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「私が恐れるのは、猊下の法力の気配に、タロナが怯えてしまうことだ」
「猊下の法力?」
リーユエンは、腕組みしたままうなずいた。
「猊下は、強大な法力を普段は抑えていらっしゃるのだが、どうしても、それが気配として外へ漏れてしまう。法力への感受性が敏感だと、それを恐ろしいものに感じてしまう。タロナは、私の見るところ、法力への感受性がかなり強そうだ。会場でいきなり猊下の法力に触れたら、怯えて演技どころではなくなるかもしれない」
ロージーは、リーユエンが不在の時にそんなことになったらどうしたらいいのだろうと不安に思った。
「他の子達は大丈夫なの?タロナだけが心配なの?」
「あなたは、黄金獅子、マルテンは雪豹族、モンシェンはムササビ族、ハンツォンはタイ鳥族、勇猛で強健な一族だから、法力への抵抗力は強いと思う。ただ、タロナは、共情能力もあるし、雪ウサギ族は、あなた方より繊細そうだから、一番心配なのよ」
「確かに、そう言われてみれば、そうよね、でも、どうすればいいのかしら」
「式の始まる前に曽祖母様に会うのがいいかもしれない。身内と会えば、気分が落ち着くでしょうからね。それから、模範演技の前から、早めに観想するのもいいかもしれないわね」
「わかったわ、私が連れ出して、曽祖母様に会わせてあげます」
ロージーはタロナの手を引き、会場内で社交に励む人々の間を、優雅な足取りで巧みにすり抜けて進んだ。
タロナは、姿勢良く笑顔のまま、水中を泳ぐ魚のように進むロージーを、尊敬の眼差しで見上げた。
(ロージーってすごい、こんなにたくさんの人が、綺麗で上等な服で着飾って集まっている中でも、堂々としている。ちっとも怖がらないで、楽しんでいる。何だか、場慣れしているわ)
そこへ、突然、斜め手前から大柄な老人が現れた。綺麗に刈りそろえた縮れた灰白色の髭が顔半分を覆い、濃鼠色の毛織の長外套、その下には蔦柄長丈の上着に、柔らかな革のベスト、白い詰め襟シャツ、黒いズボンに焦茶革の長靴、顔は満面の笑みで、金杖国王と同じ琥珀色の瞳だった。
「ロージーっ」
「お祖父様っ」
現れた森番の老人に驚きながら、ロージーは祖父の懐へ飛び込んだ。
「お祖父様が来てくださったのね。ありがとうございます。長旅お疲れ様です」
老人は、ロージーを抱きしめ、背中を軽く叩きながら微笑んだ。
「元気そうだな、保護者代理で、わしが来た。皆、ロージーに会えなくて寂しがっておるぞ」
呆気に取られて見上げるタロナを、老人は見下ろし、
「わしは、ロージーの母方の祖父なのじゃ、よろしくな」と、挨拶した。
タロナは、
「クラスメイトのタロナです」と、慌ててお辞儀した。
ロージーは、祖父へ
「そうだ、お祖父様、タロナの曽祖母様が今日叙勲されるので、ご挨拶へ伺うところなのです。一緒にいらしてくださいませんか」と、お願いした。
ロージーの祖父は、肩幅の広い堂々とした体格で身長も六尺三寸余あった。その後をついて行くと自然と人垣が割れていくので、たちまち、叙勲式の行われる舞台の間近に到着した。
舞台は、三段の階段の上に造られ、豪華な金華紋浮き出し織が敷き詰められていた。
「曽祖母ちゃんだっ」
タロナは、舞台のそばに立つ、共情治療士の標である、特徴のある形の白い帽子を被った曽祖母を見つけ、声を上げた。
「タロナっ」
「あっ、お母さんも来ている」
タルタロナの横に、村にいる時よりも少し手入れの良い、けれど、この会場の中では地味な色目の簡素な筒袖の衣と胴着姿の母、アイナも見つけ、タロナは駆け寄った。
「元気そうだね、勉強は捗っているのかい」
アイナは、タロナを抱きしめ、頭を撫でた。
「お母さん、恥ずかしい、お友達と、お友達のお祖父様もご一緒なのよ」
その時、宮殿の正面扉が開け放たれた。周囲の者は、皆、注目した。
「法座主猊下がお見えになられたぞ」
「後ろに明妃殿下もいらっしゃる」
同じような囁きが、波紋のように広がっていく。
開け離たれた扉から、一際背の高い堂々たる偉丈夫、燕尾帽を被り、紫の繻子地に玄武紋の錦織を重ねた法衣をまとうドルチェン猊下と、その後ろから薄いヴェールで全身を覆う明妃が現れた。
「猊下だ、なんと重厚、荘厳なお姿なのだろう」
皆、一斉に猊下へ揖礼した。
アイナは、思わず拝み始めた。
タルタロナは、
「ほう、昔、お目にかかった頃は、人外そのもののお姿であったのに、今は、ずいぶん男振りがあがられたねえ」と、小声でつぶやいた。
タロナは、小さな鼻をひくつかせた。
「うわ、明妃殿下の方からすごくいい匂いがする」
タロナは、香に酔ったようになり目がトロンとした。
猊下と明妃は、大勢の供とともに舞台へ近づいてきた。明妃の歩みとともに、朝露をまとう明け方の茉莉花の香がふわりと漂った。
タルタネアは、猊下の後ろに従う明妃を見て、おやおや、猊下は、あの女に随分贅沢をさせているね。あのヴェール一枚だけで、村の一年分の食費以上の金がかかっているよと、思った。
ヴェールは極薄で、彼女の怜悧で端正な顔立ちがはっきりと見て取れるほどなのに、キラキラと不規則に輝き、何者であろうとも、その光に幻惑され、決して不躾な凝視は許されないのだ。それは、蜘蛛糸レースの一級品、一尺織り上げるのに半年かかる極上品に間違いなかった。
白金色に燦然と輝く髪は、今日は珍しく高髷に結い上げ、前髪は真ん中から分けて、優雅な曲線を描きながら後側で髷に巻きつけられ、頭頂部には、白蓮の冠が煌めき、額飾りの中央には青紅玉が輝いていた。首筋からスッキリとまとめ上げられた、髷の後ろ側にも、金剛石と繊細な白金鎖七本の下がる歩揺を飾りつけ、それが歩みに連れて華やかに揺れ動いた。
そして長く形の良い首すじから肩へと滑らかな曲線を強調する、肩一杯まで襟ぐりの空いた真珠のような光沢のある乳白色の長衫は、裾へいくにつれ、金彩の混じる青みを帯びて輝いた。
胸元は、大牙国産の虹色に輝く魔石が嵌め込まれた七連の繊細な瓔珞に飾られ、形の良い胸の下、折れそうなくらい細いウエスト周りから、長衫は裾へドレープを描いて八の字に広がり、正面からは裙の、極薄のレース生地とその下に透ける北嶺の青空と同じ空色の絹地が見えた。
肩と上腕は、透き通るような白い素肌が三寸ほど露出し、そこから先は指先までぴったりに仕立てられた白地の絹手袋で覆われていた。
ロージーも祖父も、そしてタロナの母も曽祖母も、皆、この二人の歩みにすっかり気を取られ、タロナから注意が逸れてしまった。そして、猊下と明妃が、まさに、彼らのそば近くを通り過ぎようとしたとき、もっと近くで見ようと身を乗り出してきた者たちに、タロナは押し潰され、二人の進路を塞ぐように倒れた。
「危ないっ」
その声を上げた主が、地面めがけて顔から突っ込みかけたタロナを、腕を伸ばしてさっと支えた。




