アルバイト
「ただいまー」
「ただいまじゃ」
家に帰ると、キッチンからママが顔を出した。
「おかえりなさい。あら?」
ママの視線がかぐやで止まる。
「かぐやちゃん、髪切ったの?」
「うむ」
「可愛いじゃない!」
「そうか?」
「すごく似合ってるわよ。それにお洋服も!」
かぐやは嬉しそうに、両手に持った買い物袋を持ち上げた。
「月に買ってもらったのじゃ」
「そうなの?」
「……私のお小遣いでね」
「あらあら」
笑ってる場合じゃない。
今月のお小遣いは、ほぼ消えた。
「ただいま」
リビングから大地がやってきた。
「おかえ――」
止まった。
「何?」
「…………」
大地はかぐやを見たまま動かない。
肩までになった黒髪。
姫カット。
今日買ったばかりの服。
「大地?」
「…………」
「どうしたの?」
「な、なんでもない!」
顔を真っ赤にして逃げていった。
「何なの、あいつ」
「腹でも痛いのかの?」
「知らない」
◇
「さて」
私は腕まくりをした。
「次はお風呂!」
「風呂?」
「昨日はバタバタしてたからちゃんと教えてなかったけど、今日は髪も洗うからね」
「髪を?」
「そう」
かぐやを浴室へ連れていく。
蛇口。
シャワー。
シャンプー。
ボディソープ。
一通り説明したけど、かぐやは途中からほとんど聞いていなかった。
「月」
「何?」
「ここから湯が出るぞ」
「シャワーだからね」
「便利じゃのう」
「はいはい。座って」
「なぜじゃ?」
「髪洗うから」
かぐやを椅子に座らせ、シャワーで髪を濡らす。
「目、閉じててよ」
「分かっておる」
シャンプーを泡立てる。
短くなったとはいえ、かぐやの髪は多い。
「すごい髪だね。めちゃくちゃ綺麗」
「そうか?」
「千年前も自分で洗ってたの?」
「人に洗わせることもあったの」
「お姫様だなぁ」
「かぐや姫じゃからな」
「はいはい」
泡を流そうとした、その時。
「っ!」
かぐやの身体が跳ねた。
「どうしたの?」
「月!」
「何!?」
「痛い!」
「どこ!?」
「目じゃ! 目が痛い!」
「シャンプー入ったの!?」
「痛いぞ!」
「だから目閉じてって言ったじゃん!」
「閉じておった!」
「じゃあなんで入るのよ!」
「わしが知るか!」
慌ててシャワーで洗い流す。
かぐやは目を押さえたまま、完全に涙目になっている。
「……そんなに痛い?」
「痛い!」
即答だった。
普段は何があっても平然としてるくせに。
「髪は勝手に短くできるのに、シャンプーはダメなんだ」
「それとこれとは別じゃ!」
「ちょっと待ってて」
「どこへ行く!」
「いいもの持ってくるから!」
私は浴室を飛び出した。
確か、まだあったはず。
洗面台の収納を探す。
「あった!」
数分後。
「何じゃ、それは」
「秘密兵器」
私が持ってきたのは、昔、大地が使っていたシャンプーハットだった。
「これを頭につけます」
「…………」
「何、その顔」
「わしを馬鹿にしておらぬか?」
「してないって」
「子供が使うものではないのか?」
「知らないくせになんで分かるのよ!」
「形を見れば分かる!」
「いいから!」
かぐやの頭に装着する。
「…………」
「似合うじゃん」
「笑ったな?」
「笑ってない」
「笑っておる!」
「ほら、流すよ!」
シャワーをかける。
泡が流れていく。
シャンプーハットに沿って、お湯が顔の横へ落ちる。
かぐやが恐る恐る目を開けた。
「……!」
「どう?」
「目に入らぬ!」
「でしょ?」
「これは……」
かぐやはシャンプーハットを触った。
「素晴らしい発明じゃ!」
「そこまで!?」
超感動している。
「月」
「何?」
「これは、わしのものにしてよいか?」
「気に入ったの!?」
「うむ。これは必要じゃ」
「好きにすれば……」
こうして我が家の浴室に、かぐや専用のシャンプーハットが誕生した。
◇
お風呂から上がると、夕飯ができていた。
今日のメニューはハンバーグ。
「いただきます」
「いただきますじゃ」
かぐやも、もう自然に手を合わせている。
一口食べる。
「うまい!」
「よかったわ」
ママが嬉しそうに笑う。
かぐやはすっかり我が家に馴染んでいた。
私はハンバーグを食べながら、今日一日のことを思い返す。
そして。
思い出してはいけないものを思い出した。
財布。
「…………」
「どうしたの、月ちゃん?」
「ママ」
「なあに?」
「お小遣いちょうだい」
「この前あげたでしょ?」
「なくなった」
ママの箸が止まった。
「月ちゃん?」
「違うの! 無駄遣いじゃないから!」
「じゃあ何に使ったの?」
「かぐやの服とか、靴とか、下着とか……」
「あら」
「必要だったでしょ?」
「そうね」
「じゃあ!」
「でも、お小遣いは来月ね」
「なんで!?」
「お小遣いはお小遣いだから」
「そんなぁ!」
ママは優しい。
かなり優しい。
でも、こういうところは妙にしっかりしている。
「今月もう買い食いもできないんだよ!」
「あら、健康的でいいじゃない」
「高校生の楽しみが!」
「買い食い?」
かぐやが反応する。
「学校帰りにアイスとかクレープとか食べるの!」
「くれーぷ」
「だから食いつくなって!」
すると、それまで黙って食事をしていたパパが口を開いた。
「月」
「何?」
「アルバイトするか?」
「する!」
即答した。
「まだ内容を言ってないぞ」
「お金もらえるならする!」
「月ちゃん……」
ママが呆れている。
パパは笑った。
「ちょうど仕事で、女子高校生についてのマーケティング調査をすることになってね」
「マーケティング?」
「大手の衣料メーカーから頼まれた簡単なアンケートだよ。学校の友達に書いてもらってくれないか?」
「それでお金もらえるの?」
「一件百円でどうだ?」
「百円!?」
私は即座に計算した。
「クラスで十五人に書いてもらえば千五百円!」
「そうなるね」
「やる!」
楽勝だ。
休み時間にお願いすればいい。
「ちょっとあなた」
ママがパパを見る。
「何人までいいの?」
「何人でもいいよ」
「月ちゃんの学校の女子生徒、全部に聞いたら三万円くらいにならない?」
「三万円!?」
私は食いついた。
「パパ! 本当に何人でもいいの!?」
「いいよ、いいよ。全部書いてもらえるなら、こっちも助かるから」
「あなた、月ちゃんに甘すぎない?」
「仕事なんだからいいじゃないか」
「よーし!」
私は拳を握った。
明日から頑張る。
目標三万円!
