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極相色彩のケイオスライン  作者: 路崎舞
第二章『波紋に歪む理』
47/48

極ケラIF『極赤色彩のルベウスライン』(後編)



「おはよう。レティシア、サンドラ。昨日ぶりだな」


「おはようございます、ナフィリン閣下! ザレンさんも、おはようございます!」

『おはよーございますっ! ナフィ閣下!』


「……おはようございます、ニンゲン」


 私――レティシア・パレットに芽生えた新しい夢、それの実現に向けてイリスちゃん、マリー、フローラちゃんと話し合った次の日、私はサラと皇城に来ていた。

 このお城の持ち主のナフィリン皇帝閣下は私たちの挨拶に上機嫌に口元を歪めていて、その一方で黒服姿のザレンさんは自分の右手を見つめてる。


「教会の住み心地はどうだ?」


「最高です!! シスターのみんなも優しいし、部屋も綺麗だし、ニムレットさんの手料理は美味しいし! 至れり尽くせりですよ!」


「……そうか。であれば、ここ一週間は夜に気を付けろ」


「夜、ですか……?」


 「暗くなったら怖い人が出るから出歩くな」。言われるまでもなく当たり前の事だけど……。わざわざ念を押す必要があったのかな?


「何かあれば妾かイリスの部屋へ駆け込むといい。――なんなら、妾との添い寝を許可してやってもいいぞ?」


『「そいね?」』「お戯れを」


 そいね……初めて聞く言葉。

 でも、その響きから考えると……。


「一緒に寝る……ってことであってますか?」


「あぁ。妾も人間だ。寂寥感を覚える時くらいある。イリスには何度も断られてしまっているからな。レティシア、お前が頷くのであれば妾も救われるというものだ」


 せきりょーかん……むむむ。難しい言葉でよく分かんないけど、流れ的に寂しいとか、そういうの……?

 だとしたら、その気持ち、すっごく分かる。


 今はサラと一緒に寝てるけど、それでもふとした瞬間にお父様やヴァイン兄さん、ミハエル兄さん、家族のみんなが恋しくなっちゃうの。


『――いやいやレティー、一緒に寝るって、一緒に寝るってことだよ!? お願いだから考え直して! そいねはアタシとすればいーじゃんっ!!』


 サラは何故だか耳まで真っ赤にして猛抗議してるけど、私はそんなに悪い話じゃないと思う。


 ナフィリン閣下の場合、皇帝様っていう肩書きのせいで、お友達が少ないんじゃないかな。

 だから、心が満たされなくって、夜に寂しいって感じちゃう。


 私は頼めばイリスちゃんやマリー、フローラちゃんにモネねん、ムニアちゃんとかと一緒に眠れるだろうけど、閣下にはそれができない。

 今みたいに冗談めかして提案するのが関の山。

 ――頼んだイリスちゃんには断られちゃってるみたいだし。


「……では、お言葉に甘えて」

『レティーっ!?!?』「図に乗るな、ニンゲン」


 ――だから、何者でもない私が、歩み寄らなくっちゃ。


「ザレン」


「…………ですが閣下、御身を思えばこそ、私は容認できません。ご自身の高貴な身分をお忘れでは?」


「高貴さが何の役に立つというのだ? 少なくとも、寂寞(せきばく)に苛まれる夜には邪魔でしかないが」


「…………しかし、やはり私には看過できません。御身に何かあれば、私は………………」


「案ずるな、ザレン。まさか、妾が誰であるかを忘れたわけではないだろう?」


「ナフィリン・ランゴルマージ。私の全てです」


「う…………それは……少々恥ずかしいな。ともあれ、そうだ。なればこそ、妾の命が危険に晒されるなど、万に一つも有り得ん。――それはお前が一番理解しているはずだ」


「………………分かりました。私は今日この場に居合わせなかった。それで手を打ちます」


「との事だ。これが妾の右腕の耳に入ってしまえばどうなるか知れたものではないが、幸いにもこの場には妾とレティシア、サンドラと見知らぬ男しかいない。このことはくれぐれも内密に、な」


「えへへっ、分かりました……! では早速、一週間後、お泊まりに来てもいいですか?」


「一週間後だな? そこな人、その日の予定は」

「国民から寄せられた文一万六千五百二十八通のうち程々に緊急性の高い三百三通への返信と、保留していた書類百十八部への捺印です、名も知らぬ閣下」

「重畳だ。であれば、政務の片手間に今日中にでも片付けておくか。とはいえ量が量だ。代読並びに代筆してくれ」

「承知」


『……息ピッタリだね』

「うん……すごいなぁ」


 仲良し主従の阿吽の呼吸にサラと顔を見合わせ、心からの感心を共有する。

 ふふっ、なんだか笑顔になっちゃうな。


 それにしても皇帝様と一緒に寝られるなんて、深く考えなくてもすごいことだよね。今になって緊張してきたけど、私は友達の友達の「ナフィリン・ランゴルマージ」さんのお部屋に行くんだから、肩の力が入らないように気をつけないと。


 そうそう、それまでに着ていく服も考えないとだよね。遠慮のない感想を言ってくれるフローラちゃんか思っとことをそのまま伝えてくれるムニアちゃん辺りを誘ってたくさん試着して――、







「――って、そうじゃなかった!!」


「なんだ、レティシア。何か不満でもあるのか?」


「違うんです閣下! 今日私がここに来たのは他にお願いしたいことがあって……!」


「ほう? 妾との添い寝より大切な用事があると?」


「いいえ!! そういう事じゃないんです!! でも、大切なのは本当ですっ、本当!」


 険しくなる閣下の視線に、必死に手を首を動かして疑惑を否定。

 大切なものは大切、そこに上も下もないと思うの。――あれ、これ前にお父様に言ったのと似てる気がする。でも、やっぱりそうだよ。

 好きも大切も、勝ち負けじゃ無いもんね!


「……許せ、今のは些か意地が悪かった」


『あ、ナフィ閣下が認めた』


「………………神父にでも診てもらいますか」


 なんて事を考えていると、サラの言葉に反応したように、またザ……お兄さんの右手が震えて、それを見つめ始めちゃった。

 それを閣下が流し目に見やりつつ、沈黙で先を促してくれてる。


 ……大きく深呼吸。帝国の空気を肺に吸い寄せ、体の隅々まで浸透させる。迷い、躊躇い、そうしたものを古い空気と一緒に外に押し流した。


『……行けそう? レティー』


「うん。ありがと、サラ」


 親友の力強い応援を背に、意を決する。


「ナフィリン閣下」


「聞こう」


「――私に、剣の稽古をつけてくれませんかっ!?」



「………………ふむ」


 前のめりになって勢いよく伝えた一世一代のお願いごと。返ってきたのは小さい「ふむ」だった。


「この一日での心境の変化について詳しく知りたいところだが、それはひとまず置いておこう。――見たところ、お前に剣の覚えはないようだが」


「その通りです。私は、生まれてから一回しか剣を振ったことがありません」


「論外。閣下が聞くに値しない妄言です。疾く、失せなさい」


 さっと、ザレンさ……知らないお兄さんが私の眼前に立ちはだかって、見上げた先、黄色の眼光が私を鋭く貫く。

 身体が動かない。本能が告げている。判断を間違えれば命がない、と。


 ――だからって諦めるの?


「…………っ」 


 あの日、何も出来なかった自分と同じでいいの?


「…………」


 いいわけ、ない。だって、もう二度と喪わないために、大切な人を少しでも護れるように、ここに来たんだもん。そして何より、親友との約束を守りたい。


 ――ならっ、ここで臆して、どうするの……!


「ですのでっ、閣下に直接御指南賜りたいと思いました! 王国でも、あなたの突出した強さは知れ渡っていましたから!」


 壁のような黒服越しに、道を塞ぐ知らないお兄さんに私の思いをぶつける。


 ――現皇帝の武勇伝。以前、お父様に勉強の一環で教わっていた。ただ舞を踊っているだけなのに自然と敵が倒れていく。猛き者も聡き者も、老若男女問わず虜にし、死を感じさせない死を与えるその戦いぶりから付いた異名は『妖舞帝』。


 さらに恐ろしいのがナフィリン閣下が大鎌を振るったのは十七年前、閣下が六歳の皇女殿下だった時の一度だけ。その一度だけで、次代の皇帝の実力を疑うものはいなくなった。


 それが知らないお兄さんの後ろで思案に耽っている稀代の天才、ナフィリン・ランゴルマージ皇帝閣下。三大大国に数えられるランゴルマージ帝国を治める女傑、帝国最強の名を今もなお欲しいままにする、私の師匠になってほしい御方だった。


