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ナーガムは、ドルチェンに従い部屋へ戻ってきた。
扉を開けた彼は、明妃が、椅子に、不自然なほどぐったりと体を預けているのを見た。
彼は、疲れて眠り込んだのだと思い、声をかけようとしたが、ドルチェンが手をあげて、それを止めた。無言のまま、ドルチェンは明妃に近寄り、椅子の前に跪いた。
猊下は膝をつき、その大きな手に法力の光を集め、明妃の体を照らし始めた。
(猊下は一体何を調べておられるのだ)
ナーガムが、不思議に思いながら、見守っていると、猊下は、突然、明妃の襟元を大きく寛げた。ナーガムは、慌てて目を逸らした。
その時、猊下の体から、不穏な気配が広がり、部屋の温度が一気に下がり、辺りが振動し始めた。
「猊下っ、いかがされましたっ」
ドルチェンは突然、激しい怒りを露わにした。猊下が、感情をはっきり表に出すことは稀なことだった。
ナーガムは、一体どうしたのか、訳がわからなかった。
「わしの明妃に、あ奴は、邪毒の蛇を忍ばせたのだ。すぐに取り除かねばならん。
玄武洞へ行く、ついて参れ」
総執行のナーガムでさえ、そんな怒気を孕んだ低い声を聞いたことはなかった。
ドルチェンの怒りは大きく、激しい。その怒りを解き放っては、プドラン宮殿を、物理的に揺るがす震怒となるので、それをまた強大な法力で抑え込んでいた。
だが、傍近くに控えるナーガムには、抑えつけられた怒りが、マグマ溜まりから噴き上がる熱風のように感じられた。
ナーガムの返事も待たず、明妃を抱き抱えたドルチェンは、プドラン宮殿の最深部、地下の玄武洞へ畳地連結して移動した。ナーガムも一瞬で連れて行かれた。
真の闇の中、玄武洞の一つに到着するや、ドルチェンは岩壁へ法力を飛ばした。するとあたりは真昼の明るさへ変わった。
それから自分が身につけていた厚手の袍を脱ぐと、それを地面に敷き、リーユエンを横たえた。
その時、ナーガムは、彼女の肌けられた胸元に、二寸余りの直径の穴が三寸離れて二箇所あり、その周囲が青黒く変色しているのを目撃した。
「猊下、この傷は一体・・・?」
「吸血されたのだ。南荒で、蜘蛛形魔獣と融合した尼僧に襲われた時も、吸血され、このような傷を負った」
「吸血・・・どうして、こんな肋骨のある硬い場所からわざわざ吸血するのですか」
ドルチェンは、薄緑色の目をナーガムへ向けた。
「明妃の血には特別な力がある。
魔獣は、その力を求めるとき、心臓近くの血を欲するのだ。心臓のそばには、中央経絡と中央に位置する胸のチャクラがあり、最も霊力の高い精製された血液が湧き出るのだ。それを欲して、胸に牙を突き立てる」
ドルチェンは、そう説明しながら、いつしか暝目した。
それは、千年前、かつての自分も味わった血、矢に貫かれた心臓からとめどなく溢れ出る血を飲み干し、銀牙滅亡の後、あの劫火の中を生き延びたのだ。
しかし、リュエを失いたくないドルチェンは、そこで得た力で、彼女を幻身となし、中右へ繋ぎ留めてしまった。それこそが、ドルチェンが犯した罪なのだ。
「先ほど、体の中を走査すると、胸のチャクラと心臓のあたりに黒い瘴気が絡みつき、経絡にまで伸びていた。それを取り除かない状態で術を使えば、命を失いかねん。直ちに取り除く」
ナーガムはその場で平伏し叩頭した。
「申し訳ございません。明妃殿下のお体の異常に全く気がついておりませんでした。私の落ち度でございます」
ドルチェンは、頭を横へ振った。
「ナーガム、謝る必要はない。早く姿勢を正せ。玄武法学院では、邪術の類は基本的なものしか教えない。おまえが気づかなかったのは、無理もないのだ」
「しかし・・・首輪をはめられたのです。もっと慎重に調べるべきでした」
「わしも、ヨギ派の魔導術について、知識はほとんどないのだ。ただ、甥の挙式の後、東海大帝陛下は、白玄武が大牙の銀牙一族をどのように支配下に収め、隷属させていたのか話してくださった。それでもしやと思い、念入りに調べたのだ」
ナーガムは、ドルチェンの言葉に、挙式のとき、新婦ミレイナの隣に付き添った、白金の髪の神々しいまでの美丈夫の姿を思い出した。
「なぜ、東海大帝陛下はその事に詳しいのですか?」
「ヨギ派のヨギというのは、あの地に派遣された白皇子ヨギの名を冠したのだ。白皇子ヨギは、魔導術の研究に熱心な玄武であったそうだが、攻撃術に優れた陛下とは異なり、人を縛り付け使役する研究を熱心に行っていたそうだ。
陛下は、わしへ、ヨギが行った邪術について、具体的に、それへの対策も含めてご教示くださったのだ」
あの挙式の後、ドルチェン猊下と高祖と呼ばれるその玄武は、別室で随分長いこと話し込んでいたのは、そういうことだったのかと、ナーガムは得心した。
「今から、明妃の体に忍び込ませた毒蛇を取り除く。ただ、非常な苦痛を伴うので、暴れるだろう。心の臓近くを触るので、体を動かされては危険だ。
ナーガム、おまえは、明妃の頭の上から両腕を押さえつけてくれ」
そう指示するや、ドルチェンは明妃の胸の下で、巨体をまたがらせ、彼女の体を押さえ込んだ。
ナーガムは、指示通り、彼女の上腕をガッチリ押さえ込んだ。
ドルチェンは、明妃の口へ白布を折り畳んで噛ませた。
そして、真言を低音で唱えながら、手を胸へ当てた。指先から、彼女の胸から体内へ、手が入り込んで行き、明妃は、突然、激しい苦鳴をあげ、体を捩って逃れようとした。
ナーガムは体を動かすまいと必死で両腕を上から押さえつけた。
「ウ、ウウウッ・・・」
玄武の膂力は、たとえ転身しても凡人のそれを遥かに上回る。
それでも明妃の力は凄まじく、ナーガムは本気で腕を抑え続けた。
「猊下、これ以上無理に抑え続けたら、殿下の腕の骨が折れます」
ドルチェンは施術を続けながら、言った。
「構わない、折れても抑え続けよ。骨折なら、後で法力で治す」
ナーガムは指示通り顔を歪めながら、腕を抑え続けた。とうとう、骨の折れる音が抑える手から伝わったてきた。




