午後10時の解体人
バートランド聖王国・地下螺旋収容塔。
クズオ・キモオジが収容されてから、数時間が経過していた。
地下深くに築かれた巨大な収容施設。
その内部は、中央が吹き抜けになった巨大な螺旋階段を中心に構成されていた。円形の壁に沿って、無数の牢獄が規則正しく並んでいる。上を見上げれば、何層もの通路と鉄格子が延々と続き、下をのぞき込めば、闇の底に吸い込まれそうになる。
壁に設置された魔導灯は薄暗く、湿った石壁からは冷気が漂っていた。
ここには、昼も夜もない。
クズオは鉄格子の前に座り込み、不満げに鼻を鳴らした。
「まったく……とんでもないところに入れやがって」
寝台は硬く、食事は粗末。部屋は狭く、自由もない。
これまで自分が暮らしてきた環境とは、何もかもが違っていた。
「俺を誰だと思ってるんだ……。キモオジ家の人間だぞ……」
そうつぶやいたところで、返事をする者はいなかった。
そのとき。
午後八時。
廊下の天井に取り付けられた魔導音響機から、突然、男の声が響き渡った。
『お前ら、魔力徴収の時間だ。義務を果たせよ。生き残りたければな』
それだけだった。
説明も、質問を受け付ける言葉もない。
音声は、ぷつりと途切れた。
「……はあ?」
クズオは顔を上げた。
「魔力徴収? なんだそりゃ?」
周囲を見回す。
すると、ほかの囚人たちが一斉に動き始めていた。
彼らは牢の扉に近づき、鍵穴のすぐそばに手をかざしている。
クズオは、そこで初めて気づいた。
鉄格子の扉には、縦長の細いガラス板が埋め込まれていた。長さは十五センチほど。下端から上端まで、透明なガラスの奥に細かな目盛りが刻まれている。
そして、そのガラスの中には赤い光が灯っていた。
自分の牢にも、同じものがある。
クズオは立ち上がり、自分の扉を確認した。
赤い光は、下端からわずか五ミリほどの位置までしか届いていない。
「なんだ、これ……」
試しに指で触れてみた。
反応はない。
そのとき、隣の牢から、低い声が聞こえた。
「おい、新入り。ぼさっとしてねえで、手を当てろ」
隣の囚人は、痩せた中年男だった。顔には深い皺が刻まれ、目の下には濃い隈が浮かんでいる。
「手を当てろって、何にだよ?」
「そこの魔力ゲージだよ。見りゃ分かるだろ」
「魔力ゲージ?」
「自分の魔力を流し込むんだ。ほら、みんなやってるだろ」
クズオは周囲を見た。
囚人たちが手をかざすたび、赤い光が少しずつ上へ伸びていく。
ゲージの半分を超えたところで、光の色が赤から緑へと変わった。
やがて上端まで光が到達する。
満タンだ。
囚人たちは一様に安堵した様子で手を離していた。
「これで、今夜は安心して寝れるぜ」
隣の男が、満足そうにつぶやいた。
「……どういうことなんだよ?」
クズオは眉をひそめた。
「なんで魔力を入れたら、安心して寝られるんだ?」
男は、まるで信じられないものを見るような目でクズオを見た。
「お前、本当に何も知らねえんだな」
「だから、何の話だって聞いてるんだよ!」
「今夜、生き残りたければ、お前も牢の扉に自分の魔力を込めるんだな」
「生き残る……?」
クズオの背筋に、嫌なものが走った。
だが、隣の男はそれ以上説明しようとしなかった。
ただ、満タンになったゲージを一瞥し、寝台へ戻っていった。
「……くそっ。気味の悪い場所だな」
クズオは舌打ちした。
しかし、ほかの囚人たちが全員同じ行動を取っているのを見ると、無視するわけにもいかなかった。
彼は扉に手を当て、魔力を流し込んだ。
すると、赤い光がゆっくりと上昇し始めた。
「おお……」
光は五ミリ、十ミリ、十五ミリと伸びていく。
クズオは自分の魔力が装置に吸い取られている感覚に眉をひそめた。
それでも、魔力ゲージが半分を超えると、光は緑色へと変化した。
さらにマナを注ぎ込む。
やがて、ゲージは上端まで満たされた。
緑色の光が、安定した明るさで輝いている。
「……これでいいのか?」
クズオは手を離した。
何が起きるのかは分からない。
だが、少なくとも周囲の囚人たちは、これを当然の習慣として受け入れているようだった。
そのとき、クズオは少し離れた牢に目を向けた。
一人の囚人が、寝台の端に座り込んでいる。
その男は、魔力ゲージに手を触れようともしなかった。
ゲージに灯る光は、ほとんど残っていない。
「おい。あいつは魔力を入れなくていいのか?」
クズオが尋ねると、隣の男は露骨に顔をしかめた。
「……あいつは、もう駄目だ」
「駄目って、何が?」
「今夜になりゃ分かる」
男はそれだけ言って、寝台に横になった。
クズオは、何か言いようのない不安を覚えた。
*
午後九時五十分。
静まり返った収容塔に、慌ただしい足音が響いた。
クズオが顔を上げると、螺旋階段を数人の看守が駆け上がってくるのが見えた。
彼らは全員、槍を手にしていた。
囚人たちを威圧するように歩く看守たちが、今は焦った様子で階段を駆けている。
「おい、後十分だぞ!ゲートまで間に合うか?」
「とにかく、急いで登るしかねえだろ!」
別の看守が、苛立たしげに吐き捨てた。