「ほう? 貴様、見る目がありますね」


「お兄さん……?」


「――ふ」


 ――聞き間違いかと思うほど柔らかな音が上から降ってきた。じりじりと突き刺す眼光が和らぎ、心臓を締め付ける圧がふっと無くなる。


 それと同時、知らないお兄さんの背後、閣下が息を漏らすのが聞こえた。視界を覆う「黒」が消え、再び頬杖をつく皇帝と目が合った。


「では、この件はザレンに一任しよう」


「ザレン、ですか」


「あぁ。だが生憎、この場にはいないようだから……そうだな。今日のところはそこの男に習うといい」


 閣下が顎で指し示した先に視線を移すと、さっき私を威嚇してた「黒」、いつの間にか閣下の隣に佇んでいる知らない男の人が眉間に皺を寄せていた。

 しかしそれも束の間、すぐにさっきまでの無表情に戻る。


「……閣下の面目のためにも、死なないでくださいね、ニンゲン」


「はいっ、師匠!」


「…………」


『レティーって、意外とたくましいところあるよね〜』


 私的には不本意なサラの揶揄が、その場を締めくくった。



 □ ■ □



「ていっ、やぁっ、たぁぁっ!!」


「ぬるい」


「きゃっ」


 冷淡な指摘と共に振り下ろされた右腕に、私の握っていた木剣が地面に叩き落とされる。


「この程度で獲物を手放すとは。温室育ちの弊害ですね」


「むぅ……初めてなんだし、もうちょっと手加減してくれてもいいじゃないですか!」


「閣下から賜った命。どうして手を抜けられましょう?」


「すごい! 全然話が通じない……!!」


 腕をさすって剣に右手を伸ばし、人生で初めての経験につい口をこぼしてしまう。


 流石にそろそろ分かってきたんだけど、ザレン師匠ってナフィリン閣下以外の事に全く興味が無いみたい。口を開けば閣下閣下、それ以外の時はだんまり。

 私の師匠は困ったさんだった。


『――右!』


「ぇ?」


「……ほう」


 突如耳元に届いた切羽詰まった指示に、咄嗟に左に上半身を揺らす。その真右を、いつの間にか背後に回っていた師匠の手刀が貫いていた。


「素人丸出しの攻防と思えば、命を狙った一撃には迅速に対応する……どうやら突出した生存本能に恵まれているようですね」


「え…………えぇ?」


『レティーの覚悟を尊重して見守るつもりだったけど……もーう我慢できないっ! アタシも戦う! 一緒にあのいけ好かない無表情を破壊しよっ!』


 師匠の不意打ちと講評に置いてけぼりになってる脇で、ふんすかと息巻いているサラが心強く背中を押してくれた。


「うん。――師匠、私たちがあなたをぎゃふんと言わせてみせます……!」


「笑止」


 後ろにいる師匠に威勢のいい啖呵を切り、落とした木剣を拾『足!』うと同時に地を蹴る。

 そのすぐ真下を黒色の残像が通り抜け、『後ろ!』次いで後ろ目掛けて思いっきり剣を振り抜く。


「一命を取り留めましたね。文字通りの一命ですが」


 その声は、正面から聞こえた。


『「嘘っ!?」』


 空中で体勢を崩した私が取れる手段は多くない。辛うじて左腕を構えて顔の防御は間に合った――と安堵する間もなく、靴裏の硬い感触に押された左腕が鼻に衝突した。


 背中から墜『丸!』落する寸前で身をかがめ、受身を取ることに成功。致命傷は免れる。

 しかし身体には力が入らず、殴打した鼻からは出血、痛くて苦しくて息も辛くて――でも、言葉にするのが難しい達成感みたいなものが確かにあった。


「はぁ、はぁ、はぁ…………うぅ……っ」


「――ここまでにしましょう。使いの者に教会まで送らせます。その傷は聖女に癒してもらいなさい。――明日から、毎朝十時に来るように」


「は、はい……っ」


 九死に一生を得て、しかもサラと一緒にそれを掴み取った事実を噛み締め、噛み締めた途端に張り詰めていた緊張がぱんっと弾けた。

 全身を地面に放り出し、重力に全てを任せて泣き笑い。


「つーかーれーたー!!」


『…………お疲れ様、レティー!』


 閣下の右腕である師匠に、本気ではないにしてもその一撃に防御を間に合わせられた。

 痛みと共に実感する。師匠とやれば強くなれる。私でも、強くなれるんだ……!


 毎日の稽古、すっごく大変だけど、それを乗り越えなきゃ私の憧れる騎士様にはなれない。サラとの約束を果たせない。

 だから頑張るの。頑張れっ、私!



   □■□          □■□



「シアって剣握ってもお花畑は変わんないよねー」


「むぅ。納得できないんだけど、フローラちゃん」


「事実じゃん」


 そうして頑張ってきた私に下された釈然としない評価に頬を膨らませると、ベンチに座った水髪の女の子――フローラちゃんはにししと深紫色の両目を細めて意地悪に笑った。


 お日様がお空の高いところで光を放ってる下で、教会の庭、緑の芝生を力強く踏みしめながら愛剣を振り下ろす。上げて、下げて、上げて、下げて――。

 記憶の中のミハエル兄さんをお手本にして、ただひたすらに剣を振るう。


「三ヶ月前だって、『斬らないように戦ってたら仲良くなれないかな?』って真面目に相談してきたっしょ?」


「もうっ、そんな昔のこと掘り出さないの……!」


「現在とは過去の積み重ねだかんねー」


 そんな私を見守ってくれてるフローラちゃんは、澄まし顔でそう言ってのけた。


 今は昔の積み重ね――その言い分に納得できる部分はあったけど、それとお花畑を結び付けられるのはやっぱり納得いかない。というかそもそもお花畑ということ自体納得してない。

 にやにや揶揄ってくるフローラちゃんに、更にぷんすか頬を膨らませる。


 ――ザレン師匠に稽古を付けてもらうようになってから、気づけば五ヶ月が経っていた。


 最初は防戦一方だったサラとの共同戦線も、今では反撃を試みる余裕を残せるくらい上達している。……まぁ、師匠からはまだ一本も取れてないんだけどね。攻撃が当たった試しもないし。

 それでも、手刀で相手をしてた師匠が木剣に切り替えたのは、間違いなく私の成長の影響だった。


 稽古の進捗だけでなく、この五ヶ月、本当に色々なことがあった。

 イリスちゃんと服屋さんで試着とかお買い物を楽しんだり、マリーに裁縫を教わったり、フローラちゃんからシスターになる前の話を聞いたり私も思い出を話したり、モネねんが一日に三つも花瓶割っちゃったり、その後始末をしてるムニアちゃんの愚痴を聞いてあげたり――。


「……ふふっ」


 楽しいなぁ。毎日が、とっても充実してる。帝国にもすっかり馴染んじゃった。

 お店の人やご近所さん、教会のお客さんとも顔馴染みだし、王国に帰った後も一ヶ月に五日ぐらいは遊びに来たいな。

 えへへっ、家に帰ったらお土産話沢山話さないとだね。シャルミとか、帝国のお花について話したら目を輝かせて聞いてくれそう。

 それに、月に一回皇帝様のお部屋にお泊まりしに行ってるって知ったらビックリしすぎてお口パクパクさせちゃうんじゃないかな。えへへっ、明日が楽しみだよ! あ、そうだ。イリスちゃんも誘ってみようかな。ダメ元だけど、私と一緒なら頷いてくれるかも。


 そんな感じで未来に思いを馳せている間も、私の両腕はひたすら剣を縦に振り下ろしていた。


「そういうフローラちゃんこそ、私の素振り見てていいの? お仕事の手を抜く癖、治した方がいいんじゃない?」


「あーしはいーの。あーしより優秀な働き者があーしより効率的に厄介事を片付けてくれるから」


「それでイリスちゃんとモネねん、ムニアちゃんが忙しくなっちゃって構ってくれないってここで不貞腐れてるの、本末転倒だと思うんだけど」


「ばっ! 不貞腐れてないし! あーしはただあんたを見てる方が楽しいってだけ! 誤解すんなぁ!」


 顔を真っ赤にして声を荒らげるあたり、何の訂正にもなっていなかった。

 素直じゃないフローラちゃんを横目に、また剣を振り下ろす。


「それに、たまにの息抜きじゃん! あーしだってちゃんとやるべきことはやってるし、今日だってモネの後始末を終わらせてから来たんだから」


「そう? フローラちゃんのたまにって、寝たら消えちゃうんだね」


「……うっさいバカ」


 あ。そっぽ向いちゃった。ちょっと言い過ぎちゃったかな……?


 ちなみにフローラちゃんは本当に毎日モネねんの後始末に追われている。

 気持ちが空回りしてドンガラガッシャーンしちゃうモネねん。その後始末をいつも引き受けているのが、「また姉なんだよ」と呆れつつ宥めるムニアちゃんと、その傍らで憎まれ口を叩きながらモップをかけるフローラちゃんなの。


 モネねんのドジは前触れなく毎日必ず訪れちゃうから、本人の主張通り、フローラちゃんによるレティシア稽古観察はいつもドジを片付けてから始まっている。

 そこの点については同情するけど、やっぱりお仕事をサボるのってよくないと思うの。甘やかしすぎちゃ、フローラちゃんのためにもならない。……そう考えたら、さっきのも別に言い過ぎじゃないような気がしてきた。


「大変なのは分かるけど、やっぱりお仕事から逃げちゃダメだよ。やらなきゃいけないことをちゃんとやる、それができて初めて一人前の大人になれるんだから」


「そんな根張り詰めちゃ生きてくの辛いしつまんないっしょ。手を抜けるとこは手を抜かないとやってらんないって。それにあーしまだ子供だし。リスとかマリーとおんなじ十六」


「ええ!? 同い年なの!?」


「ま、あーしの溢れんばかりの魅力がシアの目を眩ませちゃうのも無理ないけどねー」


 フローラちゃんの軽口は軽く流して、驚きの新情報を咀嚼する。

 子供っぽい所もあるけど大人びてるし、まわりをよく観察してる気配りさんだから、もっと上だと思ってた。


「じゃあ、今までシアはあーしのことお姉さんだと思ってたんだ? へー? ふーん?」


 失礼だったかもって思ったけど、思いの外満更でもないみたい。


「てかあんたも十六なんだね。……もしかして、あーしと同い年になるために頑張って早く生まれたとか?」


「うーん、そうだったのかも……? 生まれる時期って選べたんだね!」


『選べないよ〜』


「あははー」


 サラのつっこみとフローラちゃんの愛想笑いに愛想笑いを重ね――その愛想笑いに別の笑いが含まれていることに気付いて、むっと頬が膨らんだ。


「まーまーそう怒らずに。ところで聞いたよ。また通りすがりの人助けたんだって? ねぇシア、そろそろその何の役にもならない人助けやめたら?」


「え?」


 突然の空気の冷えように膨らんだ頬から間抜けな声が漏れ出る。フローラちゃんが発したとは思えない低い声に背筋が凍り、私の生き方を否定する忠告に思わず目元がぎゅってなる。


「この前だって、降りることも考えないで木に登った間抜けを助けて、自分は足を捻って……それで死んだらバカじゃん。自分の命が一番大事なのに、何かを得られるわけでもないのに、どうしてあんたは誰かに手を伸ばすわけ? せめて見返り求めなよ」


「……もしかして私、今心配されてる?」


「してないから!」


 フローラちゃんの否定は肯定の裏返しだから、思った通りだ。


 あの時と同じ。私が騎士を目指すって伝えた時のフローラちゃんと。彼女なりに私の身を案じてくれているんだ。


「ふふ、そうかもね。フローラちゃんの言う通りかも。でも、それが私の目指す生き方だから」


「………………そ」


 その「そ」がフローラちゃんの最大限の譲歩だと私は知っていた。だからこれ以上気まずい空気を引き摺らないよう話題を変えようとして、


「あのね」「あのさ」


 見事に被り、サラと一緒に「ふふっ」と吹き出してしまう。顔を真っ赤にしたフローラちゃんは俯いて、水色の前髪に綺麗な両目を隠そうとするも、隠し切れてない。


「――っ、それにしても、よくもまぁそれだけ励めるもんだね。あーしにはとてもじゃないけど考えられない」


 とうとう堪忍できなくなったようで、拗ねた子供みたいに震えた声でそう絞り出し、吐き捨てた。不器用な照れ隠しにまた吹き出しちゃいそうになるのをなんとか堪えて、話題転換を試みるフローラちゃんの意図を汲んで素振りを再開する。


