163 残り20日 魔王、通信玉をばらまく
闇に閉ざされた室内で、魔王ハルヒは棺の蓋を開けた。
ハルヒ自身が召喚し、その半身を焼き尽くしてしまった吸血鬼の王が、完全な形で横たわっていた。
「もう日は出ていないわ。いい加減起きなさい」
吸血鬼の王の瞼が、ゆっくりと上がる。
眼球が動き、魔王ハルヒの姿を捉えた。
静かにハルヒを見つめ、唐突に起き上がった。
「これは魔王様! この度は、我輩のような不詳の魔物をおよび頂けたこと、望外の喜びでございます」
棺の中で器用にひれ伏した。
「吸血鬼の王子……いえ、もう王子という姿ではないわね。吸血鬼の王……ようやく元の姿に戻ったのね」
かつて、ハルヒは自分の体を無数のコウモリに変化させられるという特殊な能力を評価し、吸血鬼の王を召喚した。
地下洞窟に巣喰い、魔王であるハルヒに従わなかったトロルたちをまとめて、太陽光を発する魔道具で滅ぼした。
だが、吸血鬼の王にとっても太陽光は致命的な弱点だったため、体の半分を失い、王ではなく王子と呼ばれていたのだ。
「はい。魔王様にお許しを頂き、地下帝国の復興に尽力しておりました。この体に戻れたのは……地下帝国に投げ落とされた人間たちの栄養をいただいたからでございます」
「……地下帝国に人間がいるの? 地下帝国は、魔物と亜人だけの国のはずだけど」
ハルヒは首を傾げた。ラーファの町の亜人たちは、ほとんどが100年前に地下帝国から逃げ出してきた者たちの子孫だ。人間によって奴隷として扱われており、ハルヒは全員を地下帝国に送り込むよう命じていた。
「人間の社会に馴染めなかった者たちが、あえて地下帝国に移住する場合もあり……また、罪人や口減らしにより投げ落とされる者もいるようです」
「……そう。まあ、人間だもの。そういうこともあるわよね。完全な姿に戻ったのはありがたいわ。あなたを呼んだのは、また力を貸して欲しいからなの」
ハルヒは言うと、作っておいた大量の水晶玉をテーブルに並べた。
「……ひっ……」
かつて、大量のコウモリに変じ、水晶玉を運び、結果として体の半分を失った吸血鬼の王が悲鳴を漏らした。
「大丈夫よ。今度のは光ったりしない。これと……全て同じ魔法陣が刻んである」
ハルヒは言いながら、水晶玉の一つを吸血鬼の王に渡す。自らは別の一つを取り上げ、水晶玉に向かって囁いた。
「私よ。聞こえる?」
吸血鬼の王は、与えられた水晶玉を凝視した。
「……通信玉ですか?」
「ええ。そう。吸血鬼の王……コウモリになって、ここから魔の山まで、どのぐらいで飛べる?」
「夜しか飛べませんが……一晩あれば辿り着けます。ただし、戻ることは難しいので、我輩の分体がうまく昼間をやり過ごす必要はありますが」
「結構よ。では……これから言う場所に運んで」
「承知しました」
「地下帝国のラミア、カバデールのテガ、スモモ、チェリー、ザラメ山地東にいるドリアドとエルフ、ザラ山地南側の平原にいる生と死の支配者とネクロマンサー、魔の山から地下を通ってラーファに向かっている、赤鬼族のノエル、山ガエルの王ジャバ、魔の山に住むハーピー、暗闇に住むヤモリ一族……」
ハルヒは、自分が掌握している勢力を上げていく。
吸血鬼の王は全てを理解し、記憶したのか、小さく頷いた。
「全てを配達に使う必要はないわ。一頭、分体を私のそばに置いておいて。全てのコウモリが目的地に着いたかどうか、私のそばにいる分体にわかるかしら?」
「分体である眷属とは知覚を共有できますので、個別に行動を制御するのも容易いことです」
「なら、頼むわね。吸血鬼の王、あなたの合図で、この世界は魔物が統べる世界に変わるわ」
「光栄でございます、魔王様」
吸血鬼の王の姿が崩れた。
無数のコウモリに変化する。
コウモリは飛び立たず、ハルヒの手から、一つずつ水晶玉を足に持たせてもらい、しっかりと掴んでいることを確認した。
全ての水晶玉をコウモリに握らせると、ハルヒは窓の板を外した。
月が煌々と照った、涼やかな日だった。
コウモリが闇夜に飛び立つ。
魔王ハルヒはコウモリの大軍を見送った。
「魔王様……コウモリの姿でなくてもよろしいでしょうか?」
先程まで大量の水晶玉が置いてあったテーブルの上に、分体であるコウモリを飛ばし切った残骸が残っていた。
手のひらに乗るサイズの人間である。
「あら……可愛くなったわね。サキエル……いるわね?」
「私が魔王様のお側にいない時がありましょうか」
ハルヒが囁いただけで、扉をあけて颯爽と堕天使サキエルが入ってくる。
「ストーカーみたいね……まあ、いいわ。あなた、ドワーフが作ったガラクタを集めていたわね」
「ドワーフは、武器だけを作るにあらず……とは、魔王様のお考えでは?」
「ええ。その通りね」
ドワーフの鍛治職人に、殆どの者が武器や防具を作って欲しいと希望する。
だが、ハルヒはドワーフの工芸品に魔法陣を刻んで便利に使いたいのだ。そのためには、武器や防具では大きすぎるし、使い勝手が悪い。
日用品を多く作るよう指示してもいた。
「この子が入れるサイズの入れものはない?」
「ございます。正直言いますと……用途がわからない箱がございます」
堕天使サキエルが取り出したのは、滑らかに蓋がスライドする長方形の箱だった。ハルヒには、ペンケースに見えた。
「いいわね。ペンケースの吸血鬼……あなたのうちは、しばらくここよ」
「ほう……羨ましい」
「羨ましいか?」
小さくなった吸血鬼は、朝に備えてペンケースに入りながら、サキエルを見上げる。不満そうでもないが、吸血鬼を羨んだ堕天使の言葉は理解できなかったようだ。
「魔王様にご報告の義務があるのだ。しばらく、吸血鬼殿のベッドを、魔王様が身につけられるということだよ」
「……なるほど」
「なんだか……納得されると気恥しいわね……」
ハルヒは、魔物たちに好かれるのだ。




