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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第二章『波紋に歪む理』
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第二章7話『慮外者』

 ――気付けば、独り街路を歩いていた。

 過去の過ちと顔に叩き込まれた絶縁の一撃に尾を引かれながら、ヴァインは無秩序な雑踏の中を重く進む。


 気付けば、馴染みのある建物の前で足を止めていた。

 パレット孤児院――亡き父ダリウス・パレットが開いた慈善施設。ここで多くの孤児が救いを得、人を慈しむ清らかな心を育み、戦場を血色に塗りたくる絵筆となるよう教育されてきた。


 発達段階に不相応な死生観を植え付け、死ぬまで敵兵を殺す殺戮兵器へと変貌させ、予言を満たすための贄にする。その為に愛の溢れる施設を殺戮兵器育成機関へと上書きし、ダリウス・パレットを縛り上げた。

 フォレオスとヴァインは積み重ねられる犠牲の中で『死神』を創り出し、彼らの人生と引き換えに一人の女性の笑顔を取り戻した。要するに、ヴァイン・パレットは孤児たちの人生最大の侵犯者だ。


 ここはヴァインにとって、心休まる生家であると同時に、終わらせるつもりの無い贖罪の地でもある。


「……滑稽だな」


 傀儡とした父を介して無垢な幼い子供達の全てを無遠慮に奪い去っておきながら、この足はあろうことかその子供たちに救いを求めた。なんと浅はかなことだろう。

 この身に救われる価値などない。それどころか、償いの対象に安らぎを得ようとしているなど、人としてどうかしている。


 ――そう。どうかしているのだ。ヴァイン・パレットという男は。


「…………」


 これほど後悔と懺悔の念に塗れているというのに、ミネア復活の為に動いた自分を肯定している。無念の死を遂げた女性一人を救うために冷徹な狂気を纏った過去の自分を責める言葉をヴァインは持てない。

 計画の被害者である『侵色』の一撃を受け、意味を無くした狂気を脱ぎ捨てた今でも、変わらずヴァインはどうかしている。

 一度染まった心は永遠に元の色には戻らない。一度生じた軋轢が無かったことにならないように。


「――あ、ヴァインさんおかえり!」


 門の奥から朗らかな声が聞こえた時、ヴァインは即座に鼻から手を離した。いつの間にか弄っていた鼻柱はまだ折れたままで、出血は治まったものの未治療のまま鈍痛の発生源として機能し続けている。


 叩き込まれた拳の名残がジンジンと熱のような痛みを訴えている間は、信を置いていた同僚との衝突を鮮明に思い起こさせてくれる。それが二重の意味で自分を苦しめるだけと分かっていても、自分の意思でやめることはできなかった。

 ともあれ、そんな姿を子供たちに見せる訳にはいかない。


「あぁ、ただいま。シャルミ」


 出迎えてくれた女児――シャルミはダリウスの『訓練』を受けていない。ダリウスがレティシアを見出し、彼女の素質・実力がヴァインの審美眼に適ったその時から、新しく『訓練』を課すことを止めた。

『死神』候補が現れた以上継続は無意味というのもあったが、何よりダリウスの限界が近かったことを踏まえ、フォレオスには知らせず独断で決定した。


 シャルミの、出迎えた瞬間の年相応の笑顔とヴァインの顔を見て見開いた丸い目を見れば、少なくともあの時の選択は正しかったと賭け値なしに言い切れる。


「……って、その顔どうしたの!? すごい腫れ上がってるじゃないですか!」


「気にするな。私は受け入れている」


「受け……? よく分かんないですけど、待ってて! すぐに医療箱取ってくるから!」


「……あぁ。助かる」


 そう言い残して慌ただしく院内に消えていく小さい背中を見送り、ヴァインは肩の力を抜く。抜いて、こちらにゆっくり近付いてくる気配――奇しくも仲違いした同僚と似た髪色の青年に目を向けた。


「――ミハエルか」


「シャルミに任せておけば大丈夫ですよ。あの子、虫を深追いするあまり頻繁に怪我するシュヴェルナをよく手当てしてあげてますから。――おかえりなさい、ヴァインさん。仕事は言ってくれれば俺がやっておくので、あなたはどうか休んでいてください」