「だって、お父様たちが王都で頑張ってるんだもん。お手紙がないのは心配だし寂しいけど、きっと今もみんなは孤児院の再建に全力を尽くしてる。私が怠ける訳にはいかない、よっ!」


 言い切ると同時、振りかぶった剣を縦に落とす。ぶん、と空気を切り裂く音がして――その音に紛れて、小さな息遣いが聞こえた。

 音の発信源に目を向けると、どうしたのか、深紫色をしたジト目が丸くなっていた。


「……フローラちゃん?」


「…………。………………っ! ごめんリス、見てらんない。――シア……落ち着いて聞いて。実は……」

「フローラ!! ごめん助けて!!」


 様子のおかしいフローラちゃんにごくりと唾を飲むも、僅かに息を詰まらせたフローラちゃんの言葉を危機迫った大声が遮った。

 玄関の扉を勢いよく開けて血相を変えた様子で姿を現したのは、短い緑髪がよく似合う可憐な女の子、マリーだった。


「……………………はぁ」


「いつも本当にごめんね? 今日もお願い!」


「いい加減、自分でできるようになったら?」


「無理無理っ、僕には無理だよ! そう考えるだけで気を失いそうになるの、フローラなら知ってるでしょ!?」


「…………はぁ」


 あからさまに嘆息し、フローラちゃんがやれやれと目を瞑る。瞑って、なおもあたふたと慌てふためくマリーに根負けして気怠げな彼女も遂に重い腰を上げた。


 週に五回は似たようなやり取りをしているものの、フローラちゃんがマリーを見捨てたことは私の知る中では一度もない。これもまた、私の新しい日常に組み込まれている光景の一つだった。


「で? 今日は何匹いんの?」


「見たのは一匹! でも、あと二匹はいる気配がする!」


「りょーかい。あんたもいい加減慣れなよ。無理なのは知ってるけど」


「そうだよ無理だよ!! 生理的に受け付けないんだよ!! 努力しても虫だけは生涯無理無理!!」


 と首をぶんぶんと振り回しているマリーが恐れているのは、いつも通りなら実害のない羽虫だった。


 彼女の自己理解のように、マリーは生き物をごめんできない。しない、でも苦手、でもなく、「できない」。

 虫に限らず、わずかでもごめんしちゃう可能性がある行為を、マリー・エルレディは行えない。


 そして、そんなマリーがこうしてなりふり構わずフローラちゃんに助けを求めてくるのは、決まって害虫(その殆どは不快害虫)が出た時だった。その不殺の徹底ぶりは、心底退屈そうにはたき落とそうとするフローラちゃんに殺さず逃がして欲しいと懇願するところにも表れている。


「ちょっと行ってくる。……無理は禁物だかんね」


「了解っ! サラもいるから安心して。ちゃんと休み休み頑張らなきゃその場で怒られちゃうから……!」


『その通りっ! ふふん、ア「……そっか」前では如何なる無茶も許さないんだからっ!』


 ドヤって誇らしげに胸を張るサラを横目に、こちらに背を向けたフローラちゃんの背中を見送る。

 観客が一人いなくなった庭で、それでも変わらず私は鍛錬に励むのだった。



 □ ■ □



 そうして自己鍛錬を終え、日暮れに合わせて食事やお風呂を済ませた私たちは、貸し与えられた自室でゆったりくつろいでいた。


『にっへへ〜、今日もお疲れ様っ、レティー!』


「うんっ! お互いとっても頑張ったね、サラ!」


 二人だけの寝室、ベッドに身体を放り投げた私とサラは、お互いを労いつつ顔を合わせて笑い合った。


 ――私たちだけじゃない。お父様も頑張ってる。みんなに顔向けできる自分になるためにも、サラを守るためにも、この調子で……いや、もっと頑張らなくちゃ!


「絶対、師匠から一本取ってみせるんだから……!」


「――レティシアちゃん。サンドラさん。今、いいですか?」


「あ! イリスちゃんだ!! どうぞどうぞ、入って入って!」


 もはや日課となっている決意表明をする最中、控え気味に戸を叩く音と共にイリスちゃんが訪ねてくれた。


 遠慮しがちに入室したイリスちゃんは、胸元に猫ちゃんの刺繍が入った薄い桃色の寝巻きを着ていた。


「今日も稽古お疲れ様でした。進捗はどうですか?」


「昨日と同じかなー。あの手この手を試しても手も足も出なくって。あ、でも着実に力はついてきてるんだよ! ……それでも師匠から一本取るのは数年先になりそうなんだけどね」


「あのザレンさんがお相手ですもんね。むしろ、あの人を相手に毎日生きて帰ってこれている時点でレティシアちゃんはすごいと思いますよ!」


「えへへっ、そうかなー?」


 と湧き上がる熱を誤魔化して、ちらとサラの顔色を窺う。白い歯を輝かせて親指を立ててくれてるのを見てさらに体が熱くなった。

 ここにお父様がいても、きっとそう褒めてくれると思う。もしかしたら頭も撫でてくれるかもしれなくて。


 ――そこで不意に、出処不明の不安が私を襲った。


「……ねぇ、イリスちゃん。私、ちゃんと頑張れてるよね?」


「もちろんですよ! きっとお父上もお喜びになると思います!」


「あはは、だよね。ありがとう」


 食い気味の返答に力無く笑いながら、遠方で私たちのために日夜頑張っているお父様の姿を思い浮かべる。

 会いに行くのは騎士になってからだけど、せめてちゃんと元気にやっています、ぐらいは伝えたいな。お父様も心配してくれてるだろうし。


「……あれ、そうじゃん! 手紙くらいは送っていいよね!! お父様も心配してるだろうし、私も今話したいことが沢山あるし!!」


「ぁ……」


「あれ? でも、それはお父様も同じはずだよね。なんで手紙来ないんだろ……」


 普段は一応敵対国だから手紙を送り合えないんだけど、皇帝様と女王様の取り決めで当分の間は両国間での自由な交流が認められてる。だからこの五ヶ月間、いつでも送る機会はあったはず。


「それか、運んでくれる人が途中で何かに巻き込まれちゃったのかな……?」


「…………っ」


「えっと、どうしたの……?」


 そこでようやく、異変に気付くことができた。

 私たちを地獄から連れ出してくれた時と同じくらい辛そうな顔をしているイリスちゃんに、胸の奥がざわめき始めた。


「……あなたは、私を恨んでいいです」


「イリスちゃんを……?」


 私が?

 そんなわけない。そんな要素なんて一つもないよ。

 むしろイリスちゃんは私たちの命の恩人なわけで……。


 嫌な冗談。イリスちゃんらしくないよ。


「以前、お父上やご家族が帝都へ亡命し、そのまま王都へ帰国したとお話しましたね」


「うん。確か、私とは再建したパレット孤児院で再会したいって、イリスちゃんに伝えたんだよね?」


「……えぇ、そうです」


『――待ってイリスそれは』


 重々しく肯定するイリスちゃんに、弾かれたようにサラが静止し――かけるも、止まらない。






「…………全部、嘘です」





「………………………………………………は?」


 ――――。

 ――――――――。

 ――――――――――――は?


「――――。もうっ、イリスちゃんったらどうしちゃったの? フローラちゃんでもそんな悪い冗談言わないよ?」


「…………」


「待って、待ってよ。待ってってば。それ以上言わないで。ねぇ。お願い。お願いだから、言い間違えだったったって言って。嘘が嘘だったって……ねぇ、イリスちゃん」


「…………。お父上もご家族の皆様も、あの時の爆発で命を落としています。孤児院は再建されたようですが、今は国民が祈りを捧げる場所となっているそうです」


「…………そ、れじゃあイリスちゃんが会ったっていう人は? あれは間違いなくお父様じゃん……っ!! あなたが言伝してくれた言葉もお父様が言いそうな内容で――」


「それも含めて、真っ赤な嘘なんです。レティシアちゃん」


「…………………………」


 …………。嘘。そんなこと、あるはずない。だって、本当にそうなんだとしたら、サラが何も言わないはずない。ないんだから。


『レティー…………』


 …………。

 ……………………。

 ………………………………違うって、言ってよ。

 どうして、辛そうな目をしてるの。否定、してよ。

 

「サラは……知ってたの……?」


『薄々ね。でも、イリスなりの、みんななりの優しさなんだよ。恨まないであげて』


「…………恨むわけ、ないじゃん」


「っ、レティシアちゃ「ごめん。一人にして」」


 思わず、大きな声を出してしまった。


 もう、顔も見れない。


 扉が閉まる音が聞こえてからも、蹲った私の目は変わらず白い膝だけを捉えていた。




「………………」


『………………』


「………………」


『レティー…………』


 一人――いや、二人、部屋に取り残される。

 さっきまでの楽しい空気はもう無くなっていて、空虚な静寂だけが私たちの間を満たしていた。


「…………一人にして」


『ううん。それはできない』


「っ、なんで!? なんで私のお願い聞いてくれないの!?」


『…………』


 告げられた否定に、ささくれ立った何かが激しく脈打つ。


 それに任せて立ち上がって詰め寄っても、沈痛な面持ちをしたサラは押し黙るばかり。


「何も言わないんなら、出てってよっ! 何か言うんなら、やっぱり出てってよっ! 今は誰とも話したくないの! 一人で…………いたいの………………」


 じゃないと感情が、一人になるまで我慢してた涙が、ポロポロと溢れちゃう。心配かけたくないのに。泣いてる所も落ち込んでる所も、見せたくないのに。


 ――我慢、できないよ。


「大、丈夫だから……。明日には、元気になってるから……。だから……」


『…………レティー』


「お願い…………します……。今は、一人にさせてください………………っ」


 ゆっくりと、ふわふわの絨毯に頭を擦り付ける。

 誰に教わった訳じゃない。でも、懇願を行動で示そうとしたら自然とそうなった。


『…………』


 でも、気配は消えない。消えてくれない。


 もう抑えられない。限界を超えたところで無理やり堰き止めていたものが、溢れ出す――。


「もう、ダメなの。壊れちゃったの。折れちゃったの。ぐちゃって潰れちゃったの。戻らないの。戻れないの。どうしようもないの! どうもしたくないの! もう全部どうでもいいのっ! 何もかもっ! 全部っ!」


 口から零れていくうちに、だんだん熱が入っていく。割れた心が痛烈に叫ぶ。保っていた何かがぷつりと切れた。


「私を、心配してくれるのは、嬉しいよ。ありがとう。でも、もういいの。私は、もういいの。もう頑張れないの。頑張る意味がないの。頑張りようがないの。だから、お願い。一人にして」


