして、その奥に座る、黒いローブの男。
男はロリーナを見ると、面白そうに片眉を上げた。
「へえ……。あんたが例の娘か」
ヤロウ・ザーコは、タバコをくわえたまま笑った。
「なるほどねえ。こりゃ、確かに面倒なことになってるらしい」
ロリーナは、彼の目を見つめ返した。
この男は、クズオとは違う種類の危険人物だ。
直感的に、そう感じた。
そして、その直感は、おそらく正しかった。




