第21章 明日へのバトン
迎賓館の裏手にそびえる高い丘の上に、杉本一家が切り出した極太の竹を繋ぎ合わせたアンテナ塔が立っていた。
「立派なアンテナが立ったのね」
空は臨月を迎え、いつ産気づいても良いように結の郷へと戻ってきていた。日課のお散歩を兼ねて、居住区を見渡せるテーマパークまで足を延ばしていたところだった。
ちょうどその時、鍾乳洞の出口から和光と息子の武史がチーズを持って出てきた。
「あ、良いところに! 空ちゃんに渡そうと思ってたんだよ。はい、どうぞ」
「いつも美味しいチーズをありがとうございます、和光さん……っ痛!」
お礼を言いかけた空が、突然お腹を押さえてうずくまる。
「空ちゃん、大丈夫かい!?」
「陣痛……が始まったかもしれません」
あたふたする和光を横目に、武史が慌てて近くの椅子を持って走ってきた。
「ここに座っててください! すぐ光さんを呼んできます!」
武史は全速力で診療所へと走っていった。
少しすると、連絡を受けた光が駆けつけてきた。
「空ちゃん、陣痛の間隔はどれくらい?」
「まだ……次は来てません」
「よかった。無理せず、ゆっくり歩いて行きましょう」
「和光さん、煌を呼んでいただけますか?」
「よし分かった! すぐ社長に知らせてくる!」
光に肩を貸されながら、空は診療所へと向かった。
「うっ……!」
途中で再び強い痛みが波のように押し寄せる。
「立ち止まって、少し休みましょう」
陣痛の波が去るのを待ち、二人はゆっくりと歩みを進めて診療所に到着した。
出迎えた陣内医師がすぐに内診を行う。
「子宮口が開いてきているわね。陣痛で間違いないわ。とりあえずベッドで横になってて」
それからしばらくすると、知らせを聞いた煌が息を切らせて飛び込んできた。
「満奇洞の患者さんは……!?」
「今日はもう大丈夫だよ。付いていてあげなさいって」
数時間が経過した。
空の陣痛は順調に進み、分娩室のベッドに移っていた。傍らでは煌がしっかりと彼女の手を握りしめている。
診療所の待合室には、クリス、美琴、ハルト、後藤、えまが集まっていた。
「郷で初めて生まれる『天の子』ね!」
えまがワクワクした様子で声を弾ませる。美琴は気持ちを落ち着かせるように静かに本を開き、ハルトは落ち着かない様子で部屋をウロウロと歩き回り、後藤は貧乏ゆすりを止められない。クリスは固く目を閉じ、静かに祈りを捧げていた。
――ンギャ〜! ンギャ〜!
ついに、元気な赤ん坊の産声が響き渡った。
「生まれた!」
えまが両手を挙げて万歳をし、ハルト、クリス、後藤の3人の中年親父達は、思わず固く抱き合った。
分娩室の中では、空の腕の中に生まれたばかりの男の子が抱かれていた。その顔立ちは、幼い頃の煌にあまりにもそっくりだった。
「……!」
空は驚きに目を見張りながらも、愛おしそうに我が子を強く抱きしめる。
「ありがとう空、本当によく頑張ったね」
煌の目から涙がこぼれ落ちた。
光に促され、待合室にいたハルトたちが部屋に入ってくる。新しい命の誕生を迎えたその空間は、まるで温かな光に包まれているかのようだった。
「無事に出産できて本当によかった。おめでとう、空ちゃん」
「空、頑張ったな」
クリスは目頭を熱くしながら、空の頭を優しくなでた。美琴とえまも「安産でよかったわね」と笑顔で見守っている。
女性陣と煌が赤ん坊のそばに残る中、ハルト、クリス、後藤の3人は顔を見合わせると、迎賓館内の会議室へと急いだ。
◇
会議室に入り、ハルトは開口一番叫んだ。
「トア! 空の子供が生まれたんだが……あの子は煌の子なのか!? 煌が生まれた時にそっくりなんだぞ!」
モニターにトアのホログラムが浮かび上がる。
『はい。あの子は煌の子供です』
「遺伝子の問題はどうなったんだ?」
『煌は生殖能力が低く、自然な形では2人目の妊娠が難しいと判断いたしました。そのため、ハルトとクリス、そして後藤のDNAを受け継いでいる煌の遺伝子を使うことが、人類の未来において最も有効であると判断した結果です。名前は晴翔と名付けました』
「晴翔だと!? 俺と同じ名前なのか?」
『漢字の表記は異なります。晴翔は将来、優れたリーダーになる可能性が高い個体です』
「そっか……俺の初孫か……」
ハルトが感慨深そうに呟くと、クリスも感無量の様子で頷いた。
「私の初孫でもありますね」
後藤もどこか照れくさそうに笑う。
「俺はなんだかよく分からないけど、孫みたいなもんだな!」
3人はすっかり嬉しくなり、そのまま食堂へと移動して盛大に祝杯をあげ始めた。
◇
しばらくして、用事を済ませた煌が会議室に入り、トアと対峙した。
「事情は分かりました。空にも伝えますが……私はあくまで、あの子を『天の子』として育てるつもりです」
トアは一瞬だけ処理を停止させるように間を置いた後、応答した。