『…………それは、できない』


「――っ、だからなんで!? 私がこんなにお願いしてるのに、どうして耳を傾けてくれないの!? 思えばいつだってそうだった! ――私が辛い時、あなたは何をしてくれた!?!?」


 違う。違う。止まれ。止まって。止まりなさい。

 お願い。もうやめて。

 そんなことを、言いたいんじゃないのに。


 サラは転んだ私の傷を手当してくれた。

 サラは貴重な休みを使って私と遊んでくれた。

 サラは私が泣いてる時に背中を撫でて一緒に涙してくれた。

 サラはお父様と喧嘩した時、その場にいないお父様を私と一緒に怒ってくれた。

 サラは全てが壊された地獄から、手を引いて私を護り抜いてくれた。


 サラはいつだって私に寄り添ってくれた。楽しい時も、悲しい時も、辛い時も苦しい時もいつだって私の心を優しく撫でてくれた。

 ――その優しさを、私は自分で穢した。


 開いた口は止まらない。開いた口は言いたくないことを言っていく。


「今だって、私の近くにいるだけじゃん!! 何もしてくれない!! 何も助けてくれない!! まるで置物みたい。ううん、お人形さん。あなたは、お人形さん! ただそこにいるだけで、何の役にも立たないっ! ――はは。私と一緒だね。家族みぃんな死んじゃったっていうのに、のうのうと楽しんでた私と。ただ生きているだけで、他に何もしなかった私とっ!!」


 おかしい。辛さを吐き出してるはずなのに、もっと心が苦しくなる。

 痛い。痛い。痛くないのに、痛い。


「ほら、だんまり。何も言えないんだ。図星だから。言い訳できないんでしょ。嘘。嘘だもんね。あなたは私に寄り添うふりをして、本当は何も思ってないんでしょ。演技なんでしょ。誰かの――お父様の命令なんじゃない? だって、じゃないと、それ以外に、王国騎士団分隊長『紅光』サンドラ・ミリエスタが、何も無い空っぽな私と友達になるなんてありえない! し、親友っていうのも、私を騙すための嘘なんだよね? わた、私は見え透いた甘い言葉を信じて、し、親友でもないあなたを」

『――レティーっっっ!!!!』


 ――聞いた事のない怒号に、身体が跳ねる。

 そこで初めて、私は「サラ」に意識が向いた。

 肩で息をしながら、彼女は大粒の涙を流していた。


『もう、やめて。自分を、傷付けるのは……』


「じ、ぶん……? なに、言ってるの?」


『アタシのことは、何て言ってもいいの。でも、それであんたが苦しむんなら……あんたが辛そうに泣くんなら――アタシは見過ごせない』


 …………言っている意味が、わからない。


『レティー。確かに、今のアタシにはあんたを直接助けてあげることはできない。せいぜい、隣で一緒に泣いてあげることくらい』


 うん。そうだよね。でも、それが何になるって言うの?


『あんたの思いも否定しない。アタシには、できない。あんたがそういうんなら、それが真実だよ』


 うん。そうだよ。否定しないなら、今すぐ一人にしてよ。

 じゃないと、もっと酷いことを言っちゃう。見せたくない私を見せちゃう。暗いのがどっと押し寄せてきて、私が私で無くなっちゃうから。


『でもね。これだけは言わせて。――アタシにとって、レティシア・パレットは唯一の友達……ううん、親友、なんだよっ』


「…………」


 嘘。嘘だ。嘘だってば。そんなこと、あるはずない。ないんだって。

 そう、否定したいのに。


『レティー』


「…………」


『……レティー』


「……………………何。サラ」


 重ねられた呼び掛けに、揺らぎの中にある涙声をなんとか絞り出してお返事する。


 その慈愛の込められた声を聞いてるだけでどうにかなってしまいそうになる。けど、その苦しみが引き伸ばされることになったとしても、サラ――親友を、無視することなんてできっこなかった。


『アタシのこと、恨んでる?』


 ううん。そんなわけない。

 こんなに素敵な親友のことを、恨むわけがない。


『ナフィ閣下のこと、恨んでる?』


 ううん。そんなわけない。

 こうなることを見越して私に生きる目的を与えてくれたナフィリン閣下を、恨むわけがない。


『イリスのこと、恨んでる……?』


「…………」


 ……イリスちゃんは、恩人だよ。

 怖いので溢れかえってた死地から私たちを助けてくれた、恩人。

 だけど彼女は私に嘘をついて帝国に渡らせ、大切な家族の死をずっと隠していた。私を騙していた。


 それを、私は――、



「恨まない…………恨めない、よぉ……っ!」


 ――押さえ付けていたものが、暴走する。


「だって、誰も、悪くないんだもん……っ!!」


『――うん。そうだね』


「悪くないのに……みんなは……お父様は死んじゃって…………っ、私、私、分かんない…………!」


『――うん』


「これから何をすればいいの!? 生きるって何なの!? ここにいていいの!? 私だけ生き残って……それで、何の意味があるっていうのっ!?」


『――分からないよ』


「ぁ」


 瞬間、身体に発生した「熱」に、呆気にとられる。


 呟かれた内容は求めていたものじゃなかった。でも、反論の言葉が喉につっかえて出てこない。


 サラが、涙を流し細い肩を震わせるサラが、私を優しく抱き締めていた。


『分からない。誰にも、分かりっこないよ』


「そんな…………こと…………」


 分かってる。わざわざ言われなくたって、私がおかしい事を言ってるんだってことくらい。

 こんなこと、誰にも分かりっこない。誰にも答えられない問いを、今、無遠慮に親友に投げ付けている。


 そんなこと、分かってる。


「でもっ、仕方ないじゃんっ! もう、何が何だか分かんないのっ! 全部、どーでもいーのっ! 皆、皆死ん、死んじゃって、私だけ生き残っちゃって――そっか。私も死ねばいいんだ」


 なんだ。簡単なことじゃん。分かんないなら、逃げちゃえばいい。お父様やミハエル兄さん、ヴァイン兄さんとシャルミにシュヴェルナ、シャスティス、ゴフィア、シェーガー、シファニ――皆のいる所へ。

 別に、私が生きてる必要なんて、もうこれっぽっちも無いんだから。皆のいる場所が、私の居場所なんだから。

 だから――、




『だから――探そう』



「………………ぇ?」



 …………何。今、サラは何て言ったの……?


『急がなくていい。ゆっくり、時間をかけていいから。レティーの生きる意味、生き残った意味。アタシと一緒に、探そ?』


 ――何で。何でなの……。

 何で、そうやって私を照らしてくれるの…………?

 何で、いつもそう笑いかけてくれるの…………?

 何で……あなたの涙は、そんなにも綺麗なの…………?





「…………サラ」


『うん。アタシはここだよ。レティー』


「…………サラ」


『うん。聴こえてるよ。レティー』


「…………サラ、サラ、サラっ!」


『…………うん。――ずっと一緒にいるよ、レティー』


 ずっと、一緒にいるよ。


 ただそばにいるだけ。何もしてくれない。何も解決しない。

 それなのに、その言葉がしっちゃかめっちゃかな頭の中を何度も行ったり来たりして。




 ――色んな気持ちがないまぜになり、涙となって零れ落ちていく。そんな私を、全てを失った私に残された唯一の「光」が、慈しむようにゆっくりと撫でてくれた。



   □■□         □■□



 それから私はトイレと深夜にお風呂に入る以外の理由で部屋の外に出ることはなかった。サラが言うには、今日で一週間らしい。


 イリスちゃんから真実を聞いたあの日、心が壊れかけた私は、拒絶されても隣に居てくれたサラのおかげで、すんでのところでなんとか持ち堪えた。ううん、もう壊れちゃってるのかも。でも、それでも私は、壊れた心を抱えたまま、生きることを選んだ。サラと一緒に生きていくことを選んだ。


 親友の前で全てをさらけ出せたものの、物事は目に見えた進展を見せていない。唐突に裏返った家族の安否から、私は未だに立ち直れずにいる。

 何も、考えられない。何かを決断するのにすごく力がいる。だから、決断しない決断を、こうしてずっと続けている。


 優しいサラはそれでもいい、ゆっくり歩いていこうって言ってくれてるけど、これが良くないことだってさすがの私もよく分かってる。

 でも、身体が、脳みそが、心が動かないんだもん。どうにかしようと思うことすらできないんだから、どうしようもない。しかたないの。


『シア…………あーしは…………』


『今日は皇帝閣下にお呼ばれしてお茶会してきたんですよ。――ゆっくりで、いいですからね。また、お顔を見せてください』


『ねぇ…………一緒にお散歩しない? 歩くだけでいい、何も話さなくていいから。お日様浴びないと身体に悪いよ……?』


『……夕食、扉の前に置いてありますからね』


『レティーちゃん。モネ達、いつまでも待ってるから』

『ムニアの膝、いつでも貸すんだよ…………』


 その間もね。フローラちゃんにイリスちゃん、マリー、ニムレットさん、モネねん、ムニアちゃん、シスターの皆が扉の前で話しかけてくれたんだ。

 こうして塞ぎ込んじゃってても、心配してくれる誰かがいる。声をかけてくれて、見放さないでいてくれる人たちがいる。


 ――でも、やっぱり私は黙ることしかできなかった。何もかもが雑音にしか、聞こえない。



『…………レティー』


 唯一、サラの声だけは明瞭に聞こえる。でも、ごめん、答える気力、ないんだ。


「…………」


『……うん』


 答えられなくても、文句の一つも表情に出さないでくれる優しさ、気遣いに、胸がチクリと痛む。

 けど、それだけ。

 何も思わないし、何も考えられない。

 心がずっと、同じなの。ずっと変わらないの。

 お風呂に入っても、サラの声を聞いても、皆の気持ちにありがとうって思っても、ずっと冷たいまま。


 あはは。おかしいよね。サラに言ったら一緒に笑ってくれるんだろうなぁ。――いや、むしろ悲しませちゃうか。

 ううん。どっちにしたって、関係ないよね。

 だって――何かを言おうとしても、喉がつっかえちゃって話せないんだから。





「…………」


 そうしてただ隣で座ってくれているサラと静かな時間を過ごしていると、扉が三回、軽く叩かれた。


「――レティシア。起きてる?」


「………………」


 起きてるよ。

 けど、まだ二人でいさせて。


「そっか。ねぇ、僕と少しお話しない?」


「………………」


 ごめん。

 私、話したくないし、話せないの。

 せっかく来てくれたのに、ごめんね? マリー。


「……………………じゃあ、独り言として聞き流してよ」


 独り言?

