第6章 虹の橋
玄関で白くなった源を、百合子が何とか部屋へ連れて行く。
「源さん、しっかりして! 連れて来たのはただのお友達でしょ。彼氏じゃないんだから」
「ああ……」
(いや、そこじゃない)
源が白くなった理由は、イケメン男子が家に二週間も滞在することだった。
しかし百合子は、いまひとつ源の重さに気づいていない。
夜。
真壁家の居間には、百合子が腕を振るった豪華なご馳走が並んでいた。
「さあ、ジェームズ君。お口に合うか分からないけれど、どうぞたくさん召し上がってね」
百合子が優しく微笑む。
ジェームズは流暢な日本語で、
「ありがとうございます。いただきます」
と綺麗にお辞儀をすると、箸を器用に使い、料理を口へ運んだ。
「あら、ジェームズ君、お箸の使い方が上手ね」
「はい。日本食が好きなので、自然に身につきました」
実際、ジェームズの箸使いは見事だった。
料理を丁寧に切り分け、所作も美しい。
その隣で、源は一口も料理に手をつけていない。
腕を組み、眉間に深いシワを寄せたまま、ジェームズを睨みつけている。
視線だけで人が殺せそうな圧である。
「……で? なんで『橋』の男が、うちの花と一緒におるんじゃ?」
源が、地獄の底から響くような低い声で尋ねた。
花は呆れたように溜息をつき、お椀を置いて源に向き直る。
「お父さん、睨まないの! ジェームズとは大学の『合同デザイン・ワークショップ』で知り合ったのよ」
「ご、合同……?」
「そう。私の通う建築学部と、ジェームズのいる土木・構造工学部がチームを組んで、新しい橋と周辺の空間を設計するプロジェクトがあったの」
花は説明を続ける。
「いくら私が美しくて使いやすいデザインを描いても、強度の計算や構造の裏付けがなければ、橋はただの絵に描いた餅になっちゃうでしょう?」
その言葉に、源は黙って耳を傾けた。
職人として、構造の重要性は身に染みて分かっている。
「私がデザインで行き詰まっていた時、ジェームズが声をかけてくれたの。『君の描く曲線は素晴らしい。この構造なら、補強の柱を増やさずに強度を保てるよ』って。それから夜遅くまで一緒に図面を引いてくれて……」
「……フン。ただの計算屋か」
源が吐き捨てるように言う。
するとジェームズは嫌な顔ひとつせず、真っ直ぐな青い瞳で源を見つめた。
「いいえ、お父様。僕はただの計算屋ではありません」
(お、お父様……!?)
源の顔が引きつった。
そんなことには構わず、ジェームズは熱を込めて語り始める。
「僕は、花のデザインに衝撃を受けたんです。彼女の描く架構や木の使い方には、現代の計算だけでは生み出せない、伝統的な手仕事の温もりと強さがありました」
ジェームズは花を見る。
「聞けば、日本にいる宮大工のお父様から学んだ感性だというではありませんか。僕は花のデザインを通して、お父様の仕事の凄さを知ったんです」
「……なんじゃと?」
「だから今回、どうしても『結の郷』に来たかった。あの、釘を一本も使わない三重塔……! 日本の職人たちが、どうやって木を組み、長い年月に耐える建物を作ってきたのか。そして、花のルーツであるお父様の技術を、この目で確かめたかったのです!」
真摯で熱いジェームズの言葉。
百合子は、
「まあ……!」
と嬉しそうに頬を緩める。
花も、どこか誇らしげにジェームズを見つめていた。
源は一瞬言葉を詰まらせると、そっぽを向いた。
そして、ぐっと酒を煽る。
「……お前、酒は飲めるんか?」
「はい。日本酒も大好きです」
「……百合子。一番ええ酒、持ってこい」
こうして源は、ジェームズ青年の建築に対する真剣な気持ちに、嘘はないと認めるのだった。
◇
次の朝。
花とジェームズは、居住区を歩いていた。
藁葺き屋根の家。
水車小屋。
源が建てた集会所。
棚田。
そして、新しく建てられた迎賓館。
どの建物も、日本の風景に自然に溶け込んでいる。
ジェームズは、歩きながら何度も足を止めて建物を眺めていた。
