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侵蝕世界の魔法規約(マナ・プロトコル)~落ちぶれクズ魔導師の空回り冒険譚  作者: ArgasNorn


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18/28

午前2時の誤算

 その夜、午後八時。


 クズオは、魔力ゲージを見つめながら慎重に魔力を充填していた。


 いつものように満タンにする必要はない。


 ライオットの話によれば、魔力ゲージは半分以上貯めておけば鍵がかかり、魔力が尽きれば扉が開くという。


 ならば、必要最低限の魔力だけを貯めればいい。


 問題は、その量だった。


「……このくらいか?」


 クズオは、ガラス管の中に溜まった魔力を確認した。


 満タンの半分を少し超えたあたり。


 これなら、夜明け前には魔力が尽きるはずだ。


 少なくとも、クズオはそう考えていた。


「ふふふ……。俺の頭脳をもってすれば、この程度の計算は簡単だ」


 彼は満足げに頷くと、牢の中に置かれた寝台へ横になった。


 今夜、看守長が去ったあとに地下へ向かう。


 あの金属製の扉の向こうに何があるのかを確かめ、脱獄の手掛かりを見つけるのだ。


 ミオナたちが何をしていたのかも、そこで分かるかもしれない。


 すべてが自分の計画どおりに進めば、もう二度とこんな場所で寝る必要はない。


 クズオは、輝かしい未来を想像しながら目を閉じた。


 そして――。


 カチャン。


「……ん?」


 不意に、耳慣れた音がした。


 クズオは目を開け、身体を起こした。


 牢の扉が、わずかに開いている。


「……は?」


 寝ぼけた頭で、壁に掛けられた時計を確認する。


 午前2時。


「に、2時ぃ!?」


 クズオは飛び起きた。


 午前4時45分にミオナたちが歩いていたのを見たのだ。だから、それに合わせて行動するつもりだった。


 ところが、扉は予定より2時間以上も早く開いてしまった。


「お、おい! 嘘だろ! どうなってんだよ!」


 クズオは魔力ゲージを確認した。


 中身は、見事に空っぽだった。


 彼は愕然とした。


 計算が合わない。


 いや、そもそも計算などしていなかった。


 半分より少し多く貯めれば、夜明け前まで持つだろう。


 そんな曖昧な見積もりで済ませた結果が、これだった。


「くそっ……! 何でこんなに早く……!」


 そのとき、遠くから金属を引きずる音が聞こえてきた。


 ギィ……。


 ギィ……。


 クズオの全身が硬直した。


 看守長の音だ。


 しかも、その音は階段の上の方から聞こえてくる。


 どうやら、看守長はすでにかなり上の階層へ向かっているらしい。


 今すぐに鉢合わせする危険はなさそうだった。


 だが、安心はできない。


 看守長が巡回を終えれば、必ず戻ってくる。


 それまでに牢へ戻るか、どこかに身を隠さなければならない。


「ど、どうすりゃいいんだよ……!」


 クズオは隣の牢へ駆け寄った。


「おい、ライオット! 起きろ! おいってば!」


「……うるせえな」


 隣から、ひどく不機嫌な声が返ってきた。


「何時だと思ってやがる……」


「午前2時だよ!大変なんだ!俺の牢が開いちまった!」


「そりゃよかったな。おめでとう。もう寝かせろ」


「寝てる場合か!看守長が戻ってきたら殺されるんだぞ!」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、ライオットが大きなため息をついた。


