地下螺旋収容塔:最深部
一方、その頃。
地下螺旋収容所のさらに地下に広がる迷宮で、ミオナ、クー、ヤン、ライオット、クズオの5人は、巨大な金属製の扉の前に立っていた。
天井まで届きそうなほどの高さ。表面には継ぎ目らしい継ぎ目もなく、黒ずんだ金属の板が幾重にも重なっている。左右の壁にまで埋め込まれたその扉は、まるで地下に眠る何かを封じ込めるために造られたかのようだった。
「……こんなでかい扉、どう開けるんだ?」
ライオットは手にしたショットガンを肩に担ぎ、扉を見上げた。
銃弾でどうにかできるような代物ではない。そもそも、撃ったところで傷一つつかない可能性が高い。彼は扉の表面を手で探り、周囲の壁も調べてみたが、取っ手も鍵穴も見つからなかった。
「魔法で開けられないの?」
ミオナがクズオに視線を向ける。
「いや、こんなものを開ける魔法なんて知らないぞ。そもそも、魔法で開ける仕組みなのかどうかも……」
「役に立たないわね」
「お前、俺に何を期待しているんだよ!」
クズオが抗議するが、ミオナは聞こえなかったかのように視線を戻した。
クーも扉の周囲を慎重に調べていた。金属の継ぎ目を指でなぞり、壁の一部を押してみる。しかし、何の反応もない。
「仕掛けがあるなら、どこかに操作盤があってもよさそうだけど……」
「見当たらないな。まったく、これを造った奴は何を考えてやがる」
ライオットが頭をかく。
それぞれが頭を悩ませていると、突然、ヤンが小さく笑った。
「ふふっ」
「……何よ、ヤン?」
ミオナが怪訝そうに尋ねる。
「鍵があればいいんじゃない?」
ヤンはイタズラを思いついた子供のような顔で、懐に手を入れた。
そして、取り出したのは小さな装飾品だった。
金色の縁取りに、白い石を思わせる意匠。中央には、聖王国の紋章が刻まれている。
「……それは」
クーの目が見開かれた。
「聖王国のシンボル……? ヤン、どこでそんなものを?」
「前に看守からこっそりとね」
ヤンは得意げに胸を張った。
「こっそりって……」
「手癖が悪いわよ」
ミオナが呆れたようにため息をつく。
「えー? でも、看守さんは使っていなかったみたいだし。もしかしたら、ここで使えるかもしれないでしょ?」
「だからといって、勝手に盗んでいい理由にはならないでしょう」
「でも、役に立ったら褒めてくれる?」
「褒めないわよ」
「残念」
ヤンはまるで反省していない様子で肩をすくめると、巨大な扉へと歩み寄った。
「まあ、試すだけならタダだしね」
「おい、ヤン。妙な仕掛けがあったらどうするつもりだ?」
ライオットが声をかける。
「そのときは、そのとき!」
「はあ……」
ライオットが止める間もなく、ヤンは装飾品を扉の中央付近にかざした。
次の瞬間。
『ピーッ』
場違いなほど甲高い電子音が、地下迷宮に響き渡った。
「……え?」
クーが呆気に取られた声を漏らす。
装飾品の中央に埋め込まれた石が、一瞬だけ淡い青色に光った。
続いて、低い駆動音が地の底から響き始めた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
「うおっ!?」
ライオットが反射的に身構え、ショットガンを構える。
クズオは慌ててミオナの後ろに隠れた。
「ちょっと、何が起きているの!?」
ミオナも驚きを隠せず、ヤンの手元と扉を交互に見つめた。
巨大な金属製の扉が、ゆっくりと動き始めていた。
壁の奥に収納されるように、重々しい音を立てながら左右へと開いていく。5人があれほど苦労して探していた仕掛けは、実のところ、扉の前で鍵をかざすだけでよかったらしい。
「……開いた」
クーがぽつりとつぶやいた。
「本当に開いちゃったね!」
ヤンは満面の笑みを浮かべた。
「お前、まさか本当に鍵だと思っていたのか?」
ライオットが呆れた顔で尋ねる。
「ううん。何となく?」
「何となくでこんなもん開けるな!」
ライオットの怒鳴り声が、駆動音にかき消される。
やがて、扉の向こう側に隙間が生まれた。
そこから、眩いばかりの白い光が漏れ出してくる。
「……っ!」
5人は思わず目を細めた。
地下迷宮の薄暗い照明とはまるで違う。光源がどこにあるのかも分からないほど均一で、清潔な白い光だった。
その光は、まるで長い間忘れ去られていた別世界の入り口から、彼らを迎え入れるように溢れ出していた。