 よく、分かんない。

 分かんないけど――何でだろう。

 少し、胸の奥がざわついたような……。


「――僕ね。もう何年もお母さんお父さんと会ってないんだ」


「………………」


 ……え?


「ある宿場町に住んでたんだけど、ふらりと立ち寄った軍人さんに連れられちゃって。――あはは、無理やり入軍させられちゃった」


「………………」


 笑い事じゃ、ない。

 それは、それは、笑って済ませられる内容じゃない。

 だってマリーは虫を殺すのを考えることすらできない優しい子で、いつもフローラちゃんに処理を代わってもらってて。


 ずっと、違和感だった。

 五ヶ月間一緒に過ごしたマリーは、私みたいな普通の女の子だった。

 彼女は兵士さん。なのに、私はマリーが剣を持っている所を一度も見た事がない。

 良くも悪くも、兵士さんっぽくない。


 ニックさんやミハエル兄さん、お父様にヴァイン兄さん、メーバルさんとかヴィーダムさんとかリノさん、あとはカルギュレーさんと師匠――そしてサラ。

 戦いの場に生きてるみんなから感じられた、言葉にするのが難しい何か。それが、マリーにはない。

 だから、そんなマリーがどうして兵士さんになったのか、少し気になってた。

 

 それが、まさか、こんなに酷い理由だったなんて。


「それに僕、六年前――当時は十歳だったから、十四歳未満の従軍を固く禁ずるって軍規に違反してたんだよね。今でこそ時効だけど、もしバレちゃってたら、今頃僕は『治癒要らず』になってるんじゃないかな」


「………………」


 『治癒要らず』。

 イリスちゃんから聞いた、帝国で使われてる俗語。

 意味は、治癒魔法をかけても治らない人。


 つまり――死者。


「入軍した者は勅命がない限り帝都を離れてはならない。これも軍規の一つ。僕が住んでたサモル村は帝都の外にあるから、僕から会いに行くことはできない」


「………………」


「で、六年間も音信不通ってことは、多分村の人が二人に話を盛って伝えたんだろうね。『あなたのお子さんは自分から志願した』とか『軍の高官がマリーの能力を高く買った』とか。きっと、自立したんだって思ってるんだと思う」


「………………」


「――うん。だから、僕は二度と家族に会えない。でも、生きてる。だから、家族を失った気持ちは、残念だけど……本当に苦しいけど、僕には分かってあげられない」


「………………」


 …………。


「だけどね、レティシア――君がどれだけ家族を大切に想っていたかは、僕にも分かるんだ」


「……………………ぁ、ぇ」




「聞かせてよ。君の大好きな、家族のお話」


「………………」


 気付いた時には、扉を開けていた。


 寝間着姿で、涙で顔がボロボロになっているマリーがいた。


「ぁ」


「お邪魔、するね……」


 やだ。

 来ないで。

 近付かないで。

 今、近くに来られると……私…………。


「強がらなくて、いいんだよ」


「…………っ」


 すっと、手を握られる。

 冷え切った指先に心地よい熱が伝わってくる。


「抱え込まなくていいんだよ」


 そっと、目元に白い指が添えられる。

 音もなく流れ落ちる涙がせき止められて、けれどその勢いは増すばかり。


「は、なしてよっ!!」


 添えられた手を振り払う。簡単に振りほどけた。

 握っている手を振り払――えなかった。


「い、いやっ! いやなのっ!! もう放っておいてよっっ!!」


 握られていない左手で彼女の右腕を叩く。微動だにしないマリーは無言で私を見つめている。


「限界なのっ!! もう頑張れないの!! 生きてくだけでも辛いの!! 息するのが辛いの!! こうして話すのもどうしようもなく辛いんだよ!!」


「…………」


「私にどうしろっていうの!? あんなに頑張って、でも頑張った意味はなくて、頑張りを見せたかった相手ももう何処にもいなくて――お父様が、家族のみんながいないと、私、ダメみたい……っ。それでも生きてくって、決めたのに……それでも、無理」


「…………」


「……マリー。あなたの知るレティシア・パレットは、もう死んじゃったんだよ。だから、放っておいて。空っぽの抜け殻に構っても、意味ないでしょ?」


「――大丈夫」


「ぇ」


 その驚きは、返答になってない返答に対して漏れたものでは無かった。

 とくとくと、私のものではない鼓動が響く。さらさらの緑髪が肩に触れ、ちょっとこそばゆい。

 マリーの柔らかい手のひらがゆっくりと背中を流れては戻ってを繰り返していた。


「今はいっぱい泣いていいんだよ。僕…………とサラが、ずっと、君を見守ってるから」


 

 全身から力が抜ける。

 耳が震え、頬が震え、口が震え、喉が震え、血管が震え――「心臓」が震えた。


 気付けば、膝から崩れ落ちていた。



 なりふり構う余裕なんてなくて、みっともなく咽び泣く。でも、不思議とそれでいいんだって思えた。

 人生で二度目の産声は、友達の抱擁の中であげられた。



 ■ □ ■



「……ありがとう。もう落ち着いたよ」


「そう? 遠慮しなくていいんだよ?」


「えへへ。ダメだなぁ。私って、泣いてばっかり」


 そう力無く微笑んでみせるけど、見透かしたような眼差しを向けるマリーは優しく見守るばかり。

 それにまた決壊しそうになる心を落ち着けて、ぽつりと、話し始める。


「…………お父様の料理が、好きなんだ」


「……うん」


「毎朝誰よりも早起きして作ってくれてて、みんなの健康を考えてくれてる献立で、美味しくって……それで……」


「うん」


「お勉強の時間も、大好きだったんだ。たまに怒られちゃうこともあるけど、それも含めてお父様が話すことの全部が、私にとっての宝物で。――愛して、くれてた」


「…………いいお父さんだね」


「――うんっ! 自慢の、お父様なの!」


 そうしていつぶりかの笑顔を咲かせた頃にはもう、私もマリーも静かな涙で飾られていた。


 マリーと話していると、色んな思い出が溢れ出てくる。それらを私が何度話しても、マリーは頷いて、たまに言葉での反応も返してくれた。


 あの日――全てが轟音と共に消え去ったあの瞬間で止まっていた何かが、再び鼓動を始めた気がした。



 □ ■ □



「――それで、百六十八時間三十八分二十一秒の遅刻に関して言い分は?」


「ごめんなさいっ!」


「…………」


 そうして友達の力を借りて立ち直った私は、直立不動を崩さない鋭い眼光を前にただ謝ることしかできなかった。


 一週間ぶりの外出、その記念すべき最初の目的地は皇城。ずっとすっぽかしてしまっていた師匠との稽古に、死を覚悟して向かった結果がこれだった。


「この一週間、どこをほっつき歩いていたのですか?」


「ん、ちょっと、失った自分を探していましたっ!!」


「……聞いた私が愚かでした」


 むぅ。本当の事なのにっ。


 ともあれ、構え始めた師匠に一区切りついたと見て、私も木剣を片手に集中力を高める。

 いつも通り右足を踏み込んで、師匠目掛けて肉薄し――、


「……あれ?」


 目の前に師匠がいた。でも、師匠が動いたんじゃない。

 ――私が、近付いている。ほんの一瞬で、あの師匠相手に距離を詰めてしまった。


「――――」


「へ?」


 続けてカラン、と音を立てて木剣が地に落ちた。

 手元を見る。二週間ほど前に新調したのに傷が目立つ木剣が日に照らされていた。その柄部分には私の右手が添えられている。


「…………今のは」


「え。……これ、私がやった……の……?」


『す、す、すごいよレティーっっ!! なんかもうっ、めっちゃすごかったっ!!』


「わ、はは……、ありがとうっ、サラ!! これ、夢じゃないよね?」


『このザレンの呆け顔、夢の産物だと思う〜?』


「間違いないね。これは現実。私、本当に師匠から一本とっちゃったんだ……!」


 頬を淡く紅潮させてニパっと破顔するサラと事実確認を済ませてから、現実とは思えない大きな喜びをゆっくりと噛み締める。


 それにしても、この身体の異変はなんなんだろう。いつもとは比較にならないぐらい身体が軽い。お城まではフローラちゃんの支援も届かないから、その線もない。

 どうしてかは謎だけど、今の私なら何だってできる気がする。

 まるで達人さんの身体に乗り移っちゃったみたい!


「――ふははははっ! 痛快だったぞ、レティシア!」


 そうやって上機嫌に舞い踊りかけたところに、聞き慣れた高笑いが聞こえてきた。物陰から姿を現したのは、豪勢なドレスを存分に着こなし、浅紫色の長髪を風に揺らす小柄な女性――、


「見てたんですねっ、ナフィリン閣下!」


「敬語はよせ。お前は十分な力を示した。今後は妾の友人として振る舞うことを許す」


「ほ、ほんとうっ!? サラっ、私ついにナフィリンちゃんとお友達になれたよっ!!!」


「ちゃん…………は少々照れ臭いが……そうだな。それでこそ、妾の知るレティシアだ」


『うぅ、アタシのレティーが……こんなに立派になっちゃって……っ』


「くっ…………これは閣下の意向これは閣下の意向……」


 うぅ。一人一人が別の反応してて、突っ込みの人手不足がじんだいな問題として挙げられています。どなたか、私と役割分担してくれる人は……。


「それにしても、まさかこの妾が一週間も待たせられるとは思わなかったぞ」


「あ」


 添い寝の約束、忘れてた……!


「ご、ごめんなさい……っ! 私も、その、余裕がなくって……!」


「ふん。謝る気があるなら今夜妾の部屋を訪ねるがいい。この一週間でお前専用の最高級の枕を手配できたからな。むしろ好都合だったと言えるだろう」


 不機嫌そうにふんってするナフィリンちゃんだけど、その口元を見れば一目瞭然だった。

 その寛大な心遣いにありがとうって伝えようとして――、


「――では早速だが。手合わせ願おう、レティシア・パレット」


「え、っと、こう?」


「は?」


 心当たりを試して見たけど師匠の反応を見るに違うみたい。手を軽く叩いてみたんだけど……。


 それなら、話の流れとナフィリンちゃんの動作から考えてみよう。


 まず、私は師匠から一本取った。そこにナフィリンちゃんが来て、褒めてくれた。話題が添い寝に逸れた後、軌道修正するように「では早速だが」って前置きを入れての「てあわせ」。

 加えて、師匠から木剣を受け取っている。


 じゃあ、ナフィリンちゃんが言いたいのは――、


「妾は素手で……と言いたいところだが、こっちの方が勝敗がはっきりして都合がいいだろう。――小手調べだ。遠慮せずかかってこい」


「ようやく、私と戦ってくれるんですねっ!」


「あれほど熱い試合を見せ付けられたらな。妾も久しぶりに身体を動かしたくなった」


 言いながら肩を回すナフィリンちゃんは、心なしか楽しそうに見えた。ふふっ、私とお揃いだねっ!


