束の間の酒宴
午後六時。
地下螺旋収容塔は、橙色の光に包まれていた。
誰が取り付けたのか、壁面のあちこちには魔導灯がぶら下げられている。柔らかな光が石造りの壁を照らし、中央の巨大な吹き抜けを通じて、螺旋状に連なる牢屋のひとつひとつを染め上げていた。
まるで、夕日に照らされた街並みのようだった。
「へえ……」
クズオは、思わず足を止めた。
朝には薄暗く、陰気で、いつ看守長に殺されるか分からない恐怖に満ちていた場所とは思えない。
通路には露店が立ち並び、囚人たちが声を張り上げている。
「串焼きだ!焼きたてだぞ!」
「安い酒があるぞ! 一杯二十セントだ!」
「誰か、明日の討伐依頼を一緒に受ける奴はいないか!」
「おい、そこのお前!うちの店で食っていけよ!」
あちらこちらから、威勢のいい呼び声が響いていた。
肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
脂の滴る肉が、炭火の上でじゅうじゅうと音を立てていた。香辛料の刺激的な香りが鼻をくすぐり、焼き上がった肉を頬張る囚人たちからは、満足げな笑い声が漏れている。
牢屋の扉は、すべて開け放たれていた。
その内部には、どこから調達したのか、粗末なテーブルや椅子が置かれている。牢屋を酒場代わりにしている囚人もいれば、仲間たちと食事を楽しんでいる囚人もいた。
誰かが酒瓶を掲げ、誰かが大声で笑う。
まるで、祭りの夜だった。
「……なんなんだよ、ここは」
クズオは、呆然とつぶやいた。
昨夜、目の前で囚人が解体されたことが、嘘のようだった。
しかし、よく見れば、誰もが魔力ゲージの存在を忘れているわけではない。
牢屋の扉には、例のガラス製ゲージが埋め込まれている。
囚人たちは笑いながら酒を飲み、食事を楽しんでいる。だが、その視線は時折、扉のゲージへと向けられていた。
午後八時になれば、再び魔力徴収が始まる。
そして、午後十時になれば、看守長が現れる。
この祭りのような光景は、あくまでその間に許された、束の間の休息にすぎないのだ。
◇
「おい、あんた。初仕事の報酬はもらったんだろ?」
背後から声をかけられ、クズオは振り返った。
そこにいたのは、朝から一緒に地下水路でスライムを駆除していた中年の囚人だった。
「ああ、もらったよ。それがどうした?」
「だったら、飯でも食っていけ。ここで稼いだ金を使わずに死んだら、馬鹿らしいからな」
「死ぬだと!? 縁起でもないことを言うな!」
「ははっ、悪い悪い」
中年の囚人は、悪びれた様子もなく笑った。
クズオは不機嫌そうに鼻を鳴らし、露店に目を向けた。
炭火の上で、何本もの串焼きが焼かれている。
肉は決して上等には見えなかったが、表面には香ばしい焼き色がつき、滴り落ちる脂が食欲をそそっていた。
隣の店では、木樽から安酒が注がれている。
「……まあ、初給料だしな」
クズオは懐から報酬の入った小袋を取り出した。
今日のスライム駆除で稼いだ金だ。
「おい、そこの店主!串焼きとビールをくれ!」
「串焼き2本とビール1杯だな。合わせて10ドル50セントだ!」
「10ドル50セントだと!?高すぎるだろ!」
「嫌なら買わなくてもいいぞ。後ろに客が並んでるからな」
「ぐぬぬ……!」
クズオは歯ぎしりしながら、小袋に手を突っ込んだ。
そのときだった。
「おい、店主。そいつの分も俺につけておけ」
中年の囚人が、横から声をかけた。
「おっ、いいのかい?」
「ああ。串焼き2本とビール1杯だろ?」
男は懐から硬貨を取り出し、店主に渡した。
店主は代金を受け取ると、焼きたての串焼きとビールを差し出した。
「ほらよ。熱いうちに食べな」
中年の囚人は、クズオに串焼きとビールを押しつけた。
「今日は俺が奢ってやる。まあ、飲めや」
「……は?」
クズオは、目の前の食べ物と男の顔を交互に見た。
「な、なんでお前が俺に奢るんだよ?」
「別にいいだろ。初仕事を終えた記念だ」
「ふ、ふん!俺は別に、頼んだ覚えはないぞ!」
「そうかい。じゃあ、いらないなら俺が食うが?」
「い、いらないとは言ってないだろ!」
クズオは慌てて串焼きを抱え込んだ。
そして、焼きたての肉にかぶりつく。
じゅわっ。