「なんだ、ここは……」
ライオットが警戒を緩めず、銃口を扉の向こうへ向ける。
クーは息を呑み、ミオナは眉をひそめた。
そして、クズオだけは別のことに気づいていた。
扉の向こうから聞こえてくるのは、風の音でも、水の音でもない。
規則正しく繰り返される、低い機械音。
まるで、巨大な何かが今も稼働し続けているかのような音だった。
「……おい。ここって、本当に地下迷宮の続きなのか?」
クズオが震える声で尋ねる。
「さあ?」
ヤンはあっけらかんと答えた。
「でも、せっかく開いたんだし、見に行こうよ!」
「待ちなさい。まだ安全だと決まったわけじゃないわ」
ミオナが制止する。しかし、ヤンはすでに扉の向こうを覗き込んでいた。
白い光に照らされた床は、石でも土でもなかった。
継ぎ目のない、滑らかな灰色の素材。
その先には、壁も天井も同じ素材で造られた通路が、どこまでも真っすぐに続いている。
天井には一定間隔で白い光源が埋め込まれていた。
少なくとも、聖王国の一般的な建築様式とは似ても似つかない。
「……これ、いったい誰が造ったの?」
クーの問いに、誰も答えられなかった。
5人の背後には、囚人たちが命を懸けて生き延びてきた地下螺旋収容所がある。
そして、そのさらに地下には、彼らの知る世界とはまるで異なる空間が広がっていた。
ヤンは手の中の装飾品を見つめ、それから仲間たちを振り返った。
「ねえ。これって、もしかして……」
いつもの明るい声が、そこでわずかに途切れた。
彼女の青い瞳に、白い光が映り込む。
「聖王国の人たちが、私たちに隠していた場所なんじゃない?」
誰も否定できなかった。
そして5人は、まだ誰も知らない秘密へと続く扉の前で、しばらく立ち尽くしていた。
***********************
5人は、白い通路を慎重に進んでいた。
壁も床も天井も、継ぎ目がほとんど見当たらない。一定間隔で天井に設置された照明が通路全体を均一に照らし、影さえも薄くしていた。
石造りの地下迷宮とは、何もかもが違う。
「……こんな場所が、収容所の地下にあったなんてな」
ライオットが小声でつぶやいた。
「聖王国の施設なのかな……?」
――カツ、カツ、カツ、カツ。
複数の足音が、通路の向こうから聞こえてきた。
「誰か来る!」
ミオナが囁く。
5人はすぐさま近くの壁の陰へ身を隠した。ライオットはショットガンを構え、クズオは息を潜める。ヤンもいつもの笑顔を消し、壁の端からそっと通路の様子を窺った。
やがて、数人の男女が姿を現した。
5、6人ほどだろうか。
彼らは皆、生地の薄い白いコートのような服を羽織っていた。聖王国の神官や騎士が着る衣装とは異なり、装飾も紋章もない。
彼らは、金属製の台車に奇妙な道具をいくつも載せ、慌ただしく通路を進んでいた。
「だから、侵蝕レベル0.9はギリギリだろ? 現地の工作員は、何をやってるんだ」
先頭を歩く男が苛立った声を上げる。
「しょうがないでしょ。碌に機材を送ってこない本社のせいよ」
隣を歩く女が、うんざりした様子で言い返した。
「本社、本社って……。こっちは死人が出てるんだぞ」
「死人だけなら、まだマシよ。変異が始まったら、後始末まで押しつけられるんだから」
「だから、変異停止剤をもっと送れと言ってるんだ!」
「それを決めるのは私たちじゃないわ」
彼らは言い争いながら、台車を押して通り過ぎていった。
ミオナ達は顔を見合わせた。
「……侵蝕レベル?」
クーが小声で繰り返す。
「変異停止剤って、何のことかしら……」
ミオナの表情も険しくなっていた。
会話の内容は理解できない。しかし、少なくとも彼らは、ここで何らかの異常事態が起きていることを隠そうともしていなかった。
「行くぞ。あいつらが何をしているのか、確かめる」
ライオットの提案に、全員が頷いた。
5人は十分な距離を保ちながら、白衣の男女の後を追った。
*
通路を進むにつれて、機械の駆動音が大きくなっていった。
低く唸るような音に、規則正しい電子音が混じる。ときおり、遠くから誰かの叫び声らしきものも聞こえてきた。
やがて、白い通路が開けた。
そこは、先ほどまでの通路よりもずっと広い廊下だった。
そして、5人は足を止めた。
「……な、なんだよ、あれ」
クズオの声が震えた。
目の前に、巨大な窓があった。
いや、窓と呼ぶにはあまりにも大きい。壁の一面が丸ごと透明になっているかのようだった。
