かぐやの冒険
[ ]内は英語での会話となっております。
「……かぐや、私、ちょっと無理かも」
昼休みを前にして、月は机に突っ伏していた。
「どうしたのじゃ、月?」
「頭が痛いし、寒気もするし……」
かぐやが月の額に手を当てる。
「ふむ。熱があるようじゃの」
「やっぱり? 朝からちょっと変だったんだよね……」
保健室で体温を測ると、三十八度を超えていた。
学校から連絡を受けたママが迎えに来ることになり、かぐやも一緒に早退した。
帰宅した月は薬を飲み、リビングのソファで横になった。
「月ちゃん、何か食べられそう?」
「……今はいい。ちょっと寝る」
「そうね。ゆっくり休んでね」
ママが毛布を掛けたところで、電話が鳴った。
「あら、パパからだわ」
ママが電話に出る。
「もしもし? どうしたの?」
しばらく話を聞いていたママの表情が、少し困ったものに変わった。
「ええっ? 今日なの? ……でも、今からお客様がいらっしゃるのよ」
電話を切ったママは、ため息をついた。
「困ったわねぇ」
「何かあったのかえ?」
「パパがね、大事な忘れ物をしたんですって」
忘れ物は博多人形だった。
アメリカ本社から来日していた重役が今日帰国するため、日本のお土産として用意していたものだという。
「会社まで届けてほしいそうなんだけど……月ちゃんはこんな状態だし、大地もまだ帰ってこないし」
「ママが行けばよいではないか」
「もうすぐお客様がいらっしゃるのよ。どうしましょう……」
すると、かぐやが胸を張った。
「ならば、わしが届けよう!」
「えっ? かぐやちゃん、一人で?」
「うむ! パパ殿の会社なら知っておるぞ」
先日、月と一緒にパパの会社へ行ったばかりだ。
そのときの道順は、かぐやの頭の中に完全に記録されていた。
「でも、一人で行くのは心配だわ」
「案ずるでない。道は覚えておる」
「それじゃ、タクシーで行ってね。会社に着いたらパパにお金を払ってもらいましょう」
「たくしー?」
「道路を走っている車よ。屋根にランプが付いているから、すぐわかるわ」
「ふむ。承知した!」
ママは綺麗に包装された箱をかぐやに渡した。
「割れ物だから、気をつけてね」
「うむ! 必ず届けてみせよう!」
こうして、かぐやの初めての一人旅が始まった。
本人にとっては、ほんの少しのお使いのつもりだった。
⸻
マンションを出たかぐやは、道路を行き交う車を眺めた。
「さて……たくしーとは、どれじゃ?」
しばらく観察していると、屋根に小さな表示灯の付いた車が近づいてきた。
「おお! あれじゃな!」
かぐやは手を上げた。
車が停車し、後部座席のドアが開く。
「お嬢ちゃん、どちらまで?」
運転手は白髪交じりの年配の男性だった。
「パパ殿の会社じゃ!」
「……会社? 名前は?」
「知らぬ!」
「住所は?」
「知らぬ!」
運転手は困った顔をした。
「それじゃ、行き先がわからないよ」
「案ずるでない。場所はわかっておる!」
「ほう?」
かぐやは、パパの会社がある場所の緯度と経度を、すらすらと告げた。
「…………」
「どうじゃ?」
「……ちょっと待ってくれるかい?」
運転手はカーナビを操作し始めた。
しかし、普段は住所や施設名で目的地を検索しているため、緯度経度の入力方法がわからない。
「おかしいな……どこから入れるんだ、これ」
「そこにある機械は、場所を示すものではないのかえ?」
