第22章 歓喜
結の郷の集会所。
そこには結の郷、そして満奇洞にある第二の結の郷の住人たちが集まっていた。
壇上にはハルト、クリス、煌、空が立っている。煌の首には、マイケルのコンパスがかけられていた。
住人たちの視線が、煌の胸元で光るコンパスに集中する。
「お忙しいところ集まってくれて、ありがとうございます。今日は皆さんに、二つの大きな報告があります」
ハルトは住人全員の顔を見回し、朗らかに告げた。
「この度、私は息子の煌にリーダーの役目を託すことにしました。これからも皆さんのお力を借りて、新しい時代の結の郷を支えていただきたいと思います」
ハルトが深々と頭を下げると、煌が一歩前に出た。
「皆様、新しくリーダーを務めさせていただくことになりました。若輩者ですが、皆様に助けていただきながら、より良い郷にしていきたいと思います。そして……式は後になりますが、私は空と結婚いたしました」
煌は唾を飲み込み、緊張した面持ちで言葉を続けた。
「ですが……皆様にはお詫びしなければならないことがあります。天の子であるはずの晴翔は、私と空の本当の子供です」
会場がザワザワと揺れた。煌はまっすぐに前を見据えて話し続けた。
「空は自ら名乗りを上げ、トアの選んだ遺伝子によって人工授精で妊娠しました。……ですが、本当は私の子なのです」
再び大きくざわめく住人たち。その時、てんとう虫通信から凛とした声が響いた。トアである。郷の住人の誰もが初めて聞くその声に、驚き息を呑んだ。
『初めまして、結の郷の皆さん。私は T.O.A. ―― Transcendent Optimizer Architecture(超越的最適化体系)です。今回の件について説明いたします。私は現在、世界中の遺伝子管理を行っています。なぜ空の子供に、郷の人間である煌の遺伝子を選んだのか。……煌は生殖能力の数値が低く、自然に子供を授かるのが難しい状態でした。しかし、ハルト、クリス、後藤のDNAを受け継ぐ煌の遺伝子を遺すことは、人類にとって極めて有効であると判断したのです。それはハルトさえ知らぬ事実でした』
静まり返る集会所。トアは淡々と続けた。
『事実を知った煌は、晴翔を天の子として育てると言い、二人目は望まないとも答えました。しかしそれは人類にとって損失でしかありません。ご存知の通り、私の目的は地球の再生であり、そのために自然と共存できる人間たちを残しました。ですが子孫の残し方については、人間にとってデリケートな問題なのでしょう。これからは、あなた方の意思と意見を尊重します。以上です』
通信が切れ、トアの気配が消えた。
あまりの真実に、皆驚きで言葉を失っていた。
そして、最初に沈黙を破ったのは、大工の源だった。
「なんだ、トアがお節介焼いたって話じゃねえか! 俺は最初から、煌の子供が未来のためになるって信じてたぜ!」
「そうですとも! こんなに喜ばしいことはありません! 天の子などではなく本当のお父さん、お母さんとして育ててあげてください!」
漆職人の小出をはじめ、職人たちも温かい声を上げる。
空が意を決して口を開いた。
「宣言した私に責任があります……! 煌さんとも相談し、二人目で必ず天の子を産みたいと思っています」
すると、客席の若い女性たちが口々に声を上げた。
「空ちゃんは獣医の仕事で忙しいし、煌先生にはみんなお世話になってるんだから! 天の子は私たちが産むから、責任なんて感じないで!」
「そうよ! 私だって産むわ。トアの言う通り、次世代のリーダーのためにもね。空ちゃんは無理しなくていいのよ!」
「晴翔ちゃんは、ちゃんとお二人の大切なお子さんとして育ててあげて!」
真田が豪快に笑った。
「そうだ! 二人でも三人でも煌の子供を産んでやってくれ! ハルト社長、クリス、後藤の最強DNAなんだぜ。俺の代じゃ見られないかもしれないが、晴翔が作る未来の世界を想像するだけでワクワクするよ!」
「そうだそうだ!」と、集会所全体に割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
晴翔は正式に煌と空の息子として育つことが決まり、場内は一転して二人の結婚祝いの話題で大いに盛り上がった。
煌と空は目頭を熱くし、深々とお辞儀をした。
「皆さん……本当に、ありがとうございます」
トアが選んだ結の郷の人間たち。
ハルトは、かつてサンノゼで初めてトアに会った時の言葉を思い出していた。
『研究実績だけではありません。遺伝子レベルで過酷な環境に耐えうる健康な肉体を持っているか? 絶望に直面しても折れない強い精神はあるか? 常に学び続ける向上心はあるか? そして何より――窮地にあっても他者を気遣える『思いやり』があるか。私はこの小さなてんとう虫たちを使い、あなた方の日常をずっと『観察』して、適性を見極めていたのです。その結果、あなた方全員すべてに合格しました』
