第5章 百合子現る
季節は初夏を迎えていた。
宮大工棟梁・真壁源の住居は、なぜか居住区の奥深くに隠れるようにして建っている。それも、通常の居住区の道とは別に、わざわざ専用の小道まで作ってあるのだ。
周囲は「職人らしい奥ゆかしさからだろう」と思っているようだが、そうではない。
現場では誰もが恐れ敬う立派な棟梁である源だが、その実態は妻の百合子を異常なまでに溺愛する男。とにかく妻を周囲のイケメンたちに会わせたくない一心で、わざわざあの道を作ったのである。
ハルトでさえめったに会えず、10年経った今でもクリスに至っては一度も顔を合わせたことがなかった。
謎のベールに包まれた百合子――。
実は彼女、結の郷の縫製を一身に引き受ける和裁工房「花」の代表であり、着物だけでなく洋服の手縫いもこなす超一流の職人でもあった。
これまでにも結の郷の作務衣を手掛け、さらには光とえまの結婚式で着られ、現在は三重塔に展示されている美麗な打掛けやドレスも、すべて百合子の工房が作り上げたものだ。
しかし完成品はすべてスタッフが配達していたため、誰一人として百合子本人には会ったことがない。そして工房自体も、結の郷の外に置かれていたのだった。
そんなある日のこと。テーマパーク内に、ラフな装いでありながらスタイル抜群で絶世の美女が姿を現した。すれ違う観光客も職人たちも、一瞬でその美しさに目を奪われ、視線を釘付けにする。
「あ、ハルちゃん」
たまたまお土産売り場にシャインマスカットを届けていたハルトと後藤を見つけ、その美女が親しげに声をかけてきた。
後藤は目を見開き、一瞬で顔を赤くする。
「あ、百合子さん!! 久しぶり! 珍しいね、どうしたの?」
「源さん知らない? スマホに出なくて」
「あ、今日は鍾乳洞の倉庫の補修をしてるよ」
ハルトが案内しようと歩き出すと、後藤もどこかフラフラとした足取りで後ろをついていく。
と、そこへ通りかかったえまがすかさずやって来て、後藤の耳をギューッと引っ張った。
「仁君には、まだお仕事があるでしょ!! ……あ、初めまして。後藤の『妻』のえまです」
しっかりと「妻」の部分を強調するえまに、百合子は微笑んだ。
「あ、貴方がえまちゃんね。いつも主人がお世話になってます。源の妻の百合子です」
それを聞いたえまは、目を丸くして仰天した。
「えっ、源さん!? 結婚されてたんですか!!?」
「コラっ」と心の中でツッコミを入れつつ、後藤も慌てて頭を下げる。
「あ、後藤です。こちらこそ、源さんにはお世話になりっぱなしで……」
「後藤さん、こちらこそです」
このままでは話が長くなりそうだと察したハルトは百合子を連れて鍾乳洞へ向かい、後藤はシャインマスカットの陳列作業へと、えまによって強制連行されていったのだった。
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鍾乳洞へ足を踏み入れると、作業中だった斎藤、藤丸、和光の3人が一斉に目を見張った。
「こ、こ、こんにちは……社長、こちらの方は……?」
藤丸が勇気を振り絞って尋ねた、その瞬間。
「百合子!! どうしたんだ!?」
奥から源が慌てた様子で飛んできた。
「どうしたもないわよ。何度も連絡してるのに、スマホの電源を切ってるの?」
源は一瞬でショボンとなり、頭をかく。
「すまん……家に忘れた」
百合子はニッコリと微笑むと、周りの職人たちに向かって優しく頭を下げた。
「皆様、お初にお目にかかります。源の妻の百合子です。これからもよろしくお願いしますね」
「その作務衣も、百合子さんが縫ってくれたんだよ」
ハルトが自慢げに付け加えると、職人たちは一気に目を輝かせた。
「そうだったんですか! すごく着心地が良いんですよ。動きやすいし、本当にありがとうございます!」
感銘を受けた斎藤が、嬉しさのあまり握手をしようと手を差し伸ばした――その瞬間。
この世のものとは思えない禍々しいオーラが源から放たれた。
「気に入ってもらえたなら何よりだ。……俺も、すごく気に入ってるよ」
