(97)
ポルブは、老人を一目見るなり、また逃げ出したくなった。
幼い頃、子守の婆やから聞かされた、恐ろしい昔話を思い出した。
親の言いつけを守らず、森の中の禁足地へ入って遊んでいた少年と少女が、一人の老人に出会い、誘われるまま老人の家について行き、獣に姿を変えられ、何年も家畜として働かされ、獣姿のまま売り飛ばされてしまう。少年は、そのまま屠殺され、少女は、偶然魔導士が見つけてくれ、人の姿へ戻してくれたが、老婆のように腰は曲がり、長い労働で変形した足や手はそのままで、元通りにならなかったという話だった。
小柄な老人は、頭頂部は剥き出しで、側頭部に短い毛が枯れ草のように生えていた。耳は大きく、肩まで垂れ下がり、目は、まん丸で大きく、ガラス越しに真夜中の景色をのぞくような、真っ黒で生気のない眸だった。皮膚は青緑がかった白色で、乾燥し、カサカサと音を立てそうに見えた。右手には、先が渦を巻いた瘤の浮き出た杖を持ち、服装は、黒い魔導士服に似た、合わせ襟の長衫姿だった。
「師匠、俺が昨日話していた手伝いの奴らです。弟子入りさせてから、計画を話すつもりです」
老人は無言で頷くと、三人へ「こっちへおいで」と声をかけた。その声は、嗄れていたが、よく通った。
声を聞いた途端、ポルブの体は勝手に動き、気がつくと、他の二人と一緒に、老人の前で跪拝していた。
「わしに弟子入りするなら、わしとの間で師弟契約を交わし、契約の印を入れることになる」
三人は跪拝し、頭を垂れたまま神妙に話を聞いた。
「契約の印は体へ入れる。そうする事で、おまえたちは、わしから魔力を受け取り、今まで以上に強力な魔導術を行使できるようになるのだ」
ポルブは、もう引き返せないのだと諦めた。それに、先ほどカスパルが見せた凄まじい魔導術を、自分も使えるようになるのなら、少しぐらいの犠牲を払っても構わないと思った。
「では、契約の儀式を行うから、おまえたち、上着の襟元を少し寛げなさい」
三人は老人に言われた通り、衣の前を寛げた。
老人は、気がつくともう目の前に立っていた。
足音もしないのに、と、ポルブは不審に思ったが、次の瞬間、胸から背中にかけて、刺されたような激痛が走った。
「うわっ」
「痛いっ」
「ぐっ」
老人は、続け様に、三人の胸元へ掌拳打突を撃った。
刺されたのかと思った瞬間、胸が焼けつくように痛み出したが、その痛みはすぐ引いていった。
「さあ、おまえたち、印は無事に入った。これで、この師匠であるツォンパと、おまえたちは師弟関係だ。師匠の私に、決して背かず従順でいるのだ。それを守る限り、おまえたちは、わしから得た力で、ヨーダムにも劣らぬ力を揮えるのだ」
ツォンパは三人を見回した。
「まだ、私の言うことが信じられないようだな。
よろしい、試しに、少しだけ力を授けてやろう」
ツォンパが、何ごとか低くつぶやいた。すると、突然、三人の体の周りに黒い靄が現れ、体の中へ入っていった。
ポルブは、その瞬間、体の中に確かに魔力が循環するのを感じた。それは、何年も感じたことのない、雨上がりの水かさの増した川の流れのように激しい循環だった。
(すごい、こんな量の魔力の循環、今まで感じたことがない)
「どうだ、魔力の循環を感じられるだろう。試しに、そこのダーツ板へ魔力を飛ばして見ればいい」
ツォンパに勧められるまま、ポルブは人差し指をあげ、
「スピルトゥスアクアルム アクアムインサギタス トランスフォルメェト エアスインタブラミラム ミティテ(水精よ、水を矢と変え、あの板へ飛ばせ)」と唱えた。
手の先に水が現れ、それは矢と化して、ダーツ板のど真ん中へ深々と突き刺さり、飛沫をあげて消え去った。
「水精が召喚できた!」
ポルブの両目から涙が溢れた。
この数年間、魔力増幅薬を服用しても、水精を召喚することが難しかった。
そのために、大事な仕事の場で何度か召喚に失敗し、信用をすっかり失ってしまったのだ。
それが、これほど素早く召喚できるなんて、信じられなかった。
「どうだ、納得できたであろう。おまえは、もう魔力枯渇に悩むことは二度とない。
私へ忠誠を尽くすのだ」
「はい、ありがとうございます」
ポルブは、ツォンパへ心から礼を言った。
「じゃあ、俺たちも試してみようか」
灰色熊の二人組が立ち上がるのを、カスパルが慌てて止めた。
「おまえたちは、やめておけ、ここで試されたら店が潰れる。今から、学院島へ出発するから、おまえたちは、そこで力を発揮しろ」
老人が、カスパルへ指示した。
「師弟契約は結んだから、そろそろ何をするのか説明してやりなさい」
「はい、師匠」
三人は、また長椅子の方へ戻った。ツォンパ師匠とカスパルも向かい側へ腰掛けた。
「学院島は、今閉鎖されているのを知っているか?」
三人は顔を見合わせた。ゴーズリーが言った。
「でも、今は第九月で、もう後期が始まってますよ」
カスパルが三人を見回し言った。
「俺が、動力保安局に勤める魔導技師から聞き出した情報だ。
第八月に学院島の動力炉を点検したところ、動力源の太極石に著しい劣化の兆候が見られ、至急交換することが決まったそうだ。
そして、この臨時の閉鎖期間中に新しい太極石を運び込み、交換する予定だ」
ポルブは、黙って話を聞いていたが、また、あの嫌な予感を感じていた。
腹一杯食べてご機嫌のバーカンダーが巨体を揺らして尋ねた。
「それと俺たちがカスパルさんのお手伝いすることと、何か関係あるのかい?」