『分かりました。『天の子』の命名権は私にありますので、その子の名前は晴翔とします』
「父さんたちも、このことを知っているのですか?」
『はい。すでに食堂で祝杯をあげておられます』
「父さんらしいですね……」
『煌が望むのであれば、2人目のお子様の際も同様にお手伝いいたしますが』
「いえ、遠慮しておきます。それでは郷の規律が守れなくなってしまいますから……ですが、お心遣いありがとうございました」
煌がトアにお礼を告げ、食堂に向かうと、案の定3人の父親たちはすでに出来上がっていた。
「父さん!」
「おお、煌か! 本当によかったなぁ!」
「父さん……晴翔の件だけれど、僕はあの子を『天の子』として育てるつもりだ。そうでないと郷の規律が守れなくなる」
「分かっているよ。これは俺たち身内だけの秘密にしよう。だがな、3人で初孫の誕生を喜ぶくらいは良いだろ? ここは限られた人間しか入れない場所なんだから」
クリスが冷酒の注がれたグラスを煌に差し出す。
「おめでとう、煌君! ここなら情報が外部に漏れる心配もない。今日くらいは君も、自分の子の誕生を素直に喜んで良いんだよ」
「ありがとうございます、お義父さん」
煌は冷酒に口をつけながら、晴翔を抱く空の姿を思い浮かべ、優しく目を細めた。
するとハルトは何かを決心したように煌に近づくと、自身の首にかけていたマイケルの形見であるコンパスを外し、煌の手の上にそっと載せた。
「これで煌も立派な父親だ。このコンパスをお前に託すよ。これは『結の郷』のリーダーの証だ。次のリーダーはお前が決め、次の世代へ渡しなさい」
「父さん‥‥」
後藤も力強く煌の肩を叩いた。
「頑張れよ、煌!」
「ありがとうございます、伯父さん」
そこへ佐伯たちが手際の良い動作で酒の肴を運んできた。
「これは酒がますます進んでしまいますねぇ」
後藤が上機嫌にグラスを傾けると、クリスがすかさず微笑む。
「次は、結婚式の準備も進めないとね」
「はい!」
煌は幸せそうに胸を張った。
感動にあふれていた空気の中
「あー! ズルい! 仁君たちだけで酒盛りしてる!」
そこへ、えま、光、美琴の3人が入ってきた。やはり晴翔が煌にあまりにも似ていることが気になり、真相を確かめにきたのだ。
ハルトが隠さずに事情を説明すると、光は納得したように頷いた。
「そうだったのね。晴翔を取り上げた時、あまりにも煌の赤ちゃんの頃にそっくりだったから驚いたのよ」
「母さん、ごめん。でも晴翔はあくまで『天の子』として育てるよ。トアは次の子も手伝うと言ってくれたけれど断ったんだ。郷の規律を守るためにね」
すると、えまが首をかしげて言った。
「でもトアが勝手にやったことだし、ちゃんとした事情があるんだから、わざわざ内緒にしなくても良いんじゃない? 2人目が欲しくなったらまたトアに頼めば良いのよ。結の郷に文句を言う人なんて誰一人いないわ」
すっかり酔いの回った後藤も大きく頷く。
「そうだそうだ! 源さんがいたら『そんな細かいこと言う奴がいたら俺が張り倒す!』って言うに決まってる!」
「俺がなんだって?」
タイミングよく、源と百合子がドアを開けて入ってきた。
「お祝いに行ったら、皆ここにいるって聞いたからさ」
百合子の手には、丁寧に仕立てられたおくるみやベビー服が抱えられていた。
ハルトがこれまでの経緯をざっと説明すると、源は大声をあげて笑った。
「ガハハ! 煌、えまさんの言う通りだぞ! この郷に事情を聞いて文句を言う奴なんていねぇよ。もしそんな野暮な奴がいたら、俺が張り倒す!!」
皆が爆笑する。
煌は少し眉を下げて考え込んでいる。すると、静かに控えていた佐伯が深々と一礼して口を開いた。
「失礼いたします。本来ならば執事の私が口を挟むべきではございませんが、郷の一員として一言述べさせていただきます。真実を隠し続けることには、いずれ無理が生じます。ご事情がご事情なのですから、晴翔君の将来のためにも、郷の皆様には正しくお伝えになった方がよろしいかと存じます」
佐伯はそっと胸に手を当て、煌と晴翔の未来を真摯に案じていた。
「……ありがとうございます、佐伯さん」
百合子も煌のそばへ寄ると、持ってきた品を手渡した。
「ほらこれ、手作りのベビー用品よ。足りなかったら遠慮なく言ってね。……それと、私もえまさんや佐伯さんに賛成だわ」
人生の先輩であり、郷の仲間たちの温かい言葉が煌の心に深く染み渡っていく。
光がそっと煌の肩に手を置いた。
「後で、ゆっくり空ちゃんと相談してみなさい」
「……うん、そうするよ」
ハルトは部屋の壁に飾られたマイケルの写真へと視線を向けた。
(マイケル……新しい命が生まれたよ。煌と空ちゃんの子供だ。そしてクリスと俺の初孫だ。次のリーダーは煌が継いでくれる。どうか空の上から見守っていてくれ)
写真の中のマイケルが、どこか満足そうに微笑んだ気がした。
(第22章へ続く)