「ミハエル……すまない」


「いいんですよ。院長に倒れられては皆が泣いてしまいますから」


 言いながら、金髪の青年――ミハエルは内側から正門を開け、ヴァインを庭へと招き入れる。芝生を踏みしめる感覚を味わう余地もなく、ミハエルと並んで孤児院の方へ。

 そうして澄んだ清水の眦を下げてこちらの身を案じるミハエルに、ヴァインは咄嗟に言葉を返せない。

 向けられる信頼、揺らがない瞳。それに安堵する自分がいて――、


『――あんたの隣で初めて戦えた時、俺は……。俺は、本当に嬉しかったんすよ』


「…………っ」


 躊躇わず、自らの頬目掛けて拳を振り抜いた。

 反芻する決別。一言一句、表情、声の調子、殴られた痛みの全てが、何をしても心に焼き付いて離れない。

 安静を侵害された折れた骨が触れてはならない箇所に触れ、視界が明滅する。想像を絶する激痛にヴァインは思わず膝をついてしまった。


「ヴァインさん!?」


「…………すまない。取り乱した」


「取り乱したって……はぁ。今日は終日、否が応でも休んでもらいますからね。事情は聞きませんけど、今は療養に専念してください。じゃないと、シャルミが怖いですよ」


「……それは、恐ろしいな」


「でしょう?」


 口が滑った本音に「はは」、とミハエルが朗らかに笑う。

 それが彼なりの気遣いだとすぐに分かった。


 ――取り返しのつかないことに心身を痛めていても仕方がない。罪深きヴァインに残された道は一つしかないのだから。

 ヴァインは、身命を賭してその道無き道を独り歩かなければならない。終わりはない。あってはならない。なればこそ、ここで立ち止まって何になる。


「…………そうか。私は」


 人並みの幸せを望んでいたのか。愚かしくも、贖罪と並行して友と呼べたかもしれない者らと騎士道を追究しようとしていたのか。

 叶わぬ願いだ。許されざる願望だ。望んだことの罪深さを差し引いても、直属の部下たち――『蒼円の十二柱』の生存者はもはやメーバルとヴィーダムのみ。一目置いていた頼りになる同僚には先刻絶縁状を叩き付けられた。


 かつて騎士の在り方を語らい、王国の為に尽くさんと集った仲間はどこにもいない。この手で、全てを壊した。

 ――それでもヴァインに後ろを振り返ることは許されない。


「…………これが、私のけじめだ」


 贖罪以外の全てを切り捨てる。レティシアたち孤児に強制した在り方と同じだ。違うのは、彼らには思考が不要だったこと。対してヴァインの定めた生き方は盲目的に従える拠り所が存在しない。歩き続けなければならない。

 ――それが、無辜の孤児の未来を凍結させたヴァイン・パレットが自らに課した『訓戒』だった。


「ありがとう、ミ……」


 今後の方針を固めたヴァインは、声の調子を調整してからミハエルに声をかける。




「おお? 楽しそうな話っしてんじゃねェか。オレっも混ぜてくれよ。寂しいだろ」


「――っ、ミハエルっ!!!」

「ぇ」


 呆けて立ち止まるミハエルを体当たりで突き飛ばし、同時に腰から引き抜いていた帝国印の木剣でそのまま横薙ぎ。

 鼻骨が揺れ脳に駆け巡る電撃を歯を食いしばることで耐えつつ、大岩より重たい衝撃を打ち砕いてから、ヴァインは投擲物――細い木の枝が投げ込まれた方向、正門を睨んだ。


「――カカッ、あん時っより強くなってるじゃねェか。伊達に年老いてったわけっじゃァねェようでなによりだぜ、クソが」


 悪態を吐いてずかずかと芝生を踏み荒らす慮外者、その背後には乱雑に破壊された正門があった。職人の意匠は見る影もなく、役目を終えた門の残骸で男は自身の肩をこんこんと叩き、悪辣に笑う。


 その声音、口調、笑い方の癖、風貌、なにより桁違いの膂力には身に覚えがあった。

 かつて離反を企てたダリウスへの警告としてヴァイン自ら手に掛けた弟弟子。享年十五歳の孤児であり、『死神』の成り損ない。


「ちっと邪魔するぜー。おォ、流石に幾年か経てば少っしは景観も変わるか。懐かしいったらねェな、まったく」


「何故、お前が生きている…………百一っ!!」


「だーかーら、オレはゼフィオだって。老いすぎちまって痴呆症っでも始まっちまったかー?」


 声を荒げたヴァインの問いには取り合わず、不敵な笑みを携えた男――百一はとぼけたようにこめかみを数回叩いた。かと思えば、徐々に表情が曇っていき――、


「あー? んだよ、左腕持ってかれちまってんのかよ。――チッ、うざってェ」


 濁りきった若草の三白眼をより尖らせ、悪態に悪態を重ねた。


「なら、その右腕はオレが貰ってやる。嬉しいっだろ? なァ、――ヴァイン兄?」


「…………っ」


 瞬間、「死」がヴァインを貫いた。

 全身を駆け巡る悪寒、頬を伝う冷や汗、カタカタと震える右手。百一は一歩も動いていない。ただそこにいるだけだ。

 ――これが、レティシアがたまに話す「殺気」というものなのだろうか。

 