「さぁ、いいぞ。お前の研鑽の成果を見せ」


 ――とナフィリンちゃんが言い切る前に地を蹴り接近。心を切り替え全力で木剣を取りに行く。

 師匠に勝った時にも感じた風を切る感覚にも身体が慣れてきているのを感じる。謎の急変を段々と自分のものにできている実感が私の胸を強く脈打たせた。


「先手必勝――っ!」


「違うな。構えていれば後手が有利だ」

「そんなぁ!」


 でも渾身の不意打ちも軽々と躱され、瞬く間もなく繰り出される反撃が目掛けて突き出されて――、


『レティーっ!!!!』

「分かって、る!」


 サラに合わせて間一髪、死を免れる。その刹那一瞬だけ、赤と金とを爛々と輝かせる『妖舞帝』と視線が交錯した。


「ほう、これを躱すか……!」


 そう零す『妖舞帝』は、言葉の響きに反して嬉しそうにほくそ笑む。

 その期待に応えるようにぐるりと身体を捻り、振り向きざまにありったけの力を込めてありったけの速さで剣撃を叩き込んだ。


「てりゃぁぁぁぁぁぁぁ――!!」


「いい一撃だ、レティシア・パレットッ!」


 しかし、返ってきたのは壁の感触。首筋を狙ったはずの木刀が、左手に軽く受け止められていた。


「……っ!」


 思考を霧散させる驚きを無理やり掻き消し、攻防の硬直を悟って一時離脱を試みる。意外にもすんなりと手放してくれ、難なく着地に成功――と同時、地面をこれでもかというぐらい蹴りつけ、再び構えを取る『妖舞帝』に再度肉薄する。

 でも、今度は趣向を変えて――、


「掴まれちゃうならっ」

『刺突だよね!』


「ふ」


 勢いよく繰り出した剣先は側面で受け止められて止められ――ない。

 宛てがわれた側面に触れた後に僅かに右上に逸れた剣筋は『妖舞帝』の頬っぺたをかすり、真っ白な肌に血色を滲ませた。

 でも、それだけ。私とサラの比喩抜きに全力の一撃は、合わせられた剣に威力を相殺され、皮膚を浅く裂いただけですぐに勢いを失ってしまった。


「やっぱり、ナフィリンちゃん、強い……!」


「ふははっ、その妾に手傷を負わせたのだぞ? お前も強者、それも上澄みだ!」


「そう、なのかな……? あんまり実感無いや」


「実力とは得てしてそういうものだ。心配せずとも、身体を動かしていく内に自然と掴んでいくことになろう。――ともあれ、決着だ」


「へ?」


 脈絡のない勝利宣言に、彼女の冷徹な視線が指し示す先――即ち首元を見る。剣が当てられてた。


「うぅ、負けちゃったー」


「落ち込む必要は無いぞ、レティシア。むしろ誇れ。模擬戦でここまで熱が入ったのは久しぶりだ。ザレンとの鍛錬の積み重ねがしっかり実になっている」


 何でもできると思った矢先の挫折にへとっと座り込んじゃう。

 でも、目元を緩めて見下ろすナフィリンちゃんはそうは思ってないみたいで。


「――よく頑張ったな」


 そうして頭にぽんと手を置かれるだけで、じーんと込み上げてくるものがあったから。


「えへへっ、これからも励んでいくね!」


 それを隠さずに、輝きの違う二色の双眸をよく見て微笑んだ。


「剣を振った試しのない素人が五ヶ月程度でこの成長……ふ、いつか妾と肩を並べる時が来るかもな」

「お戯れを。閣下と景色を同じくする者は後にも先にも存在しません。それはこのニンゲンであっても同じこと。せいぜい私止まりでしょう」


「十分すぎる評価だな。……ところで、レティシア。王国へ帰る気は無いか?」


「へ……?」


 ゆっくりと立ち上がる最中に投げ掛けられた質問に、また腰を抜かしそうになっちゃった。色々と分からないことだらけだから、黙って先を促す。


「先日、ミネア女王と話してな。王国も順調に復興の道を歩んでいるそうで、先代騎士団長が管理していたパレット孤児院の復旧が済んだようだ。お前が望むなら、未だ空位である騎士団長の継承と、孤児院の所有権を譲渡する用意があるとの事だ」


 ……そっか。そうなんだ。

 イリスちゃんから聞いた内容と同じ。やっぱり、お父様は……。


『レティー……』


 隣でサラが伏し目がちに案じてくれている。その心配は正しい。現に、一度受け入れた真実の輪郭に過剰な現実味を後付けされて、ちょっと目眩がしちゃった。でも踏みとどまった。

 その理由は――あなたなら、言わなくても分かってくれるよね。


「大丈夫。もう、決めてるから」


 親友の心配に優しく、けれど力強く言い放って、ゆっくりと顔を上げる。ナフィリンちゃん……と師匠は何も言わずに私が言葉を発するのを待ってくれていた。


「……ありがとうございます。でも、せっかくのご提案だけど、見送らせてください」


「……理由を聞こう」


「私が頷けば、きっと私の願いは全て叶うでしょう。サラにはごめんだけど騎士団長になれるし、最愛のお父様の跡を継げるのも考えるだけで胸が踊ります。王女様ともお友達になれるかもだし、何よりかつてお父様がしてくれたように、私も身寄りのない子供たちに幸せを教えられる。とても魅力的な提案だと思います」


「解せません。そこまで理解した上で、どうして貴様は閣下の恩情を無下にするのですか?」


 そうだよね。私も、回り道をしてる自覚はあるよ。賢明な判断じゃないってことも分かってるつもり。


「……でも、それじゃきっと、私はダメになってしまう。いつか生きるのに耐えられなくなっちゃうと思うんです。歩く道を全部お膳立てされて、決まりきった未来を歩く生き方は、みんなを知っている今の私には選べない。自分で叶えなきゃ満足できないんです」


 だって、私が知っているみんなは自分で選んだ道を自分で切り開いて生きているから。その姿が目を瞑ってしまいそうになるほど眩しいから。


「だから、閣下、私は私の力で夢を叶えます。そのために、これからも時々私の稽古に付き合ってくれますか……?」


「…………ふ」


 ――その音が聞こえた時、震える内心は全て掻き消えた。


「ふはははははははっ!!! 良い、良いぞレティシアよ!! これほど笑ったのは暗愚王が死の間際に無念を嘆いたと母上から聞かされた時以来だ!! うむ、妾も暇な時に顔を出そう。ナフィリン・ランゴルマージにそこまで吠えたのだ。必ずや、お前自身の実力で望む未来を掴み取ってみせろ」


「はいっ!! これからもよろしくね、ナフィリンちゃん!」


 そうして和やかに頬を緩めるナフィリンちゃんと柔らかな握手を交わす。それから、今のやり取りに口を挟まずに我慢してくれていた忠臣に振り向いて、


「そういうことだけど、いいよね? 師匠」


「――閣下の提案を断るとは愚昧極まりないですね。いいでしょう、名乗りなさい。特別に名前を覚えて差し上げます」


 あのザレン師匠に名前を求められ、心が沸き立つのを感じた。

 ふふんと得意げになっているサラに更に心が沸き立ち、高らかに名乗りをあげたの!


「私はレティシア・パレット! あなたの弟子で、大好きなダリウス・パレットの愛娘なの!」



 ー ー ー ー ー ー ー



 ――そして少女は険しい剣の道を歩み始めた。


 果てしない絶望を抱え、無垢な心を打ち砕かれ、それでも未来へ歩む光に照らされ再起し、芽生えた夢の実現に向けて剣筋を走らせる。

 告げられた家族の死を受け入れた少女は、清らかな友人たちに支えられながら鍛錬の日々を過ごすこととなる。


 めくるめく運命に翻弄された『死神』の器、肉親の死を乗り越え、強き心で逞しく生きる少女。

 縁とゆかりを作ったこの地で、非力な少女は「光」を守り抜く力を求めた。


 そして――拡散した因果は収束を始める。



 ー ー ー ー ー ー ー



 それからさらに一週間が経った。

 あの日以来、時々ナフィリンちゃんも混ざって一緒に稽古をつけてくれてる。師匠からは三本取ったけど、ナフィリンちゃんからはまだ一本もとれてない。


「やっぱりまだまだだなぁ、私。もっと頑張らないと!」


「頑張るより、レティシアちゃんはもう少し休むことを覚えた方がいいです。寝る時とお話する時以外ずっと走り込んで剣を振って――心配する周りの気持ちも少しは考えてください」


「イリスの言う通りだよ、レティシア。フローラなんて、レティシアをいつでも治癒できるように最近は夜更かしを控えるようになったんだから」


「はぁ!? 違うし! あーしはただシアにかけてる細胞の活性化を維持させるために……って、嵌めたなぁ!!」


 狙った通りに本音を引き出せてクスって笑うマリーに、分かりやすい天邪鬼ちゃんがポカポカ殴り始める。そのいつものやり取りがおかしくて、つい


「くすっ」「ふふっ」


「そこ、笑うなぁ!!」


 イリスちゃんとまとめて怒られちゃったけど、それはともかくフローラちゃんの思いやりに心が温かくなった。


 イリスちゃんによると、触れた人の細胞を活性化させて自然治癒力と運動能力を上げるのは、治癒魔法の応用らしい。

 言われてみれば確かに、最近は走り込みしてる時も素振りしてる時も、お城にいる時より身体が軽い。それにフローラちゃんは私の鍛錬を見学する前に必ず何かしらの形で私に触れていた。

 マリーの言うように、『純白の聖女』としてのお仕事が忙しいイリスちゃんの代わりにフローラちゃんが治癒してくれることも多い。だからそっちも嘘じゃなさそう。


「――ふふっ」


 それにしても、引きこもり生活をやめてお城から帰ってきた時は本当に大変だった。モネねんは「わーん、もう一生会えないかと思ってたよー!!」って泣きながら抱き着いてきたし、無言で忍び寄ってきたムニアちゃんには膝枕を強行された。

