『鋼の黙示録II 未来を紡ぐ者』第1章 進化
あの桜舞い散る祝福の披露宴から、三年——。
岡山に築かれた「結の郷」は、いまや世界中から人々を引き寄せる場所となっていた。きっかけは岡山県の公式ホームページや地元のTV局が放送した特集番組、そしてハルトが提案した動画配信だった。世界の仲間たちも協力してくれたことで、日本の伝統文化に興味を持った国内外の人々がこの地に熱い視線を注ぐようになったのだ。先人の知恵を長年受け継いできた手仕事と、生命の営みを守り続ける結の郷の姿は、国境を越えて多くの人々の心に届いていた。
いまや「結の郷」は、世界中から訪れる人々を温かく迎え入れる一大テーマパークとしての顔も持っていた。
その中心に聳え立つのは、源さん率いる宮大工たちが1000年耐えうる伝統工法で建てた渾身の三重の塔。
鈴木さん親子が想いを込めて織り上げた結城紬の展示場となっているその一階には、かつて光とえまが纏った美しい打掛とウェディングドレスが、輝くガラスケースの中に静かに鎮座している。その横には絹糸の源である蚕の飼育パネルが並び、命が衣服へと変わるストーリーを伝えていた。
二階へ上がれば、咲子が真綿から繊細な糸を紡ぎ出す手元に歓声が上がり、三階では規則正しい機織りの音が響く中、美しく織り上げられていく紬を外国人観光客たちが目を輝かせて見つめている。
屋外へと目を向ければ、新しく加わったオランダ人の弟子が、栗皮色の作務衣を身にまとい、宮大工の職人たちに食らいつくようにしてカンナを引いていた。彼の名はルーク。先進的な都市計画とサステナブル建築の聖地・デルフト工科大学の学生だったが、動画で見た三重の塔に感激し、結の郷で実物を目にした瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたのだという。源さんに熱烈な弟子入りを懇願し、トアのOKが出たことで、彼が結の郷で初めての弟子となったのだった。彼の情熱は国境や言葉の壁を越え、日本の伝統技術という魂を確実に次の世代へと受け継ごうとしていた。
◇
そして、賑わいの奥には、関係者以外立ち入ることのできない「静寂の聖域」が存在する。
ハルトは岡山市にあった本社会議室を、新しく居住区に建てられたクラシカルな「迎賓館」へと移設していた。そこは、選び抜かれた迎賓館スタッフとトア・コーポレーションのメンバーのみが入ることを許された特別な場所であり、世界各国から訪れる仲間たちを迎える滞在拠点でもあった。
その手前に広がる居住区には、澄んだ水が流れる川沿いに美しい棚田が描かれ、悠々と時を刻む水車小屋、そして懐かしい茅葺き屋根の家々が並ぶ——。そこは観光客の喧騒から守られた、変わらぬ日本の原風景だった。写真撮影のみ許されたその場所は、日本人には郷愁を誘い、外国人には神秘的に映る。その美しい風景を捉えた写真や動画は、SNSや動画サイトで静かなブームとなっていた。
ここが、結の郷の居住地である。
夕暮れ時、源さんたちが建ててくれた診療所から、柔らかな風とともに子供たちの弾んだ歓声が聴こえてくる。
休憩室の畳の上では、ハルトと光の間に生まれた長男の煌と、仁(後藤)とえまの長女である仁愛が、無邪気に積み木を転がして遊んでいた。クリスの長女・空は、お姉ちゃん風を吹かせながら2人の面倒をみている。
「もうすぐパパたちが迎えに来るから、お片付けしましょうね」
診察を終えた光が優しい笑みを浮かべて部屋に入り、傍らでは陣内先生が満足そうに目を細めてお茶をすすっていた。
ハルトは3年前、小さな保育所を作った。子供たちが自然の中で季節を感じながら伸び伸びと育つようにと保育士を雇ったのだ。現在は、クリスの娘の空、ハルトの息子の煌、仁の娘の仁愛、そして職人たちの子供が数名通っている。光は毎日3人を迎えに行き、診療所が終わる時間まで休憩室で遊ばせているのだった。
「ただいま!」
ハルトが診療所に顔を出すと、
「パパ!」
と煌が駆け寄って飛び込んできた。続いて仁とクリスも顔を出す。
