↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/23

第14章 新たなる時代へ

2040年。マイケルの訃報が届いて間もなく、世界中でユニバーサル・ハイ・インカムが導入された。人々は訪れた解放感に歓喜し、お祭り騒ぎに沸いていた。トアが見せたあの未来が、いよいよ現実に動き始めたのだ。


世界が大狂乱に包まれる中でも、結の郷は変わらず地に足のついた日々の暮らしを営んでいた。その翌年、ハルトと光の間に第二子となる男の子が誕生した。マイケルの遺志と想いを継ぎ、その子は「真生マイク」と名付けられた。


同じ頃、ハルトたちはひとつの壮大な計画を進めていた。


「未来の子孫たちが生き残るためのバイブルを遺す」——職人たちの知恵を後世に伝えるためのプロジェクトだ。


職人たちが長年培ってきた技術や知恵を書き出し、書道家の丹下夫妻が和紙に墨で丁寧に清書していく。そしてトアの技術を借り、壊れても自然へと還る「5D光データストレージ」を開発する。不可能だと思われた試みが、人々の想いと技術の融合によって形になろうとしていた。


作業台の中央に置かれているのは、一見すると何の変哲もない木製の箱だった。


地元の山から切り出し、しっかりと乾燥させたヒノキの角材を、源さんが寸分の狂いもなく組木で組み上げた外枠。その表面には、小出さんが丁寧に漆を塗り重ねてある。重厚で、しっとりとした黒光りを放つその姿は、ハイテク機器というよりも、代々受け継がれてきた伝統的な硯箱のようだった。


「——よし、外枠の噛み合わせ、完璧だぞ」


源さんがかんなを置き、満足そうに顎を撫でた。その隣で、小出さんが指先で漆の肌触りを確かめながら微笑む。 


「漆もいい塩梅に乾きました。これなら湿気も通さないし、手で触れても温かみがある。……しかしハルトさん、本当にこの『木と漆の箱』の中で、未来へ遺すデータが刻まれるんですかい?」


「ええ。トアの技術と、皆さんの職人技が合体した、世界に一つだけの機械です」


ハルトが答えると、傍らに立つトアの端末が静かに青い光を点滅させた。


『構成部材の組み込みを開始します。フレーム内部にはプラスチックや重金属を一切使用していません。ギアおよび駆動軸はセルロースナノファイバーとセラミックの複合材。基板は絹タンパク質を精製した生分解性シルクプロテイン回路を採用しています』


トアの指示に従い、坂本隆志とその弟子たちが、慎重な手つきで内部のパーツを組み込んでいく。金属のネジは一本も使われていない。精密に削り出されたセラミックの歯車と、源さんの弟子が拵えた微細な木の車軸が、かちりと心地よい音を立てて噛み合った。


「すげえな……金属パーツが一個もないのに、ガタつきがまるでねえ」


隆志の弟子が息をのむ。


「動力を伝えるのは、外の屋根に設置した一枚の小型ソーラートラック用パネルだけだ」


ハルトがバイオマス素材の導線を接続しながら言った。


「送電インフラが完全に途絶えても、太陽の光さえあればこの小さな箱は動く。膨大な電力を食う巨大なデータセンターなんて、もういらないんだ」


『焦点照射ユニット、設置完了』


トアの声とともに、箱の中央に天然の水晶から削り出された透明なレンズが取り付けられた。


「最後の仕上げだな」


真田さんが鍛冶場で打ち上げた小さな炭素鋼のピンを箱の側面に差し込むと、カチリと硬質な音が響き、内部の小型LEDがほのかな明かりを灯した。


屋根のソーラーパネルが集めた太陽光は蓄電池に蓄えられ、そこから供給される電力によって、超短パルスレーザー——「フェムト秒レーザー」が駆動する。


作業台の脇に置かれた手のひらサイズの透明な石英ガラスのプレートに、極小の光の針が触れた。

チチチ……と、虫の羽音のような静かな音が土間に響く。

ガラスの内部、目に見えないナノ単位の深さに、小出さんの漆の塗り重ね方、源さんの組木の角度、真田さんの槌の音、そしてえまの薬草の知識が、5次元(5D)の光の構造として刻まれていった。


