第8章 新たな実験
結婚式から三年。その間にハルトは、居住区の奥で新たな実験を進めていた。居住区の奥で発見された『第二の鍾乳洞』は、いまや見違えるような地下の生命維持システム(エコシステム)として機能していた。
人工太陽光(LED)の優しい光が照らし、清らかな湧き水が流れる広い地下湖では、合鴨やガチョウといった水鳥たちが元気に羽ばたいている。インフラが全停止しても生き抜けるよう、年間を通して一定の室温を保つ鍾乳洞内で水鳥を飼育する実験だ。
「ハルト社長、例のブツ……三年分しっかり溜まりましたよ」
家禽技師の三河隼人がニヤリと笑う。
案内された倉庫には、丁寧に洗浄・乾燥・選別され、高級布団のようにフワフワと膨らんだ『水鳥たちの抜け羽』が山積みになっていた――。
そう、これらは冬の寒さを凌ぐための作務衣や布団を作るための貴重な資材なのだ。
もちろん合鴨やガチョウは食料としても優秀だ。合鴨肉は鍋や蕎麦、うどんの具材になり、ガチョウ肉のコンフィやローストはクリスマスプレゼントとしてハルトが郷の皆に配っていた。さらに、洋食シェフのピエールが腕を振るう「合鴨卵の濃厚カスタードプリン」や「ガチョウ卵の季節の和風シフォンケーキ」は、テーマパーク内の茶屋で大人気メニューとなっている。
「三河さん、ご苦労様でした! では、さっそく少し羽をもらっていきますね」
ハルトはニコリと笑うと、三重塔へ向かった。
「鈴木さん、作務衣の生地はできていますか?」
「ええ、完成していますよ。まずは宮大工さん用ですね」
手織り・機織り職人の鈴木は、しなやかな栗皮色の結城紬を広げて見せた。
「ありがとうございます。ほかの色もよろしくお願いしますね」
次にハルトが向かったのは、和裁工房を仕切る百合子の元だった。
「百合子さん、こんにちは! 準備ができたので持ってきました」
たくさんの羽毛と生地を抱えたハルトを見て、百合子が目を細める。
「羽毛を使った作務衣ね」
「とりあえず源さんの分を作ってみてください。実際に着てもらって感想を聞いてみましょう」
「分かったわ。動きやすく作業の邪魔にならない、なおかつ暖かい作務衣ね。挑戦してみるわ」
百合子は頼もしく微笑み、材料を受け取った。
◇
数日後、羽毛を入れて丁寧にキルティングされた冬用作務衣が届けられた。ハルトはさっそく宮大工の作業場へと急ぐ。
「源さん、冬用の作務衣が完成したから着てみて!」
「おう!」
源は着ていた作務衣を脱ぎ、新しい作務衣に袖を通した。
「――おぉ、軽いくせに温けぇし、動きやすいのう! 俺にピッタリじゃ。これなら作業の邪魔にならんで動けるわ!」
「さすが百合子さんだね!」
ハルトが声をかけると、源は一瞬フッと動きを止め、作務衣を見つめながら優しく目を細めた。
「棟梁でもそんな顔するんですねぇ」
弟子のルークが何気なく呟くと、源は照れ隠しに声を張り上げた。
「ほらルーク! 手が止まっとるぞ!」
「いいみたいだし、皆の分も注文しておくよ」
ハルトはクスリと笑いながら事務所へと戻っていった。
◇
二か月後。百合子に呼ばれて工房へ向かうと、郷のメンバー全員分の冬用作務衣が見事に仕上がっていた。
「百合子さん! 本格的に寒くなる前に間に合わせてくれてありがとうございます!」
「スタッフ一丸となって頑張ったからね」
「そうだと思って、差し入れにピエールのプリンを持ってきました!」
箱を開けると、ピエール自慢の「合鴨卵のカスタードプリン」が黄金色に輝いている。
「これ、食べてみたかったのよ! みんなでいただくわね」
「あと、三河さんたちや工房のスタッフをご招待して宴を開きたいんだけど、都合はどうかな?」
「もちろん! 絶対伺うわ」
百合子は満面の笑みで答えてくれた。
