164 残り19日 勇者、地下帝国に侵入する
自分の身の丈の倍ほどもある大きな背負い袋を担いだクモコを連れ、勇者アキヒコは地下帝国の入り口の階段を下った。
「……ひどい匂いね。何もないみたいだけど、何が臭うのかしら?」
アキヒコが先導し、毒ドワーフのギンタ、魔術師ペコ、クモコと続く。ペコが鼻をつまんでいた。
「綺麗になった。以前は……人間たちが汚物を捨てた」
クモコの言葉に、アキヒコも階段を下りながら見回す。
「地下帝国が滅びたから……ゴミ捨て場に使っていたってことか。酷いことをするんだな」
「やったのは人間じゃぞ」
ギンタが唇を尖らせる。ギンタにとっても、地下帝国は故郷であるはずだ。強大な魔物に滅ぼされた地下帝国は、大きな空間があるからという理由で、人間にゴミを投げ入れられていた。
「……そうだな。ゴミは片付いても、臭いまではとれないか。どのぐらいのゴミがあったかわからないが……どのぐらいだったんだ?」
「あのぐらい」
クモコが壁を指差した。階段は横幅も広い。クモコが指差した壁には、5メートルほどの高い天井に到る1メートルほど下まで、汚れが付着していた。
「……ここにあったゴミは、どうなったんだ?」
「動かした」
アキヒコの問いに、クモコが答える。要領を得ない答えだが、詳細を知らないのだろうと、アキヒコは追求しなかった。
長い階段を下り、もっとも臭いがきつくなった場所で、アキヒコたちは地下帝国の住人たちに出迎えられた。
「人間2人に、ドワーフに……魔王様?」
全身がぬめぬめと光り、汗を粘膜として滴らせた奇妙な生物が取り囲んだ。
にちゃにちゃと話し、クモコの姿に驚愕した。
「魔王様じゃない。魔王様が……人間に使われているはずがない。もし魔王様なら……女王を呼べ」
ざわざわと騒ぎ、何人かが人が走り出した。
統率が取れているようで、あまりとれてはいないようだ。クモコの正体を確認もせず、走り出し、互いにけん制して殴り合っているのだから。
「ギンタ、こいつらは何? 気持ち悪いわ」
「知らん。わしがいた頃には、居なかった連中じゃ」
「魚になろうとしている人間か、人間になろうとしている魚にみえるな……女王というのは何だ?」
背後の会話を耳に挟み、アキヒコが尋ねた。
「わしが知る女王はラミアじゃ。長命な種族じゃが、化け物に滅ぼされた国でご健在かはわからん。こいつらの王なら……別の種族かもしれん」
水棲に見える者たちは、次第に数を増やしていった。無目的に争っているようにも、互いにふざけあっているようにも見える。
「強行突破するか?」
「待ってアキヒコ。地下帝国の支配が、魔の山まで続いているなら、敵に回すとずっと逃げ続けることになるわ。むしろ、いい機会かもしれないわよ」
魔術師ペコに考えがあるようだ。
アキヒコが振り返ると、ペコはクモコを指差した。
「わかった。強行突破は最後の手段だ」
アキヒコの視線の先で、クモコが水棲に見える者たちにかしづかれていた。
「ペコ、こいつらがクモコを魔王だと思っているのなら、魔王だとしておこう」
「それも良いけど、ばれたら大変よ」
「僕たちは知らなかった。だから、荷物を持たせていた。魔王の意図なんか、誰にもわからない。と思うけどな」
「そうね……」
ペコが同意したとき、多くの取り巻きと共に、人間の倍はあろうかという立派なラミアが現れた。
頭部に王冠を載せている。
「ギンタ、あれが?」
「女王陛下じゃ」
ギンタは、明らかに見覚えがあるようだった。
女王ラミアの登場に、ギンタが慌ててかしづく。
だが、ラミアはギンタに目もくれず、アキヒコとペコを素通りし、クモコの前で自らがひれ伏した。
「魔王様、ようこそおいでいただきました。この者たちの報告を受けた時はもしやと思いましたが……地下帝国の復興への度重なるご援助、改めてお礼申し上げます」
「……うん」
「クモコ、他に言うことはないの?」
ひれ伏す女王を前に、明らかにペコが慌てていた。
ラミアに耳打ちする犬の頭をした小柄な魔物、コボウルトがいた。女王の目が、クモコとアキヒコたちに向かう。
「魔王様……この者たちは、魔王様を虐げてきたのでございますか?」
「違う。クモコ……この子は仲間だ。魔王だなんて……僕たちは知らなかったし……君は、魔王なのか?」
アキヒコは嘘をついた。魔王ではないことは知っている。だが、地下帝国は魔物と亜人の国だ。クモコが魔王として通用するなら、その方がいいとペコとも打ち合わせをしたところだった。
「……そうなの?」
クモコが首を傾げる。ラミアが鼻をひくつかせた。
「……間違いはないようですね。この臭い……このお方は魔王様です。どのような事情があるかわかりませんが……まずは我が城へ。魔王様は城にこだわりがあると……魔王様の配下の者たちが真っ先に修繕してくれました」
ラミアが上機嫌で告げた。アキヒコたちに視線を向ける。
「さて……この者たちは……」
「一緒でいい」
クモコの言葉が、これほど有難いことはなかった。
「魔王様は、美味しいお菓子作りのために地方を訪問しているのです。ですよね、魔王様」
ペコがぎこちなく笑いかけた。
「……そうなの?」
「そうじゃ」
再び尋ねたクモコに、ギンタが力強く返した。
「そうなの」
「ああ……では魔王様が背負っていらっしゃるのは、お菓子作りの道具なのですね。この者たちには任せられないと……それでしたら、私の配下を使わせましょう」
「魔王様のお役に立てるのは私たちしかいないと、人間たちの町で特に選んでくださったのです。他の者たちでは、魔王様の望む働きはできません」
「……魔王様、この人間の女がおかしなことを申しておりますが……」
「本当じゃ。魔王様がお作りになるのは、ただのお菓子ではなくスイーツというそうじゃ。女王陛下……かつてわしは、あなたの臣下じゃった。こうして、今は魔王様にお仕えしておる。わしを信用してくだされ」
ラミアの視線がギンタに注がれる。ギンタは緊張して、大量の汗を流していた。ラミアは頷いた。
「ドワーフ族の言うことなら、多少は信じてもいいでしょう。しかし……本当に人間なんかが役に立つのというのであれば、証明して……もらってよろしいですか?」
最後に魔王と認識しているクモコへの配慮が働いたラミアは、クモコにだけ媚びへつらった笑いを向けた。
「いいよ」
「ありがとうございます。では……魔王様と供回りの者たちを、我が城に」
「……だってさ」
水棲の種族たちが、つまらなそうに散っていく。
アキヒコたちを食べられるとでも期待したのだろうか。ラミアが先導し、アキヒコたちは監視の中、地下帝国の城に向かった。
道中、クモコの背負っていた巨大な袋だけは、ギンタに背負わされた。