 毒々しい紫髪を乱暴にかきあげ、口の端を獰猛に歪める百一を視界の中心に据えつつ、ヴァインはミハエルを背に庇って今一度木剣を構え直す。

 睨み合い。ジリジリと精神力が削られていく。だが、それも永遠では無い。そして不動の盤面が変わるのなら、それを仕掛けるのは百一の方で――、


「――カカッ! 冗談だ、そうかっかすんなっての。大恩あるヴァイン兄に剣なんざ向けるっわけねェだろ?」


 そんな、自ら撒いた緊張感を自ら豪快に笑い飛ばした百一に、虚ろを突かれてしまう。

 事実、彼は剣を向けていない。向けているのは正門の残骸、棒状の鉄の塊だ。


「…………何が狙いだ」


「狙いだァ? 家に帰んっのに理由が必要っかよ。こちとら……あー、何年っだかは知らねェし興味もねェっが、久しぶりっの帰郷だぜ? 浮かれてんだよ。出来のわりィ冗句だ」


 不機嫌そうに吐き捨てる百一に何と返そうか、思案を巡らすこと数秒。その間にミハエルがふらふらと立ち上がって、


「……帰郷。少なくとも、年長組の俺はあなたの事を存じ上げないのですが」


「そりゃそーだろ。オレはオマエが拾われるっ前に殺されってんだ。つか細けェこと気にすんなよ。同郷だろ?」


 百一への警戒をそのままに、ヴァインはちらと後ろを盗み見る。

 ミハエルの顔は強ばっていて冷や汗が滲んでいたが、それでも打開の糸口を掴もうと必死に探りを入れているようだ。


「殺……………………ですが、あなたは俺に危害を加えようとしました。そんなあなたをどう迎え入れろと?」


「んだよ。単なる挨拶っ代わりだ。郷に入っては郷に従えと思ったんだが……おいおい、まさか久しぶりっすぎて場所間違えったか?」


「…………ここは私とお前が共に育った孤児院で間違いない。だが、その挨拶は初めて聞いた」


「カカッ、だろーな。なにせ年長者のオレっがさっき考えた『訓戒』だ! ちびっ子の中でも流行ること間違いっなしだぜ。早速取り入っれてみたらどーだ?」


 かつて自身を苦しめた絶対の理すら嘲り笑う態度に、まともな対話の意思が感じられない。究極これまでのやり取りも、彼からしてみればその場凌ぎの軽口にすぎないのだろう。百一はここに来るまでの間に来訪目的を定めている。即ち、ヴァイン・パレットの粛清だ。


 ミハエルと、事態を察知し孤児院からの避難を始めているだろう子供たちを逃がす。そのための時間稼ぎ、つまり斬り掛かる準備は済ませてある。

 間の悪いことに真剣は自室に置いてきてしまっているが、贅沢は言っていられない。思わぬ形ではあるが、お土産に木剣を選んだレティシアの判断に深く感謝する。


 ――一刻も早く対処しなければならない。さもなくば……。



「――お待たせっ、医療箱持ってきた…………ええと、ヴァインさんのお知り合い?」

「逃げろっ!! シャルミ――っ!!」


 最悪の想定が現実となり、考える間もなく口が動いていた。


 必死に叫ぶも、医療箱を両手で抱えるシャルミは首を傾げるばかり。一秒も無駄にできない極限の状況下で、対応の遅れは死に直結する。


「カカッ、そーだよちびっ子。ヴァイン・パレットはオレの兄弟子で――クソ野郎だ」


 言い切り、直後に大地が爆ぜる。距離を瞬時に詰め、心底愉しそうに口角を歪める百一の放つ凶器が、非力な少女の側頭部に迫り――、


「きゃっ」


「ぐ……」


 ふわっと巻き上がる亜麻色の髪、それが凶器に触れることは無かった。木剣を捨てたヴァインがシャルミに飛び付き地を転がる。救えた物のほとんどに手を伸ばさなかったこの身でも、せめてこの少女だけは手放さまいと、必死に抱きかかえて。

