王都騎士団
王都騎士団の詰め所。
朝の訓練を終えた騎士たちが装備の点検や書類の整理に追われるなか、一人の男が執務机の前で足を止めていた。
騎士団の上級士官である。
彼は片手に持った黒銀色の魔導通信機を耳に当て、周囲に聞こえないよう声を潜めていた。
「……はい。機密指定、確認しました」
通信機の向こうから、くぐもった声が響く。
「対象の身柄確保を優先。捜査内容については、指定された人員以外への開示を禁ずる。繰り返す。対象の身柄確保を優先せよ」
「承知しました」
上級士官は通信を切ると、しばらく無言で通信機を見つめた。
機密指定のかかった秘匿捜査。
それ自体は、騎士団にとって前例のない話ではない。
しかし、今回の指示には妙な点があった。
容疑の詳細が知らされていない。それどころか、捜査対象の名前すら、正式な書面には記されていなかったのだ。
上級士官は眉間にしわを寄せると、詰め所の奥に向かって声を張った。
「ライル・メスガキ!」
「はっ!」
呼ばれた青年は、直ちに上司の前へ進み出た。
銀色の短髪に、鍛えられた長身。王都騎士の1人である。
「何でしょうか、隊長」
「上からの指示だ。機密指定のかかった秘匿捜査の容疑者を連れて来いとのことだ。ついて来い」
「……容疑者、ですか?」
ライルは思わず聞き返した。
「詳しいことは現場で確認する。余計な詮索はするな。今回の件は、通常の犯罪捜査とは扱いが違う」
「了解しました」
ライルはそれ以上、質問しなかった。
騎士団に所属する以上、上層部の命令には従わなければならない。ましてや機密指定がかかっているとなれば、軽々しく口を挟むべきではなかった。
もっとも、胸の内には小さな疑問が残っていた。
容疑者を連行するのであれば、通常は先に罪状や逮捕状の確認がある。ところが今回は、対象の名前すら知らされていないのだ。
「隊長。捜査対象の情報は、現地で受け取るということでしょうか」
「そうだ。こちらに届いているのは、場所と身柄確保の指示だけだ」
「場所は?」
「王都南区。ザーコという魔導師が経営している魔導具店だ」
その名を聞いて、ライルは首をかしげた。
「ザーコ……ですか。聞いたことのない店ですね」
「表向きはな」
上級士官はそれだけ言うと、机の上に置いてあった手袋をはめた。
「裏では、禁制品の取り扱いや、認可されていない魔術実験の噂がある。だが、今回の捜査がそれに関係しているかどうかは分からん」
「分かりました」
「装備を整えろ。目立つ人数は連れて行かない。私とお前含めて4人。以上だ」
「はっ!」
ライルは踵を返し、装備を取りに向かった。
その背中を見送りながら、上級士官は再び魔導通信機に目を落とした。
先ほどの通信で告げられた言葉が、頭から離れない。
――既に聖浄教会異端審問会によって第1級違法魔術行使罪の判決が確定している。
――裁判内容は、バートランド聖王国王家および聖浄教会異端審問会により機密指定されている。
――容疑者確保の後、速やかに地下螺旋収容塔への移送を厳守せよ。
「……面倒なことにならなければいいが」
上級士官は小さくつぶやき、外套を羽織った。
*
王都南区。
石畳の通りを、四人の騎士が歩いていた。
上級士官を先頭に、ライルと二人の騎士が続く。
周囲には商店や露店が並び、買い物客の声が絶え間なく響いていた。しかし、騎士たちの表情は硬い。
「隊長、あの店ですか?」
ライルが前方を指した。
薄汚れた看板に、かろうじて店名が読み取れる。
『ザーコ魔導具店』
古びた扉の向こうから、かすかに煙の臭いが漂っていた。
「そうだ」
上級士官は店の入口を見据えた。
「全員、気を抜くな。相手は魔術師だ。何が起きるか分からん」
「了解」
ライルは剣の柄に手を添えた。
この店の中に、どんな容疑者がいるのだろうか。
違法な魔導具の密売人か。それとも、禁じられた魔術に手を染めた危険人物か。
まだ何も分からない。
ましてや、その人物が自分の妹を奴隷にしていることなど、想像すらしていなかった。
上級士官が扉を叩く。
「王都騎士団だ。ヤロウ・ザーコ、いるか」
店の奥で、何かが動く音がした。
やがて、煙草をくわえた男の声が返ってくる。
「……朝っぱらから騎士様とは、ずいぶん物騒なご来店だな」
ヤロウ・ザーコは、まだ何も知らないふうを装いながら、ゆっくりと店先へ姿を現した。
その目が、騎士たちの後方に立つライルを捉える。
そして――。
「おやおや。こいつはまた、面倒な客が来たもんだぜ」
煙草の煙が、薄暗い店内へ流れていった。
「貴様に聞きたいことがある。店の中を確認させてもらう」
