研究日誌12:メルクラボ
『【モニカ】を連れてきて』
玄関横の小さなテーブルの上に矢が一本。
メルクは矢に名前をつけている。
抱きしめて寝るくらいだ。
『入って』
真鍮のパイプからメルクの声。
ドアのベルを鳴らす前なのに。
なぜ分かるのだろう?
矢は、見た目以上にしなやかだった。
シャフトまで銀色の金属でできている。
触れると、僕の体の中から何か吸い出される様な感覚があった。
「いつもの実験室ですね」
『そう』
くぐもったメルクの声は、こころなしか楽しそうだった。
クエストの件、悩んでいたらここに来てしまった。
いつものように階段を下りる。
だんだんと空気が重くなって、砂漠の日常が僕から離れて行った。
メルクが実験室と呼んでいる部屋は、整理されているのに混沌としている。
半透明になったモンスターが入ったガラスの瓶の隣には、真鍮製の機械がカチカチと規則正しい音をたてている。
異国風のナイフが飾られているかと思えば、魔力水晶が紫色の光を発している。
「やあ」
ここに来ると、酸っぱい匂いや、甘くて重い臭いで、不思議に懐かしい気分になる。
『グアイヤコールのせい』とメルクは言うけれど、グアイヤコールが何なのかは教えてくれなかった。
「はい、これです」
「……なんともない?」
予想外の質問に少し、不安になった。
「不思議な感じですけど、軽いですね」
僕を見つめていたメルクがからんと笑った。
「お茶淹れる。座って」
「月餅を買ってきました、いっしょにどうです」
「うん」
テーブルの上のランプに火をつけて、お湯を沸かした。
円筒形のガラス容器に、メルクが丸い塊を投げ入れた。
「これはビーカー」
メルクは僕が知らない知識をよく教えてくれる。
こっちの細長い円柱は試験管、三角形はフラスコ。
「形は機能」
禅問答には慣れてきた。
疲れるから、いちいち反応しない。
「君が、魔法を使えない理由」
カップを並べながらメルクが続ける。
「今、分かった」
ビーカーの中で、赤色の花が咲いた。
****
甘い餡が疲れた頭に染み込んでいく感じがした。
「美味しい」
「ナッツの交易が再開したんです。コーヒーも入ってきたし、メルクさんのお陰ですよ」
とはいえ、クエストの件はメルクが原因でもある。
ままならない。
「それで、魔法が使えない理由って、なんですか?」
「想像して」
「はい」
「君が持ってきたお菓子の袋」
「これですね」
「砂を入れる」
「え、はい」
「持ち上げる」
「重いです」
「袋に穴を開ける」
「砂が落ちますね」
「それが原因」
メルクが淹れてくれたお茶を一口啜った。
「うわ、これ口の中で花が咲いたみたい」
「美味しいね。東の国の工芸茶」
「いや、全然分からないです」
「お茶?」
「そうじゃなくて」
メルクが残りの月餅を口に入れた。
「君は、穴が小さい」
僕はカップを置いて、顔を手で覆った。
「君は、魔力量が大きい。とんでもなくね。スライム戦で明らか」
「はあ」
「褒めてる」
「あ、ありがとうございます」
「魔法抵抗値も高い。だから、抵出力」
「ああ、だから穴が小さい。どうして分かったんですか?」
「【モニカ】」
さっきの矢だ。
そういえばアレイスタも矢に触れていたことを思い出していた。
「これは血鉄」
スライム戦の後プレゼントされた冊子にそんな記載があった。
「確か、魔力を通しやすいんでしたっけ」
「私の血鉄は、魔力を吸うし、与えもする」
だから吸われる感じだったんだ。
「普通の人が触れたら……」
「どうなるんですか?」
「死ぬ」
「へー。あ、お茶おかわりいります?」
「貰う」
ふー。
「え、死ぬんですか?!アレイスタさんは平気だったじゃないですか」
「アレは化物。精神力の」
「僕もさっき矢に触れましたけど」
「君も化物」
化物。
そう言われても悪い気はしなかった。
アレイスタと同じ、というところが、少し嬉しい。
「もし、死んだらどうするつもりだったんです?」
メルクは、隣のテーブルの上の液体を見ている。
「聞きたい?」
メルクの表情はいつもの禅問答のように曖昧。
だけど今は笑っている気がする。
「いえ、いいです。今度試す時は先に言ってください」
「善処」
****
そういえば、魔法体質の話になってしまったから言いそびれていた。
これだけは聞かないと。
カップを片付けながらメルクに話しかけた。
「そうだ、くるみ亭でおかしなことがあったんです……聞いてもらえますか?」
「うん」
魔法が回転して水になったことを、覚えている限り詳しく話した。
”白き矢“のことは黙っていた。
「興味深い。回転は右回り?それとも左回り?」
時折メルクの質問は突拍子もない。
水になったことよりも、回転。
それも回転の方向が気になるなんて。
でも、何かとても重要なことを見ている気がする。
「確か、マスターの眼帯の横を抜けていったから、右回り、だと思います」
身振り手振りであの時の様子を再現した。
「よく観ている」
「メルクさんたちの時も右回りだったと思います」
「どちらも、右回り。……それは面白い」
「面白いですか?いったい何が?」
「分からない」
「分からないのに、面白い?」
「分からないから、面白い」
メルクが両手を上げた。
「右回りがあるなら、左回りもある。はず」
右と左に合わせて、掌をくるくると回す。
「そうですね。でも、左回りは、見つかっていない」
「何かに似ている」
「……反雷ですか」
「話が早いね」
「じゃあ、左回りの雷が反雷?」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない」
「曖昧ですね」
「工学者は、見るまで、断定しない」
メルクが急に真面目な顔つきになった。
あ、これはいつものヤツだ。
周囲を警戒する。
絶対に何か来る。
「私からも、君に頼みたいことがある」
「な、なんです、改まって」
「工学にとって一番重要なのは、何?」
「また、なぞなぞですか?」
「真面目な話」
「そうですね、さっきメルクさんが言っていた、断定しないことですか?」
「そうだね、それも重要。けれど、同じように重要なこと」
「なんです?」
メルクが指をならした。
突然、椅子が唸りを上げる。
背もたれの歯車が回転。
座面の下から蒸気が吹き上がる。
変形する。
椅子の脚。
肘かけ。
何か来る、とは思っていたけれど。
いつも座っている椅子にこんな仕掛けが。
声を上げる間もなく、手と足が枷で拘束される。
「ちょっと、メルクさん!何するんです」
「スライム戦の再現実験」
「嘘でしょ」
「試す時は先に言えばいいって、言ったのは君」
「そういう意味じゃ――」
床板が抜けた。
僕は闇に落ちていった。