「月」
「何?」
かぐやがアンケート用紙を覗き込んでいた。
「女子高校生とは何じゃ?」
「そこから?」
「定義が分からぬ」
「定義って……」
私は少し考える。
「十五歳から十八歳くらいで、学校に通ってる女の子かな」
「十五から十八歳」
「うん」
「学校に通っておる女子」
「そうそう」
「なるほど」
かぐやは頷いた。
それ以上は何も聞かなかった。
◇
夕食後。
私は自分の部屋でアンケート用紙を眺めていた。
「まずクラスで十五人……」
千五百円。
他のクラスにも行けば三千円。
頑張れば五千円くらいはいけるかもしれない。
「ふふふ……」
「月」
「何?」
振り返る。
かぐやが私のパソコンの前に座っていた。
「これを借りるぞ」
「パソコン?」
「うむ」
「いいけど、変なところ触らないでよ」
「承知した」
画面を覗く。
何かをしているようだけど、よく分からない。
まあ、かぐやなら壊したりはしないだろう。
それより明日だ。
「よーし!」
私はアンケート用紙を掲げた。
「明日、頑張って稼ぐぞー!」
◇
翌朝。
「ふぁぁ……」
着替えを済ませて部屋を出る。
「月」
「ん?」
振り返った。
「…………」
かぐやが立っていた。
昨日買ったばかりの服。
肩までの姫カット。
そして頭には。
シャンプーハット。
「…………」
「どうした?」
「何してんの?」
「学校へ行くのじゃろう?」
「それは見れば分かる」
「では参ろう」
「待って待って待って!」
玄関へ向かうかぐやを慌てて捕まえた。
「それ!」
「何じゃ?」
「頭!」
かぐやがシャンプーハットに触れる。
「これか?」
「なんでつけてるの!?」
「気に入ったからじゃ」
「それ、お風呂で使うものだから!」
「知っておる」
「じゃあなんで学校につけてくのよ!」
「気に入ったからじゃ」
「答えになってない!」
取り上げようとすると、かぐやが一歩下がった。
「嫌じゃ」
「嫌じゃ、じゃない!」
「これはわしのものじゃ」
「昨日あげたけど! そういう意味であげたんじゃない!」
かぐやは不満そうにシャンプーハットを押さえている。
「似合わぬか?」
「そういう問題じゃないの!」
「便利じゃぞ?」
「学校でシャンプーしないでしょ!」
「雨が降るやもしれぬ」
「傘使って!」
数分後。
なんとかシャンプーハットを取り上げることに成功した。
「帰ったら返すから」
「必ずじゃぞ」
「そんなに大事なの!?」
私はシャンプーハットを机の上に置いた。
「まったく……」
朝から疲れた。
学校へ行く前に、メールでも確認しておこう。
パソコンを開く。
「…………」
閉じる。
もう一度開く。
「…………」
目をこする。
未読メール。
三百二万七千四百六十一件。
「…………は?」
数字を見つめる。
三百五万。
三百十万。
三百二十万。
今この瞬間にも、ものすごい勢いで増えている。
「なにこれぇぇぇぇぇ!?」
椅子から飛び上がった。
「かぐや!」
返事がない。
「かぐやぁぁぁ!」
「朝から騒々しいの」
眠そうな顔をしたかぐやが入ってきた。
「これ!」
「何じゃ?」
「これ何!?」
私は画面を指差した。
未読メールは、すでに三百五十万件を突破している。
かぐやは画面を見た。
「ああ。それか」
「ああ、それかじゃない!」
「昨日のアンケートの返信じゃ」
「……アンケート?」
「うむ」
「誰に送ったの?」
「女子高校生じゃ」
「何人に!?」
「知らぬ」
「知らぬ!?」
「数えておらぬからの」
三百七十万。
三百八十万。
三百九十万。
「もう四百万になりそうなんだけど!」
「そうか」
「そうかじゃない!」
私はかぐやの肩を掴んだ。
「誰に送ったの!?」
「じゃから、女子高校生じゃ」
「どこの!」
かぐやは不思議そうに小首を傾げた。
「この世の」
「…………は?」
「月が言うたではないか。十五から十八歳で、学校に通っておる女子じゃと」
「言ったけど!」
「ゆえに、その条件に該当する者すべてに送った」
「すべてって……」
「この世におる女子高校生、全部じゃ」
四百万。
突破。
数字はまだ増え続けている。
「…………」
「どうした、月?」
私は大きく息を吸った。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
門脇家の朝に、私の絶叫が響き渡った。