源が横から割り込み、斎藤の手をガシッと力強く握り返す。その顔には恐ろしいほどの笑顔が貼りついていた。
(あ……そういうことか……)
斎藤は察し、静かに引き下がった。
そこへ息を切らせたクリスと佐伯がやってくる。
「社長! 百合子さんがお見えになっているとお聞きしたのですが!」
源が一瞬ギクッと固まり、ハルトを睨む。ハルトは「ハハハ」と無邪気に笑った。
「こんな機会滅多にないからさ。クリスが一度も挨拶できてないって言ってたから呼んだんだ」
「初めまして、社長秘書のクリス塚野です。源さんにはいつも大変お世話になっております」
クリスがスマートにお辞儀をすると、佐伯もスッと綺麗な姿勢で頭を下げた。
「迎賓館で執事をしております、佐伯敬一と申します」
「初めまして、真壁百合子です。ようやく皆さんにお会いできて嬉しいわ」
クリスも佐伯も、洗練された大人の対応で鼻の下を伸ばすような素振りは一切見せない。それを見た源も、ようやく胸を撫で下ろしてホッとした表情を見せた。
「ところで、百合子さん。何か用事があったんじゃないの?」
ハルトに促され、百合子はハッと思い出したように手を打った。
「そうそう! 夏休みに娘の花が帰国するんだけど、お友達が結の郷の建築に興味を持っていて、ぜひ実物を見たいって言ってるの。一緒に帰ってもいいかしら?ですって」
建築と聞き、源は一気に機嫌を良くした。
「なんだ、そんなことか! いいじゃないか。家に泊まればいい。新しい布団を用意するか……いや、ベッドの方がいいかな? 布団用のベッドでも作るか!」
ノリノリで声を張り上げる源を見て、百合子は微笑んだ。
「分かったわ。じゃあ、花にそう連絡しておくわね」
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かれこれ20年前――源が21歳の頃。
源は幼い頃から父の背中を見て育ち、小学生の時にはすでに見よう見まねでカンナを握っていた。「自分も絶対宮大工になる」と心に決め、高校卒業と同時に父の工房へ弟子入り。めきめきと頭角を現していった。
そんな源の仕事ぶりと一途な性格に惚れ込んだ近所のお寺の和尚が、「自分の孫娘とお見合いをしてみないか」と話を持ちかけてきた。それが、2歳年上の百合子だった。
彼女もまた、和裁士だった母に憧れて幼少期から針を握り、裁縫学校で基礎を学んだ後、手縫いが、得意な職人だった。
お見合い当日。
ガチガチに緊張して座っていた源の前に、息をのむほど美しい百合子が現れた。源の一目惚れだった。
ふたりは庭に出て仕事の話をした。源の熱い想いに耳を傾ける百合子。そして源は、百合子が自身で縫い上げた振袖の袖口を見つめ、そのあまりにも丁寧で繊細な針仕事に深く感動し、心からの言葉で褒めたたえたのだった。
百合子はその類まれな美貌ゆえに、どこへ行っても男が寄ってくるような存在だった。身内が心配し、中高ともに女子校、職場も女性ばかりの環境で育ってきた。
しかし、源は違った。百合子の見た目以上に、その丁寧な仕事ぶりと凛とした男前な性格にベタ惚れしたのだ。
源は、不器用ながらも猛アタックを繰り返し、翌年ふたりは結ばれた。
……そして、この時の狂おしいほどの溺愛ぶりが、20年経った今もなお現在進行形で続いているのである。
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娘の花が帰国する前に、源は気合いを入れて客間に「特製・布団用ベッド」を完成させていた。
ガラガラ……と玄関の引き戸が開く。
「ただいま〜!」
「おかえ……」
出迎えようとした源の言葉が凍りついた。
愛娘・花のすぐ後ろに、背が高く、吸い込まれるような青い目をした超絶イケメンの青年が立っていたのだ。
「あ、紹介するね! 彼は海外で橋の建築を勉強しているジェームズ。お父さん、家に泊めてくれてありがとう!」
「…………………………」
源の思考回路は完全に真っ白になった。
愛しい娘が男を連れて帰ってきただけでなく、恐れていた超絶イケメンと一緒に暮らすハメになるなんて――。
(第6章に続く)




