第17章 天の子供
ハルトは眉間に皺を寄せ、腕を組んで考え込んでいた。
そばを通りかかったクリスが、不思議そうに覗き込む。
「今度はどうしたんですか、社長」
「トアがね、犬が近親交配にならないように凍結精液のストックを用意してくれたんだよ。……で、ふと思ったんだが、人間も同じじゃないか? 血筋が濃くなれば、いずれ存続が難しくなるんじゃないかって」
ハルトはため息をつきながら本で見つけたデータを指した。
「調べてみたら、遺伝的な多様性を保ちながら集団を存続させるには、少なくとも数十人、できれば数百人規模が必要らしい」
「なるほど……。たしかに、郷の現在の人数じゃいずれ頭打ちになりますね」
「郷には50家族もいない。日本で、他にも楽園に行かなかった人たちってほかにいないのかな」
「トアに聞けば一発でわかりますよ」
2人はそのまま管理棟の会議室へ向かい、モニターを起動した。
「トア、聞きたいことがある」
「何でしょうか、ハルト」
「日本に、俺たち以外で楽園に行かなかった人間はいるのか?」
モニターの向こうで、トアはわずかにデータ処理の動作を挟んで答えた。
「……存在します。国内にいくつかの生存確認があります」
「じゃあ、彼らを結の郷に連れて来られないか?」
「現時点では推奨しません。彼らの中心には海外で傭兵として活動していたリーダーが存在しますが、彼が率いる集団は荒廃した世界を生き抜く過程で武装化を重ねており、結の郷の平和的なコミュニティとは相容れない性質を持っています。受け入れれば、確実に内部から秩序が崩壊するでしょう」
ハルトは渋い顔をした。
「武装化してる? 結の郷は大丈夫なのか?」
「彼らのいる場所はかなり離れています。移動手段が徒歩ですから、こちらから迎えに行かない限り、今のところは大丈夫でしょう」
「じゃあどうすればいいんだ……。俺たちはこのままじゃ、いつか遺伝的に先細りになってしまうんじゃないか」
「いずれ提案しようと思っていました」
トアは淡々と、しかし決定的な事実を告げた。
「現在、世界に残るトア・コーポレーションのネットワーク管理下には、500以上の異なる家系が生存しています。彼らの遺伝子サンプルを凍結保存し、次世代において人工授精や、血縁関係を考慮した計画的な生殖を行うシステムが構築可能です。全員が自然恋愛とはいきませんが、子どもたちの世代でそれを選択・実行していけば、遺伝子的な多様性は高い水準で維持され、種としての存続に問題はなくなります。――ただ、それを今の倫理観を持つ人間が受け入れられるかどうかは別問題ですが」
ハルトは苦笑し、頭を抱えた。
「人工授精か……。俺たちの代で決めるような話じゃないな。それに、子供たちの人生や恋愛観をそこまで縛るのも簡単なことじゃない。だが……頭に入れておくべき重大な問題だな」
ハルトはクリスと顔を見合わせ、重く頷いた。すぐには答えが出ない命題を抱えつつ、ハルトたちは会議室をあとにする。
それから数日後。夕暮れの柔らかな光が窓から差し込む中、煌はハルトの前に静かに座り、一呼吸置いてから切り出した。
「父さん。みんなで話し合って決めたことがあるんだ。聞いてくれる?」
まっすぐに見つめてくる煌の瞳には、迷いのない決意と、どこか照れくさそうな熱が宿っていた。ハルトが促すようにうなずくと、煌は空から出された、突飛でありながらも真剣な提案の全貌を語り始めた。
「空が提案してくれたんだけどさ……女子たちが20代になったとき、まず最初の子供を世界中に残る血縁関係のない家系から、トアが選んだ遺伝子を使って人工授精し、『天の子供』として妊娠・出産するんだ。血統や未来のために、みんなで協力しながらその子供を育てていく。そして、それが落ち着いたあとで、家系図的に問題のない自分の好きな人と結婚して、2人目を産むっていう計画なんだ」
ハルトがその壮大な計画の重みに息を呑む間もなく、煌はさらに言葉を続けた。
「驚くかもしれないけど、2世の全員がこの計画に賛成しているよ。しかも、発案した空自身が『私が最初にやる』って言って、誰よりも先にその役割を引き受けるって決めているんだ」
そこまで一気に語ると、煌は少しだけ自分の声のトーンを落とし、ハルトの目をより強く見据えた。その頬には、ほんのりと赤みが差している。
「そして……父さんには言っていなかったけど、空と俺は付き合っているんだ。だから空がその最初の出産を終えたあと、俺は空と結婚する。そのことも父さんにちゃんと伝えておきたくてさ」
静まり返った部屋の中で、煌はハルトからの返事を待つように、背筋を伸ばしてじっと座っていた。
「お前たちには、苦労をかけるな……」
「空は笑いながら言ってたよ。『これで人種問題なんてなくなるわね』って。初産だから不安だらけだろうけれど、母さんや陣内医師もいてくれるから安心だって」
「さすが、クリスとミコ姉の娘だな……」
「そうだね。そんな所が好きになったんだよ」
「そうか。母さんともよく相談するんだぞ」
ハルトの胸中は複雑だったが、煌たちの決意の固さも痛いほど伝わってきた。結の郷を守るため、そして人類の存亡をかけた戦いなのだということを、子どもたちはもう十分に理解しているのだ。
後日、ハルトからその決断がトアに報告された。その意志の強さは世界中の仲間たちを驚かせ、そして深い賛同を生むことになった。20代から30代の若者たちが遺伝子を残し、人類存続のために空のあとに続く道が選ばれたのである。
トアがインフラの限界を迎える半世紀後まではこの管理体制が維持されるため、遺伝的な危うさは大きく軽減されるだろう。あとは拠点を広げ、決して同じ場所に居続けない機動性が必要になるのかもしれない。やるべきことはまだまだ山積みだった。
そんな未来への重い扉を開いた郷に、穏やかな潮風が吹き抜ける。世界を繋ぐ要塞船が日本近海に到着したのだ。
ドイツから、ガブリエルが共同研究のために――そして失われた技術を取り戻す新たな可能性を携えて、結の郷へとやってくるのだった。
第18章へ続く