 二人とも――ううん、温かく迎えてくれたシスター全員が涙を流してて、つられて私も泣いちゃったんだよね。サラも泣いてた。私よりも泣いてたかも。


 ――と、そこで私は大事なことを思い出した。


「イリスちゃん、マリー、フローラちゃんっ」


 突然名前を呼ばれ、マリーの肩を揺すっていたフローラちゃんが身体の動きを止める。三人に共通していたのは、振り向いた顔がキョトンとしてることだった。


 ふっと、頬が緩んだのを自覚して。


「私たちを助けてくれて、ありがとうっ!」


 嘘をつくようにできていないイリスちゃんが苦痛を忍んで優しい嘘をついてくれたこと。その嘘が剥がれて壊れちゃった私をマリーが救い出してくれたこと。フローラちゃんが色んな建前を並べながら私と一緒にいてくれること。


 みんなから命以上のものを貰っていたことに、この一週間でようやく気付けた。だから、これ以上ない満面の笑みで、心の感じるままに想いを言葉にする。


「いえ、私は…………」


「イリスちゃんが機転を効かせてくれなかったら、帝国に渡ったあとに私死んじゃってたと思うよ?」


「シア、あんた変なところで強くなったよね。喜ぶべきか案じるべきか、あーしには分かんないけど」


「今まで心配かけちゃってごめんね。でも、私はもう大丈夫。だって、大好きなお父様は何があっても消えてなくならないって分かったから」


 マリーのおかげでそれが分かった。

 私が生きている限り、キラキラした記憶を忘れない限り、あの楽しかった日々は無かったことにならない。


 もちろん、たまに辛くなる時もあるけど、家族のみんなと過ごした時間を思い出すと笑顔になっちゃうの。

 あの日、私は全てを喪った。――でも、それまでの幸せな毎日はいつまでもこの胸の中に在り続ける。


「だからね、もうへっちゃらなの! 今は早くお父様に誇れる騎士様になって、みんなを護る剣として、サラの隣に立ちたいんだ。私が危ない時はサラが護ってくれて、サラが危ない時は私が危険を切り払う。これ、最強じゃない?」


「ふふっ、そうですね! それであれば、傷付いたお二人を癒す役目は私が引き受けましょう!」


「じゃあ、僕は僕は、差し入れとして紅茶を淹れるね!」


「なら、あーしは昼寝でもしてよっかな。面倒なのは優秀な働き者に任せたよー」


『「フローラちゃん(あんた)もちゃんと仕事してっ!!」』


 相変わらず足並みを揃えない怠惰なシスターに、親友との共同突っ込みが重ねられる。「はいはい」と手をひらひら振って応じるフローラちゃんだったが、


「…………ねぇリス。そ(・)れ(・)は、このままでいいんだね?」


「……えぇ。このままで」


「……うん。分かったよ、イリス」


 三人で視線を合わせて何かを示し合わせた。


「むぅ、ずるい。みんなして、私を除け者にしてるんだぁ」


「あーあ、シアが妬いちゃった」


「レティシアちゃんを除け者になんて、する訳ないじゃないですか」


「嘘。だって今、私の分からない話してたもん!」


 それとか、このままとか、三人にしか伝わらない話してたもん!


 ぷくーっとぷんすかする私に気まずさを覚えているのか、三人ともそれとなく目を逸らしているのに余計にぷんすかが高まっていく。


「それはー、えっと――あ、そういえばニムレットさんからお使い頼まれてるんだった! ほらイリス、行こ行こ!」


「わ、え、あ! そうですねマリー! では後は任せましたよフローラさん!」


「はぁぁぁ!? 逃げるな置いてくなぁ!! この薄情者〜〜っ!!」


「後で『天界の庭』のプリン買って来るから――!」


「…………ちっ」


 遠ざかる影に乾いた舌打ちをするも、フローラちゃんは大きくため息を吐いて現実を受け入れたみたい。

 仲間の裏切りに遭い、ぷんすかな私とサラに包囲されているフローラちゃんは、右手を腰に添えて自慢のジト目を光らせて、重々しい口を開いた。


「ご覧の通り、あーしも除け者だよ。問い詰めるならあの二人が帰ってきてからにしない? あーしも手伝ったげるから」


「変わり身早っ」


「そりゃ早くもなるっしょ。信じてた共犯者に目にも止まらない速さで裏切られたんだから」


 むむむ。なんか、分かる気がする……!


「まぁそれはおいといて」


 さらっと流せるような内容じゃなかったと思うんだけど!?


「びっくりしたよ。まさかあのシアが、あの側近さんから何本か取るなんてね」


「ふふんっ、私、すごいでしょ!」


「正直、皮肉も思い浮かばないぐらいだよ。心から賞賛したげる。すごいよ、シア」


「――――サラ、聞いた?」

『うん、聞いたよレティー。あのフローラが、なんの捻りもなく』

『「褒めてくれたっ!!!!」』


 いても立ってもいられず飛び跳ねて、サラと空中で勢いよく手を重ねる。

 だってだって、あのフローラちゃんだよ!? あのフローラちゃんが私のことを素直に褒めてくれるなんて、五ヶ月一緒にいてこれが初めてだったんだから!!


「あんたらが嬉しそうで何よりだよ。あーしのありがたいお言葉、しかと胸に刻んでおいてー」


「うんっ! ありがとねっ、フローラちゃん!」


「……ふ。あんたを見てると毒気も抜けちゃうな。シアはシアのまま、満開の花を育てていってよ」


「毒!? あわわ、えっと、水、水持ってこないと!!」


「ぷふっ! ちょ、笑い殺す気!? あっははは! お腹つっちゃうってば! あははは、ねぇシア、あーしとも親友になってよ!!」


「むぅ、そんなに笑わなくてもいーじゃん。本気で心配してるんだか……ん?」


 あれ? 聞き間違いかな?

 今何か、どさくさに紛れてさらりとすごいこと言ってたような……。


「あははっ、あー笑った笑った。……ん? どした?」


「えっとね、フローラちゃん。私の聞き間違い……じゃないよね?」


「あー、そりゃね。ほら、今はリスもマリーも出払ってるし、いい意趣返しになってるっしょ?」


 前置きのない重大発言に困惑の極みへ達したまま置き去りになっている私に、フローラちゃんはにししと、いかにも悪そうな可愛い笑みを造った。


「リスのことだからまだ友達止まりだろーし、マリーはそーゆーの気にしないし、抜け駆けするには今が絶好の機会ってわけ。で、どう? サラみたいに、あーしとも親友になってくんない?」


「――うんっ、勿論だよっ!! これからもよろしくね、フロ」


 ――そこから先が私の口から紡がれることは無かった。


「っ、シアッッッッ!!!」

「きゃっ」


 逼迫した声で叫ばれ、急にフローラちゃんにドンッと強く押される。そのまま後ろへと倒れ、芝生に仰向けになる私の体を前触れの無い轟音と熱気、それと猛烈な噴煙、暴風が襲う。


「あうっ、ぶ、やぁっ……!」


 しりもちをついた私の体が下半身から浮き上がり、獣道を走る馬車の車輪のように宙を地を転がりながら吹き飛んで、吹き飛んで、吹き飛んで――壁、違う、正門に激突する。


 ――何が、起き、て……、


「あ、ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

『レティー――っっ!!』


 いや、何!? 痛いっ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛■痛痛痛痛■痛痛痛痛■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 ほ、ねが■からだ、があ■しが■ねじ■れ■いて、も、どら■、な■■い…………と、くに■せ■な、かが、い、た――、

 


 



「――――ぇ」


 激痛。それがすん、と薄まった。

 それくらい、見えてしまった現実が、理解できなく、て。




 ――教会が跡形もなく無くなっていた。

 至る所に瓦礫が転がっていて、炎がごうごうと燃えている。

 その、玄関があった空間の前に、汚れた水色の糸が散乱していた。



 □ ■ □



 肉。肉としか表現しようがなかった。


 地に倒れ伏すようにぶちまけられているソレは、僅かに残存している髪の毛が無ければ身元も原型も分からない程にぐちゃぐちゃに散乱している。目を背けようにも、鉄の焼ける臭いと嗅いだことのないツンとくる匂い、それが瓦礫と化した教会から吹く風に乗って私の元まで届き、現実逃避を許さない。


 茶色の裸地にべちゃっと張り付いた物体。大小はあれど、まるで液体のように、それでいて硬そうな見た目で辺り一面に飛び散っている。そうした肉々しい肉の大部分が黒――炭、だろうか。それに覆われている。しかし、その炭が元々何だったのかは考えるまでもない。


 ――ソレは、王都で見た「赤」と酷似していた。


「ひ、ぁ……」


『――――っっ! 立って、レティー!! ここから逃げるよっ!!』


 ついさっきまでフローラちゃんを構成していた「白」は見るも無惨なまでに砕け散り、ついさっきまでフローラちゃんを生かしていた臓器は私の目の奥底にどろりとこびり付いた。そこに私の知るフローラちゃんはいなかった。


「い、や…………なんで……っ」


 ――なんで、こうなるんだろう。

 私と関わる人はなんでみんな、こうなっちゃうんだろう。

 きっと教会の中にいたシスターのみんなもニムレットさんもおんなじだ。モネねんもムニアちゃんも、みんなこうなっちゃう。

 

 なんで、フローラちゃんは私なんかを庇ったんだろぅ。あのまま放っておいてくれれば私はサラの『防御魔法』でへっちゃらだったのに。フローラちゃんもぐちゃぐちゃにならなかったのに。


『フローラのことは……残念、だけど、みんなのこともすごく悲しいけどっ、今は逃げなきゃっ! 次が来るよ!!』


 まだ私、フローラちゃんのことちょっぴりしか知れてない。いつもお仕事サボっててみんなをからかってるけど、本当は誰も見てない所で縁の下の力持ちを進んで担ってる照れ屋さん。ツンツンしてる裏では人一倍みんなの事を気にかけてて、みんなの事が大好きってことくらいしかまだ知らないの。

 なのに。こんな形でお別れなんて、嫌だ。コレが「フローラちゃん」なんだって認めない。認めてやるもんか。


「だって私たち、親友になった、ばっかじゃん……っ!」


 ――親友になろうと、そう言ってくれた。

 サラ以来、初めての親友。……私目線ではイリスちゃんやマリーも親友なんだけど、お互いの認識が刷り合った親友はフローラちゃんが二人目。


 嬉しかった。本当に嬉しかった。いきなり、しかもさらりと言われたからびっくりしちゃったけど、心が踊って、サラとまた両手を合わせたくなって、でも我慢してフローラちゃんに右手を差し出したんだ。それくらい、本当に嬉しかったんだよ。


「死んじゃ……いやだよぉ……っ!!」


『――レティシアぁっ!!』

「……サラ?」


 大きな声。血相を変えた顔。どうしたんだろう。フローラちゃんが死んじゃったこと以外に大切なことなんて――、


『早く立ってっ!! ここは危ないからっ、早く安全な所に行かないと…………行かないと、あんたまで、死んじゃうんだよっ!?』


 ……死? わた、しが?


