第9章 最大の挑戦
季節は春になった。
冬の間、源たち宮大工チームは山小屋に使う木材を刻み、中島と小出はソーラー瓦を作り、着々と準備を進めていた。
食事を作るかまどには、標高1000メートル級の花見山へ宮地があらかじめ郷で焼いて運んだ大量の耐火レンガと、真田が打ち出した重厚な鉄の羽釜を使う。足りない部分は、現地で組み上げて完成させる計画だ。
そして何より、カナダからセラフィナが来てくれることになった。
彼女が提案する「バイオ・コンポストトイレ(微生物と寒冷地技術を応用した、臭わず肥料になる完全循環型トイレ)」が加わることで、衛生面と生活環境は一気に整うはずだった。
セラフィナを迎える前に、ある程度まで拠点を仕上げておく必要がある。
ハルトたちは、道具や資材、そしてヤギたちを積んだ軽トラックと四輪駆動車で、エンジン音を響かせながら険しい山道を登っていった。
郷と山頂付近を何度も往復するピストン輸送。資材の運び込みと下準備だけでも、みっちり丸三日かかった。
標高が上がるにつれて道は狭くなり、アスファルトから砂利と泥の林道へと変わっていく。
だが、かつて林業に使われていた作業道を辿ることで、標高1000メートル級の近くにある実験拠点のすぐ近くまで乗り入れることができた。
車から降り立ったハルトは、冷涼な山の風を全身に受けながら、登ってきた急勾配の悪路を振り返る。
(今はガソリン車で、こうして資材もヤギも運べる……だけど、20年後に燃料が底をついたら、この険しい山道をどうやって往復すればいいんだ……?)
急傾斜を登り切った車のエンジンから伝わる熱を感じながら、ハルトは「どんな時代でも動く持続可能な車」の必要性を強く噛み締めていた――。
◇
今回、この山岳実験に参加したのは総勢16名。
ハルト。
源率いる宮大工チーム(6名)。
宮地 朔(備前焼陶芸家)。
杉本 剛志・拓海(自伐型林業家・山守)。
佐藤 要・拓(井戸掘り職人親子)。
真田 鉄也(鍛冶職人)。
小出 太郎(漆・ソーラー職人)。
クリス(システムエンジニア)。
後藤(ヤギや畑の世話)。
現地に着くと、それぞれが瞬時に動き出す。
ハルトと後藤はヤギたちを野に放ち、下草を食べてもらいながら畑の開墾に取りかかった。
源率いる6人の宮大工チームが掛け声を掛け合うと、標高1000メートル級の山に「コン、コン!」と心地よい槌音が響き渡る。
郷であらかじめ刻んできた極上の木材が、釘一本使わずに次々と組み上がっていく様は圧巻の一言だった。
「よし、棟上げだ! 一気に行くぞ!」
源の声に若い弟子や職人たちが威勢よく応え、あっという間に頑丈で美しい山小屋の骨組みが姿を現した。
冬の間に入念な準備をしていたからこそ、この大工事も短期間でここまで形にすることができたのだ。
そして、山の上で一番大切なのは、電気を使わずに水を引き、浄化することだった。
井戸掘り職人の佐藤親子が山の上手で清らかな湧き水脈を見つけ出し、高低差を利用して山小屋の土間まで竹管で引き込んでくれた。
そこに設置されたのは、オーストラリアから来た水資源工学のサリが提案した「自然ろ過塔」だ。
三宅の焼いた松炭や砂利、和紙を幾重にも重ねた層を通った水は、水晶のように透き通り、宮地が据え付けた大きな備前焼の甕へと注がれる。
柄杓ですくって一口飲んだハルトは、その冷たさと甘さに思わず目を丸くした。
「うわっ……冷たい! すごく美味しい水ですね!」
「備前焼の甕は呼吸をしているからな。氷がなくても、真夏でもキリッと冷えたままだぞ」
宮地が誇らしげに髭を撫でる。
屋根の上では、郷で小出たちが焼き上げ、漆コーティングを施した特製の「ソーラー瓦」が葺かれていた。
宮大工たちが手際よく瓦を並べると、そのすぐ後ろから小出が屋根に登り、瓦の重なり目や配線のつなぎ目に特製の天然漆を丁寧に塗り重ねていく。
「瓦を作って持ってくるだけじゃダメなんだ。山の強風や大雨に耐えるには、現場でこうやって隙間を漆で完全に密閉して、配線を絶縁してやらないとな」