「そうなんだけどねぇ……」
数分後。
「お嬢ちゃん、悪いけど、会社の名前を調べてから乗ってくれるかな」
「ふむ。ならば仕方あるまい」
かぐやは素直に車を降りた。
運転手は最後に尋ねた。
「ところで、お金は持ってるのかい?」
「銭か? 一文も持っておらぬぞ!」
「……そうかい」
タクシーは静かに走り去っていった。
「ふむ。便利そうな乗り物じゃったが、なかなか難しいのう」
かぐやは少し考えた。
目的地までの道順は、すべて覚えている。
ならば、歩けばよい。
「よし! 参ろう!」
かぐやは博多人形の箱を大切に抱え、元気よく歩き出した。
⸻
しばらく歩いていると、小さな男の子が道端で泣いていた。
「うわああん! ママぁ!」
「どうしたのじゃ?」
「ママが……いなくなっちゃった……」
「ふむ。迷子というやつじゃな。案ずるでない!」
かぐやは男の子を近くの交番まで連れていった。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「うむ! もう母御の手を離してはならぬぞ!」
男の子に手を振り、再び歩き出す。
次に出会ったのは、道端のベンチに座り込んでいるおばあさんだった。
「……はぁ、はぁ……」
「どうしたのじゃ?」
「ちょっと……気分が悪くてねぇ……」
「これはいかん!」
かぐやは近くの通行人に助けを求め、救急車が来るまでおばあさんに付き添った。
「ありがとうね、お嬢ちゃん」
「礼には及ばぬ!」
救急車を見送り、再び歩き出す。
ところが。
「ねえねえ、そこの子!」
今度は若い男たちに声をかけられた。
「めっちゃ可愛いね! 一人?」
「うむ! 一人じゃ!」
「よかったら俺たちと遊ばない?」
「遊ぶ?」
「美味しいものでも食べに行こうよ!」
かぐやの目が輝いた。
「美味いものとな!?」
「そうそう! 焼肉とか!」
「焼肉!」
思わず身を乗り出したかぐやだったが、腕の中の箱を見て踏みとどまった。
「……いや、ならぬ!」
「え?」
「わしは今、大事なお使いの途中なのじゃ!」
「そんなの後でいいじゃん」
「ならぬ! 頼まれたことは果たさねばならぬ!」
かぐやはきっぱりと言い放つと、足早に立ち去った。
「……何だったんだ、あの子」
「いや、めちゃくちゃ可愛かったな……」
一方、かぐやは少しだけ残念そうだった。
「焼肉……惜しかったのう」
⸻
やがて、高いビルが並ぶ街にたどり着いた。
「おお! 見覚えがあるぞ!」
目的地はもうすぐだった。
ところが。
「……む?」
どこからともなく、食欲をそそる香りが漂ってきた。
香ばしい肉の匂い。
温かな米の匂い。
かぐやのお腹が盛大に鳴った。
「ぐうううう……」
匂いのする方を見ると、ビルの前に小さな車が停まっていた。
車の側面には大きく料理の写真が描かれ、窓から食べ物が売られている。
「なんじゃ、あれは!」
近づいてみると、色鮮やかな料理が並んでいた。
白いご飯の上に肉、野菜、チーズ。
「……うまそうじゃ」
かぐやはじっと見つめた。
「お嬢ちゃん、食べる?」
店員が笑顔で声をかける。
「うむ! 食べたいぞ!」
「一つでいい?」
「……む」
かぐやは思い出した。
自分には一文もない。
「……銭がないのじゃ」
「あら、そうなの?」
「残念じゃが、また参ろう」
かぐやは名残惜しそうに車を振り返った。
そして、目の前のビルを見上げる。
