研究日誌10:ギルドマスターの秘密
黒龍戦が終わってから、街の空気が変わった気がする。
くるみ亭の扉を開けたときに、静寂がひそひそ声に変わるのは同じだけど、最近はその中に「なんであいつが」という言葉が混じるようになった。
「おはよう、オーム。マスターが2階で待ってるわ。後でコーヒー持っていくわね」
ニーナに声をかけられ、僕は階段を上がった。
駆け出し以下の僕がギルドマスターの部屋に呼ばれるなんて、普通はありえないことだ。
「おう、入ってくれ」
ノックをすると、威勢のいい返事が返ってきた。
執務室は殺風景で飾り気がない。
ただ、部屋の奥に強烈な違和感。
ハートマークだらけの色鮮やかな祭壇。
これは……触れないでおこう。
「座ってくれ」
椅子が硬い。
テーブルには依頼票が置かれていた。
【テロメア遺跡の鎮圧任務】
「テロメア遺跡って、南の中継地ですよね?」
「そうだ。あそこの地下はまだ、魔物の掃討が済んでいない」
水場の重要性は人も魔物も同じ。
僕たち冒険者が存在している理由でもある。
「ダンジョンボスが最近代わったんだ」
「へー」
「へぇ、じゃない。お前のせいでもあるんだぞ、オーム」
「え?」
「お前たちが黒龍を追い払ったせいで、ここいらの魔物の生態系が変動している」
縦の連鎖と言うらしい。
要するに玉突き事故。
「新しい魔物は牛頭の怪物」
「喋りそうですね」
「ああ、喋る。おまけに闇魔法を使う」
闇魔法。
聖性から一番遠い冒涜の魔法。
「僕には無理ですよ」
「A級が三人死んでるんだ、そんなことは分かっている」
僕なら鼻息だけで死にそうだ。
「……メルクさんに頼んだら?」
ギルドマスターが溜息を一つ。
「あいつは自分のやりたいことしかしないからな」
それは分かる。
この仕事に《《ときめき》》はしなさそうだ。
それに、遺跡自体が壊れかねない。
「俺としてはな、アレイスタがいいと思うんだ」
ギルドマスターの声は変に上ずっていた。
「あいつ最近元気がないだろう? 気分転換になると思ってな」
ピクニックに行くみたいな言い方だ。
「お前、最近、アレイスタと仲がいいだろう、なぜだかは知らんが。説得してくれないか」
ギルドマスターの言葉に棘を感じる。
「でも、闇魔法を使うならS級レベルですよね。アレイスタさんじゃ勝てないんじゃないですか?」
巨大スライム戦の彼女や、最近泣いていた姿を思い出し、何気なくつぶやいた。
「ほう、なぜだ? 詳しく聞かせてくれ」
声のトーンが変わった。
数段低い。
雰囲気も。
踏み鳴らす足音も。
圧が高い。
仕方なく、巨大スライム戦の様子を話した。
一緒に過ごした夜の話
表情が消えた。
過呼吸の話
体が震えはじめた。
「俺は何年も見てきたのに、なぜ、お前なんだ……」
今なら分かる。
この敵意。
嫉妬
ギルドマスターが泣いている。
瞳の奥に「蒼炎」が燃えている。
次の瞬間には胸ぐらを掴まれ、椅子に押しつけられていた。
「あの報告書にあった少年はお前だな」
上から押さえつけられて息ができない。
理不尽だ。
でも、不思議だ。
巨大スライムの時も、黒龍の時も、怖かったけれど僕は冷静だった。
あの戦いの後、その時の様子を伝えたら、アレイスタとメルクは『それが君の才能』と言ってくれた。
そういう記録を君は残すべきだと。
今もそう。
理不尽なギルドマスターの怒りを僕は見ている。
ここで理不尽に押しつぶされるのは、認めてくれた二人への侮辱だ。
許せない。
ギルドマスターの魔力が僕の周りを旋回し始めた。
それは、どんどん速度を上げて上昇していく。
そして、ギルドマスターの頭上で、突如「水」になった。
アレイスタとメルクに会った時と似ている。
水が破裂した。
洗面器一杯分ほどの水が降り注いだ。
ギルドマスターの瞳の炎は鎮火した。
僕は状況を理解できないで、ギルドマスターと組み合ったまま。
「何が起きている……お前の魔法は雷じゃなかったのか?」
その時、部屋の扉が開いた。
「コーヒー持ってきたよー。……あ、ごゆっくり」
ニーナがウインクして、静かに扉を閉めるのが見えた。
コーヒーの香りで脳が覚醒していく。
「……すまなかったな」
ギルドマスターは濡れた髪をかきあげながら、あの異様な祭壇に近づいていった。
深々と一礼。
祭壇から何かを取り出して、テーブルにそれを丁寧に広げる
笑っているアレイスタ。
ダゲルが隠し撮りした写真だ。
「オーム。俺はな、アレイスタファン連合のNo.2なんだ」
僕は黙ってコーヒーを啜った。
それは、ひどく苦かった。
ギルドマスターはアレイスタとの出会いを、語り始めた。
研究日誌補足【Confidential この情報は3人に秘密にすること!】
街には3つの大きな闇組織が確認された。
ひまわり会:ニーナをアイドルとして崇める若手中心の最大勢力。
水連:水魔道士アレイスタのファン連合。ギルドのベテランや街の有力者が多い。
白き矢:メルク信奉者。数は少ないが極めて熱狂的。
ダゲルが「写真」を持ちこんだことで、取引市場が形成されている。
「写真」自体がレアなこともあり、市場価格は高騰中。
アレイスタの幼少期とされる黄色い服の少女の写真は翼竜1頭分と言われている。




