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迫り上がってくる吐き気をこらえ、リーユエンが髪色を黒へ戻した頃、エスメルは、父であるドロメル当主からの手紙を読んでいた。
読み進むうち、エスメルの顔は、怒りと恥辱に歪み、目元には、恐ろしいまでの殺気が溢れた。
『おまえは何ということを仕出かしてくれたのだ。
リーユエンと名乗る教師の正体は、玄武国第二位のお方だ。猊下が後ろ盾についているあのお方を虐げたからには、ドロメルは無事では済まない。直ちに、リーユエンへ謝罪し、関係を修復しろ。
同学年の担任同士になったのだから、良い機会だ。彼女と親交を深めるのだ。
彼女の我々ドロメルに対する印象を良いものにすれば、サラザルよりも有利に立てる。女同士なのだから、仲良くなるための手立てなら、いくらでもあるだろう。
おまえの力にかかっているのだ。いいな、必ず失敗を挽回するのだ』
怒りのあまり、書面を持つ手が震えた。
「今さら謝れですって・・・どうして、この私が、あの女に頭を下げなきゃならないのよ」
ドロメルの家、当主の一人娘として生まれ育ったエスメルにとって、愛する父であり、当主であるグレゴルの命令は絶対である。けれど、リーユエンへ謝罪しろ、関係を修復しろ、という命令は、到底従えるものではなかった。
リーユエンが第三クラス担任について以来、エスメルは面目を潰される事態の連続だった。
最初は、狙っていた魔獣を横取りされ、挑戦を叩きつけた。
学院内では、魔導術の勝負で、エスメルと真っ向から戦って勝てる相手は誰もいない。だから、絶対勝つと自信満々で、模範試合場に立った。
(でも、リーユエンは、私が見たこともない術を発動したわ)
エスメルの術は悉く破られ、その上、絶対的な自信の源である、火精の主を変えられるという屈辱的な負けを喫し、最後は爆風に巻き込まれ気絶した。
しかも薄れかけた意識で、火焔が爆発炎上する瞬間、自分の体の周りが、強力な障壁結界で守られたことを覚えていた。最初は信じられなかったが、時間が経ち冷静に振り返ってみると、あの危急の時、自分に強力な円蓋を被せることができる者は、リーユエン以外考えられなかった。
(あの結界がなければ、私は爆風にやられ、大怪我をするか、最悪死んでいたかもしれない)
自分の術に巻き込まれるのを、対戦相手に助けてもらうなんて、最大の屈辱だった。
次の都の叙勲式典でも、またもや面目が保てなかった。
エスメルは一月半かけて、魔力量が多く、度胸もあるゲレッツォを見込み、火精の操作ができるまで、渾身の指導をした。
それなのに、ゲレッツォは、演技の途中で魔力切れを起こし、失神し、火精が暴走し、大事故を起こすところだった。しかもその事態を収めたのは、自分ではなく、ツカリーゼなのだ。
術返しが起こった瞬間、エスメルはすぐに動けなかった。
もちろん、暴走しかけた火精をその場で解放し、無効化したけれど、その前に術返しでゲレッツォに襲いかかった火精は、ツカリーゼの人形によって止められたのだ。
あの時、ツカリーゼが人形を飛ばし、火精の術返しを引き受けてくれなかったら、手遅れになるところだった。
エスメルは、術が失敗するなんてあり得ないと思い、術が破れた時の準備を何もしていなかった。彼女自身が、あまりにも優れた火精の使い手であるため、術者の未熟さが原因で、術が破れる事態を想定していなかったのだ。
しかし、まだ若輩のゲレッツォは能力不足なのだから、当然、術が破れる事態も想定しておくべきだった。それを怠ったエスメルは、教師としての指導力や資質について、疑問を持たれても仕方がないのだ。
皆、ドロメルの威勢を慮り、表立っては言わないが、あのままゲレッツォが術返しに遭っていたら、大火傷を負い、間違いなく責任問題に発展しただろう。
一方のリーユエンは、低学年では不可能と思われていた法陣の展開・発動を集団演技で鮮やかに成功させた。それに空中から、散華を行い、その華やかで優雅な演技構成は、高い評価を受けたのだ。
(悔しい、またあのリーユエンに負けたなんて、忌々しい奴だわ)
そう思っていたら、夏季休暇明け、リーユエンはいきなり休職すると言い出した。
エスメルは、それを聞き、やり返す絶好の機会が巡ってきたと思った。
第三クラスの代替授業を頼まれても、絶対引き受けないつもりだった。ところが、いつも様子見ばかりの第一クラス担任のペリオンは、なぜか今回に限って態度を変え、リーユエンへ自ら授業を受け持とうかと協力を申し出た。やりにくいと思いながらも、エスメルは、協力の申し出はしなかった。
エスメルは、もし直接リーユエンが頭を下げて頼みに来ても、絶対断るつもりでいたのに、彼女は師父のヨーダムと兄弟子のニエザを呼び出した。まさか、そん手段を使うなんて、予想外だった。
それでも諦めず、講師を引き受けている魔導術概論で、嫌がらせをしてやろうと奮闘した。
学院内のドロメル派の教師に命令し、講義室の主だった日程を全部抑え、魔導術概論を受け持つリーユエンの、補講日程を潰してやった。
補講ができなければ、リーユエンの講義内容は、当初学院長に提出している予定表と齟齬が生じ、全単位の講義が終わらず、評価を下げるに違いないと思ったのだ。
ところが、そちらの方も一ヶ月の休職のはずが、半月余りで切り上げ戻ってくると、予定通り講義を行ったのだ。
嫌がらせはそれだけに留まらず、総仕上げとして、ドロメル派の事務員に命じ、リーユエンの帰任届を、学務室から食堂へ回覧することをわざと止めさせた。その結果、週末の晩餐に、リーユエンの席は、用意されなかった。
兄弟子のニエザがそれに気がつき騒ぎ出した、その上リーユエンの姿が見当たらないと言い出したが、エスメルはもちろん知らん顔していた。
その翌日、エスメルは、皆の自分を見る視線や、自分に会った時の態度がおかしいと感じた。
(どうして、ドロメル派の教師まで、私を見たらこそこそ逃げ出すの?私は、まだ何も怒っていないのに・・・それに他の教師は、私を遠巻きにして何か言ってる。それも何だか憎らしげな感じだわ。どうなっているの?こんなに露骨に避けられたり、嫌われる態度を取られるなんて変よ)
その日の午後遅く、ドロメル派閥の女教師三人がエスメルの元を訪れた。
ご機嫌うかがいに来たのかと思い、お茶菓子を出して談笑していると、彼女たちは、エスメルへ、とんでもない情報を報告した。
「エスメル様、ご存知ですか、昨日、リーユエン先生が魔導術概論の講義終了の後、倒れたそうなんです。なんでも、彼女の本当の身分は明妃で、多忙なスケジュールの間を縫って、無理をして学院島まで戻り、講義を行ったために、過労でお倒れになったそうですのよ」
「ええっ、なんですって」
エスメルは衝撃のあまり、紅茶茶碗を落とすところだった。