「ったく、なんで俺たちが地下水路の浄化魔導具の修理なんかしなきゃならねえんだ!」
「文句はあとにしろ!遅れたら、俺たちまで何をされるか分からんぞ!」
彼らは顔を見合わせると、さらに速度を上げて階段を上っていった。
その姿を、クズオは呆然と見送った。
「……看守まで、何をそんなに慌ててるんだ?」
誰も答えない。
そして、午後十時。
天井の魔導音響機が、再び音を発した。
『午後十時、就寝時間だ。間違っても外に出るんじゃないぞ? 看守長に殺されるからな』
あまりにも軽い口調だった。
それだけ言って、音声はぷつりと途切れた。
「……は?」
クズオは目を瞬かせた。
「今、殺されるって言ったか?」
その瞬間だった。
地下深くから、重い金属音が響いた。
ガコン。
何か大きな扉が開く音。
続いて、金属製の硬い何かを引きずる音がした。
ギィ……。ギィ……。ギィ……。
音は、ゆっくりと近づいてくる。
コツ。コツ。コツ。
重い足音が、螺旋階段を上ってきた。
クズオは息を止めた。
中央の吹き抜けを見下ろす。
暗闇の向こうから、何かが上がってくる。
その姿は、まだ見えない。
しかし、金属を石床にこすりつける音だけは、はっきりと聞こえていた。
隣の囚人が、寝台から身体を起こした。
「……とうとうお出ましか」
その声には、諦めにも似た響きがあった。
「お、おい……。何が来るんだよ?」
クズオは震える声で尋ねた。
「あまり見ない方がいい」
「だから、何なんだよ!」
「いいから黙れ!」
隣の男が、珍しく声を荒らげた。
クズオは口を閉じた。
少し離れた牢では、先ほどの囚人が震えながら鉄格子にしがみついていた。
「嫌だ……嫌だ……。頼む、来ないでくれ……」
彼の牢の魔力ゲージは、ほとんど光を失っていた。
赤い光が、底の方でかすかに明滅している。
そして――。
カチャリ。
その囚人の牢の鍵が、ひとりでに開いた。
「ひっ……!」
鉄格子が、ゆっくりと外側へ開く。
「やめてくれ……! 俺はもう魔力に余裕がないんだ……!」
囚人は牢の奥へ逃げようとした。
だが、鉄格子の外から伸びてきた巨大な手が、彼の襟首をつかんだ。
「嫌だ! やめろ! 助けてくれえええ!」
男の身体が、牢の外へ引きずり出される。
そして、クズオのいる場所からも、その姿がはっきりと見えた。
螺旋階段を上ってきたのは、異様な巨体の男だった。
身長は二メートルほど。
肩幅は広く、全身が分厚い筋肉で覆われている。
身につけているのは、古い血がこびりつき、茶褐色に汚れた白いエプロン。手には白い手袋、足には白い長靴。
しかし、その白さはすでに失われていた。
エプロンには、乾いた血の染みが幾重にも重なっている。
頭部は黒く汚れた布で覆われ、顔は見えない。
男は、うう……とうめくような声を上げながら、巨大な大鉈を引きずっていた。
ギィ……。ギィ……。
刃が石床をこするたび、不快な音が収容塔に響く。
囚人を引きずり出した巨体は、彼の牢の前で立ち止まった。
「勘弁してくれ……! 来るな! 頼む、俺はまだ死にたくない!」
囚人は床に爪を立て、必死に抵抗した。
しかし、巨体は何も答えなかった。
ただ、布の下から低いうめき声を漏らし、囚人を引きずっていく。
「嫌だああああっ!」
その叫びが、収容塔の吹き抜けに反響した。
直後。
クズオの視界の先で、看守長による処刑が始まった。
看守長は囚人を床に押さえつけると、大鉈を振り上げた。
鈍い音。
囚人の叫び声。
再び、鈍い音。
それは長くは続かなかった。
そして、グチュ、グチャという嫌な音が周りに響く。
それは、その不気味な巨体が哀れな犠牲者を捕食するときの咀嚼音だった。
やがて、あたりに静寂が戻り、看守長は何事もなかったかのように立ち上がった。
クズオは、その場から動けなかった。
喉の奥が熱い。
胃の中がひっくり返るような感覚がした。
「うっ……おえっ……!」
胃酸が逆流し、口の中に酸っぱい味が広がる。
クズオは口元を押さえ、鉄格子にすがりついた。
「な、なんだよ……あれ……」
隣の囚人は、横になったまま言葉を発した。
「新人の洗礼だな」
「……っ!」
「まあ、すぐに慣れるさ」
男は天井を見上げた。
「いつまで生き残れるかな」
その言葉が、クズオの耳に重く響いた。
*
そのときだった。
塔の上層から、突然、金属製の扉が開く音がした。
ガコン!
続いて、誰かが走る音。
タッ、タッ、タッ、タッ!
黒い布に覆われた頭が、ゆっくりと上を向く。
そして、低いうめき声を漏らした。
「……うぅ……」
次の瞬間、巨体は音を立てながら階段を上り始めた。
コツ。コツ。コツ。
その足音は、先ほどよりも速かった。
大鉈を引きずりながら。
ギィ……。ギィ……。ギィ……。
やがて、看守長の姿は上層の通路へと消えていった。
残された囚人たちは、誰一人として声を上げなかった。
クズオも、ただ鉄格子にしがみついていた。
魔力ゲージは、緑色に満たされている。
それなのに、身体の震えは止まらなかった。
「……なんなんだよ、ここは」
返事はなかった。
地下螺旋収容塔の夜は、まだ始まったばかりだった。




