遺伝子
世の中、不公平だと思う。
いや、別に大した話じゃない。
成績とか、運動神経とか、そういうことでもない。
もっと身近で、もっと切実な問題だ。
「月ちゃん、どうしたの?」
「……別に」
日曜日の午後。
私はリビングのソファに座り、ママを眺めていた。
うちのママは小柄だ。
背は私より低いし、全体的に華奢な体つきをしている。
なのに。
なのに、だ。
どうして胸だけ、そんなに立派なのだろう。
私は自分の胸元に目を落とした。
……うん。
知ってた。
私は背が高めで、手足も長い。自分で言うのも何だけど、スタイルは悪くないと思う。
ただし、ものすごくスレンダーだ。
スレンダー。
便利な言葉だと思う。
「月ちゃん?」
「……ママってさ」
「なあに?」
「どうしてそんなに胸が大きいの?」
「えっ?」
ママが目を丸くした。
「どうしてって言われても……」
「私、ママの娘だよね?」
「もちろんよ」
「だったら、もう少し似てもよくない?」
「あらあら」
ママは困ったように笑った。
「まだ成長するかもしれないわよ?」
「……その言葉、何年聞いたかな」
私は深いため息をついた。
すると、隣でお菓子を食べていたかぐやが顔を上げた。
「何じゃ、月。胸の話かえ?」
「……そうだけど」
「ふむ。気になるのか?」
「気になるに決まってるでしょ!」
「ならば調べてやろう」
「……へ?」
かぐやは立ち上がると、ママの前に歩いていった。
「ママ殿、手を貸してくれぬか?」
「あら、いいわよ」
ママが差し出した手を、かぐやがそっと取った。
そして。
ちゅっ。
「きゃっ!」
「ちょ、ちょっと! かぐや!?」
かぐやはママの指先を口に含むと、すぐに離した。
「ふむふむ」
「何してるの!?」
「調べておるのじゃ」
「何を!?」
「遺伝子じゃ」
「…………は?」
かぐやは平然と答えた。
「次は月じゃ」
「えっ、私も!?」
私が逃げる間もなく、かぐやは私の手をつかんだ。
ちゅっ。
「ひゃっ!」
指先に柔らかい感触が走った。
「ちょっと! くすぐったいって!」
「うむ。分かったぞ」
「……何が?」
かぐやは私とママを交互に見た。
そして、にっこり笑った。
「月がママ殿と同じほど胸が育つ可能性は、三・二パーセントじゃ」
「低っっっ!!」
思わず叫んだ。
「ちょっと待って! なんで三・二パーセントなの!?」
「調べた結果じゃ」
「いや、そうじゃなくて! 私、ママの子供でしょ!?」
「うむ。間違いなくママ殿の子じゃ」
「だったら、もっと可能性あるでしょ!」
かぐやは少し考え込んだ。
「ふむ。そこはパパ殿の遺伝子が邪魔をしておる」
「…………」
私はゆっくり天井を見上げた。
「……パパ?」
「うむ。パパ殿じゃ」
「パパめ〜〜〜っ!」
ママが吹き出した。
「もう、月ちゃんったら。パパがかわいそうよ」
「だって! ママの遺伝子だけなら希望があったのに!」
「遺伝とはそういうものじゃ」
かぐやは妙に偉そうに頷いた。
……何なの、この残酷な宣告。
いや。
ちょっと待って。
私は、かぐやを見つめた。
「……ねえ、かぐや」
「何じゃ?」
「指を吸っただけで、そんなことまで分かるの?」
「もちろんじゃ」
「……本当に?」
「何歳で大きな病にかかるかも分かるぞ」
「…………え?」
私は思わず聞き返した。
「病気になる年齢まで?」
「うむ。遺伝的な素因や体質を調べれば、予測できるのじゃ」
「……それって、ものすごいことじゃない?」
「そうかえ?」
かぐやは不思議そうに首を傾げた。
「では、月が何歳で大きな病にかかるか、教えてやろうか?」
「えっ……」
私は口を閉じた。
知りたい。
でも。
もし、とんでもなく怖いことを言われたら?
まだ高校生なのに、そんな未来を知ってしまったら?