 ――医療箱のカラリと落ちる音を皮切りに、終わった物語の後日譚が誰も望まぬ形で幕を開けた。



 □ ■ □



 ――パレット孤児院の庭園には石造りの道、贅沢に敷き詰められた芝生、それを土壌として点々と咲き誇る花々の他に、孤児院を囲うように色鮮やかな花壇が配置されている。


 建立時、子供たちが自由に遊んで自由に花を愛でられるようにと初代孤児院長ダリウス・パレットにより設置された花壇の手入れは、孤児たちに一任されている。中でも花好きのシャルミと、その真似をするゴフィアは朝昼晩と花々の様子を窺うぐらい熱心であり、花の蜜を求めて飛び寄った虫目当てのシュヴルナが意外にも次点にのぼる。

「ミツハコビ探しに来ただけなのに……」と項垂れて水やりをする姿は孤児たちの間でも有名であり、ヴァインも硬い頬が緩むところである。


「――おらおらおらおっらッ!!」


 そうした年相応のあどけなさを残す子供たちが大切に育てたのどかな花々を、凄まじい剣風が蹂躙していく。広大な空間を転々とし、生命の冒涜者と熾烈な攻防を繰り広げる『蒼氷』の剣技は、既に一線を退いた身とはいえ衰えておらず、移ろいゆく数多の死線を掻い潜り、致命傷をかすり傷程度に抑えていた。


 ——シャルミと共に転がったヴァインは、お構いなく繰り出される怒涛の攻撃の隙を見計らってシャルミをミハエルに預けた。ごたごたの中で彼が拾ってくれていた木剣を受け取り、それを以て格上の男に相対しているのが現状だ。


 ひとまずシャルミの命を守れたことに安堵する暇もなく、瞬く間に連発される重撃の一つ一つに、余力がごりごりと削られていく。


「く……っ」


 無数に重ねられる剣戟はやがて鍔迫り合いへと発展し、彼我の距離が極限まで圧縮される。

 凶悪な形相を浮かべる彼の顔には汗っ気一つ感じられず、対するヴァインは全身に痺れが伝わり、木剣を握る手が僅かに緩んだ。


「ヴァインさんっ!!」


「ほー? ちびっ子に心配されっる程度には猫被ってやがんのか。オレん時のように純真っな目を欺いてるっつーわけだ」


 百一は心底愉快そうに頬を歪め、憎悪を乗せた猛攻を再開する。

 木と鉄が打ち合うごとに、ヴァインの獲物がみるみるうちに欠けていく。それに歯噛み――する余裕すら奪われ、間髪入れずに畳み掛けられる重撃に防御を合わせ、合わせ、間に合わせて――、


「――おォ」


 百一が大きく振りかぶったのを見計らい、胴体に蹴撃。


「はぁぁぁぁぁぁっ!!」


 直後、真剣を携えたミハエルが躍り出て斜めに切り裂く一撃を放った。大袈裟に身を逸らした百一に傷を負わせることはできなかったが、これまで防戦一方だった相手に回避を強制させたことの意味は非常に大きい。

 だが、これもヴァインが憂慮した最悪の展開の一つだった。


「加勢します!」


「いいから逃げろ! シャルミを、皆を頼む……っ!」


「でも……っ!」


 と追いすがるミハエルの心境はヴァインでも容易く推し量れる。


 相手の攻撃に間一髪防御を間に合わせるヴァインに主観的にも客観的にも余裕がないのは明らかだ。骨折した鼻も健在で、激戦を繰り広げる最中にも耐え難い鈍痛で治癒の必要性を訴えてくる。

 ヴァイン単独ではどうしようもないと、ミハエルも分かっているのだろう。

 だが、ヴァインには彼の懸念に寄り添っている余力が残されていない。


 即座に切りかえ乱入者に狙いを定めた百一めがけて斜めに振り抜き、柄にもなく声を荒らげる。


「――っ、早く行けっ!」

「行かせねェ」

「が、ぅ……重っ……!」


 ヴァインの攻撃をさらりと交わした百一が目にも止まらぬ速さでミハエルに接近。奇跡的に対応を挟めたようだが、受け止めた凶器の威力を逸らす猶予さえ奪われているのを見るに、やはりミハエルでは役者不足だ。