(……まあ、源さんが許してくれるかだけどね)
◇
数日後の夜、広場で賑やかな野外宴会が催された。
皆、新調された冬用作務衣に身を包み、ご馳走を前に上機嫌だ。
「皆さん! 三河さんと鈴木さんご一家が材料を用意し、百合子さんたちスタッフが作り上げてくれた冬用作務衣によって、新たな計画が花開きました。今日は彼らの功績と、皆さん日頃の成果であるご馳走に感謝して、大いに楽しみましょう!」
ハルトのスピーチが終わると、温かい拍手とともに乾杯が交わされた。斎藤が醸造した日本酒や、ピエールと藤堂が腕を振るったご馳走がずらりと並ぶ。材料はすべて郷で採れた恵みであり、収穫の喜びも一塩だった。
後藤はピエールの特製コンフィにかぶりつきながら笑っている。
「あ! それ私が狙っていた肉〜!」
相変わらず賑やか担当のえまが声を上げる。
周りを見渡せば、嬉しそうに酒を酌み交わす仲間たち。百合子の元へ挨拶に来る男性陣をなるべく近づけないよう、源が必死にガードしていたり、子どもたちははしゃぎ回り、それを光が笑顔で追いかけている。
ハルトは目を細め、結の郷がますます賑やかになっていく幸せを噛み締めていた。
するとそこへ、クリスが息を切らせて走ってきた。
「社長!! 朗報です!!」
肩を上下させながら、クリスが叫ぶ。
「山が手に入りました! 1000メートル級の山です!」
ハルトは思わず目を見開いた。
1000m級の山は国有地が多く入手が困難だったため、20年後に人類が楽園に向かうまで実験は諦めかけていたのだ。しかし、今使えるのであればこれほど心強いことはない。
「で、場所は!?」
「神郷の奥にある『花見山』の地主さんと話がつきました!」
クリスが広げた地図には、標高1,000メートルを超える深い緑の山並みが広がっていた。
「あそこなら標高1,100メートルオーバーです。下界が40度の猛暑になっても、山の上は天然のクーラーが効いた別世界になりますよ。地主さんも『山を荒らさず守ってくれるなら』と、保全レンタル契約を快諾してくれました」
クリスは晴れやかな表情で続ける。
「地主さんは長年、手入れができずに山が荒れていくのを心痛めていたそうで、手放したくはないが管理も限界だと……。そこで『結の郷でお借りし、自然に還す形で手入れをしながら管理させてほしい』と提案したら、涙を流して喜んでくれました」
いま買い取ることはできずとも、賃貸という形で借り受けることができた。そして20年後には自動的に自分たちの管理下になる。これ以上ありがたい条件はなかった。
「クリス、山に詳しい専門家が必要だよね」
するとクリスは不敵な笑みを浮かべた。
「自伐型林業と山守を営む『杉本さんご一家』をすでにスカウトしてありますよ。来週には郷へ引っ越してきます」
「さすがクリス! ……よし、源さんを呼んで来て!」
ハルトの呼びかけで源が加わり、やがて異変に気づいた職人たちが次々と輪に加わっていく。
「あそこの土台はどうする」「それならこんな道具が作れる」と、アイデアが次から次へと飛び交った。
頼もしい仲間たちの姿に、ハルトの胸は感謝でいっぱいになる。
来春にはハイブリッド漁船が完成し、山での自律インフラ実験も本格的に始まるのだ。
(冬の間に、しっかりと準備を進めないと――)
賑やかな笑い声が響く宴の中、ハルトは己の役割を心ゆくまで果たせることに、程よい緊張感と大きな期待で胸を膨らませていた。
そこへ後藤が近づいてきて、ハルトの肩をポンと叩く。
「またヤギたちと頑張ろうな」
その言葉に、信州の山でヤギたちと過ごした日々が蘇る。雄大な山々と青空、そして優しく流れる雲。
ここからまた、新しい一歩が始まるのだ。
初冬の澄んだ風が、豊かな未来の香りを運んできていた。
(第9章へ続く)




