脱獄計画
午後七時。
地下螺旋収容塔の酒宴は、最高潮を迎えつつあった。
「くそっ……。まさか、この俺がスライム退治なんかをさせられるとはな……」
キモオジ家の跡取りである自分が、囚人たちと一緒になって働き、安酒を飲んでいる。
こんな屈辱があっていいはずがない。
だが、そのときだった。
「……ん?」
クズオは、ふと手を止めた。
頭の中に、ひとつの考えが浮かんだのだ。
「待てよ……?」
彼は、周囲を見回した。
牢屋の扉には、例の魔力ゲージが埋め込まれている。
昨夜、囚人たちは午後八時になると一斉に魔力を注ぎ込んでいた。
そして、ゲージを満たせなかった囚人は――。
クズオの脳裏に、看守長に引きずり出された男の姿がよみがえった。
「……そうだ。魔力だ!」
クズオは、勢いよく立ち上がった。
周囲の囚人が、ちらりとこちらを見る。
しかし、彼はそんなことなど気にしなかった。
「俺は、収監されたときに魔力を徴収されていない!」
そうなのだ。
少なくとも、クズオ自身は、入所時に魔力を奪われた覚えがなかった。
平民風情の他の囚人たちは魔力が少ないが、貴族である自分には十分な魔力が残っている。
ならば――。
「上の階層に行けばいいんだ!」
クズオは、拳を握りしめた。
地下螺旋収容塔は、中央の吹き抜けを囲むように牢屋が連なっている。
上層階の囚人なら、下層階の囚人よりも出口に近い。
そして、もし自分の魔力を使って、上層階の囚人の魔力ゲージを満たしてやれば……。
「そいつの牢に居候すれば、上の出口からすぐに出られるじゃないか!」
クズオの顔が、ぱあっと明るくなった。
自分の牢のゲージを満たすために魔力を使うのではない。
他人の牢のゲージを満たし、その見返りとして上層階の牢を使わせてもらう。
そうすれば、毎晩の看守長の襲撃を避けられるかもしれない。
いや、仮に魔力徴収の仕組みが階層ごとに異なっていたとしても、上の出口に近づけるだけで十分な価値がある。
何より、ここから脱出するための足がかりになる。
「す、すごい……!」
クズオは、自分のひらめきに感動した。
「やはり、俺は天才だな!」
彼は、胸を張った。
「俺は選ばれた人間なんだ! こんなところでスライム退治をしている場合じゃない!」
つい先ほどまで、ビールの安さに文句を言っていた男とは思えないほどの自信だった。
もっとも、その計画には重大な問題があった。
魔力ゲージに魔力を注げるのは、その牢に収監されている囚人本人だけであり、他人へ魔力を分け与えるための魔導具もここには無い。
だが、クズオはその事実を知らなかった。
そもそも、彼は自分の魔力が他人より多いかどうかすら、確かめていない。
それでも、彼の頭の中では、すでに脱獄計画は完成していた。
「よし! 善は急げだ!」
クズオは螺旋階段を昇っていった。
◇
地下螺旋収容塔の上層階。
クズオは、息を切らしながら階段を上っていた。
「はあっ……はあっ……。くそっ、なんでこんなに階段が長いんだよ……!」
中央の吹き抜けを囲むように続く階段は、どこまでも上へと伸びている。
下を見れば、橙色の魔導灯が無数に連なり、囚人たちの酒宴が遠くに見えた。
上を見れば、さらに上の階層が続いている。
「だが、もう少しだ……!」
クズオは歯を食いしばった。
上層階へ進むにつれて、囚人の姿は少なくなっていった。
代わりに、壁際に置かれた家具や、牢屋の前に並ぶ小さな植木鉢などが目につくようになる。
中には、牢屋の入り口に布を垂らし、外から内部が見えないようにしている者もいた。
「ふん。上の階層の連中は、ずいぶんと贅沢をしているようだな」
クズオは、妬ましげにつぶやいた。
自分も、こんな場所で暮らせるようになれば、少しは快適になるだろう。
そう考えながら階段を上り続けると、ついに最上層が見えてきた。
その先には、重厚な扉があった。
収容塔の上部へと続く出口らしい。
「……あれだ!」
クズオの目が輝いた。
出口の手前には、三つの牢屋が横並びになっていた。
そして、そのうちのひとつから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ミオナ、今日は僕の牢で食べようよ。こっちのほうが椅子もテーブルも使いやすいから」