「オマエに恨みっはねェが、騎士なら話は別だ。死にっ晒せ、偽善者」


 徐々に重さが上乗せされていく鉄の塊。それを一身に受け止めるミハエルの両腕が、遂に稼働限界を迎えてしまう。


「――しっ」


 その前に、ヴァインがすかさずがら空きの背中に向けて踏み込み横切り払い。百一は振り返らずヴァインの背後へ跳躍し、ミハエル殺害を後送りにした。


 そのまま言葉もなく襲いかかる風圧を伴う蹴りを躱し、ヴァインは作法知らずの殺し合いに再び臨む。

 ヴァインが防御を挟めばミハエルが追いすがり、ミハエルの攻撃がいなされれば研ぎ澄まされた『蒼氷』の一閃が侵略者を襲う。

 騎士ミハエルとは戦場でも度々共闘していた。その経験値が、急造の連携をある程度可能にしてくれている。


 しかし、相手が悪い。どれだけヴァインとミハエルが最善に近い手を打ち続けても、百一の余裕の表情は崩せない。精々が彼の反撃機会を僅かに縮めるぐらいだった。


 ――最悪が目まぐるしく更新されていく。シャルミを死地に巻き込み、ミハエルを戦闘に巻き込んでしまった。百一に目を付けられ、本人もやる気な以上、ミハエルを争いから隔離することはもはやできなくなった。


「……っ! もういい十分だ! 子供たちが逃げる時間は十分稼いだ! お前も逃げ…………」


 ――だが。それでも願わずにはいられない。必死にミハエルに訴えかけ――振り返った視線の奥、乱れた亜麻の髪を整えず、涙目で始終を見守るシャルミがそこにいた。


「逃げろ!! 頼むから逃げてくれ……っ!! ――シャルミっ!!!」


「いや!! もう、知らないところで失いたくないのっ!!」


「な…………」


 予想の斜め上をいく返答に、思考が止まってしまう。シャルミの大声にも驚いたが、何よりその返事は隠していたはずの前提知識を踏まえていなければ出てこないもので。


「知って…………いたのか」


「そのぐらい、子供でも察しますよ。……俺らのこと、何だと思ってたんですか?」


 ヴァインの呟きに応えたのは、百一から距離を取り肩を上下させているミハエルだ。整えられた金髪を乱し、荒い息を押し殺して言葉を紡ぐ彼は、明らかに無理をしている。彼を案じる言葉は未曾有の衝撃に掻き消された。


 ――二人は、ダリウス・パレットが故人であることを知っている。

 いずれ打ち明けようとは思っていた。真実を告げるその日まで、長期出張と言い聞かせてやり過ごす手筈だった。ヴァインが計画に巻き込んだ彼らは、既に年不相応の艱難辛苦を余すことなく経験している。首謀者たる身で何をと自分でも呆れ果てるばかりだが、それでも、彼らにはせめてこれ以上の喪失を味わって欲しくなかった。


 まさかレティシアが救済したところまでは知られていないだろうが、それでも、彼らは父の死を知ってしまっている。――深掘りする勇気は、なかった。


「……あれはレティシアに比肩する怪物だ。お前たちだけでも逃げろ。私たちで勝てる相手では無い」


「怪物ってのはあんっまりだろ? 一体誰が、オレをこうしたとっ思ってやがる」


 ……挟み込まれる野次に思考は割かない。


 彼らが健やかに生きること。それが、ヴァインの過去や立場を度外視したささやかな願い。


「勝つつもりはありません! 俺たちの目的は、あなたを生かす事ですから……!」


 なのに、この中で最も生きる資格のない男のために、彼は自身の心臓を「死」に晒そうとする。


「やめろ。その価値は、私にはない」


「カカッ、よくっわかってんじゃァねェか!! そーそーそーだよっなァ! 大人っしくオレに復讐されるくれェっしか利用価値がない、根っこから腐り切った命だもんなァ!!」


「あなたに、今のヴァインさんを罵る資格はありません……!」


 反論を乗せた一閃は簡単にかわされる。一度でだめなら二度、二度でだめなら三度でも。何度も、何度も切り結びながら、ミハエルは後ろで立ち尽くすヴァインへ語りかける。


「すみません、ヴァインさん。俺、あなたの過去を少し知ってるんです」


「…………まて。いくな」


 語る最中も命を燃やすミハエルの背中を見て、ヴァインは初めて懇願した。ミネアが夭折した時も、フォレオスと共に禁忌の知識を求めていた時も、ヴァインは懇願しなかった。


 ヴァインが贖うべき人間。彼らは幸せになるべきなのに。今後彼らに降り注ぐ不幸の一切をヴァインが一身に引き受けなくてはならないのに。


「いかせてください。あなたは俺たちの院長なんでしょう? ――レティシアを、皆をお願いします」


「ミハ」


 言い切るのを待たず、ミハエルは百一に捨て身の突撃を仕掛けてしまった。隙を大きく晒し、全てを振りかぶった一撃に託し、張り裂けんばかりの雄叫びと共に、泰然自若と二本足で立つ怪物を両断しようと――、