口の中に肉汁が広がった。
「……!」
思わず目を見開く。
安い肉ではあるが、炭火で丁寧に焼かれている。塩と香辛料の加減もちょうどよく、思っていたよりずっと美味かった。
クズオは2口、3口と食べ進め、串焼きをあっという間に1本平らげた。
続いて、木製のジョッキを手に取る。
ごくり。
泡立ったビールが喉を通った。
「……ぷはっ!」
冷えた酒が、乾いた喉に染み渡る。
クズオは、ほっと息を吐いた。
朝から慣れない仕事をさせられ、地下水路の悪臭に耐え、スライム相手に悲鳴を上げた。
その疲労が、少しだけ和らいだ気がした。
だが、すぐに彼は、はっと我に返った。
「……か、勘違いするなよ!」
クズオは、慌てて尊大な態度を取り戻した。
「こんな安酒、俺の口に合うわけがない!まあ、せっかく奢ってもらったんだ。勿体ないから飲んでやる!」
「へえ、そうかい」
中年の囚人は、愉快そうに笑った。
「だったら、遠慮せずに飲んでくれ。せっかくの酒が不味くなるからな」
「なっ……!」
クズオは言い返そうとしたが、男はすでに自分の酒を注文していた。
しばらく、二人は露店のそばで食事を続けた。
周囲では、囚人たちが酒を酌み交わし、明日の仕事について話し合っている。
笑い声が響く。
肉が焼ける。
橙色の魔導灯が、石壁を夕焼けのように染めていた。
そんな中、中年の囚人がふと思い出したように尋ねた。
「ところで、お前、名前は?」
「名前だと?」
「ああ。朝から一緒に仕事をしてるが、まだ聞いてなかったからな」
クズオは、待ってましたとばかりに胸を張った。
「よく聞け!俺はクズオ・キモオジ!キモオジ家の跡取りだぞ!」
周囲の喧騒に負けないよう、わざと大きな声で名乗った。
しかし、男は特に驚いた様子もなかった。
「キモオジ家ねえ……」
「な、なんだ、その反応は!」
「いや、別に。」
「お前、俺が誰だか分かっていないのか!?」
「さあな。少なくとも、今ここにいるお前は、スライム相手に大騒ぎしていた新人の囚人だ」
「き、貴様ァ……!」
クズオが食ってかかろうとしたとき、男は軽く片手を上げた。
「まあまあ。そう怒るなって。俺も名乗っておこう」
男は、椅子代わりの木箱から立ち上がった。
「俺はライオット・ベテラン。一応、ギルドの頭をやっていた」
「……ギルドの頭?」
「ああ。昔の話だがな」
ライオットは懐に手を入れ、小さな金属製の容器を取り出した。
蓋を開けると、そこには琥珀色の酒が入っていた。
彼は容器を口元に運び、慣れた仕草で一口飲む。
酒を飲み下すと、満足げに息を吐いた。
「……やっぱり、これが一番だな」
「おい、待てよ。ギルドの頭って、どういうことだよ?」
クズオが尋ねると、ライオットは金属製の容器を懐にしまった。
「言葉どおりさ。昔は、そこそこ大きなギルドを率いていた。いろいろあって、今はここにいる。それだけだ」
「そ、それだけって……!」
「詳しい話が聞きたいなら、また今度な」
ライオットはひらひらと手を振った。
「さて、俺はそろそろ行く。あまり飲みすぎると、夜に困るからな」
「お、おい!」
クズオが呼び止めるより早く、ライオットは人混みの中へと歩き出した。
大勢の囚人が行き交う通路を、慣れた足取りで進んでいく。
ライオットの歩き方には、他の囚人とは違う何かがあった。
まるで、この収容塔のことを知り尽くしているかのような、妙な余裕。
「……なんなんだ、あいつ」
クズオは、空になりかけたジョッキを見下ろした。
ギルドの頭。
その言葉が、妙に引っかかっていた。
この収容塔には、いったいどれほどの人間がいるのだろう。
そして、ライオットは何をして、ここに収監されることになったのか。
聞いてみたい気もした。
だが、すぐにクズオは首を振った。
「……まあ、いいか。俺には関係ない」
そう言って、串焼きの最後の1口を頬張る。
午後6時半。
地下螺旋収容塔は、相変わらず祭りのような賑わいに包まれていた。
しかし、壁に並ぶ魔力ゲージの光は、少しずつ弱まり始めている。
あと1時間半もすれば、囚人たちは再び魔力を徴収される。
そして、午後10時には――。
クズオは、ジョッキの底に残ったビールを飲み干した。
今だけは、嫌なことを忘れていたかった。