 寝台から身体を起こす気配がした。


 クズオは、必死になって状況を説明した。


 魔力ゲージを半分より少し多く貯めたこと。


 夜明け前に扉が開くと考えていたこと。


 ところが、午前2時に扉が開いてしまったこと。


 そして、今は看守長が上の階層にいるらしいこと。


 話を聞き終えたライオットは、しばらく黙っていた。


 それから、呆れたように言った。


「……お前の計算ミスだな」


「け、計算ミスだと!?」


「計算なんかしてねえだろ。適当に半分ちょっとまで貯めただけじゃねえか」


「うっ……!」


 痛いところを突かれ、クズオは言葉に詰まった。


「いいか。魔力ゲージの必要量は、お前が何時まで扉を閉めておきたいのか考えて貯めるんだ」


「そ、それは分かってる!」


「分かってねえから、こんな時間に騒いでるんだろうが」


 ライオットは頭を掻きながら、ゆっくりと立ち上がった。


「満タンから少し下まで貯めないといけねえだろうな」


「満タンから少し下……?」


「ああ。半分ちょっとじゃ少なすぎたんだ」


 ライオットは、クズオの牢の魔力ゲージに目を向けた。


「ただし、どのくらい貯めれば何時まで持つかは、実際に試してみなきゃ分からねえ。魔力ゲージの目盛りも雑だしな」


「じゃあ、どうすればいいんだよ!」


「声を落とせ。看守長に聞こえるだろうが」


「ひっ……!」


 クズオは慌てて口を押さえた。


 遠くから響いていた金属音は、少しずつ遠ざかっている。


 看守長は、まだ上の階層を巡回しているようだった。


 ライオットは、その音に耳を澄ませながら話を続けた。


「看守長が帰るくらいの時間に、ちょうど魔力ゲージが切れるようにすればいいな」


 ライオットは、酒の入った金属容器を手に取った。


「ただ、その調整が難しいんだよ。早く切れれば、今夜みたいになる。遅すぎれば、扉が開く前に朝を迎えちまう。うまくいかなきゃ、何もできずに一晩を無駄にするだけだ」


「な、何だよ……。そんなに難しいのか?」


「ああ。看守長と鉢合わせたら、そこで終わりだからな」


 ライオットは金属容器を傾け、酒を一口飲んだ。


「だから、軽率なことはするなと言ったんだ」


「……」


 クズオは黙り込んだ。


 今の自分は、まさに軽率な行動を取った結果、こんな時間に牢の外へ放り出されている。


 しかも、看守長が戻ってくるまで、あとどれくらい時間があるのかも分からない。


 クズオは恐る恐る、吹き抜けの暗闇を見上げた。


 遠くから、金属を擦る音が聞こえてくる。


 ギィ……。


 ギィ……。


 さっきよりも、近くなっている気がした。


「お、おい、ライオット! どうすりゃいいんだよ!」


「知るか。自分で考えろ」


「そんなぁっ!」


「……まったく。騒がしい新入りだぜ」


 ライオットは再び寝台に横になった。


 クズオは慌てて魔力ゲージに手をかざし、魔力を注ぎ込むとガラス管の底に淡い光が灯ったが、光が少しずつ上昇していくのを見て、彼は慌てて魔力の供給を止めた。


「ま、待てよ……。ここで入れすぎたら、また鍵がかかっちまうじゃねえか」


クズオは迷った末、手を引っ込めた。


「……仕方ねえ。先に地下の扉を調べるか」


「おいおい、正気か?」


 ライオットが呆れた声を上げた。


「今の話を聞いて、まだ行くつもりなのかよ」


「当たり前だろ!せっかく牢の外に出られたんだぞ!この機会を逃したら、次はいつになるか分からねえ!」


「その機会が、お前の命日になるかもしれねえんだがな」


「うるせえ!俺は選ばれた人間なんだぞ!」


「はいはい。選ばれた人間様は大変だな」


 ライオットは深いため息をついた。


 それから、寝台の脇に置いてあった荷物を探り始めた。


「……まったく。後味の悪いことにならなきゃいいが」


 彼は布に包まれた何かを取り出すと、クズオに向かって放り投げた。


「ほら、持っていけ」


「おっと!」


 クズオは慌てて受け止めた。


 手の中にあったのは、小型の拳銃だった。


 金属製の銃身と、滑らかな曲線を描くフレーム。小さいながらも、ずっしりとした重みがある。


「な、何だこれ……?」


「コルトパイソンだ」


 ライオットは平然と答えた。


「弾は少ないから大事に使えよ」


「拳銃!?お前、そんなものを持っていたのか!」


「見りゃ分かるだろ」


「いや、そうじゃなくて!こんなものがあるなら、もっと早く渡せよ!」


「お前に渡したら、何に使うか分かったもんじゃねえからな」


「なっ……!」


 クズオは反論しようとしたが、言葉が出なかった。


 確かに、これまでの自分の行動を振り返れば、ライオットが警戒するのも無理はない。