「――チッ」


 一撃。一撃のうちに、踊りかかったミハエルの血飛沫が宙を舞った。

 それに追随するように乾いた舌打ちを打ち、慮外者は勇敢な騎士の覚悟を冒涜する。

 どさりと、金髪の騎士は力無く倒れた。


「ミハエル――っ!!」「ミハエル兄さんっっっっ!!」


「カカッ、少し見ねェっ間に性格っも変わったかァ? この程度で音を上げるたァ、らしくねェっじゃァねェかよッ!」


「が――っ!」


 悪辣な嘲りが耳元から聞こえた。鳩尾に足裏が食い込み、後方へ為す術なく吹き飛ばされる。孤児院の壁面に衝突し、内蔵が痛烈に貫かれ、そのまま花壇に落下した。視線を落とすと、美しくも儚く散った花びらが散乱していた。


 咳き込み血を吐き呻くヴァインへと、破滅がゆっくりと近付いてくる。


「ちっと借りるぜー」


 横たわるミハエルから鞘を強奪し、見せびらかすように弄びながら、歩みを進める。


「んじゃ、始めっか。――地獄の底でも、休みっなく殺してっやるよ」


 真剣な面持ちで敗者を見下しながら、百一が一歩一歩噛み締めるようにヴァインへ接近していく。その若草の瞳が、濁っている以外過去の記憶と何ら変わっていないのを見て、ヴァインは全身から力を抜いた。


 ――この事態を招いたのは自分だ。彼の正当な怒りを受け止める責務が、ヴァインにはある。

 短期間に幾度も明滅した脳が遂に限界を迎えたのか、意識が覚束なくなっていくのを感じた。


「せめ……て…………この目は…………」


 そう望んでも、次第に視界は闇に呑まれていく。最後に映ったのはこちらに鞘先を向ける弟弟子の嗜虐的な笑みで――、




「ッんだよ。ぞろぞろぞろぞろ次から次へと。わざわざ死にっに来たのかァ?」


 ――訪れたのは、覚悟していた一閃でも蹴撃でもなく、イラつきが滲む悪態だった。


 不可解の原因を探ろうと、僅かに残っていた力を惜しみなく振り絞り、重たい瞼を押し上げて――目を疑う。


「は」


 危ないところには行くなと、院長になってからあれほど言い聞かせていたのに。逃げるだけの時間を必死に稼いだのに。

 シュヴェルナを筆頭に、裏口から逃げたはずの孤児たちがヴァインを背に庇っていた。


「な、ぜ…………逃げ……っ」


 彼らは非常時の『約束』に則り、安全な場所に避難したはずだ。これだけ暴れ回っていれば、建物の中にいる子供たちも異常に気付く。だから、彼らが死地に飛び込んでくるのはありえない事態である。それが、何故……。

 ――いや、後回しだ。今は何の抵抗手段も持たない彼らを護らなければ。


 どうやって?


「…………っ」


 ヴァインは文字通り死に瀕しており、身体を動かす力なんて微塵も残っていない。辛うじて外界を感知する術が残されてはいるものの、木剣に触れている右腕には力が入らず宝の持ち腐れだ。