「……やっぱり、聞かない!」
「うむ」
かぐやはあっさり頷いた。
「ただし、三十一歳と三か月になったら、毎日にんじんを食べることじゃ。それと、肉は週に二回以内にするのじゃぞ」
「…………」
「分かったかえ?」
「……ちょっと待って」
「何じゃ?」
「それ、絶対何かあるよね!?」
「何も言うておらぬぞ?」
「言ってるのと同じじゃん!!」
かぐやは不思議そうに首を傾げた。
「人間とは難しいものじゃのう」
……難しいのは、あんただよ。
すると、ママが口を開いた。
「ねえ、かぐやちゃん」
「何じゃ、ママ殿?」
「私のことも分かるのよね?」
「もちろんじゃ」
「じゃあ、私は聞くわ」
「ママ!?」
私は思わず振り返った。
「怖くないの!?」
「だって、分かるなら早めに知っておいた方がいいでしょう?」
ママはにっこり笑った。
……この人、意外と肝が据わっている。
「ふむ」
かぐやはママをじっと見つめた。
「ママ殿は、今と同じ生活を続けておれば、百三十歳までは大丈夫じゃ」
「……え?」
「百三十歳じゃ」
「ひゃ、百三十!?」
私は思わず叫んだ。
「ママ、そんなに長生きするの!?」
「あらあら」
ママは頬に手を当てた。
「じゃあ、まだまだ元気でいられるのね」
「うむ!」
「よかったわあ」
……いやいやいや!
よかったわあ、で済む話!?
「ちょっと待って! ママは百三十歳まで大丈夫なのに、私は三十一歳からにんじんなの!?」
「うむ。月は肉も控えるのじゃぞ」
「なんで私だけ!」
私は天井を仰いだ。
ふと、視線を感じた。
見ると、大地がじっとこちらを見ていた。
いや、正確には、かぐやを見ていた。
「……何よ、大地」
「べ、別に」
「そんなに気になるなら、あんたもやってもらえば?」
「……は?」
「かぐやに指を吸ってもらえば、将来のことが分かるんでしょ?」
「…………!」
大地の顔が、みるみる赤くなっていく。
耳まで真っ赤だ。
「な、何言ってんだよ!」
「え? 何って、遺伝子の話だけど?」
「う、うるせ〜!」
大地は勢いよく立ち上がると、廊下を駆けて自分の部屋に逃げ込んだ。
バタン!
ドアの閉まる音が響いた。
「……何なの、あいつ?」
「あらあら」
ママは楽しそうに笑っている。
かぐやは不思議そうに首を傾げた。
「思春期とは難しいものじゃのう」
いや、あんたが言う?
その時だった。
ガチャッ。
「ただいまー」
玄関からパパの声が聞こえた。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま。今日は何かいいことでもあったのかい?」
ママの笑顔を見て、パパが尋ねた。
私はゆっくり振り返った。
……そうだった。
全部、この人のせいだった。
「パパ!」
「ん? どうした、月?」
「パパのバカーーーっ!!」
「えええっ!?」
パパが目を丸くした。
「な、何だ!? 今度は何をしたんだ、私は!?」
「自分の胸に聞いてみなさいよ!」
「胸!?」
すると、かぐやが口を開いた。
「月よ。そう怒るでない。月の運動神経はパパ殿から受け継いでおるぞ」
「…………」
私はゆっくりとかぐやを見た。
「……かぐや」
「何じゃ?」
「私がパパから欲しかったのは頭脳であって、運動神経じゃないから!」
そう。
パパの頭脳は、私の鑑定でも「5」。
日本でもトップクラスの頭脳の持ち主だ。
なのに、どうしてそこを受け継がなかったのよ!
「ふむ。人間とは欲深いものじゃのう」
「そういう問題じゃない!」
パパが困惑した顔で私たちを見比べた。
「……ちょっと待ってくれ。私の頭脳がどうしたんだ?」
「知らないわよ!」
「ええっ!?」
ママがとうとう笑い出した。
かぐやは真剣な顔で頷いた。
「パパ殿。遺伝とは、まことに残酷なものじゃ」
「だから誰か説明してくれないか!?」
もちろん、誰も説明しなかった。




