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エスメルは、柳眉を逆立て、飲みかけた茶碗を乱暴に受皿へ戻した。
「リーユエンは、今、学院で、担任をしているのよ」
カスパルは、黄色の色眼鏡越しにエスメルを見た。
「へえ、あいつは、卒業してから行方知れずになったと聞いていましたが、また学院へ戻ってきたんですか。今まで、どこで何をしていたんですか」
「それがね、信じられないくらい、馬鹿馬鹿しい噂が出回ったのよ」
「馬鹿馬鹿しい噂?それってどんな噂ですか」
普段のエスメルなら、これほどの機密情報を、学院退学者へ決して漏らはしなかった。けれど当主から自分の見解を完全に否定され、厳しい叱責を受けたうえ、酒の酔いも残っていた。それに何故か、これを喋ってはいけないという、自制が緩んでいた。
「どんな噂話なんですか、是非聞かせてくださいよ。ただの噂話なら、構わないでしょ。
俺、学院の中の噂話なら、聞きたいなあ」
そう言われると、ますます、ただの噂話なんだから、構わないと気が緩んだ。
「リーユエンが、明妃だって噂があるのよ」
「明妃?」
カスパルの顔から愛想笑いが消えた。
「その噂、どこから聞いたんですか」
「ドロメルの当主も知っているわ。どこから広がったかは知らない。
みんな、馬鹿じゃないの、明妃が学院の教師なんかするわけないじゃない」
カスパルは、エスメルの顔をのぞき込んで尋ねた。
「学院にいた頃のリーユエンは、チビで愛想のないガキだった。今はどんな様子ですか」
「背は私より高いわ。でも顔はいつもムスッとして愛想はないわ。眸の色は紫色で明妃と同じだけど、似ても似つかないわね」
カスパルは、店員へ目で合図を送った。
店員はガラスの器に、クリームと果物をあしらったデザートを運んできた。クリームの下には、薄桃色で、半透明のムースが揺れていた。
「面白いお話を聞かせていただいて、ありがとうございます。これは、当店のサービスです」
エスメルは、デザートを見下ろした。
「何なの、これ?」
「当店特製の、森山桃から作ったムースです。どうぞ、お召し上がりください。実は来月から売り出そうと思って、試供品ですから、是非召し上がって感想を教えてください」
森山桃のムースは、クリーミーで風味豊かで美味だった。けれど、それを食べてしばらくすると、エスメルの頭はぼんやりしてきた。
(いやだ、今頃、酔いが回ってきたのかしら)
ぼうっとしたエスメルへ、カスパルは言葉巧みに学院内の様子を尋ね、リーユエンとの模範試合で、彼女が完敗したことまで聞き出してしまった。
(私、なんだか変だわ。どうして、こんなに何もかも喋ってしまうの)
カスパルは
「エスメル先生も、いろいろご苦労があって大変ですね。それに、後輩のリーユエンに負けたなんて、さぞ悔しい思いをされたのでしょう」と、慰めているような言葉をかけながら、実際は、エスメルの負けん気を刺激し、リーユエンへの憎悪を煽っていた。
それから、わざとらしく言い足した。
「だけど、そこまで完勝したのなら、リーユエンは、もしかしたら、魔導士階梯がエスメル先生よりずっと上なのかも知れませんね」
エスメルは、それにすぐさま反応し激怒した。
「そんな訳ないでしょっ。私は、卒業したとき、魔導士階梯は第三階梯、今は第四階梯なのよ」
「エスメル先生、魔導士階梯なんて面倒なものをすっ飛ばして、ヨーダム太師級の魔導術を使える方法があるとしたらどうします?」
酔いが回り、ぼんやりした頭でも、それがあり得ない話であることはすぐ判断がついた。
「何の冗談よ。太師は齢七百年を越える大魔導士よ、その彼と同等の魔導術を使えるなんてあり得ないわ」
「実際に、そんな魔導術を使える奴がいるとしたら、どうします?」
エスメルは急激に襲ってきた眠気を振り払おうと、頭をふり、正面のカスパルを見た。
カスパルの目は、色眼鏡のレンズが反射し、表情がわからなかった。
「これをお飲みなさい。気分がスッキリしますよ」
カスパルに勧められるまま、新しいグラスに入った飲み物を飲んだ。すると、少し意識が戻った。
「そんな奴がいたら、皆が知らないはずないじゃない」
カスパルは、顔を近づけ小声で言った。
「そいつが、法座主ドルチェンの庇護下にあり、魔導士登録すらしない無名状態であったとしたら?」
エスメルは、カスパルの襟首を掴んだ。
「それって・・・・」
カスパルは、エスメルの手を自分の襟からそっと離した。
「去年の春先に明妃位返上文書が出回り、大騒ぎになった。その後、どういう経緯なのかは不明ですが、夏の終わりの第九月に復位式が行われる予定だったのが、延期になった。その時、法座主府宮殿前広場で、何か騒動が起こり、衛兵が多数死傷したそうです」
「そんな事があったの?」
「エスメル先生は、遠く学院島にいらしたから、ご存知ないでしょう。あの時、目撃者によると化け物みたいな玄武が現れ、広場は毒霧に覆われ大勢亡くなったそうです。その玄武を結界障壁に閉じ込め、被害を食い止めたのは、若い魔導士だったそうです。長身で、痩せた青年だった。眸は紫色で、応援にきたヨーダム大師からは、リーユエンと呼ばれていたそうです。そして、驚くべきことは、その結界障壁は、黄金の天蓋で、それを一時間近くも発動させ続けたそうです」
「コンスルの黄金天蓋を一時間・・・そんなの不可能よ」
コンスルの黄金天蓋は、結界障壁の中でも最も強力だが、魔力を大量に使うため、通常は長くて五分くらいが限度だった。カスパルは、口元を歪めて笑い、肩をすくめた。
「だが、実際に、目撃者が大勢いるんですよ」