「えーっ!今日はあたしの牢がいいよ!昨日はお姉ちゃんの牢だったんだから、今日はあたしの番でしょ?」
「ヤン、そういう決め方だったかな……?」
「いいじゃない、細かいことは!」
クズオは、ぴたりと足を止めた。
「……は?」
聞き覚えのある名前。
聞き覚えのある声。
嫌な予感がした。
彼は、恐る恐る牢屋の入り口を覗き込んだ。
そこにいたのは――。
「……なっ!?」
銀色の長い髪を持つ女性。
水色のボブヘアの少女。
ピンク色のツインテールの少女。
ミオナ・メスガキ。
クー・デレ。
ヤン・デレ。
三人が、牢屋の中で仲良く食事をしていた。
テーブルの上には、パンとスープ、焼いた肉、そして酒の入った瓶が並んでいる。
クーは椅子に座って食事をし、ヤンはミオナの隣にぴったりとくっついていた。
ミオナは、二人の様子を見ながら、微笑んでいる。
「……なんで、貴様らがこんなところにいるんだよ!?」
クズオは思わず叫んだ。
三人が、一斉にこちらを向いた。
「あら……クズオ?」
ミオナは、落ち着いた声で言った。
「また会ったわね」
「な、な、な……!」
クズオは口をぱくぱくさせた。
よりにもよって、またこいつらか!
せっかく名案を思いつき、上層階まで上ってきたというのに!
しかも、出口のすぐ手前にいるではないか。
これなら、計画を実行するには絶好の場所だ。
クズオは、すぐに気を取り直した。
「ふ、ふん!ちょうどいい!お前たち、俺に協力しろ!」
「……は?」
クーが、露骨に嫌そうな顔をした。
「僕たちに?」
「そうだ!俺はこれから、この収容塔を脱出する!」
「へえ」
ヤンが、にこにこと笑った。
「それで?」
「お前たちの魔力ゲージを、俺が満たしてやる!その代わり、俺をお前たちの牢に住まわせろ!」
クズオは、これ以上ないほど得意げに胸を張った。
「俺の魔力を使えば、お前たちも安心して夜を越せる!そして俺は、出口のすぐ近くにいられる!どうだ、完璧な計画だろう!」
沈黙。
クーとヤンは顔を見合わせた。
そして、二人そろってミオナを見た。
ミオナは、しばらくクズオを見つめたあと、静かに口を開いた。
「……クズオ。ひとつ、教えてあげましょうか」
「な、なんだ?」
「この収容塔の魔力ゲージには、囚人ごとに固有の認証が設定されているの。あなたが他人の牢に魔力を注ぎ込むことはできないわ」
「…………は?」
「つまり、あなたの計画は最初から成立しないということよ」
「な、ななな……!」
クズオの顔が、みるみるうちに赤くなった。
「そ、そんなはずがあるか! 俺は天才だぞ!?」
「天才なら、まず仕組みを確認してから計画を立てるべきじゃないかな」
クーが、淡々と告げた。
「君、自分の魔力が他人より多いかどうかも確認していないんだろう?」
「ぐっ……!」
「それに、僕たちが君を牢に住まわせる理由もないよね」
「う、うるさい!」
クズオは顔を真っ赤にして怒鳴った。
しかし、ヤンはそんな彼を見て、くすくすと笑っていた。
「ねえ、おじさん。もしかして、ここまで階段を上ってきたの?」
「そ、そうだ! それがどうした!」
「すごーい!各階層の昇降盤に気が付かないで、無駄に頑張ったんだね!」
「貴様ァァァッ!」
「ヤン、あまりからかわないであげなさい」
ミオナがたしなめると、ヤンは素直に口を閉じた。
「はぁい、ミオナ様!」
クズオは、わなわなと震えていた。
自分の計画が、あっさりと否定された。
しかも、ミオナたちの前で。
これでは、まるで道化ではないか。
だが、彼はまだ諦めなかった。
「……ふ、ふん!いいだろう!俺は別の方法を考える!」
そう言って、クズオは勢いよく踵を返した。
しかし、数歩進んだところで、ふと足を止めた。
出口の扉が、すぐ目の前にある。
ほんの数メートル先だ。
クズオは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……あれ?」
そもそも、出口は本当に自由に出入りできる場所なのだろうか。
もし、扉が開かなかったら?