そして居住区の川へ差しかかった時、ふと足を止める。
「ねえ、花。この川には、もう一つ橋があった方が便利だと思わない?」
「なるほど……そう言われてみれば、そうね」
川の向こうには小さな渡し板がある。
「ここに橋を作ってもいいかな?」
「面白そうね! お父さんのOKが出たら、私も手伝うわ」
ジェームズは嬉しそうに川を見つめた。
◇
その夜の夕食。
「お父様。この小川の渡し板ですが……僕に新しい橋を設計させていただけませんか?」
源は腕組みをしたまま、片眉をひょいと上げた。
「あぁ? 川の上流には、俺たちが作った立派な木造の橋がひとつ架かっとろうが。こんな小さな渡し板の場所に、わざわざもうひとつ橋が必要なんか?」
「はい」
ジェームズは持ち歩いていたスケッチブックを開いた。
「メインの橋は堅牢で素晴らしい。郷の『大動脈』として完璧です」
そして居住区の地図を指差す。
「ですが、集会所や畑から対岸の工房へ行く場合、わざわざ上流の橋まで大きく遠回りしなければなりません」
「……まあ、確かに職人たちも横着して、あの板を踏んで渡っとるな」
「そうなんです」
ジェームズは頷いた。
「人は、遠回りするより危険な近道を選んでしまうことがあります。だからこそ、ここに安全な歩行者用の橋を作れば、居住区全体の動きがもっと自然になると思うんです」
源は地図を覗き込んだ。
「二つ目の橋を作れば、人の流れも分散できます。それに、万が一の災害が起きた時にも、避難経路が二つあることは大きな意味を持ちます」
「負荷の分散と……万が一の逃げ道か」
「はい」
ジェームズの目が輝く。
「大動脈であるメインの橋と、生活に密着した小さな橋。二つが役割を分担することで、この街並みの機能美が完成するんです」
「ほう……」
源の表情が、少しだけ変わった。
「それで、どんな橋を作るつもりじゃ?」
「石のアーチ橋です」
ジェームズがスケッチを見せる。
「コンクリートや鉄筋ではなく、自然の石を積み上げます」
「石積み……? 西洋の眼鏡橋みたいなやつか」
「はい。アーチは、上からかかる荷重を石同士の圧縮力で受け止め、両端の橋台へ逃がすことができます」
ジェームズは図面を指差した。
「構造計算によって最も安定する形を求め、この街並みに合う美しいアーチを作ります」
源はスケッチに目を落とした。
そこには、緻密な計算と美しい曲線が描かれていた。
「……理屈は立派じゃがな」
源は顔を上げる。
「石積みなんぞ重労働だぞ。アーチを作るには木製の型枠も必要になる。最後の要石を入れるまで、少しでも狂えば全体が崩れることもある」
「はい。だからこそ、お父様たちの技術が必要なんです!」
ジェームズは力強く源の目を見つめた。
「計算で最も安定した形を導き出すのは僕の役目です。でも、現場で石の癖を読み、木製の型枠を正確に組み上げることは、経験を積んだ職人にしかできません」
そして、静かに続ける。
「僕の構造計算と、お父様たちの伝統技術。その二つが合わされば、長い年月に耐える、美しい石橋が作れると思います」
「……」
源は無言でスケッチブックを引ったくると、じっと図面を見つめた。
やがて――。
「……支保工の木枠は、俺と弟子たちで組む」
源はスケッチブックをジェームズにポンと返した。
「寸分の狂いも出しゃあせん」
そして、不敵にニヤリと笑う。
「その代わり、石の選別と計算はお前の仕事じゃ。一ミリでもズレて崩れたら、速攻でイギリスに送り返してやるからな。覚悟しろよ、ジェームズ!」
「はい! ありがとうございます、お父様!」
◇
ジェームズは寝る間も惜しんで図面と計算に向き合った。
数日後。
詳細な設計案が完成した。
そこから、結の郷の職人たちを巻き込んだ、前代未聞の橋造りが始まった。
まずは、源と弟子たちの腕の見せ所である『支保工』の製作だ。
支保工とは、石を積み上げる間、下からアーチの形を支える木製の仮枠である。
