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その頃、学院長室の中では、執務机を前にして腰掛けたドゴロフ学院長が、執務机の向こうで、腕組みして仁王立ちするヨーダム太師から、睨まれていた。
「ううぅぅ、ヨーダム、わしだって出張中にそんな事が起きていたなんて、全く知らなかったのじゃ、そう恐ろしい顔でわしを睨まんでくれ」
「瑜伽業を終えられて、たった二日余休まれただけで、離宮から出ていかれたのだぞ。
そんな強行日程で動けば、玄武の妃でも寝込んでしまう。
補講用の教室を確保するなり、そんなことは学院長の権限でどうとでもできたであろう。
リーユエンに負担をかけすぎではないかっ」
ウラナを連れて学院島へ戻ってきたあと、ヨーダムはカンカンに怒って学院長室へやって来た。
リーユエンが、太師にすら秘密にして、こっそり戻ってきた事情を、ニエザから聞き出し、それはもう激怒したのだ。
「本当に申し訳ない。しかし、講義室の予約状況なんぞ、学院長決裁までわざわざ上がってくる事柄ではないのだ。わしは、全く関知しておらなかった。
もちろん、この度のことは、学院側の不手際があったと思う。だから、リーユエン先生から、何らかの希望があれば、できるだけ希望は叶えるようにするから」
怒り出したら、なかなか収まらないヨーダムを必死で宥めている真っ最中に、扉を叩く音がした。
学院長は大切な話し合いの最中なのに、恐ろしいヨーダムから一時でも逃れたい一心で、自ら扉を開けに走った。
「学院長、大事な打ち合わせの最中に申し訳ございません」
扉の前に立っていたのは、総務部長のアデレンだった。
アデレンは廊下の左右を素早く見回すと、ドゴロフ学院長を室内へ押し戻し、扉をきっちり閉めた。
そして、ヨーダム太師と学院長へ、
「実は、リーユエン先生について、妙な噂が飛び交っておりまして、至急お知らせするべきだと思い参りました」と、切り出した。
ヨーダム太師が、猛禽のように鋭い眼差しをアデレンへ向けた。
「噂とは、どのような噂だ」
「リーユエン先生が、実は明妃殿下で、公務のため、やむを得ず休職したにも関わらず、嫌がらせにあい、忙しい中、講義を行ったため、日程が強行過ぎて過労で倒れたと・・・」
「・・・・・」
太師と学院長は無言のまま顔を見合わせた。
アデレンは、当初は半信半疑で、質の悪いデマだろうと考えていたのだが、二人の様子から、これは真実なのだと気がつき、自分もまた真っ青になった。
しばらく黙考したヨーダム太師は、アデレンへ指示した。
「ツカリーゼ教授を、目立たないように連れてきてくれ」
アデレンは、直ちにツカリーゼを迎えに行った。
暫く待っていると、アデレンがツカリーゼを伴い戻ってきた。
ヨーダムは、早速ツカリーゼに、噂について尋ねた。
すると、ツカリーゼは、真っ青になって唇を震わせた。
「なんで、何でよっ、私は、ひとっ言だって言ってません。
あの猊下が、いきなり部屋へ現れたんですよ、そんなの恐ろしくて、ペラペラ喋るわけないじゃありませんかっ」
ツカリーゼの怯え様は、ヨーダムの目にも真実としか見えなかった。
学院長は、穏やかな笑みを浮かべて、
「まあ、まあ、ツカリーゼ教授は秘密になさったのだろうが、職員宿舎は人の出入りも多いから、誰かが目撃したのかもしれないの」と、執りなした。
「どうしましょう、私は、秘密にして誰にも言ってないのに、もうそんな噂が広まっているなんて、
私、今からお見舞いに行こうと思っていたのに、どうしようかしら・・・・」
ヨーダム太師は、深々とため息を吐いた。
「すまんが、皆、魔導士塔へ一緒に来てくれ、リーユエンも、もう落ち着いた頃だろうから、彼女も交えて話しあおう」
白金色に輝く長髪を、首の後ろ側でふんわりと束ね、リーユエンは魔導士服姿で、長椅子に腰掛け、彼らを出迎えた。
ツカリーゼはその姿を目にして(髪色が違うだけで、こんなに印象って変わるものなのねえ。月明かりが集まって化生した月の精みたいに神秘的だわ)と、うっとり考えた。
明妃だと知ったツカリーゼが、礼法に従い、恭しく跪いて揖礼するのへ、リーユエンは片手をあげて制した。
「ここでは、教師として参りましたので、どうか礼儀は不要に願います。
昨夜は、ツカリーゼ教授が私を助けて下さったそうで、お礼申し上げます」
リーユエンは、立ち上がると、深々とお辞儀した。
ツカリーゼは、珍しく頬を上気させ、慌てて彼女を止めた。
「よしてちょうだい。そんなに仰々しくお礼なんか言わないでちょうだい。
当然のことをしただけなんだから」
その後、ツカリーゼが差し入れしたドライフルーツのケーキでお茶をしながら、まずアデレンが、噂について改めて詳細に報告した。
リーユエンは、それを聞くと、
「その噂を流したのって、どう考えてもサラザルの連中しか有り得ませんよね」と、指摘した。
ツカリーゼは驚き尋ねた。
「それってどういうことなの?」
リーユエンは肩をすくめた。
「エスメルを標的にし、非難しているのは、彼女を蹴落として、学院内のドロメル派を弱体化させるのが目的でしょう。
いかにも、あのサラザルのご当主が考えそうなことでは有りませんか」
「なるほど、そういうことか・・・確かにそういう見方もできるわねえ」
ツカリーゼは感心して頷いた。
ヨーダム太師が、お茶を飲み干し、リーユエンへ向き直った。
「で、あなたはどうしたい?エスメルのあなたへ対する嫌がらせは目に余るものがある。
この際、この噂に乗って、彼女を排除してしまうか?」
ところがリーユエンは思いがけないことを言い出した。
「太師、そんな下策を選択できませんよ」
「なぜだ?あれだけ嫌がらせをされたのだから、当然だろう。なぜ下策なのだ?」
リーユエンは嘆息し、口を尖らした。
「エスメルを排除なんかしたら、サラザルの勢力が学院中に蔓草のようにはびこり、ますます学院運営がやりにくくなりますよ。
あの連中ときたら、魔道士階梯なんて、これっぽちも理解できていない。力押しだけの、出来の悪い魔道士揃いなんですから、彼らがのさばるような事には、絶対に手を貸せませんよ」