もし、外に出た瞬間、看守に捕まったら?
いや、そもそも――。
クズオは、ゆっくりと後ろを振り返った。
牢屋の中では、ミオナたちが再び食事を始めていた。
クーはスープを飲み、ヤンはミオナの皿に肉を取り分けている。
まるで、クズオなど最初から存在しなかったかのようだった。
「……くそっ!」
クズオは、顔を歪めた。
結局、何ひとつうまくいかない。
それでも、彼は自分に言い聞かせた。
俺は選ばれた人間だ。
俺は、こんなところで終わる人間じゃない。
必ず、ここから脱出してやる。
そう心に誓いながら、クズオは重い足取りで階段を下り始めた。
背後では、三人の楽しげな会話が続いていた。
「ねえ、ミオナ。明日は僕の牢でいいよね?」
「うん、明日はクーの牢ね!」
「……そうね。けれど、三人とも同じ牢で食事をするなら、もう少し広い場所が欲しいわね」
「じゃあ、今度、テーブルを大きくしようよ!」
「ふふっ。そうしましょうか」
その声を聞きながら、クズオは歯ぎしりした。
「……牢屋シェアだと? ふざけやがって……!」
彼の脱獄計画は、始まる前から失敗していた。
***
午後7時50分。
クズオは、自分の牢へ戻ってきていた。
帰りは、壁際の目立たない扉の先にあった昇降盤を使って降りたが、足はすっかり疲れ切っていた。
しかも、苦労して考えた脱獄計画は、ミオナたちにあっさりと否定された。
思い出すだけで腹が立つ。
「くそっ! あの女……! いつか絶対に見返してやるからな!」
悪態をつきながら牢の中に入った、そのときだった。
『――午後8時。囚人の諸君、魔力徴収の時間だ』
天井の拡声器から、聞き覚えのある声が響いた。
『各自、速やかに魔力ゲージを満たすように。義務を果たさない者については、どうなるかわかってるな』
「もう8時かよ!」
クズオは慌てて扉に駆け寄った。
鍵穴の横に埋め込まれたガラス製の魔力ゲージは、昨日よりもさらに心もとなくなっていた。
「こ、これを満たせばいいんだよな……!」
クズオは両手をゲージに押し当て、魔力を注ぎ込んだ。
ガラスの内部で、赤い光がゆっくりと上昇していく。
四分の一。
半分。
やがて光は緑色に変わり、ゲージの上端まで満ちた。
「よ、よし! これで今夜も大丈夫だな……!」
クズオは、へなへなと床に座り込んだ。
昨夜のように、ゲージが空になった囚人が看守長に引きずり出される光景は、もう見たくなかった。
ましてや、今夜は自分がその犠牲者になるなど、絶対に御免だった。
ほっと胸をなで下ろした、そのとき。
「おい、新入り」
隣の牢から声がした。
「……ひっ!?」
クズオは反射的に身をすくめた。
「そんなに慌てるなよ」
「な、なんだよ……。驚かせるな!」
「ははっ、悪い悪い」
隣の牢にいるのは、ライオット・ベテランだった。
彼はいつものように、金属製の小さな容器を片手に持っていた。蓋を開け、中の酒を一口飲む。
「ところで、お前。さっき上の階に行ってたな?」
「……な、なんで知ってるんだよ?」
「この塔じゃ、階段を上り下りする奴は目立つんだよ。特に、普段は見かけねえ新入りならな」
ライオットは、面白そうに笑った。
「それで? まさか、脱獄でも考えたんじゃねえだろうな?」
「…………」
クズオは黙り込んだ。
ライオットの口元が、にやりと歪む。
「図星か」
「う、うるさい! 脱獄を考えるのが何が悪いんだ! 俺は、こんなところで一生を終える人間じゃないんだぞ!」
「そりゃ、誰だってそう思うだろうさ」
「だったら……!」
「だがな、上から出るのは無理だ」
ライオットの声が、少しだけ低くなった。
クズオは、ぴたりと口を閉じた。
「……無理? なんでだよ?」
「上の出口を使おうとした奴は、何人もいた。だが、誰一人として成功していない」
「扉が開かないのか?」
「いや、扉そのものは開く。問題は、その先だ」
ライオットは、金属容器の蓋を閉めた。