店先に立つ上級士官の声に、ヤロウは面倒くさそうに煙草をくわえ直した。
「おいおい、商売中だぜ。令状くらい見せてくれよ」
ヤロウが両手を広げ、わざとらしく入口を塞いだ。
そのときだった。
上級士官の腰に装着された魔導通信機が、甲高い音を立てた。
『こちら王都騎士団本部。捜査対象の追加情報を通達する』
「こちら現場指揮官。どうぞ」
『対象者、クズオ・キモオジ。現在、ザーコ魔導具店内部に滞在している可能性が高い。身柄を確保せよ。抵抗する場合は、必要な実力行使を許可する』
「……了解した」
通信を切った上級士官の表情が変わった。
彼はヤロウをまっすぐに見据えた。
「どけ」
「おや。ずいぶん急に態度が変わったじゃねえか」
「クズオ・キモオジを匿っているな。そこをどけ!」
「人聞きの悪いことを言うなよ。客が勝手に店に来ただけだぜ?」
「ならば、店内を確認させてもらう!」
上級士官はヤロウの肩を押しのけ、店内へ踏み込んだ。
「おいおい、乱暴だねえ。商品が壊れたら弁償してもらうぜ」
ヤロウは文句を言いながらも、騎士たちを止めようとはしなかった。
その奥、薄暗い通路の先から、何やら慌ただしい物音が聞こえてきた。
「……いたぞ!」
騎士の一人が声を上げた。
店の奥にいたクズオ・キモオジが、ぎょっとして振り返る。
「なっ……!? なんで騎士団がここにいるんだよ!」
「クズオ・キモオジ! 貴様を連行する。抵抗せず、こちらへ来い!」
「ふ、ふざけるな! 俺が何をしたっていうんだ!」
クズオは後ずさった。
つい先ほどまで、彼はヤロウの実験が成功したことに浮かれていた。これでロリーナを思いどおりにできる。自分を縛る規則など、もう怖くない。
そう信じていた。
だが、目の前にいるのは、彼が日頃から見下している一般人ではない。王都騎士団だ。
逆らえば、今度こそ本当に捕まるかもしれない。
「くそっ……! なんで俺ばっかり、こんな目に……!」
クズオの視線が、部屋の隅に立つ少女へ向いた。
ロリーナ・メスガキ。
ピンクと黒のゴシックロリータ服をまとった彼女は、顔を強張らせたまま、クズオを見つめていた。
クズオは彼女の腕を乱暴につかむと、騎士たちを指さした。
「おい、奴隷女!こいつらを足止めしろ!」
「……っ!」
ロリーナの身体がびくりと震えた。
嫌だ。
そんなこと、したくない。
相手は騎士だ。自分が逆らえば、彼らに助けを求めることだってできるかもしれない。
けれど、主従契約の刻印が熱を帯びた瞬間、彼女の身体は意思に反して動き始めた。
「や、やめて……!」
声は震えていた。
それでも彼女の手は、壁際に置かれていた短剣へ伸びていく。
「おい、早くしろ!」
クズオの怒鳴り声に、ロリーナは歯を食いしばり、短剣を握り、騎士たちの前へと歩み出た。
「……そこを、どいてください」
騎士たちは一斉に剣へ手を伸ばした。
「武器を捨てろ、少女!」
「わたし、は……!」
ロリーナは言葉を詰まらせた。
その少女を見たライルの目が大きく見開かれた。
短い栗色の髪。
青い瞳。
小柄な身体に、見覚えのある顔立ち。
何度も自分を生意気だと笑わせた、あの口元。
忘れるはずがない。
「……ロリーナ?」
ライルの声が震えた。
「どうして……お前が、ここに……?」
ロリーナの瞳に、涙が浮かんだ。
兄さん、助けて。
そう叫びたかった。
けれど、彼女の身体は止まらない。
「うあああっ!」
ロリーナは悲鳴のような声を上げ、再び短剣を振るった。
「よし、今だ!」
クズオはその隙を見逃さなかった。
「俺は、こんなところで終わる人間じゃないんだよ!」
捨て台詞を吐き、脇の通路へと駆け出す。
「待て、貴様!」
上級士官が追おうとした、そのとき。
「おっと、そう簡単には行かせねえぜ」
ヤロウが、いつの間にか手にしていた杖を軽く振った。
杖の先端に、紫色の光が灯る。
「ザーコ、貴様も抵抗するのか!」
「抵抗? 人聞きが悪いねえ。俺はただ、店の中で暴れられると困るってだけさ」
「ならば、そこをどけ!」
「そいつはできねえ相談だ」
ヤロウは煙草を吐き捨て、杖を構えた。
「やれやれ……ちょっと手伝うか」
次の瞬間、杖の先から紫色の衝撃波が放たれた。
「散開!」
上級士官が叫ぶ。
騎士たちは左右へ飛び退き、衝撃波をかわした。紫色の光が背後の棚を直撃し、魔導具がけたたましい音を立てて床へ散らばった。
「おい! 貴様、自分の店を壊してどうする!」
「あとで修理代を請求するさ。あんたらにな!」
ヤロウは笑いながら、上級士官の前に立ちはだかった。
「さあて、どこまでやれるかねえ?」