ジェームズが計算したアーチの曲線をもとに、源たちは丸太と板を組み合わせ、釘を一本も使わずに美しい木の型枠を作り上げていった。
「ジェームズ、曲線のRはこれでどうだ?」
「完璧です、お父様! 計算値と一ミリの狂いもありません!」
川の両岸には、頑丈な石の土台――橋台が据えられた。
そこへ、源たちが作った木製のアーチ型の支保工が架け渡される。
いよいよ、石積みが始まった。
ジェームズの指示のもと、職人たちは両岸から少しずつ中心へ向かって、楔形に加工された石――迫石を積んでいく。
一つひとつの石が、隣の石を押し合いながらアーチを形作っていく。
花も作業着に着替え、職人たちの作業を手伝った。
目地材を練り、水準器を当て、ジェームズの計算をサポートする。
「そこの石、もう少し右です! あと三ミリ!」
「おう! 任せとけ!」
ジェームズの正確な指示。
職人たちの阿吽の呼吸。
そこには、言葉の壁も国境もなかった。
ただ、
ひとつの美しい橋を造る。
その思いだけが、現場を包んでいた。
そして数日後――。
両岸から伸びてきた石積みが、ついに頂上でわずかな隙間を残すだけとなった。
「いよいよですね……」
ジェームズが緊張した面持ちで息を呑む。
最後に入れるのは、アーチの要となる石――キーストーン。
これが入ることで、それぞれの石が互いに押し合い、アーチ全体が一つの強固な構造になる。
源が木槌を構えた。
ジェームズが楔形のキーストーンを、慎重に隙間へ差し込む。
「いくぞ……!」
ドンッ!!
源が力強く木槌を振り下ろした。
ゴスッ。
重い音とともに、キーストーンが寸分の隙間もなく収まった。
「よし……木枠を抜け!」
源の号令で、下から支えていた木枠の楔が次々と外されていく。
最も緊張する瞬間だった。
計算が間違っていれば、石は崩れ落ちる。
ゴゴッ……。
石がわずかに沈み込んだ。
しかし――。
石橋は美しい弧を描いたまま、微動だにしなかった。
重力による荷重が石同士を押し合わせ、アーチ全体が一つの強固な構造として力を受け止めている。
「……Awesome!」
ジェームズが両手を突き上げて歓声を上げた。
花とハイタッチを交わす。
職人たちからも、
「おおーっ!」
と、どよめきと拍手が湧き起こった。
源は完成した石のアーチをゆっくりと撫でる。
そして、満足そうに鼻を鳴らした。
「……フン。計算屋にしては、いい図面を引くじゃねえか」
源はジェームズを見る。
「認めてやるよ、ジェームズ」
「お父様……!」
ジェームズは感極まったように、源の手を固く握りしめた。
◇
もうすぐ帰国の時期。
こうして、アーチ型の美しい小さな石橋が完成した。
迎賓館と同じように、その橋も結の郷の居住区に見事に馴染んでいる。
新しい橋を、子供たちが嬉しそうに行ったり来たりしていた。
「わあ、虹みたい!」
「本当だね!」
子供たちの弾んだ声が川辺に響く。
源とジェームズ、そして花は、その微笑ましい姿を並んで眺めていた。
やがて花とジェームズも、完成したばかりの橋の上へ歩いていく。
結の郷の新しいシンボルとなった、小さな石橋。
花が笑った。
「ジェームズ。本当に素晴らしいわ。どうもありがとう」
まるで花が咲いたような笑顔だった。
ジェームズは一瞬、目を見開く。
そして少し顔を赤らめながら、
「う、うん。今回の旅は、本当に勉強になったよ」
照れくさそうに橋を見渡す。
「もし良かったら、またこの橋を見に来てもいいかい?」
「もちろん!」
花が笑う。
二人は橋の上で、固く握手を交わした。
その姿を少し離れた場所から見ていた源は、何も言わずに腕を組んでいた。
そして――。
暦の上では秋を迎えた頃。
花とジェームズは、温かい思い出と、職人としての確かな絆を胸に、イギリスへと帰っていった。
結の郷には、新しい虹の橋が残り、子供達が楽しそうに走っている。
第7章へ続く




