地下迷宮の処刑人達
カツ……。カツ……。
複数の足音が、暗い廊下の奥へと消えていく。
クズオは、看守長たちの姿が見えなくなったことを確認してから、ようやく息を吐いた。
「はぁ……はぁ……。何なんだよ、あいつら……」
血まみれのノートが置かれた部屋を出て、廊下を見回す。
相変わらず、どこへ続いているのか分からない通路ばかりだった。壁の配管は途切れることなく続き、床には黒ずんだ水が流れている。
ここからどうやって戻ればいいのか。
そもそも、戻れるのだろうか。
「くそっ……。こんなはずじゃなかったんだ……」
クズオが悪態をついた、そのときだった。
キィン!
金属同士が激しくぶつかる音が、遠くから響いた。
「……ん?」
続けて、もう一度。
ガキィン!
今度は、はっきりと剣戟の音が聞こえた。
誰かが戦っている。
相手は看守長たちなのかもしれない。
「……まさか」
クズオは、音のした方向へ顔を向けた。
普通なら、こんな場所で戦闘の音が聞こえたら、逃げるべきだろう。
しかし、彼の頭に浮かんだのは、別の考えだった。
もし、戦っているのがミオナたちだったら?
もし、あの女たちが看守長に追い詰められているのだったら?
「……へへ」
クズオの口元が、醜く歪んだ。
「そうだよ。あいつらも、ここに来てたんじゃねえか」
彼は拳銃を握り直し、音のする方向へと歩き始めた。
通路を二つ曲がり、狭い階段を下りた。
◇
クズオは、大きな空間に出た。
そこは、地下迷宮の中でもひときわ広い部屋だった。
天井には無数の配管が走り、壁には巨大な金属扉がいくつも並んでいる。床の中央には排水溝があり、その周囲には黒ずんだ血痕がこびりついていた。
そして、その中央で――。
「……あはっ」
クズオは、思わず笑みを浮かべた。
ミオナ、クー、ヤン。
3人がいた。
しかし、その姿は、クズオが知っているものとはまるで違っていた。
ミオナの銀髪は乱れ、衣服はあちこちが破れ、身体には無数の傷が刻まれている。
クーは鎧の一部を失い、剣を握る腕を震わせていた。
ヤンもまた、息を切らし、足元をふらつかせている。
そして、3人を取り囲んでいたのは――10体もの看守長だった。
血まみれの白いエプロン。
黒い布で覆われた顔。
巨大な大鉈。
それらが10体、円を描くように3人を囲んでいた。
ミオナが剣を構える。
看守長の大鉈が振り下ろされた。
ガァン!
「くっ……!」
ミオナは剣で受け流したが、衝撃を殺しきれず、数歩後退した。
すかさず、別の看守長が横から大鉈を振るう。
キィン!
クーが割って入り、刃の軌道を逸らした。
「ミオナ様、下がって!」
「分かっているわ!」
ヤンも短剣を振るい、迫る大鉈を弾き返す。
1体を受け流せば、別の1体が襲いかかる。
防御に成功しても、次の攻撃が休む間もなく飛んでくる。
10体の看守長は、まるで機械仕掛けのように連携していた。
疲労の色が濃い3人に、反撃の余裕はほとんどなかった。
ミオナが歯を食いしばった。
その直後。
真正面から振り下ろされた大鉈を受け流したものの、横から別の一撃が襲いかかった。
ガァンッ!
「きゃあっ!」
剣で防いだミオナの身体が、衝撃に耐えきれず吹き飛ばされた。
床に倒れ、剣が手から離れる。
「ミオナ様!」
ヤンが叫んだ。
その一瞬の隙を、看守長たちは見逃さなかった。
クーが1体の攻撃を受け流した直後、別の看守長が背後から腕を伸ばした。
「しまっ――!」
足首を掴まれる。
次の瞬間、クーの身体が持ち上げられた。
「うわっ!」
頭が下になり、逆さ吊りにされる。
「お姉ちゃん!」
ヤンが助けに向かおうとしたが、正面から大鉈を振るわれ弾き飛ばされた。
ミオナも立ち上がろうとしたものの、身体に力が入らない。
看守長たちは、3人を1人ずつ無力化していった。
クーは足を掴まれたまま、必死に身体を捻った。
鎧の留め具が次々と外れ、装備が全て床に落ちた。
服はビリビリに破け、薄紫色の下着が露わになっていた。
彼女は抵抗を続けたが、逆さ吊りの状態では身動きが取れない。
「やだ……! お姉ちゃん!」
ヤンの声が震えた。
「やめて!やるなら私をやりなさい!」
ミオナが叫んだ。
傷ついた身体を引きずりながら、彼女は再び剣へ手を伸ばそうとする。
「僕のことはいいから……!」
クーは苦しげに息を吐きながら、二人を見た。
「2人は逃げて……!」
だが、逃げ道はなかった。
十体の看守長が、三人を完全に包囲している。
◇
その光景を、少し離れた物陰から眺めている男がいた。
クズオである。
「くく……」
彼は、口元を押さえて笑っていた。
「ざまあみろ……」
つい先日、自分のことを見下していた女たち。
偉そうな態度を取り続けていた女たち。
その3人が、今や10体もの看守長に追い詰められている。
クズオの胸の中に、醜い喜びが広がった。
「いい気味だ……。俺を馬鹿にした罰だよ」
ミオナは倒れ、ヤンは震え、クーはあられもない姿で逆さ吊りにされている。
もう反撃する力は残っていない。
看守長の1体が、大鉈を持ち上げた。
クズオは目を輝かせた。
「……へへへ」
彼は、拳銃を構えようとすらしなかった。
助ける気など、最初からない。
むしろ、このまま3人がどうなるのか、最後まで見届けてやろうと思った。
「今夜のメインディッシュは、女どもの活け作りだな……」
小さく呟き、再び笑う。
看守長の大鉈が、ゆっくりとクーへ近づいていく。
刃が、彼女の太ももに触れようとした。
その瞬間だった。
――ズドンッ!