高い屋根の上で真剣な眼差しで筆を動かす小出の姿に、ハルトは深く頷いた。
続いて、トイレ作りが始まった。
「ここを掘ればいいんだな?」
井戸掘り職人の佐藤(要)が地面を足で踏み慣らし、水脈の位置と地盤を確かめて合図を出した。
ハルトは、事前に受けていたセラフィナの指示を伝える。
「深さは1.5メートルほどで十分です。深く掘りすぎると、貴重な湧き水を汚してしまうらしいので」
「よし、任せろ! 土掘りなら俺たちの本業だ!」
佐藤(拓)が声を張ると、真田が打ち出した頑丈なツルハシとスコップを手に、宮大工の若手たちも加わって一気に土を掘り返し始めた。
掘り出された穴の壁面には宮地が用意した耐火レンガが積み上げられ、穴の中央に分厚い仕切り壁を作ってセラフィナの指示通り2槽に分けていく。そして小出が漆を塗って防水加工を施していった。
トイレの施工には宮大工チームも加わり、主屋のすぐ隣、屋根付きの渡り廊下でつないだ一角に小さな小屋が据え付けられた。
ここなら雨の日でも濡れずに行けるし、衛生面でも安心だ。
職人たちの見事な手際により、無駄のない作業が着々と進んでいった。
◇
完成した山小屋は、どこかの観光地にあるお洒落なペンションなどではない。
1000メートル級の山の厳しい風雪に耐えられるよう、低くどっしりと構えた、無骨で堅牢な「木の砦」だ。
扉を開けると、足元には泥のまま作業ができる広い土間が広がり、そこには宮地と真田の手による重厚なかまどと、備前焼の大甕が鎮座している。
奥の板張りの広場から梯子を登れば、大人数が一斉に寝袋を並べられる広いロフト式の寝床が広がっていた。
「これなら20人入ってもびくともせんぞ。山小屋はこれくらい無骨で頑丈なのが一番じゃ。それに、この可動扉を閉めれば個室にもなる。女性が来たとき、着替えに苦労するじゃろうからな」
源が太い柱をポンと叩いて、満足そうに笑った。
ハルトたちは、そのまま次の工程に入った。
お風呂と食品保存庫の設置だ。
風呂場に作られたのは、真田が打ち出した鉄釜の底に、宮地が耐火レンガと備前焼の陶板を敷き詰めて築き上げた、本格的な「五右衛門風呂」だ。
佐藤親子が引いた冷たい湧き水が竹管から湯船になみなみと注がれ、下のかまどで杉本たちが集めた薪を焚く。
これで風呂も完成した。
山小屋の北側、冷たい斜面を掘り込んで作られたのは、電気を一切使わない「天然の食品保存庫(天然セラー)」だ。
重厚な木製の二重扉を開けて中へ入ると、ハルトはひんやりとした冷気に思わず身をすくめた。
「うわっ……すごい! まるでエアコンが効いているみたいに涼しいですね」
「地下の冷気と、佐藤が引いた湧き水の気化熱を利用しているからな。真夏でも庫内は10度以下に保たれるぞ」
宮地が壁の備前焼タイルを指さす。
棚には真田特製の防獣用鉄網が張られ、郷から運んだ米、調味料、燻製されたガチョウ肉に熟成中のチーズが整然と並んでいた。
これならガソリンや電気の供給が途絶えても、山の上で食糧を安全に保存し続けることができる。
――職人たちの知恵と情熱により、わずか半月で山岳拠点は完成した。
あとはセラフィナの到着を待つばかりだ。
ハルトは、山小屋の奥の土間に完成した立派な「二つ穴のかまど(ふたいつくど)」に目をやった。
宮地が耐火粘土と石を練り上げて本体を築き、その上に真田が打ち出した分厚い鉄の羽釜が据えられている。
これで、現地での調理がすべて可能になったはずだった。
しかし、その重厚なかまどをじっと見つめていたハルトは、ハタと重大なことに気がついた。
(……待てよ。これで、どうやって料理を作るんだ……? 俺、まず調理実習が必要なんじゃないか……!?)
一人暮らしの経験があるとはいえ、これまでは炊飯器や電子レンジに頼り切っていたハルト。
洗濯だってコインランドリー任せだったのだ。
直火のかまどを前にして、自分の家事スキルの低さにスーッと冷や汗が流れる。
ハルトは慌てて叫んだ。
「クリス! 今すぐ藤堂さんを呼ばなきゃ!!」
第10章へと続く。