(トア……そういうことだったんだね。本当にありがとう)
隣を見る。クリスもまた、ハルトと同じように温かい目で住人たちを見つめていた。
二人は静かに頷き合い、トアの人選に心から感謝したのだった。
◇
集会所の歓喜から数日後。
迎賓館の裏手にある最も高い丘に、杉本一家が切り出した極太の竹を繋ぎ合わせたアンテナ塔が聳え立っていた。
その先端から、細く長い銅線が空へ向かって伸びている。
結の郷で作られた、記念すべき最初の自作無線機だった。
「接続完了。真空管、ヒーター通電……!」
煌がスイッチを入れる。
木製の筐体の中で、山本が手吹きしたガラスの真空管が、ぽっと淡い橙色に灯った。
手製のレシーバーからは、かすかなノイズが聞こえ始める。
「よし……」
後藤が計器を確認しながら言った。
「まずは第二結の郷――満奇洞との通信だ。あちら側でも陸と海が受信機を構えている」
「向こうから返事が来るかな?」
傍らで真生がアンテナを見上げた。
「距離はそれほどないが、この山間部で安定して電波を飛ばせるかどうかだな」
煌が慎重にダイヤルを調整する。
まずは自分たちの手で、確実に隣の郷と繋がることを確かめる。世界と繋がるのは、その先の大切な一歩だった。
「ハルト、打ってみてくれ」
後藤に促され、ハルトは真田が真鍮で削り出した手作りの電鍵に指を置いた。
トン、トン、ツー……。
静寂の中、確かな電気信号が送信されていく。
『CQ CQ CQ……こちら結の郷。第二結の郷、応答願います』
何度も繰り返す。
しかし、レシーバーから返ってくるのは「ザーッ」という無情なノイズばかりだった。
「……駄目か?」
真生が不安そうにレシーバーを見つめる。
「焦るな」
クリスがクロノメーターを確認した。
「時間帯や天候、アンテナの微調整で電波の届き方は劇的に変わる。調整してみよう」
煌が手製のダイヤルを回し、アンテナの向きを微調整する。そして再びハルトが電鍵を叩いた。
『こちら結の郷。第二結の郷、応答願います』
しばらくの静寂。
「……ザーッ」
やはりノイズだけが響く。
誰も口を開かない。だが、ハルトは電鍵から手を離さなかった。
「もう一度だ」
「うん」
煌が強く頷く。
トン、トン、ツー……。
その時だった。
「……あ!」
真生が耳を澄ませた。
「今、何か聞こえなかったか!?」
全員が息を止める。レシーバーのノイズの奥深くから、かすかな、けれど規則的な高音が混じり込んだ。
トン……トン……ツー……。
「受信に切り替えて!」
煌の叫びと同時に、ハルトが送信を止める。
ザーッ……というノイズの向こうから、はっきりとモールス信号が途切れ途切れに聞こえてきた。
『……M‥‥A‥‥K‥‥I‥‥D‥‥O‥‥U』
「満奇洞だ!」
クリスが興奮気味に受信紙に信号を書き留めていく。続いて、陸と海からのメッセージが届いた。
『こちら第二結の郷。結の郷からの信号、明瞭に受信。実験成功!』
「やった……!」
後藤が思わず拳を力強く握りしめた。
「繋がったぞ!」
ハルトもガッツポーズを掲げる。
山を越えた、わずか数キロの通信。
しかし、そこには人工衛星も、携帯基地局も、現代インフラの助けは一切ない。
自分たちの手で作り上げた道具だけで、人と人の声を繋いだのだ。
ハルトは再び電鍵を握り直した。
『こちら結の郷。通信実験成功。おめでとう!』
送信を終えると、すぐに満奇洞の陸と海から嬉しそうな返信が打たれてきた。
棚田の風に乗って、人々の歓声が響き渡る。
「やったぞ!」
「本当にできちゃったよ!」
煌と真生が弾けるような笑顔で拳を突き合わせる。
後藤は温かい目で手作りの無線機を見つめていた。
「これなら……世界ともいけるかもしれないな」
「ああ」
ハルトも深く頷いた。
「まずは第二結の郷。次は、もっと遠くへ」
もちろん、世界中が同時に復旧するわけではない。地域ごとに素材も環境も違う。
だからこそ、トアが提示した設計図は「万能の機械」ではなく「各地の素材に応用できる知恵」だった。
日本なら和紙や竹。
ヨーロッパなら麻や亜麻。
「物を送るんじゃない」
ハルトは静かに設計図を見つめた。
「『技術』と『生きる知恵』を送るんだ」
「そういうことだ」
後藤が満足そうに頷いた。
夕暮れの棚田を、心地よい風が吹き抜けていく。
山を隔てた二つの郷の間に、たしかに新しい道が通った。
言葉を届け、心を繋ぐ道。
沈みゆく美しい夕日の中、山本の手吹きガラスで包まれた真空管が、ぽっと優しく、けれど強く橙色の光を灯し続けていた。
(第23章へ続く)