「お疲れ様です、陣内先生。今日はどうでしたか?」
「ああ、お疲れ様。ルークさんが張り切りすぎて、ちょっと怪我をして来ただけでしたよ」
ハルトは苦笑いした。
「ルークらしいですね。でも源さんはかなり気に入ってるみたいで、良い弟子が入ってくれたって喜んでましたよ。それで、怪我は大丈夫だったんですか?」
「カンナがけを張り切りすぎて、すっ転んでおでこにタンコブを作るんだから……なかなか見ない怪我よね。ふふっ、でも大丈夫よ」
光も思い出して思わず微笑んでいた。この3年の間、光は総合病院で働きつつ、結の郷の診療所の手伝いも続けていたのだ。
やがて、3家族はそれぞれの家路につく。
「ただいま」
「おかえり」
家では、婆ちゃんが優しく迎えてくれた。
新しい命の誕生がある一方で、爺ちゃんが天に召され、1人で暮らす婆ちゃんを心配したハルト夫婦が引き取ったのだ。最初は新婚の2人との同居を遠慮して拒んでいた婆ちゃんだったが、光の妊娠をきっかけに同居が決まったのだった。
なお、高梁市のブドウ園は助っ人を雇いながら、ハルトと仁が相変わらず二人三脚で続けている。
この三年の間に、「結の郷」はさらなる進化を遂げていた。
肉の解体や川魚漁をはじめ、人間が自給自足で生き抜くための専門知識を持つ職人たちも加わり、燻製した肉や魚が結の郷のお土産コーナーで大人気となっていた。そして婆ちゃん直伝のおいなりさんは、お茶屋の看板メニューとして観光客の舌を楽しませている。
さらに3年前からは、職人たちにそれぞれの作業マニュアルを作成してもらい、新しく加わった書道家が耐久性の高い和紙に墨と筆で書き残す作業を進めていた。同時に重要な技術な知識を石英ガラス製の石版として残す作業も進めている。いざとなれば印刷できる体制を整えつつ、万が一のために物理的な和紙と墨でも遺すことにしたのだ。たとえデジタルがいつ消え去ろうとも、人の知恵だけは未来まで物理的に紡いでいくために。
◇
ある日曜日。
ハルト、光、煌、仁、えま、仁愛の6人は、棚田でヤギたちと一緒にお弁当を食べていた。
「えまさんが作ったハンドクリーム、奥さんたちの間で人気が出てますよね。これ、商品化してみたらどうかしら?」
光の提案に、えまが胸を張る。
「ツルツルでしょう? 皮膚の再生を促しつつ保湿できるように改良したんだから。舐めても大丈夫な素材で作ってるのよ」
ハルトは驚いて目を丸くした。
「すごいな……じゃあ、クリスに相談してみるよ」
するとえまが顔をにょきっと近づけてきた。
「いっそのこと化粧品にしちゃう? モデルを私にしたら絶対売れると思うわ! ほら、この白く美しい頬を見てみて!」
おにぎりを食べていた仁が、豪快に喉を詰まらせてゲホゲホと咳き込んだ。えまが背中をバシバシと叩く。
「やだ〜、仁君! 冗談だってば!」
「……いいんじゃないか? オカメがつける『オカメ化粧品』、案外売れるかもしれないぞ」
むっとしたえまがニヤリと口角を上げる。
「結婚式当日にも同じこと言ってたよねー。あの後、仁君がなんて言ったか、光ちゃんにバラしちゃおうかな〜♡」
仁は顔を真っ赤にして声を裏返らせた。
「ば、馬鹿なこと言うなよな!」
光も楽しそうに意地悪な笑みを浮かべる。
「えー、兄貴がなんて言ったのか興味ある〜!」
ハルトがすかさず助け舟(?)を出す。
「やめとけって。どうせ胸焼けするような甘いセリフ言ったんだろうし」
「ハルト!! お前まで!」
絶叫する仁の元へ、トコトコと幼い仁愛が歩み寄ってきた。小さな手を腰に当て、ぷくっと頬を膨らませる。
「けんかは、め! なんだよ」
「……はい。分かりました」
仁は愛娘の制裁に一発で撃沈し、目尻を下げた。彼はすっかり愛娘にめっぽう弱い父親になっているのだった。
◇
後日——結の郷で限定販売された「オカメ化粧品」は、店頭に並ぶやいなやSNSで大バズり。この化粧品を目当てに結の郷を訪れる女性客が激増することになるのだが……それはまた、別の話である。
(第2章へ続く)




