第18章 訪れ
結の郷で、ガブリエルを迎えるハルトたち。
「久しぶり、皆さん」
「いらっしゃい、ガブリエル」
ハルトの結婚式以来となる日本への来訪だったが、あれから互いに少しずつ歳を重ねていた。
「迎賓館は初めてだよね。どうかゆっくり身体を休めて」
ハルトはガブリエルから荷物を受け取ると、そのまま迎賓館へと招き入れた。
年老いたものの背筋を伸ばし、美しい立ち姿を見せる佐伯の背後には、長男の晴臣が執事として控えている。その佇まいは、若き日の佐伯を彷彿とさせる、頼もしいものになっていた。
ガブリエルは長旅の疲れを癒やすように荷物を置くと、早々に温泉へと向かっていった。
夜になると、食堂にはハルトの家族、クリスの家族、そして後藤の家族と陣内が集まり、盛大にガブリエルを歓迎した。
夕食の席が落ち着いた頃、話題は今回の本題である共同研究へと移っていく。
「ドイツから持ってきたのは、単なる手土産じゃないよ。長年失われていた医療と生物技術を取り戻すための、いわば『文明の種』だ」
ガブリエルがテーブルの上にタブレットを広げ、持ち込んだ物資のリストを表示した。
そこには、国内ではもう精製が難しい高純度の「精密試薬」の数々と、老朽化した設備を再び稼働させるための「バイオリアクターの交換部品」の詳細なデータが記されていた。
「これがあれば、抗生物質の安定生産や、家畜たちの感染症を防ぐための次世代ワクチンの研究を、自分たちの手で進められるようになる。」
その言葉に、同席していたメンバーの目が輝いた。
「えまの娘さんが、仁愛なんだね。今回の共同研究には、えまと仁愛も加わるの?」
「はい。ぜひお願いします」
ガブリエルの問いかけに、ハルトはうなずきながら今回の研究プロジェクトの体制を説明した。
「今回この研究に参加するのは、陣内先生とえま、光、僕の息子の煌。そして動物用のワクチン開発には、クリスの妻の美琴と娘の空が加わる予定だよ」
ハルトが誇らしげに答えると、ガブリエルは頼もしい仲間たちを見回し、深くうなずいた。
♢
翌日。
ガブリエルが持ち込んだ機材が運び込まれた実験プラントで、陣内は機材を見つめながら腕を組み、ふと首を横に振った。
「ガブリエル、ありがたいですが……これじゃダメです。この最新の機械や輸入試薬が尽きたとき、子どもたちは途方に暮れるでしょう」
ガブリエルが怪訝そうに眉をひそめる。
「どういうことだい? これを使えば、一番確実で安全に……」
「いや、陣内の言う通りね」
美琴が静かに割って入り、使い古されたボロボロの医学書を開いた。ページの端には、かつて彼らが手探りで医療技術を模索していた頃のメモ書きが残っている。
「私たちが目指すべきなのは、1800年代のパスツールたちが切り開いた、古典的かつ原始的な手法です。培養に高価な電子制御は要らない。ガラス管と素焼きのフィルター、そして自分たちの手で作れる培地と恒温槽があればいい」
煌が続ける。
「ガブリエルさんが持ってきてくれた物は、現在では最高の贈り物です。しかし、猶予が切れる半世紀後には、自然に還らない機械は容赦なくすべて砂になってしまうでしょう。僕たちは、ガブリエルさんの知識を貸していただきたいのです」
その言葉に、若い仁愛や光も、ハッとしたように表情を引き締めた。
「そうね。もっと先を考えないとね……。機械の自動制御に頼るんじゃなくて、菌の特性を理解して、古典的な発酵や不活化の技術を自分たちの手で再現しなければ!! 破傷風ワクチンだって、自分たちの手で作り続けられなきゃ意味がない。その研究結果を未来に残さないと……」
方針が決まると、若者たちはすぐに行動に移った。
ガブリエルの持ってきた最先端の機械をそのまま使うのではなく、あえてその原理だけを参考にしながら、郷にあるガラス細工や耐熱陶器、身近な材料を使って、19世紀の科学者たちが使っていたような手製の培養装置や濾過器を、自分たちの手で組み立て始めたのだ。
ガブリエルは初めこそ驚いたものの、すぐに納得したように苦笑し、そして深く感心したようにうなずいた。
「なるほどね……。機械に依存するんじゃなく、技術そのものを自分たちの血肉にするつもりかい。恐れ入ったよ。日本のサバイバル精神は本物だね」
失われた文明の利便性に頼るのではなく、自らの手で生き抜くための「本当の技術」を継承していく。
ガブリエルが持ち込んだ外からの風は、結の郷の人々に、より強靭な自立心を呼び覚ましていた。
そこへハルトがやってくる。
「なんとかこれだけ完成したから持ってきたよ。ガブリエルが来ることが決まってすぐ、職人さんたちに頼んだんだ。使えるか試してみてくれ」
ハルトが運び込んできた箱の中には、結の郷の職人たちが渾身の技で作り上げた、5台の木と金属の顕微鏡が整然と並んでいた。
富山に伝わるガラス加工の技術を駆使してバーナーを操り、高精度のレンズを研磨したガラス職人の山本。
ピントを合わせるための微調整ネジや鏡筒、重厚な台座を完璧に鍛造・加工した鍛冶職人の真田とメカニックの坂本親子。
そして、狂いのない木製ボディと精巧な収納箱を仕上げた宮大工の源。
郷のあらゆる職人の知恵と手技が組み合わさり、陣内や光たちの監修のもとで完成した、実用性抜群の「結の郷製・光学顕微鏡」だった。
「顕微鏡まで作ってしまったのかい? 毎回、本当に日本チームには驚かされるよ……」
ガブリエルは息を呑みながら、持参したサンプルをプレパラートに載せ、手製の顕微鏡にセットして覗き込んだ。
フォーカスダイヤルを回すと、視野の向こうにクリアで鮮明な細胞の姿がはっきりと映し出された。
「……素晴らしい。これなら微生物の観察にも十分使える。ワクチン研究の大きな力になるぞ!」
「だろ! 郷の職人さんたちは世界一なんだ!」
ハルトはまるで自分のことのように胸を張り、破顔した。
「あとは、これも持って来たよ」
ハルトがさらに開けた箱には、鈴木家や和裁チームが手織りの結城紬の技術を応用して仕立てた頑丈な防護服や高密度マスク、そして山本たちが作った医療用ゴーグルや手製グローブがびっしりと詰まっていた。
道具も、装備も、そして人の意志も、すべてが揃った。
いよいよ、自分たちの手で未来を護る「破傷風ワクチン」の製造実験が始まろうとしていた。
(第19章へ続く)




