研究日誌15:ミノタウロスの黒刃
カツカツッ
アレイスタのブーツの声。
ギルド無双の響きあり。
「おはようございます、姉御」
「今日もお綺麗です」
テロメア遺跡の管理事務所。
いかつい冒険者たちが背筋を伸ばして挨拶していく。
「次、姉御って言ったら殺すから」
「は!姉 さん」
そんなやりとりが聞こえてくる。
「姉さんとは、どういう関係で?」
顔に大きな傷のある浅黒い大男が僕を覗き込む。
関係……。
『あなたが必要』
指で差された、胸の触感を思い出す。
「師匠です」
堂々とした声でそう答えると、冒険者が羨ましそうに僕を睨んでいた。
「だいたい分かったわ。露払いに二、三人頂戴。ボスは私がやるから。オーム!」
事務所の奥からアレイスタが僕を呼ぶ。
「はい」
「出立はヒトフタマル。それまで自由時間よ。市場で二日分の食料を用意しておいて」
僕は頷いて、事務所を出た。
自由時間なのに食材探し。
アレイスタの雇用体系に少しだけ疑問を持った。
*
テロメア遺跡の地下一階はランプで埋め尽くされている。
通路の左右には様々な露店が並び、香辛料、石鹸、珈琲、お茶、干し肉、デーツ、ナッツ――書ききれないほどの品物がガヤガヤとおしゃべりしている。
黒龍がオアシスから去って交易が再開したことが、テロメアバザールの活況を産んだと思うと、少し誇らしい。
岩にしがみついていただけだから、ほんの少しだけど。
しかし、二日分というのはハードな行程だと思う。
下層の拠点まで、一日で降りて一泊。
ボスにアタックして、拠点に戻って一泊。
それから地上まで戻る。
S級ボス相手にそんなことが可能なのだろうか。
地下の「魔素酔い」に体を慣らすのに普通は二週間から一か月かけて攻略するのに。
たった二日。
「君にも戦ってもらう」
あの言葉の重みがゆっくりと現実味を帯びてきて喉が乾く。
ここの物価は高い。
不安を癒す飲み物は自分の唾液しかなかった。
しかし、仕事を任されたからにはきっちりやらねば。
二日分とはいえ食料調達を侮ってはいけない。
携帯性、保存性、栄養、味、価格――
このバザールの品目のように要素の数はきりがない。
冒険者の行動パターンを予想し、戦闘への活力を高める。
イメージすることが大切。
買い物は戦略である!と強く主張したい。
適当に食品を買えばよいというものでは決してない。
干し肉、ナッツ、乾燥果物あたりは栄養的に欠かせないので、これをベースに市場を物色する。
アレイスタは食事にほとんど拘らないからまだやりやすい。
なんなら一週間同じものでも構わない。
これがメルクだと――
メニューは毎食変えないといけない。
栄養バランスにもうるさい。
食後のお茶も、食事に合わせて揃えなければ
――
そうだ。
茶葉の店でメルクのお土産を買った。
甘くて刺激的な香りを小さな袋に詰めてもらう。
「王都で大人気のベルガモットで香りをつけた紅茶だよ」
店主がウインクして包みを渡した。
僕はそれをポケットに入れて大事にしまった。
*
バザールは迷宮以上の迷宮。
右に三度回ったはずなのに、元の場所ではなかった。
曲がり道が直角でない。
道が曲がっている。
どの通りも似たような店が並んでいるのがいけない。
そして、危険度も迷宮以上に危険。
賑やかな通りから一歩踏み入れると別世界になる。
怪しい粉、魔除けの人形、モンスターの骨。女性が立っているだけ。
――そういう店が増えてくる。
「ねえ、君」
その声で心臓がねじり上った。
「邪魔なんだけど」
慌てて飛びのく。
「すいません」
顔はフードで隠れていたから、自然に足元に目が行く。
サンダルから見える肌は小麦色。
「ダークエルフが珍しいかい?」
「い、いえ」
距離の詰め方がメルクに似ている気がした。
フードから覗く鋭い目線はアレイスタを思わせる。
「迷っているなら。ついてきなよ」
歩き出した彼女が、振り向きざまに声をかけた。
「面白いものを見せてあげるから」
今にして思えば不思議なのだけど、なぜか僕はその人について行ってしまった。
アレイスタとメルクを見出したからかもしれない。
その真相が分かるのは、もう少し後のことになる。
*
「ここだよ……気をつけてな」
確かに面白い店だった。
アレイスタ、ニーナ、メルクの顔が転写された小さな布が吊り下げられていた。
アレイスタの泣き顔まである。
値段は……三日分の食事代。
ダゲルの整った顔が脳裏に浮かんだ。
虫も殺さない温和な表情。
裏では密かにこんな闇市場を構築しているなんて。
アレイスタは彼を尊敬しているみたいなので心配になる。
アレイスタ、ニーナは知っているのだろうか?
あの日の帰りは結局、なぞなぞのような会話ではぐらかされて、アレイスタのことは何一つ分からなかった。
店の奥には綺麗な額縁がある。その中に黄色い服の少女――夢の中の少女。
「……!」
店主が視界に割り込んできて露骨に嫌な顔をされた。
店主に押し出されて路地に出る。
いつの間にか、あの女はいなくなっていた。
「うーん」
確かに写真の店は面白かった。
さっきの人は何が目的なんだ?
誰なんだ?
それよりも
――何か飲みたい。
そろそろ体の方が限界に近い。
喉が悲鳴を上げている。
謎はとりあえず置いておいて、とにかく帰らないと。
良かったのは場所が分かったことだ。
この通りの一本向こうがメインストリート。
噴水広場を抜ければギルドまでは目と鼻の先だ。
僕は一歩足を踏み出す。
その瞬間だった。
黒い塊みたいな刃が僕の頭の上に振り下ろされた。
激しい火花が散って、あのブロマイド屋が吹き飛ぶのが見えた。