その向こうには、想像を絶する光景が広がっていた。
果てしなく広い、白い空間。
どこまでも続く天井と壁。幾重にも重なった通路。天井から吊り下げられた無数の照明。そして、遥か下方に広がる巨大な床。
まるで、地面の下にもう一つの世界が造られているかのようだった。
「……嘘でしょ」
ミオナが息を呑む。
彼女は聖王国の貴族として、王城や大聖堂、各地の大規模な施設を見てきた。
だが、これほどの空間は見たことがない。
そもそも、これほど巨大な建造物を地下に造るなど、彼女の知る建築技術では考えられなかった。
「どこまで続いてるんだ、これ……」
ライオットが窓の向こうを見渡す。
そして、彼らは視線を下へ向けた。
そこには、金属製のベッドが縦横に整然と並んでいた。
数十、いや、数百では足りないかもしれない。
白い衣服を着せられた男女が、ベッドの上に寝かされている。
老人もいれば、若い男女もいる。中には、まだ幼さの残る者までいた。
全員が、腕や首元に透明な管を何本も繋がれていた。
管の先には、透明な袋が吊り下げられている。袋の中に満たされた液体が、細い管を通じて彼らの身体へ流れ込んでいた。
そして、その衣服。
5人には、見覚えがあった。
「……あの服」
クーの顔から血の気が引いた。
「聖転のときに、着せられていた服と同じ……」
そう。
あれは、誰もが知っている聖転の儀式で使われる、純白の衣装だった。
マナ欠乏症が進行し、聖浄教会へ連れていかれた者たち。
彼らは白い衣服をまとい、巨大な聖柱の中へ入っていく。
そして、扉が閉じた後に響く、あの低い音。
次に扉が開いたときには、誰も残っていない。
人々は、それを神々の楽園へ導かれた証だと信じていた。
だが。
「……あいつら、地下に連れていかれていたのか」
ライオットが呆然とつぶやいた。
聖転を受けた者たちは、消えてなどいなかった。
少なくとも、ここにいる者たちは。
彼らは今も、白い衣服を着せられ、金属製のベッドに横たわっていた。
そして、身体に管を繋がれ、正体不明の液体を注入されている。
「じゃあ……聖転って、いったい……」
クーが呟く。
そのとき、下方の作業区画で動きがあった。
数人の人間が、白いベッドの間を忙しなく動き回っていた。
その姿は、さらに異様だった。
彼らは、つなぎ目の見えない、真っ黄色のぶかぶかした服を全身にまとっていた。頭部まで覆われており、顔に当たる部分だけが透明になっている。
まるで、人間の形をした巨大な黄色い繭だった。
彼らは、ベッドの上の人々を調べたり、透明な袋を交換したり、記録らしきものを確認したりしている。
そのうちの1人が、苛立った声を上げた。
「おい、筋弛緩剤の点滴が足りない! こっちによこしてくれ!」
「生体サンプルの収集完了しました! 変異研へ送付してください!」
「変異アイソフェミア濃度が、アイソフェミア濃度を上回りました。侵蝕レベル1.7です!」
「変異停止剤、間に合いません!」
聞き慣れない単語が次々と飛び交う。
だが、彼らの声には、祈りや祝詞に含まれるような荘厳さはなかった。
そこにあるのは、焦燥と苛立ち、そして仕事に追われる人間の生々しい感情だった。
「……神官、じゃないわね」
ミオナが囁いた。
そのとき、ベッドの一つから声が上がった。
「……う、うう……」
白い衣服を着た男が、ゆっくりと目を開けたのだ。
彼はぼんやりと天井を見つめ、何度か瞬きをした。
やがて、自分の身体に繋がれた管に気づくこともなく、黄色い服の人間へ顔を向けた。
「ああ……」
男の顔に、安堵の色が浮かぶ。
「ここは、楽園ですか? あなた方が神々なのですか?」
その言葉を聞いた瞬間、クーは口元を押さえた。
男は、聖転の儀式を経てここへ連れてこられたのだろう。
彼は、自分が楽園にたどり着いたと信じている。
目の前にいる者たちを、神々だと思っている。
だが、返ってきたのは、神の言葉ではなかった。
「おい、被験者が目を覚ましたぞ!睡眠導入剤、量を増やせ!」
「了解!」
黄色い服の人間が、男の腕に繋がれた管を操作する。
「え……? あの、私は……」
男の声が途切れた。
まぶたが重くなったのか、彼は何度か頭を動かそうとした。しかし、すぐに力が抜け、再びベッドへ沈み込んだ。
その様子を確認すると、作業員たちは何事もなかったかのように仕事へ戻っていった。