「さて、パパ殿のところへ行くかの!」
⸻
「かぐやちゃん!?」
会社の受付に現れた少女を見て、パパは目を丸くした。
「本当に一人で来たのかい?」
「うむ! 約束の品じゃ!」
かぐやは大切に抱えていた箱を差し出した。
「ありがとう! 本当に助かったよ!」
パパは箱を受け取ると、ほっと胸を撫で下ろした。
「タクシーはすぐ捕まった?」
「うむ! 乗ったぞ!」
「そうか、よかった」
「じゃが、すぐに降ろされた!」
「……え?」
「それから歩いてきたのじゃ!」
「……歩いて!?」
パパは思わず声を上げた。
「大変だったろう?」
「うむ! いろいろあって面白かったぞ!」
「……いろいろ?」
詳しく聞こうとしたところで、背後から声がした。
「[何かあったのかい?]」
振り返ると、背の高い外国人の男性が立っていた。
アメリカ本社から来日していた重役だった。
「[申し訳ありません。こちらの子が、私の忘れ物を届けてくれたんです]」
「[そうだったのか。ずいぶん可愛らしいお嬢さんだね]」
男性はかぐやに微笑みかけた。
「[こんにちは。君の名前は?]」
「[かぐやじゃ。よろしく頼むぞ]」
「…………」
パパが固まった。
「[素晴らしい英語だね! 海外に住んでいたことがあるのかい?]」
「[ないぞ。わしはずっと日本におる]」
発音は驚くほど自然だった。
パパが何か言おうとした、そのとき。
「む?」
かぐやの視線が、パパの机に向いた。
開いたノートパソコンの画面に、いくつものグラフと数字が並んでいる。
それは、機密情報を含まない説明用の比較資料だった。
「[パパ殿、これは何を比べておるのじゃ?]」
「[え? ああ、二つの投資商品の運用成績を比較しているんだよ]」
「[ふむ……]」
かぐやは画面を覗き込んだ。
「[これでは違いがわかりにくいのう]」
「[そうかい?]」
「[この対比をするなら、こちらの方が見やすかろう]」
そう言うと、かぐやはパソコンに手を伸ばした。
カタカタカタッ!
「[ちょ、ちょっと、かぐやちゃん!?]」
パパが止める間もなく、かぐやの指がキーボードの上を滑る。
グラフが消え、別のグラフが現れた。
数字の並びが整理され、二つの商品の違いが一目でわかるようになる。
「[ほう……]」
重役が画面を覗き込んだ。
「[これは見やすいね]」
「[うむ。ついでに、ここの計算も間違っておったから直しておいたぞ]」
「[……え?]」
パパの顔が引きつった。
「[間違い?]」
「[うむ。この数値を使うなら、こちらの計算式でなければ合わぬじゃろう]」
パパは慌てて画面を確認した。
そして、別の資料と照らし合わせる。
「[……本当だ]」
担当者が作成した比較資料で、集計期間が一か所だけずれていたのだ。
「[どういうことだい?]」
重役が身を乗り出した。
「[集計に使っている期間が、一か所だけ違っていたんです。彼女がそれを見つけて……修正しました]」
「[なんだって?]」
重役は、かぐやを見つめた。
「[君は金融を勉強しているのかい?]」
「[きんゆう? 何じゃ、それは?]」
「[……知らないのかい?]」
「[うむ。じゃが、数字が間違っておるのはわかるぞ]」
重役はしばらく黙っていた。
そして、突然笑い出した。
「[素晴らしい! 実に素晴らしい!]」
パパは額に手を当てた。
……この子、いったい何者なんだ?