 一度は殺した相手。しかし、今回は状況があまりにも異なる。かつて殺した怪物に、ヴァインができることなど何も無い。


「こ、これ以上近付いてみろ……! よ、ヨロイムシがお前を許さないぞ!!」


「おゥおゥそれっは楽しみだ! ムシとはまだ殺り合ったことねェっからな!」


 大きく手を広げて立ち塞ぐシュヴェルナが恐怖を抑えつけながら吠える。当然百一の歩みは止まらない。


「い、いたいの、や!」


「オレにそうさせるっのはオマエだろォ? いやならさっさとどきっやがれ。オレが用あるのはソイツっだけだ」


 その小さい背中に隠れた幼いゴフィアが涙ながらに懇願する。無論百一の歩みは止まらない。


「最終っ通告だ。どけ」


「どかないわ!」


「そうか――恨むっなら、ソイツを恨めよ弟妹っども」


 威勢よく、身体を震わせながらシャルミが頑なな姿勢を見せる。その程度で百一の歩みは止まらない。


 ミハエルから奪った鞘を楽に持ち直し、息をするように凶行へと及んだ。即ち、震えて零す子供の涙すら破壊力に変換した一方的な蹂躙が、善良な子供たちに襲いかかる。


「――カカッ」


 ――そうした迫り来る魔の手を斬り伏せることが、ヴァイン・パレットの存在意義だ。


「ぐ、おぉぉぉぉぉぉッッッ!!」


 残された力を振り絞り、跳躍。巻き上がる土煙と色鮮やかな花びらを後にし、シュヴェルナの頭上を通過した辺りで急降下、体裁をかなぐり捨てたがむしゃらな銀閃を叩き込む。百一の一撃を妨害することのみに注力した殺意のこもった剣撃は、甲高い音を響かせて見事に彼を子供たちから物理的に遠ざけた。


「ヴァイン…………さん……?」


「逃げろ! 後のことは私がどうにかする」


「で、でもヴァインさん! 僕のヨロイムシがまだ家に……」


「私がどうにかする! ――私がどうにかする。お前たちが生きている限り、私は死なないさ」


 同じ言葉を強調し、何度も念を押したのが効いたのか、シュヴェルナたちの表情が徐々に晴れていった。

 それでも子供たちから迷いと不安は消えなかったが、凛々しさを涙で腫らしたシャルミの無言の意思表明が最後の後押しとなり、百一から遠ざかるようにぞろぞろと建物内へと逃げていく。


 それを見送って、おずおずと逃がしてくれた百一へと視線を戻す。一部始終を余すこと無く傍観していた弟弟子は口元を抑えて笑動を抑え込もうとして吹き出していた。


「愛する孤児たちに庇わっれて奮起……てかッ!? カカッ、笑えねェ!! 笑えねェよヴァイン兄ィィ!!」


 憎悪を含ませた怒号と共に肉薄。全身を穿つ重撃をヴァインは木剣一本で受け止める。あまりの重さに踏ん張る足元がずるずると抉れていく。


「――ぐ」


「解っ釈不一致! 違和感だらけッ! オマエ、そーゆー柄っじゃァなかったっだろッ!? 今っ更どのツラ下げて――あァ、そうか」


 興奮も束の間、語気に込められた熱がゆっくりと冷めていく。

 打ち合わせる鞘に、笑顔の消えた面持ちを極限まで近付けて、尋ねる。


「雲に隠れてやがったな?」


「…………あぁ」


「早ぇよ認めんの。大方、オトウサマの指示っで孤児院では理想の騎士団長様を演じィ、身動き取れねェオトウサマの手足となって秘密裏に動いてたってェところか。カカッ、あいっかわらずオレたちを騙すのが好きなよーで何っよりだぜッ! 反吐が出るッ!」


「一つ、訂正だ。手足としたのは「はんッ、オマエの言い訳っなんざ聞きたかねェし説得力ねェよ。オレの信じたこと、これっだけが真実だッ!」」


 言い切った直後、ヴァインの手首が彼の左拳に突き上げられる。


「…………っ」


 為す術なくもろに食らい、微かに緩んだ手元から異国の木剣が空へと滑り落ちる。

 身を守るものは何も無い。迎え撃つ武器も何も無い。ヴァインは百一との戦闘で初めて明確な無防備を晒していた。


「終わっりだッ!」


 その無防備を復讐者が見逃すはずがない。踏み込み一閃、繰り出される破壊が怨敵を平らに均し――。


「――いいや、これからだ」


「あ?」


 軌道の下を掻い潜り、百一の背後、武勇を示した勇敢なる騎士の元へ全速力で向かう。さしもの百一でも予想外の行動への対応は遅れる。彼の咄嗟の妨害が届く前に、ヴァインは目的地へと辿り着いた。


