(6)
その翌朝、太師と学院長は、明妃に会った。
現れた明妃を一目見るなり、学院長は目を見開き、髭に覆われていてもはっきり分かるほど口をぽかんと開け、彼女をまじまじと凝視し、それから湯気が立つほど顔が真っ赤になった。
明妃とともに部屋に入ってきた猊下は、学院長の様子に気がつくと、口をへの字に曲げ、頭をふった。そんな反応を見せる者は最近珍しくもなかったが、まさか魔導士学院の学院長までもが、明妃に魂を奪われそうになるとは想定外で、呆れるしかなかった。
ところが、リーユエン本人は、その反応を明らかに勘違いして、
「すみません、魔導士服も身につけず参上し、お許しください」と、深々と揖礼した。
学院長は大慌てで、
「何をおっしゃる。ここは離宮なのだから、魔導士服を身につけるなど、とんでもないことでございます。あなた様が、わしが最初にお目にかかった頃に比べて、実に様子が変わられたので、感慨深い気持ちになってしまい、一瞬意識が飛んでおりましたのじゃ」と、うまいことをいって取り繕った。
その横ではヨーダム太師が、ため息をつきたいのを何とかこらえていた。
今朝目覚めたとき、深更にヨーダム太師とドゴロフ学院長の訪問があったと、ウラナから聞かされたリーユエンは、師父である太師と学院長へ敬意を表すため、魔導士服を着て会おうとした。けれど、この離宮を取り仕切る侍女頭であるウラナは、
「ここは離宮でございますよ。リーユエン様は、玄武国第二位のお方ではございませんか。明妃の正装でお会いになるのが、筋というものです。それに猊下も同席なさるのですから、猊下にご満足いただける格好をなさいませ」と、いつも通りの明妃の身支度で、頭に白金透し彫りの頭冠を被せ、乳白色の詰襟の衫に、青磁色の裙、薄紫の繻子の上から極細銀糸の総レースを重ねた袍をまとわせ、三連の瓔珞で胸元を飾った。
その装束は、最近白金色に変わってしまった髪と合わさり、窓から差し込む朝の光に全体が眩く輝いた。まるで天から降りてきた女神のように清らかでありながら、壮麗でもある出立ちに、滅多に物事に動じない学院長ですら、見惚れてぼおっとなり、それに気がついたドルチェンは頭を振り、太師はため息を殺したのだ。
明妃がドルチェンとともに席に着くと、学院長は昨日猊下へ訴えた内容を、二回生のクラス編成表と担任の指導計画書を見せながら、もう一度明妃へ説明した。
学院長に見せられた書類に目を通し、その話を聞くうちに、最初は笑みを浮かべていたリーユエンの顔は、次第に厳しいものへと変わっていった。
「この指導計画書には、基礎教練の記載がまったく見当たりませんね」
太師と学院長は顔を見合わせ、大きくうなずき合った。
リーユエンが真っ先に指摘したその点こそ、彼らふたりが危惧を抱く核心部分であった。学院長が見事に波打つ長髭を撫でながら
「基礎指導を担当していたモーズレイが引退し、それ以来、基礎教練を指導できる専門教員が不在なのじゃ。そのため、専門でないガンダルとペリオンが指導にあたっておったのだが、ガンダルは知ってのとおりノイローゼが悪化してな、今は休職状態なのだ」
ノイローゼに陥ったガンダルに代わり、魔導術概論の臨時講師を務めたのはリーユエンなので、当然その事情は承知していた。
「しかし基礎教練は、以前は必修教科で、皆履修しておりました。他にも指導できる教諭はいるのでは?」
その質問に、学院長は短いため息を吐いた。
「基礎教練は、地味で面倒な指導が続くうえに、成果が見えにくい。それで成果がはっきりと確認しやすい、個人発動の魔術訓練が今は主流になってしまっておるのだ」
「そうなのですね。しかし、基礎教練をしっかり収めておかないと、中級課程以上の法陣展開の実技などでは、支障が出てくるのではありませんか」
リーユエンの指摘に、学院長な大きくうなずいた。
「そうなのだ。まったく、あなたの言うとおりだ。困ったことに、中級課程でも、法陣展開を小規模なものに縮小し、個人で展開させる授業が主流になっているのだ」
今度は、リーユエンがため息を吐いた。
「基礎教練を怠れば、大規模な魔法陣の展開などできませんね」
「そうなのだ。わしもそれは大いに案じている。何度か、意見をしたのだが、何しろ、今の魔導士界は、二大勢力に分断されていて、抗争が絶えない。学院の中も例外ではないのだ。皆、目先の成果に気を取られ、わしの言うことにすら、耳を傾けようとしないのだ」
「私が第三クラスを受け持ち、基礎教練を指導するのが、学院長の御依頼なのでしょうか」
いきなり単刀直入に切り出され、学院長は一瞬言葉に詰まったが、その横からヨーダム太師がすかさず
「そうだ、リーユエン、あなたなら、基礎教練の指導ができるだろう。何しろ、あなたは魔導士学院に入学した当初から、完璧に調息と導引を収め、あのモーズレイに指導する余地がないと言わしめたほどなのだから」と、発言した。
さらに続けて、学院長が
「第一クラスと第二クラスの担任は、困ったことに対立する二代派閥を代表するサラザルとドロメルの一員なのだ。二大派閥の争いに巻き込まれるのを恐れ、第三クラスの担任の引き受けてがいないのだ。リーユエン、あなたは二大派閥とは無関係であるし、ヨーダム太師の高弟なのだから、彼らもあなたに対して敵対的な行動はとらないだろう。どうか、引き受けてはもらえないだろうか」と、頼み込んだ。