地下迷宮全体を揺るがすような銃声が響いた。
「……え?」
クズオが顔を上げた。
逆さ吊りにされていたクーの身体が、突然、床へ落ちた。
「きゃっ!」
クーは床に転がり、苦痛に顔をしかめながらも、すぐに自分の身体を確かめた。
大鉈は、彼女に届いていなかった。
代わりに。
彼女の足を掴んでいた看守長の身体には、いくつもの弾痕が開いていた。
まるで、蜂の巣のように。
看守長は一瞬だけ立ち尽くし、それから、糸の切れた人形のように倒れた。
ドサッ。
「……何?」
ミオナが顔を上げた。
次の瞬間。
――ズドンッ!
また銃声が響いた。
別の看守長が、胸元を撃ち抜かれて倒れる。
さらに1発。
もう1発。
銃声が連続し、看守長たちが次々と床へ崩れ落ちていった。
10体の看守長が、瞬く間に数を減らしていく。
クズオは呆然と立ち尽くしていた。
「な……何だ……?」
銃声の聞こえてくる方向へ目を向ける。
そこに、1人の男が立っていた。
海賊船の船長を思わせる帽子。
白いワイシャツ。
褐色の毛皮をまとった、ゆったりとした大きめのコート。
その手には、使い込まれたショットガンが抱えられている。
灰色の長めの髪に、白い顎ひげ。
年齢は五十代ほどだろうか。
男は倒れた看守長たちを一瞥した。
そして、何事もなかったかのように懐から小さな金属製の缶を取り出し、酒を一口飲んだ。
「たく……」
男は、心底呆れたように息を吐いた。
「最近の若いもんは、無茶ばかりする。俺もおちおち引退できねぇな」
そう言いながら、男はショットガンに慣れた手つきで弾薬を装填した。
ガシャッ。金属音が、静まり返った地下空間に響いた。
そして、背中に背負った。
「……ライオット!」
ミオナが、驚きと安堵の入り混じった声を上げた。
そう。
そこにいたのは、ライオット・ベテランだった。
◇
「助かったわ、ライオット」
ミオナは、床に落ちていた剣を拾いながら立ち上がった。
「本当にありがとう」
クーも、まだ痛む身体を起こしながら頭を下げた。
「助かったよ。もう少し遅かったら、僕たちは……」
「おじさん、ありがとう!」
ヤンは姉のもとへ駆け寄り、クーの身体を抱きしめた。
「もう、心配したんだから!」
「ヤン……。僕は大丈夫だから」
クーは苦笑し、妹の頭を軽く撫でた。
ライオットは、そんな二人を見て肩をすくめた。
「まったく。こんな場所に3人で乗り込むとはな。命がいくつあっても足りねえぞ」
「あなたに言われたくないわね」
ミオナが、少しだけ笑みを浮かべた。
「でも、ベテランギルドマスターがいてくれるなら、怖いものなしね」
「やめてくれ。昔の話だ」
ライオットは、照れくさそうに顔を背けた。
すると、クーがじっと彼を見つめた。
「……そんな格好をしておいて、それを言うのかい?」
「え?」
「その帽子に、そのコート。背中にはショットガン。どう見ても、昔のギルドマスターというより、海賊船の船長じゃないか」
ヤンが、楽しそうに笑った。
「おじさん、格好つけたいんだあ!」
「おいおい。あまり年寄りをいじめるんじゃない」
ライオットは苦笑しながら、クーへ視線を向けた。
彼女は装備を失い、衣服が所々破れて隙間から下着が見えていた。腕を抱き、少し居心地が悪そうにしている。
ライオットは自分の褐色の毛皮のコートを脱いだ。
「それより、年頃の娘がそんな格好のままじゃいけねえな」
そして、そっとクーの肩にコートを掛けてやった。
「……え?」
クーは目を丸くした。
「ほら。これを着ておけ」
「あ、ありがとう……」
クーの頬が、ほんのりと赤く染まった。
いつも冷静な彼女が、珍しく目を伏せる。
ヤンはそれを見逃さなかった。
「おやおやぁ?お姉ちゃん、顔が赤いよ?」
「うるさいな、ヤン!」
「えへへ。おじさん、やるねえ!」
「だから、年寄りをからかうんじゃねえって」
ライオットは困ったように頭を掻いた。
ミオナも、そんな光景を見て小さく笑った。