 それでも、拳銃を手に入れたことは大きかった。


 あの巨大な看守長に通用するかどうかは分からない。


 だが、丸腰でいるよりは、いくらか心強い。


 クズオは拳銃を握りしめた。


「……へへ。さすがは元ギルドマスターだな。最初からこういうものを用意しておけばよかったんだよ」


「勘違いするなよ。そいつはお守りじゃねえ。使えば弾が減るし、音も出る。むやみに撃つな」


「分かってるって!」


「本当に分かってる奴は、そういう返事をしねえんだよ」


 ライオットは再び寝台に腰を下ろした。


「それと、俺はお前を助けに行かねえからな」


「誰がお前なんかに頼るか!」


「そりゃ結構」


 ライオットは片手をひらひらと振った。


「生きて戻ってきたら、話くらいは聞いてやるよ」


 クズオは鼻を鳴らすと、拳銃を手に歩き始めた。


 目指すのは、塔の下層。


 看守長が出入りしていた、あの金属製の扉だ。


     ◇


 地下へ続く階段は、囚人たちが普段利用する通路よりも狭かった。


 壁には魔法灯がほとんどなく、足元を照らす明かりも乏しい。


 クズオは片手で壁を探りながら、慎重に階段を降りていった。


「……暗すぎるだろ。」


 小声で悪態をつきながらも、彼は歩みを止めなかった。


 やがて、階段の先に巨大な金属製の扉が見えてきた。


 厚い鋼板を何枚も重ねたような構造だった。


 扉の周囲には、黒ずんだ染みがいくつも残っていた。


 血なのか、それとも別の何かなのか。


 クズオには分からなかった。


「……ここか」


 彼は息を呑んだ。


 ここから先が、看守長の帰る場所なのだろうか。


 それとも、ミオナたちが夜明け前に出入りしていた場所なのか。


 あるいは、この塔から外へ出るための道なのか。


 答えは、扉の向こうにある。


 クズオは拳銃を握り直した。


 手のひらに汗がにじんでいる。


「……俺は選ばれた人間だ」


 自分に言い聞かせるように呟いた。


「こんなところで、ビビってられるかよ」


 扉の脇に、古びた取っ手があった。


 クズオは一度だけ背後を振り返った。


 誰もいない。


 遠くから、かすかに金属音が響いている。


 看守長は、まだ上の階層にいるのかもしれない。


 今しかない。


 クズオは取っ手に手をかけ、ゆっくりと押した。


 ギ……。


 重い扉が、わずかに動いた。


 その隙間から、冷たい空気が流れ込んできた。


 腐臭が漂う。


 クズオは顔をしかめた。


「……何だ、これ」


 さらに扉を押し開く。


 ギギギギ……。


 金属が軋む音が、地下の通路に響き渡った。


 扉の向こうには、細長い通路が続いていた。


 壁には規則的に並んだ金属の配管が走り、床には細い溝が刻まれている。


 そして、その通路の奥には、さらに別の扉が見えた。


 人の気配はない。


 看守長の姿も、ミオナたちの姿もなかった。


「……へっ。何だよ。大したことねえじゃねえか」


 クズオは安堵し、薄笑いを浮かべた。


 だが、その一歩を踏み出した瞬間。


 背後で、重い金属音が響いた。


 ガコン。


 クズオは飛び上がった。


 振り返る。


 開けたはずの扉が、ゆっくりと閉じ始めていた。


「えっ……?」


 クズオは慌てて駆け戻ろうとしたが、轟音とともに閉じた。


 ――ガァン!


 地下通路に、金属音が長く反響した。


「……は?」


 クズオは、閉ざされた扉を呆然と見つめた。


 取っ手を掴む。


 引っ張る。


 押す。


 だが、扉はびくともしなかった。


「お、おい……嘘だろ?」


 何度も取っ手を動かす。


 反応はない。


 扉の表面に刻まれた魔法文字が、淡く光っている。


 まるで、侵入者を閉じ込めるために。


「ま、待て!開けろ!開けろってば!」


 クズオは拳で扉を叩いた。


 返事はなかった。


 そのとき、通路の奥から、かすかな音が聞こえた。


 カツ……。


 カツ……。


 規則的な、硬い足音。


 クズオの顔から血の気が引いた。


 あの足音を、彼は知っている。


 夜の塔を巡回する、巨大な処刑人の足音だ。


 クズオは震える手で拳銃を構え、暗い通路の奥を見つめた。


 そして、ようやく悟った。


 自分は脱獄の手掛かりを探しに来たのではない。


 自ら、看守長の領域へ足を踏み入れてしまったのだ。


「ひ……ひいいいいっ……!」


 叫び声が、地下通路にこだました。


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