(56)
その日は、週末の晩餐の日で、大広間に、島中の学院関係者が集まっていた。
その席で、学院長は、一回生でありながら専攻課程へ飛び級したリーユエンが、本日、魔獣調整学の期末試験を受験後、行方不明となったため、皆に捜索への協力を要請した。
しかし、リーユエンの事情を知らない者がほとんどなので、真面目に聞く者は少なかった。
中央山嶺の麓に近い森の中、魔導士塔に隠遁するグリムエール老師も、晩餐に参加していた。
彼は、もう八百歳を超える高齢で、耳も遠く、学院長の話もよく聞き取れてはいなかったが、生徒が行方不明だと言うのは理解していた。けれど、目の前の新鮮な青スズキのレモンバターハーブソース添えのムニエルを食べる方に神経が集中していた。
(今日は魚料理が主菜で助かった。肉はもう噛み切るのが大変で、苦労するし、消化に良くない。学院長はどうして生徒一人が行方不明になったぐらいで、大騒ぎしておるのだ?
昔から生徒が放浪して、一月位してからひょっこり帰ってくるのは、よくあることではないか。
どうせ、また、訳のわからない武者修行熱に駆られて、生徒が一人放浪の旅へ出たのであろう)
晩餐の後、グリムエールは、お気に入りのロバに似た一本角の騎獣に乗り、腹ごなしも兼ねて暗い林を抜け、森の中をゆっくり進んで行った。
二時間ほど進み、そろそろ森の真ん中あたりに来た時、何だかいつもより森の空気が冷たいことに気がついた。
「おかしいな…どうして、これほどの冷気が・・・ああっ、何じゃこれはっ」
グリムエールは、目の前に現れた氷塊に度肝を抜かれ、一角ロバの上でのけぞった。大急ぎで一角ロバから降りるや、その氷塊へ近寄った。
「誰じゃ、こんなものを作ったのは・・・ああっ、これはいかん、誰か中におるではないか」
グリムエールは、腕を振り魔力を飛ばした。氷塊は真っ二つに割れ、中から小柄な少年が倒れてきた。グリムエールは、その少年を抱き留めた。
「うおっ、冷たい、冷え切っておる」
マントがぐっしょり濡れて、凍えそうになったが、すぐさま温かい風を起こし、乾かして、少年も温めた。
「随分軽い子供じゃのう」
グリムエールは、子供を一角ロバに背負わせ、急いで塔へ戻った。
その後、天候は急変し大嵐となった。
強風が吹き荒れ、雷鳴轟き、大雨が降りつける真夜中、ヨーダム太師が、学院島へやって来た。そして、学院長室で、リーユエン行方不明の報告を受け、怒鳴り上げた。
「ドゴロフ、おまえがついていながら、どうしてこんな事になったのだっ」
普段から厳しい表情が、さらに怒りで目がギラつき凄みが増し、雷鳴轟かせる天龍ほどの迫力で怒鳴られ、ドゴロフは縮み上がった。
「ずっと探させておるのだが、見つからんのだ。ビセツキー教授は、試験は合格したので、帰らせたと言っておるのだ。猊下と連絡を取れば、すぐ居場所がわかるのではないのか?」
ドゴロフは、法座主猊下がリーユエンの居場所を見失うはずがないと、楽観していたのだ。ところが太師は、両手で顔を覆って呻いた。
「それができる状態なら、わしはこれほど取り乱しはしない。猊下は、一昨日から瑜伽業にお一人で入られてしまわれたのだ。今は、玄武洞の岩屋へこもっておられて、連絡の取りようもない」
「エェェェーッ」
ドゴロフは、終わったと思った。猊下が岩屋から出られた時、事態を知れば、自分はこの世から存在が消えるに違いないと思った。
「リーユエンが、大怪我を負っていても、今の猊下は法力を送ることができない。我々で、自力で探し出さねばならんのだ。それより、乾陽大公殿下が護衛についておられたはずだ。殿下は、どこにいらっしゃるのだ」
「えっ、知らんのか?実は」
ドゴロフは、ガタガタ震えた。ヨーダムは知っているとばかり思っていたのに、何も知らない様子に驚き、先日の上級生とのトラブルで、乾陽大公ダルディンが学院敷地内へ立ち入り禁止になった旨を、慌てて説明した。
ヨーダム太師は、万事手詰まりになったと思い、頭を抱え込んだ。
学院長は、太師の反応を不思議に思い、尋ねた。
「ヨーダム、お主は、この事を知らなかったのか?」
「わしは、一月前から金杖王国で開かれた魔導士定例会議に出席しておったのだ。今日の夕方、帰国したばかりだ。まさか、そんな事になっていたとは・・・」
ヨーダム太師の横では、青くなったニエザが縮こまり拝聴中だった。
三者三様の沈黙がしばらく続いた後、外から扉が叩かれた。
「学院長、グリムエール老師の使い魔が、至急便を持ってきています」
ドゴロフは、顔をしかめた。
「今、取り込み中なのに、あの爺さん、一体何を言ってきおったのだ」と、言いながらも、内心では、ヨーダム太師の相手を一時的にせよ免れてホッとしていた。
至急便は、悪天候の中でも濡れないように、瓶の中に手紙が詰められていた。ヨーダムは瓶の蓋を開け、中の手紙を取り出し、目を通した。
「おおっ、グリムエールが森の中で少年を保護したと知らせてきたぞ。リーユエンかも知れない。嵐が止んだら、すぐ出発しよう」
「今すぐに行く。お怪我がないか、確認しなければ…」
ヨーダム太師は、他人にも自分にも厳しいお方だった。悪天候の中、金杖王国から帰国の疲れも癒えないまま、魔導士島まで飛んできたのに、またもや悪天候の中、森の奥深く魔導士の古塔に住む、グリムエール老師の元へ飛ぶことを躊躇わなかった。
「あの・・・わしもかな・」
ドゴロフの遠慮がちな確認に、ヨーダムは白刃のように冷たい一瞥をくれ、
「お主は学院長なのだから、当然ではないか、ニエザっ」
船を漕いでいたニエザは、いきなり呼ばれて、ソファから転がり落ちた。
「ヒャイッ」
「我々を、おまえの絨毯で塔まで連れて行ってくれ。結界はわしが張ろう」
「承知しました」
ニエザは内心ため息を盛大に漏らした。
障壁を厳重に張り巡らしてもらっても、それは雨や落雷を防ぐだけ、大風が吹きつけてきたら、絨毯を制御するのに力を費消するのは、自分なのだ。けれど、太師もお疲れだし、学院長にもそんなことは頼めない。それに、リーユエンは自分にとっても可愛い妹弟子だから、ニエザもいい所を見せて頑張るしかなかった。