つい先ほどまで、10体の看守長に囲まれ、死を覚悟していたとは思えないほどだった。
しかし、その平穏は長く続かなかった。
◇
物陰の向こうで、クズオは拳を握りしめていた。
「……くそっ」
あの3人は助かった。
ライオットまで現れた。
しかも、あれほどの数の看守長を、ほとんど一方的に撃ち倒したのだ。
自分は何もできなかった。
いや、最初から助けるつもりもなかった。
それでも、目の前でミオナたちが救われ、楽しそうに笑っている光景は、どうしても我慢ならなかった。
「何でだよ……。何で、あいつらばっかり……!」
クズオは唇を噛んだ。
ライオットはこんな自分にも拳銃を渡した。
それなのに、自分は物陰に隠れて、3人がやられるのを眺めていただけだった。
しかも、あの男は自分がここにいることに、まだ気づいていない。
このまま黙っていればいい。
そう思った。
思ったのだが。
クズオは、緊張で強張った足を動かそうとして、床に転がっていた金属片を踏んでしまった。
カランッ。
乾いた音が響いた。
「……ん?」
ライオットが顔を向けた。
ミオナも、クーも、ヤンも、一斉に物陰を見た。
クズオは硬直した。
逃げるべきか。
隠れ続けるべきか。
だが、もう遅かった。
「……誰かいるの?」
ミオナの声は冷たかった。
クズオは、観念して物陰から姿を現した。
「……よ、よう」
引きつった笑みを浮かべ、片手を上げる。
「奇遇だな。こんなところで会うなんて……」
「……」
ミオナは、露骨に嫌そうな顔をした。
クーも、ヤンも同じだった。
「うわ……。クズオか」
クーが心底嫌そうに呟く。
「何でいるの?まさか、私たちがやられるところを見て笑ってたの?」
ヤンが、にこやかな笑顔のまま問いかけた。
その笑顔が、かえって怖かった。
「そ、そんなわけないだろ!俺はただ、偶然ここを通りかかっただけだ!」
「……ふうん」
ミオナは、それ以上何も言わなかった。
だが、その目は明らかに彼を信用していなかった。
ライオットは、そんな一同を見比べると、やれやれといった様子で頭を掻いた。
「お前も来るか?」
「……は?」
「迷ってたんだろ?」
クズオは言葉に詰まった。
「……べ、別に、お前らについていく必要なんかないだろ!」
「そうかい」
ライオットはあっさりと頷いた。
「なら、ここで好きにしな。俺たちは行くぞ」
そう言って、ミオナたちに向き直る。
「立てるか?」
「ええ。問題ないわ」
ミオナは頷いた。
クーもライオットのコートを羽織り直し、ヤンと肩を並べる。
4人が歩き始めた。
「ま、待てよ!」
クズオは慌てて声を上げた。
ここに一人で残るなど、冗談ではない。
周囲には、倒れた看守長たちが転がっている。
だが、まだ何体残っているのか分からない。
この迷宮の出口も分からない。
そして何より、ライオットたちがいなくなれば、次に看守長が現れたとき、自分には対抗する術がない。
「……俺も行く!」
クズオは、悔しそうに顔を歪めながら、4人の後を追った。
「そうかい」
ライオットは振り返らずに答えた。
「だったら、余計なことはするなよ。ここじゃ、お前のくだらねえ見栄なんぞ、何の役にも立たねえからな」
「……ちっ」
クズオは小さく舌打ちした。
前を歩くミオナたちは、誰1人として彼に声をかけようとしなかった。
クーはライオットのコートをしっかりと握り、ヤンは姉の腕を支え、ミオナは傷ついた身体をかばいながら歩いている。
その先頭で、ライオットはショットガンを肩に担ぎ直した。
地下迷宮の奥から、再び金属音が響いた。
ガコン。
どこかで、扉が開いた音だった。
ライオットの表情から、先ほどまでの軽口が消えた。
「……急ぐぞ」
彼は歩調を速めた。
ミオナたちも、何も聞かずに続いた。
クズオだけが、何が起きているのか分からないまま、慌ててその後を追った。
彼らの前には、まだ無数の分岐路が続いていた。