「俺たちの師匠の技が、本当にこのガラスの中に残っていくんだ……」


集まっていた若い弟子たちが、ガラスの中で屈折する淡い光を見つめながら呟いた。


「ああ」


ハルトは静かに頷き、黒漆の側面に手を置いた。


「この機械自体は、役目を終えて土に埋めれば、数年で木も漆も回路も微生物に分解されて自然の土へ還る。重金属も害毒も何も残さない」 


小出さんと源さんが顔を見合わせ、深く頷いた。


「機械は自然へ還り、刻まれた『知恵』だけが、この石英ガラスの中で何億年もの時を越えて残る……か。トアの奴も、粋なモノを考えてくれたもんじゃ」


「『5D光データストレージ』……トアはそう呼んでいたけれど」


ハルトは温かい眼差しで、完成した機械を見つめた。


「俺たちにとっては、過去と未来、そして人と自然を固く結ぶ、大切な『刻のときのふみ』だな」


その時、ハルトは大切に持っていたコンパスを取り出し、小出の前に差し出した。マイケルから生前、託された形見の羅針盤だ。


「小出さん、これを半永久的に残る形にしてほしいんです。トアがどれだけ世界を解体しても、俺たちが自然と共に生きた証として、何千年先まで残るように」


小出はコンパスを受け取ると、愛おしそうにその表面を指で撫で、深く頷いた。


「わかりました。まず天然の透明生漆を何層も重ね、このコンパスを漆の塗膜で包み込みましょう。その上から、松脂を精製した特殊な透明樹脂で完全に封じ込めます。これなら酸素や水分、紫外線からも守れるはずです。たとえ土に埋もれても壊れない『琥珀の鎧』にします。革紐を通せる環も作っておきましょう」


小出の手によって、松脂と漆の美しい透明な層が幾重にも重ねられていった。琥珀色に輝く天然の樹脂に守られたコンパスは、まるで時が止まったかのように、静かに指針を北へと向けたままで固まった。職人の手作業と自然の恵みが生み出した、永遠のお守りだった。



開発の成功に湧いたあの感動の日から、17年の歳月が流れた——。


2058年。

世界は再び戦争の危機に直面し、AIによって生み出された『スーパートア』の始動により、人類は強制的に「楽園」へと導かれつつあった。


結の郷の外の世界では、トアが放った無数の微細な虫のナノマシンが、自然に還らない人工物を容赦なく解体していた。時折、ザーッという音とともに建造物が砂のように崩れ去り、消えていく。それを巨大な移動ロボットがどこかへと静かに運び去っていた。


見慣れていた岡山の街並みは、緑の植物だけを残して、平らな大地へと姿を変えていく。

知っていたこととはいえ、現実となった光景を前に、ハルトたちはトラックの窓から外を見つめていた。地球の再生を第一に考えたトアの選択の凄まじさを、肌で実感せずにはいられなかった。


もう飛行機も空を飛んでいない世界。


これまでハルトたちは、生活のためのインフラだけでなく、様々なものを作ってきた。漁船やトラック、そして子どもたちのための保育所や図書館。そこは読書だけでなく、絵画や書道、音楽を学べる心の拠点でもあった。


人類が楽園に向かう今、ハルトたちは建物に残された書籍や絵の具、紙、楽器や楽譜、さらにはスポーツのボールやバットに至るまで、ありったけの文化を郷へと運び込んだ。


ただ生きるだけでは、人間は満足できない。心を豊かに育む芸術やスポーツがあってこそ、真の営みなのだから。


積み込みを終えたトラックの荷台で、ハルトは胸ポケットから一枚の石英ガラスを取り出した。17年前に「刻の文」によって職人たちの魂が刻まれた、あの透明なプレートだ。

これには、今は亡き郷の仲間の名前が刻まれている。ハルトはそれを、空へとゆっくりとかざした。


透き通るガラスの向こうで、トアが再生させつつある青空がどこまでも広がっている。


「どうか、未来の子孫たちが力強く生き残っていけますように——」


ハルトの首には革紐を通され樹脂で守られたマイケルのコンパスがかけられていた。


(マイケル。ここまできたよ。見守っていて)


ハルトは静かに祈りを込めた。


(15章へ続く)

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。