第2章 空飛ぶ漆
巨大なガラス張りの天井に、飛び交う早口の英語。サンノゼ国際空港の到着ロビーに降り立った小出太郎は、すっかり「完全なおのぼりさん」状態だった。
首をすくめて手荷物を抱える小出の前に、ゆったりとした足取りで現れたのは、あのマイケル本人だった。
「Welcome to California, Koide!」
案内されるまま乗り込んだのは、見たこともない漆黒のロールス・ロイス。ふかふかの高級レザーシートにちょこんと小さくなって腰掛け、流れるアメリカの街並みを眺める。通されたのは映画に出てくるようなマイケルの豪華な邸宅だった。豪奢な部屋の巨大なベッドを見つめ、小出はポツリと呟く。
(こ、ここは何なんだ?お、俺は浦島太郎か……? ここは竜宮城か……? まさか帰りに玉手箱なんて渡されないよな)
時を少し遡る——。
ソーラー瓦の製作も一段落し、小出が作業道具の手入れをしていた頃、結の郷の会議室にアメリカのマイケルから緊急の連絡が入ったのだった。
「クリス、運搬用の鉄製の大型船を建造中なんだが、船体の防サビと耐久性に壁にぶつかっていてね。トアの解析結果……日本の『漆』を特殊な方法で焼き付ければ、耐久性の優れた最高の船体が完成するという結論に至った。漆のスペシャリストとして小出さんをコーチ役でアメリカに貸してくれないか?」
「小出さんですね。彼は今ソーラーパネル製作が一段落してますから、大丈夫だと思います。ハルトに話しておきます。」
「あと、クリス。運搬専用船の為に、港にドックを建設したいのだが‥(浮ドック)フローティングドックは、こちらで用意するから、交渉しておいて欲しい」
「かしこまりました」
クリスから話を聞いたハルトは、早速小出に相談してみた。小出は、「アメリカで俺の漆が役に立つなら」と二つ返事で快諾。渡米の数日前、小出は「一番大切なものは自分の目で見届ける」と、自身で厳選した極上の国産生漆を丁寧に容器へ密封し、トアの国際優先貨物ルートを使って一足先にサンノゼのドックへ発送したのだった。
そして小出がアメリカに着いた翌日。マイケルに連れられてやってきたのは、トア・コーポレーションが誇る巨大な最新鋭ドック(造船所)だった。
小出は、最新型の翻訳イヤフォンをつける。
目の前に鎮座する重厚な鉄の船体を見上げ、小出は思わず息をのむ。
(‥これが、自然に還る船か‥俺達の命綱になるんだな)
マイケルが真剣な眼差しで切り出す。
「小出、この鉄の船体に日本の漆を焼き付ける技術を、うちの塗装チームに教えてほしいんだ。アジア全域から上質な生漆を大量に手配してある。それと……君が日本から先送りした『大切な荷物』も、トアの優先通関で完璧な温度管理のもと無事に届いているよ」
案内された温度管理室には、小出が日本から送った木樽が無傷で鎮座していた。愛おしそうに樽の肌を撫でた小出は、隣にズラリと並べられた大量のアジア産の樽を確認し、フッと鼻で笑った。
さっきまでおのぼりさん状態だった男の目が、一瞬で「日本の職人」の鋭い光を宿す。
「マイケルさん、集めてくれたこの大量の漆……大半は中国産の生漆だな? 確かに量は十分だし悪くねぇが、そのまま塗ったんじゃ海水の塩分に負けちまう」
顔を見合わせるマイケルとアメリカの塗装チーム。小出は無事に届いた日本の木樽をポンと叩いてニヤリと笑った。
「だから、俺が日本から先送りしておいた『極上の国産生漆』を隠し味に混ぜるんだよ。精製度の高い日本の漆とブレンドして練り上げれば、中国産の漆が一気に化ける。100年の耐久性を目指した『最強の焼き付け漆』の完成だ!」
小出の圧倒的な知識と工夫に、アメリカの職人たちは「オーマイゴッド……!」と一瞬で脱帽した。
「よし、無事に俺の漆も届いてたことだし、仕込みは完璧だ。サビひとつ出さねぇ最高の一着に仕上げてやるよ」
サンノゼ空港に着いた時の小出と職人魂が燃えた小出の違いにマイケルは、驚いていたが、小出の背にハルトの自信に満ちた顔が見えたマイケルだった。
小出は集まった腕利きの塗装チームに、バーナーで鉄を絶妙な温度に炙り、ブレンドした漆をジュッと焼き付けていく伝承の技を、叩き込み始めた——。
最初は「東洋の伝統塗料?」「バーナーで焼くなんて効率が悪くないか?」と懐疑的だったマイケルの塗装チーム(普段はハイテク塗料を扱うプロたち)。
しかし、小出さんが見せる鉄の温度見極め(色と熱の伝わり方)や、焼き付けるタイミングの熟練技に一瞬で脱帽したのだった。
「Hey, Koide! この部分の焼き付け温度はこれで合ってるか!?」
「甘い! あと15度上げてから漆を薄く引け! ジュッと音がする瞬間を逃すな!」
額に汗し、小出の瞳は一瞬の温度を見逃さず
「今だ!!」
漆を塗るとジュっと音が響く。
「分かったか?今のタイミングだ」
「はい!!」
小出の指導は、毎日続き塗装チーム全員が焼き付けのタイミングを覚えた。
近づくマイケル。
「どうだい?私のチームは?」
小出は、誇らしげな顔をして
「最高ですね!!」
とやり切った顔で笑った。
マイケルと固い握手をかわす。
「はい。コレ小出にプレゼントだよ」
小さな箱を渡された。
(た、玉手箱⁈)
「あ、ありがとうございます」
「さて、小出は船旅は好きかい?」
「え?」
マイケルはニヤリと笑う。
こうして小出は、人生初の飛行機でアメリカへ渡り、作業後にマイケルの秘書の案内でアメリカ観光まで満喫した。そして今度は、人生初となる船旅へと向かうことになるのだった。
第3章に続く。




