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カスパルは薄笑いを浮かべた。
気位の高いエスメルが焦るのを見るのは、楽しかった。もっと焦らせて楽しみたいところだが、そうもいかなかった。
「どうぞ」
カスパルは、職員証を差し出した。
「ありがとう」
エスメルは、ほっとしながら、受け取った。
職員証を取り戻した以上、もうそこに留まる理由もないと思い、エスメルは帰ろうとした。
けれど、カスパルから呼び止められた。
「エスメル先生」
エスメルは、眉をしかめ、振り返った。
在校中から、カスパルは評判の良くない学生だった。それに今は、最下層区の場末の横丁で、怪しい店に関わっている。エスメルは、警戒し、余所余所しい口調で尋ねた。
「何かしら?」
カスパルは、噴水池の縁石から立ち上がり、エスメルへ近寄り、小声で言った。
「屋敷に戻らない方がいいですよ」
「どうして?」
カスパルの笑みが深まった。
エスメルは、その笑みを見て不安になった。
「どうしてって、あなたは、もうすぐ指名手配状態になるからですよ」
エスメルは、冗談だと思った。
「質の悪い冗談を言うのやめなさい。一体何のつもりなの!」
カスパルは、カエルを嘴で挟み、美味しく丸呑みするために、何度も嘴で挟んで痛めつけるような快感を覚えた。
「冗談で、こんな重大な情報をあなたに教えたりしませんよ。学院島で大事件があったのを、まだご存知ないのですか」
「学院島で?」
エスメルには、カスパルの話すことが全然理解できなかった。彼は、一体何が言いたいのだろう。
その時、エスメルの指輪が輝いた。エスメルは、カスパルから離れ、指輪へ顔を近づけた。その指輪は紅玉魔石が嵌っていて、侍女のミラと連絡を取り合える通信機になっていた。
「お嬢様、学院長とヨーダム太師がお屋敷に来られて、お嬢様をお待ちになっておられます。早く、お戻りください。他にも、法座主府からの使者もいらっしゃるので、お早くお戻りください」
「分かったわ」
(学院長とヨーダム太師、それに法座主府の使者ですって・・・)
カスパルが冷笑を浮かべ、エスメルに近づいてきた。
「家からの連絡でしょう。しかし、すぐに戻らない方がいいですよ」
「学院島で大事件って、一体何のことなの?」
エスメルは、カスパルは絶対何か知っているし、関わっているに違いないと確信した。けれど本心では、何も聞きたくなかった。聞いたら、後戻りができなくなる予感がして、恐ろしかった。
「学院島は、後期授業が始まったところなのに、十日間も閉鎖になったそうですね」
「どうして、あなたが、そんなことを知っているのよ」
「何のために閉鎖になった知っていますか?」
「何のためって、メンテナンスが必要だからって・・・・」
「俺は、動力保安局にちょっとした伝手がありましてね。そこの役人から直接聞いたんですよ。そのメンテナンスって、学院島の動力炉の動力源が、劣化したために交換作業を行うためなんです」
エスメルは、退学処分を受けたカスパルが、まだ学院島のことに関心を持っていることを薄気味悪く感じながらも、話の行き着くところも見えないので、途中で切り上げることもできかね、聞き続けた。
「今日の午前中、その交換用の動力源が、学院島で全て強奪されたんですよ」
「・・・・・」
エスメルは、たっぷり十秒沈黙した。カスパルの言うことが、脳に浸透して理解するのに、時間がかかったのだ。
「嘘でしょ、動力源なんて、強奪して、どうするのよ」
「そんな他人事みたいな言い方していいんですか。今頃犯人探しが始まっているはずだ。
そうだな、動力機関室へ立ち入った者の記録なんか、真っ先に調べられるでしょうね」
カスパルは、そこでエスメルの顔をわざとらしくのぞき込んだ。
「事件発生の直前の入室者は、エスメル先生、あなただったりして」
エスメルは、嵌められたと気がついた。カスパルをすぐさま捕縛し、自身の無実を証明しなければと思った。
「馬鹿なことを言わないで」
捕縛の術を発動しようとしたが、手が突然硬直し、急速に体全体が麻痺した。
(体が、言うことを聞かない、どうして・・・)
カスパルが近寄り、恋人がするような仕草でエスメルの髪を撫でた。
「そんなに怒らないで、機嫌を直してくださいよ。さて、では師匠のところへ出かけるとしましょうか」
(師匠・・・誰なの、どうして私を連れていくの)
抵抗したいのに、他人の体のように勝手に歩き出した。カスパルが突然、立ち止まった。
「そうだ、もう、これは必要ありませんね」
そう言いながら、エスメルの左手中指から、紅玉魔石の指輪を外し、噴水池の中へ投げ込んだ。
「よかったですね、これでドロメルの馬鹿げたしがらみから、あなたはもう自由なんだ。
その上、誰も手にしたことのない、圧倒的な魔導の力を手に入れられますよ。俺を信じてください。あなたは、最強の魔導士になれるんだ」
(最強の魔導士・・・リーユエンよりも強くなれるってことなの?)
体が自由にならない恐怖よりも、圧倒的な魔導の力が手に入るというカスパルの言葉の方が勝った。
エスメルは、夢現の状態で、カスパルと噴水広場を後にした。
ドロメルの屋敷では、その日の夕方まで、学院長たちは、エスメルの帰宅を待ち続けた。
しかし、彼女は姿を現すこともなく、帰宅が遅れることの連絡すら入らなかった。
侍女のミラは、執事に指示されすぐにエスメルへ連絡したと、彼らに説明した。
ヨーダム太師が、ミラから通信具である指輪を預かり、調べたところ、確かに、ミラはエスメルに連絡をとっていた。その連絡をエスメルが受信したのは、東三条、山猫筋交差点の噴水広場だった。
「ここにいても戻ってこないだろう。この噴水広場へ行って足取りを調べよう」
ナーガムの意見で、学院長一人だけドロメルの屋敷で待機し、他はエスメルを探しに出かけた。