そのとき。
ぐううううう。
静かな部屋に、盛大な音が響いた。
「[……む。腹が減ったのじゃ]」
かぐやが真顔で言った。
「[そうじゃ! この建物の下に、美味そうな匂いをさせておる車があったぞ!]」
「[車?]」
「[うむ! 中で飯を作っておった!]」
「[ああ、キッチンカーだね]」
「[それじゃ! あれを食べたいのじゃ!]」
重役は楽しそうに笑った。
「[それはいい! 私も一緒に行こう]」
「[本当かえ!? では案内してやろう!]」
こうして、日本支社のトップとアメリカ本社の重役は、一人の少女に連れられてビルの外へ向かった。
⸻
キッチンカーの前に設けられたテーブルで、三人はタコライスを食べていた。
「[うまいっ!]」
かぐやが歓声を上げた。
「[これは何という料理じゃ?]」
「[タコライスだよ]」
「[たこらいす? ……タコがおらぬぞ?]」
「[そのタコは、海のタコじゃないんだよ]」
「[なんと! 紛らわしい名じゃのう!]」
重役は声を上げて笑った。
「[君は本当に面白い子だね。それに、さっきの分析は見事だった]」
「[そうかえ?]」
「[将来、ぜひ我が社で働いてほしいものだ]」
「[よいぞ!]」
「[おや、引き受けてくれるのかい?]」
「[じゃが、一つ条件がある]」
「[何だい?]」
「[毎日、このタコライスが食えるのかえ?]」
重役は一瞬きょとんとした。
そして、大声で笑い出した。
「[もちろんだとも! 毎日ご馳走しよう!]」
「[ならば、考えてやってもよいぞ!]」
パパは頭を抱えた。
アメリカ本社への就職話が、タコライス一皿でまとまりかけている。
もっとも、かぐや本人はそんなことなど気にしていなかった。
「[パパ殿! おかわりはできるかえ?]」
「[……もちろんだよ]」
「[うむ! では、もう一つじゃ!]」
⸻
その日の夕方。
パパと一緒に帰宅したかぐやは、元気よくリビングに入った。
「月よ! 帰ったぞ!」
「……おかえり」
ソファに横になった月が、弱々しく答えた。
「どうじゃ? 具合はよくなったかえ?」
「……全然。まだ頭が痛い」
ママが心配そうに月の額に手を当てた。
「まだ熱が高いわねぇ」
「薬は飲んだんだろう?」
パパも月の顔を覗き込む。
「うん……」
「明日も下がらなかったら、病院へ行きましょうね」
ママが優しく言った。
かぐやは月の顔をじっと見つめた。
「月よ。その熱、下げたいかえ?」
「……そりゃ、下げたいわよ。苦しいもん」
「ふむ。ならば、わしが治してみよう」
「……え?」
「治してやろうと言うておるのじゃ」
月はぼんやりとかぐやを見た。
「……治せるの?」
「うむ」
「じゃあ……お願い」
その瞬間だった。
かぐやは月の両頬を、がしっとつかんだ。
「……え?」
月が何か言うより早く、かぐやの顔が迫ってくる。
そして。
「ブチューーーーーッ!!」
「んんんんんっ!?」
月の目が限界まで見開かれた。
思考が完全に停止する。
ママは口元を両手で押さえ、パパは目を丸くしたまま固まった。
そして大地は。
「……か、かぐや……さん……?」
ボンッ!
顔を真っ赤にして、その場に倒れた。
「大地!?」
ママが叫ぶ。
しかし月は、それどころではない。
数秒後。
「んんんんんっ!!」
ようやく我に返った月は、かぐやの肩をつかんで力いっぱい引き離した。
「な、な、な、何すんのよおおおっ!!」
「む? 治療じゃが?」
「治療って! なんでこんなキスするのよっ!」
「口から薬を注入したのじゃ」
「注入って何よおおおっ!!」
かぐやは不思議そうに首を傾げた。
「ふむ。ただの風邪じゃったな。もう熱は下がったのではないかえ?」
「そんなわけ……」
月は言いかけて止まった。
……あれ?
頭が痛くない。
さっきまでの寒気も消えている。
身体が嘘のように軽い。
「……ほんとだ。熱がない?」
ママが慌てて体温計を持ってきた。
しばらくして、電子音が鳴る。
「……平熱だわ」
「ええっ!?」
パパが驚く。
かぐやは満足そうに頷いた。
「うむ! 治療成功じゃ!」
「いやいやいや! ちょっと待って! 治ったのは嬉しいけど、なんでキスなのよっ!」
「口から薬を注入したのじゃ。何か問題があるのかえ?」
「大ありよっ!!」
月の叫び声がリビングに響く。
その騒ぎの中、床に倒れていた大地がゆっくりと目を開けた。
そして、真っ赤な顔のまま、姉とかぐやを見つめる。
しばらく考え込んだあと、大地は固く拳を握りしめた。
……よし。
俺も風邪をひこう。