「この塔の最上層にある出口。あそこを通り抜けようとすると、突然、体が硬直するらしい」
「こ、硬直……?」
「ああ。手も足も動かなくなる。声すら出せなくなるって話だ」
クズオの顔から、血の気が引いた。
「な、なんだよ、それ……!」
「何らかの魔法が仕掛けられているんだろうな。入るときは反応せずに出口を通過するときに反応して、囚人の身体の自由を奪う。」
「で、でも、魔法なら解除すれば……!」
「解除できる奴がいるなら、とっくに誰かがやってるさ」
ライオットは、あっさりと言った。
「それに、脱獄を企てた奴の中には、魔法に詳しい連中もいた。そいつらも、結局は失敗した」
「…………」
「以前、ひとりの囚人が出口を突破しようとしたことがあった」
ライオットの表情から、笑みが消えた。
「そいつは、扉の向こうへ出た瞬間、体が硬直した。身動きが取れなくなったんだ」
「……それで?」
「午後十時になった」
ライオットは、それだけ言って酒を一口飲んだ。
クズオは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ま、まさか……」
「ああ。看守長が来た」
静かな声だった。
「そいつは逃げることも、抵抗することもできなかった。あとは……昨夜、お前が見たとおりだ」
「ひっ……!」
クズオは両手で口を押さえた。
血に染まった白いエプロン。
巨大な肉切り包丁。
身動きのできない囚人を引きずり出し、容赦なく解体していく看守長。
その光景が、鮮明によみがえった。
「お、おい……! じゃあ、上の出口から脱獄しようとしたら、俺も……!」
「そうなるだろうな」
「じょ、冗談じゃないぞ!俺は、そんな死に方をするために生まれてきたんじゃないんだ!」
「なら、上から出ることは諦めるんだな」
クズオは頭を抱えた。
せっかくの名案だった。
上層階の牢に居候し、出口から脱出する。
その計画が、今度は看守長による解体という、あまりにも悲惨な結末につながる可能性があると分かったのだ。
「くそっ……! じゃあ、どうすればいいんだよ……!」
クズオは、床に座り込んだままうめいた。
そのとき、ライオットがふと、独り言のようにつぶやいた。
「……上からは無理だが、下なら……」
「……え?」
クズオは顔を上げた。
「お、おい!今、何て言った!?」
「いや、何でもない」
ライオットは、そっけなく答えた。
「な、何でもないわけないだろ!下がどうしたんだよ!」
「聞き間違いじゃねえか?」
「聞き間違いなわけあるか!」
クズオは牢の柵に飛びついた。
「おい、教えろよ!下から脱獄できるのか!?」
「声がでけえな。少しは静かにしろ」
ライオットは、面倒くさそうに頭をかいた。
「俺は何も言ってねえ。余計なことを考えるな」
「だが……!」
「いいか、新入り。ここじゃ、知らなくていいことまで知ろうとすると、ろくな目に遭わねえぞ」
ライオットの声には、先ほどまでの軽薄さとは違う響きがあった。
クズオは、思わず黙り込んだ。
しばらくして、ライオットは立ち上がった。
「さて、俺はもう寝る。お前も、今夜は大人しくしておけ」
「お、おい、待てよ!」
ライオットは返事をせず、牢の奥へと戻っていった。
やがて、隣の牢から物音がしなくなる。
クズオは、しばらく柵を握りしめていた。
「そうか……!上が駄目なら、地下水路から出ればいいんだ!」
彼は、ひとりでに笑い始めた。
「やはり、俺は天才だ……!」
もちろん、ライオットは、そんなことを一言も言っていない。
それでも、彼の頭の中では、すでに新たな計画が動き始めていた。
午後八時。
魔力ゲージは満たされている。
看守長が現れるまで、あと二時間。
クズオは、扉の向こうに光る緑色のゲージを見つめながら、ほくそ笑んだ。
「待っていろよ……。俺は必ず、ここから出てやるからな!」
その声は、螺旋状に連なる牢屋の壁に、虚しく響き渡った。