「……ひどい」
クーが、震える声でつぶやいた。
その隣では、別のベッドに横たわっていた女性が目を覚ましていた。
「……ん? ここは……」
彼女は自分の身体を見下ろした。
腕に繋がれた透明な管。手首を固定する金具。身動きの取れない身体。
女性の表情が、みるみる恐怖に染まっていく。
「何、これ!どうして縛られているの!」
彼女は必死に身体をよじった。
「誰か!助けて!ここから出して!」
「おい、そっち抑えろ!」
作業員が2人、慌てて駆け寄った。
「離して!いやあっ!何なのよ、あなたたち!」
「暴れるな!点滴が抜けるだろうが!」
「嫌!嫌あああっ!」
女性の悲鳴が、巨大な白い空間に響き渡った。
作業員たちは彼女の両腕を押さえつけ、身体をベッドに固定し直す。
その光景を、5人はただ見つめるしかなかった。
聖転を受けた者たちが、苦しみから解放されたのだと信じていた。
しかし、実際には。
彼らは自分の意思でここに来たわけではない。
そして、ここにいる者たちは、彼らを救おうとしているわけでもなかった。
そのときだった。
「おい、こっちで変異が始まった!」
作業区画の奥から、切迫した声が上がった。
5人の視線が、そちらへ向く。
1つのベッドの上で、白い衣服をまとった人間が激しく身体を震わせていた。
「う、うあ……あああああっ!」
身体が、不自然に反り返る。
衣服の背中が、内側から何かに押し広げられた。
ぶちぶち、と嫌な音が響いた。
「くそっ! 押さえろ!」
「無理です!筋弛緩剤が効いていません!」
「変異停止剤は!?」
「間に合いません!」
次の瞬間。
その人間の背中から、腕が生えた。
2本、4本、6本と、細長い腕が次々と背中から突き出してくる。
関節の向きも、指の形も、人間のものとは違っていた。
それらは、まるで獲物を探す昆虫の脚のように、空中を不規則に動き回った。
「ひっ……!」
クーが息を呑む。
ミオナは思わず顔を背けかけたが、目を逸らすことができなかった。
ベッドの上の人間は、もう人間とは呼べない姿になりつつあった。
背中から伸びた無数の腕が金属のベッドを叩き、固定具が軋む。
黄色い服の作業員たちが、慌てて距離を取った。
「くそ、仕方ない!看守長どもの通路に放り込んでおけ!処理してくれるだろ!」
「了解!搬送用隔壁へ運ぶぞ!」
数人の作業員が、変異した人間の乗るベッドを押し、白い空間の端にある巨大な隔壁へと運ばれていく。
「……待って」
ミオナが、小さくつぶやいた。
「今、何て言ったの?」
彼女は窓に手をつき、作業員たちの動きを目で追った。
「看守長どもの通路に放り込む……?」
ライオットの顔から、血の気が引いていた。
彼らは知っている。
地下螺旋収容所の中には、囚人たちを監視し、マナが尽きた者を狩る看守長がいる。
あの異常な存在が、いったい何者なのか。
なぜ、あれほどの力を持っているのか。
これまで誰も、その正体を知らなかった。
だが、今の会話が意味することは、あまりにも明白だった。
「……まさか、看守長って……」
クズオが言葉を詰まらせた。
誰も、その先を口にしなかった。
白い空間では、作業員たちが変異した人間を隔壁の向こうへ運び込んでいた。
その向こう側に何があるのか、ここからでは見えない。
ただ、隔壁が閉じる直前。
変異した人間の背中から伸びた無数の腕が、扉の隙間へ向かって、まるで助けを求めるように伸びているのが見えた。
そして、重い金属音とともに、隔壁は閉じた。
静寂が戻る。
しかし、それは平穏を意味するものではなかった。
窓の向こうでは、次のベッドが運ばれ、次の点滴が交換され、次の被験者が目を覚ましかけていた。
何事もなかったかのように。
「……聖転は、楽園に行く儀式なんかじゃない」
ミオナが、かすれた声で言った。
その瞳には、恐怖と怒りが入り交じっていた。
彼らはただ、窓の向こうに広がる白い空間を見つめていた。
この場所を造った者たちは、いったい何を目的としているのか。
聖王国は、何を隠しているのか。
そして、あの純白の衣服を着せられた人々は、何のためにここへ運ばれてくるのか。
答えは、まだ分からない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
彼らが信じていた世界の仕組みは、根底から覆されようとしていた。