「……お前の覚悟、借り受ける」


 血を流し倒れるミハエルの真剣を手に取り、目を瞑る。——か細いが、息をしている。まだ生きている。ミハエルは、助かる。


 ゆっくりと向き直り、倒すべき敵へ視線を送った。


「獲物替えたっからどーするって? 当たらねェもんは何したって当たらっねェよ」


「そうとも限らんさ。――それを今から証明しよう」


 言葉にした後で、その言い回しを以前にも使ったことを思い出す。思えばあの時も、ヴァインは人知の及ばない実力者との戦いにその身を投じていた。


 ——気付けば、口元が緩んでいた。


「……ふっ、しっ」


「そんなにっ攻めの姿勢で大丈っ夫かー? こうされっる線も、考えねェと……」


「説明を省いてくれて助かる」


 がら空きのそっ首目掛けて振り下ろされる一撃には、その下を掻い潜るようにして対応する。合間に挟んだ薙ぎ払いは不発に終わった。


「んじゃあ、これっはどう……」


「あの時と同じだな」


 大振りの切り払い——を陽動に使用した渾身の回し蹴り。それを身を逸らして躱す。

 絡め手から最も縁遠い百一は、最期の一戦にも同様の手口を使っていた。正しく意識の範囲外からの奇襲、相手の命を刈り取るための、初見殺しの技だった。


「違ェ。何もっかも変わっちまった。――変えたのは……オマエでッ、オトウサマっだろーがッ!!」


 かわされた事ではなく、ヴァインの言葉に激昂する百一。衝動に任せた本気の猛連撃が、愚かな復讐対象を肉塊にせんと暴れ狂う。


 この瞬間を待っていた。


「——変わってないさ、お前は」


 左に飛び、死域を離脱。着地と共に地面を削り、がら空きの胸元へと銀閃を迸らせる。

 斜めに刻んだ傷口からは、死人のものとは到底思えない鮮血が流れていた。


「……カカ」


 食らうはずのない一撃を食らい呆然とするのも束の間、切られた男の口から漏れ出た笑い声は、これまでのものとどこか異なっていた。


「今っのは良い一撃っだったぜ!! そう、そうだ、そう来なくっちゃなァッ!!」


「気に入って貰えたようで何よりだ、百一」


「はんッ、癪っだが認めてっやるよ! オレに傷を負わせたのは後にも先にもオトウサマとヴァイン兄だけっだッ! 喜べッ、ほら、喜べっよッ!」


 受けた傷をものともせず、むしろ先程よりも生き生きとした剣撃を以て、超人は自身に剣を届かせた偉業を讃える。一振りするごとに軌道上の芝生が抉れ、茶色の地表が顔を出す。破壊の余波は孤児院を縁取る花壇の手前まで及び、幸いにも建物に甚大な被害はない。

 ——先程から身体がいやによく動く。湧き上がる高揚感と相反する冷静な思考が手を取り合って同居し、過去類を見ない反応速度で攻撃を捌けている。

 もっとも、百一が相手では対応可能期間のギリギリを攻めた形となるが、それでも満面の笑みで殺しにかかる怪物を前に二本足で立てていることは紛れもない快挙だった。


 秒間数撃襲い来る剣筋を観察しているうちに、防御と防御の間に一秒に満たない猶予が生まれた。


「…………は」


「言ったろ? そっちはオレっが貰うって」


 冷酷な宣告が鼓膜を伝うより前に、ヴァインは自身の過失を悟った。

 全力を出さずに油断していた相手をその気にさせる。そこまではいい。計画通りだ。だが、予想に反して効きすぎた。

 こちらは万全な状態とは程遠いというのに、文字通り本気の殺し合いへと自ら誘導してしまった。彼の性格をもっと考えていれば容易に想像がついたことなのに、そこまで頭を巡らせられなかった。

 いかに過去最高の反応速度といえど、片腕しかなく鼻は折れ、これまでの交戦に身体が悲鳴を上げていて、他人の獲物を握り締めるヴァインでは『死神』に近しい男には到底及ばない。そこを履き違えていた。


 刹那の反省をぐるぐる回すヴァインの隻腕に、ミハエルの鞘が迫る。振り抜いた右腕では防御が間に合わない。マントに隠した左腕は過去に置いてきた。回避する術は、ない。

 せめてもの抵抗で身体を捩ろうとするも、絶望的に間に合わない。目で追うのがやっとの速度で、鍛え抜かれた逞しい隻腕へと縦に線が入り――、








「――ッら、アァァァァァァァァァァッッ!!!!」


 乱入する咆哮、背中を狙った二連撃に、百一は攻撃を中断、即座に鞘を割り込ませて凌ぐ。

 荒々しい二振りを獰猛に放った乱入者は、ヴァインの生傷を抉るばかりか悲壮な覚悟さえも掻き消した。


 ――紅く輝く陽の下で高らかに吠える『金獣』が、内輪揉めの殺し合いに堂々と参戦を表明した。






何がなんでもここまでは書ききりたかった!

次回、極ケラ初の名前回です!



(以下は、最新話更新後に消します)

本日もお読みいただきありがとうございます。

10/22最後の更新です。次話は書き上げ次第の更新となります。


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