「…………ぁ」


 そこで初めて、周りの喧騒に意識が向いた。

 日常で聞いた試しのない金切り声、怖いもの見たさに寄ってきて勝手に発狂してる狂人の妄言、我先にと逃げ出す錯乱した人の音。

 ここからは教会付近のものしか聞こえないけど、それでも一度気付いてしまえば飛び交う絶叫が耐えられないくらいにうるさい。


 この状況には覚えがあった。忘れるはずのない、私が全てを喪った日。


 ――あの地獄の再演、それが目前まで迫っている。


「い、いや……」


 早く、逃げなきゃ。教会が襲われた。なら、近くに襲った人たちがまだいるはず。

 見つかったら死ぬ。見つかったら殺される。容赦なく。無情に。肉塊にされる。


「ひぐ……っ、あし、が…………」


 でも、身体が動かない。激痛に耐えながらなんとか歪みを和らげる事は出来たが、立てない。

 うつ伏せになった身体。砂と草、それと血の味がする。吹き飛んだ時に、一回だけ顔から衝突した時があった。その時に流れたものなのか、――なんて場違いな考察に逃げかけた時。



「――っ、レティシアちゃん、無事ですか!!」


 『死』を遠ざける純白が私の思考を切り裂いてくれた。


 痛む首を無理やり動かし後ろ、正門を見ると、取り乱した様子の頼れる友達たちがこちらに駆け寄っていた。


「い、りす……ちゃん。わたし……!」


「話は後です!! ……っ、それ、抜きますから一瞬だけ我慢してください!!」


「ぬ、く……? なにを」


 と口にしかけた刹那。全身を耐え難い電撃が駆け巡った。

 再び思考が黒く明滅し、口内が急速に乾いていく。これでもかと歯を食いしばっていたようで、耐えかねた歯が折れたらしい。見るまでもなく、地面を掻き毟っていた爪も剥がれている。


 ――背中に、何かが突き刺さっていた。それに何かが触れて、位置がズレて、触れてはならないところに異物が触れた。それが電撃の正体だと気付くのに、そう時間は要らなかった。


「大丈夫、大丈夫だから! イリスが全部何とかするから! だから今は耐えて!!」


 上から声が降り注ぐ。きっと、イリスちゃんと二人がかりで引っ張ってくれてるんだと思う。マリーの励ましを拠り所に、頑張った。


 頑張って、頑張れなくて、頑張るしかなくて、頑張っても痛みは変わらなくて、何かを考えると痛みで塗り潰されて、頑張った。


 頑張ってたら、お腹を貫いていた異物がすっかり無くなった。瞬間容赦なく襲い来る質の異なる激痛――かと思えば、途端に全身を優しい温かさが包み込んだ。


 痛みは消えていき、みるみるうちに大気に触れていた風穴が塞がっていき、指もあるべき姿を取り戻し、噛み心地も良くなった。


 『治癒魔法』――師匠との稽古の後、毎日のように施された奇跡。その使用者、『癒し手』の最高峰の実力に、彼女の敬称を思い出す。


「『純白の聖女』……」


「い、いきなりなんですか! ……いえ、意味のある言葉を話せるのは僥倖です。よく、頑張りましたね」


 ふわりと頭を撫でられ、じわりと涙が滲んでくる。それを袖に擦り付け、離れていく治癒の感覚に顔を上げた。


「――よし。これで完治したはずだよ。痛みは?」


「……うん。もう痛くないよ」


「よかった! じゃあ、立てそう?」


「やってみるね――うん、立てたよ」


 よろよろと体を揺らしながら、しかししっかりと地に足をつけることができた。さっきまでの終わらない責め苦が嘘のように、数刻前と同じ身体の軽さが戻っているのを実感する。


「はぁ、はぁ……間に合って、良かったです。それで、一体何があったんですか? いえ、それより教会の皆さんの安否は……? それに……そのご遺体はどなたの」


「――っ」


「ぁ」


 まばらに散乱した糸の色、当然の疑問に凍り付いた喉。違和感が疑念に変わり、疑念は恐怖に歪む私に肯定され、真実に辿り着いたイリスちゃんの表情に戦慄が走った。それはマリーも同じだった。


「フローラさん……は……」


「…………私のせいだ」


「え?」


 イリスちゃんが困惑を露わにするも、そうとしか考えられなかった。


「私がもっと早く気付いて、動いていれば……。私がもっとすごかったら、フローラちゃんが私を庇って死んじゃうこともなかった。こんなことにはならなかった!」


「…………フローラが、庇って?」


「そう、だよ? 信じられる? あんなに自分のことを大切にしてたフローラちゃんが、だよ? どうして、私なんかを助けたんだろ……。なんで、なんで……っ」


 なんで。どうして。とめどなく溢れ出る疑問は再び慟哭を呼び覚ます。脈動する心の臓が痙攣し、呼応するように呼吸が苦しくなっていく。手足の先からピリピリと痺れていって、どっどっと身体全体が脈打つ不快感が一層責め立てる。


 なんて。どうして。フローラちゃんは自分が助かる道を――。


「……それだけ、大事だったんですよ」


「大事? なにが」


 大事なものなんて、自分が一番で二番手に教会の人たちでしょ? そんなこと、彼女に近しい人なら誰だって分かってる。分かりきったことを今更――、


「迷わず自分を投げ打てるくらい、大事だったんだと思います。レティシアちゃん、あなたが」


「わ、たし……?」


 …………。

 フローラちゃんが?

 フローラちゃんにとって私は余所者だよ。他国からの居候で、考え方も正反対で、茨の道を望んで進む訳の分からない騎士見習いで、二人の目を盗んでまで親友になりたかったお花畑で――。



「――あ」


「…………二人とも、今は感傷に浸ってる場合じゃないよ」


 見失っていた真実に辿り着いたのと同時、マリーの静謐な忠告が私たちの意識を引き戻した。


「ですが、マリー!」 


「僕だって悲しいよっ!! このまま、二人と一緒にここで泣いていたいくらい! ――でも、それをして何になるの!? 動かないと、僕たちも死んじゃうんだよ!?」


 感情的になるイリスちゃんに、抑えていた感情を爆発させたマリーが本心を曝け出す。この非日常に、冷静でいられる人間なんて存在しない。似つかわしくない現実的な振る舞いをしていたマリーも、冷静を外付けしていただけだった。


「…………すみません、マリー。嫌な役を、演じさせてしまいましたね」


「ううん。きっとフローラなら同じことを言ったはずだから。――レティシア、確認だけど、他のみんなも同じって考えていいんだよね?」


「…………うん。教会にいた人は多分、全員」


「…………そっか」


 涙に濡れた顔を伏せ、そう応じたマリーの心中は推し量れない。推し量る余裕も動機も私にはなかった。


 それから少なくない沈黙が重く沈殿していって――、


「――逃げよう」


 静かに、マリーが拳を握りしめる。

 反論はなかった。



 □ ■ □



「なんだなんだなんだったんだあの噴煙は爆音は!?」

「あちらの方角は確か…………いえ、そんなはずは」

「邪魔だどけっ! 逃げんだよ!! 皇城に逃げ込めば閣下が全部何とかしてくれるっ! っ、おい、この、そっちいくな! くそ、お前ら頭回ってねぇのか!?」



「う、うぅ……」


 ――教会から少し離れた大通りは避難中の人と野次馬でごった返していた。余裕を失った人々は困惑や恐怖の捌け口を求めて自ら喧騒の中に飛び込んで行き、生活を失った人々は脇目も振らずに野次馬を押し退け皇城へと逃げ込もうとしている。

 怒号、罵詈雑言、負の感情が絶え間なく耳に入ってきて気分が悪い。


「耳、塞いでいいんですからね」


「それは、できないよ。三人を守れなくなる」


 片手でも塞いでしまえば初期対応に致命的に出遅れてしまう。教会を爆破した襲撃者の奇襲からイリスちゃん達を守れなくなる。

 胸が詰まる不快感を我慢して、波と波が衝突している人波を掻き分けて前へと進む。


 教会を後にした私たちは、避難中の帝国人と同じくひとまず皇城へ向かっている。どんな敵でもナフィリンちゃんと師匠の手にかかれば一瞬で片付く。

 これ以上の被害を防ぐため、今後の方針を相談するため、私はともかく三人の安全を絶対のものにするため、帝国で最も堅固で安全な皇城に入城するのは必須条件だった。


 しかし、外がこの様では入城できたとしても心を休めることはできない。


「これじゃまずいよ! 教会で最後だったとしても二次被害が起こりかねない!」


「この騒動です! きっと閣下も事情を把握して救援を手配して――」


【オ、ォォォォォォォォォォォォッ!!】


「づっ!?」「きゃっ!」「うっ……!」『ぅ――今度は何!?』


 イリスちゃんが言いかけた直後、民衆の喧騒をも掻き消すけたたましい雄叫びが鼓膜を殴り、体内が小刻みに振動する。


 音量の暴力に遅れて吹き込んだ強烈な暴風が人海を凪いだ。圧倒的な質量に足が地を離れそうになるも、剣を街路に突き刺しなんとか踏みとどまる。


 聞こえる悲鳴から考えるに、三人とも無事。この付近では吹き飛んだ人はいないみたい。


 揺らぐ視界を酷使し、破壊的な音圧の飛んで来た方角――遠くの皇城に意識を向ける。

 教会と同様見る影もない廃墟と化した皇城、その中心にそれ(・・)はいた。


 瓦礫と人間を空に放り出した暴風の元凶、内部からの崩落を迎えた皇城の守護者――禍々しい双翼をはためかせて鋭利な牙を覗かせる巨大な黒い化け物が、混迷を極める帝都を爛々と見下ろしていた。



 △ ▼ △



 皇城、執務室。

 落ちゆく日を背に浴びて小柄な少女――ナフィリン・ランゴルマージは紅茶を片手にとある文書に目を走らせていた。


 この五ヶ月秘密裏に調査していた案件、その大詰めとなるのがこの資料だ。数百束にもなっている紙切れ一枚一枚には現役軍人から退役軍人、見習いと文官全てのここ一年の主要動向、武具の修理・再貸与記録が繊細な筆致できめ細やかに纏められている。


 ――そして、二ヶ月にも及ぶ炙り出し作業もこの一枚で遂に終わりを迎えた。


「――ザレン」

「ここに」


 静謐な呼びかけに即座に返ってきた返答。この膨大な資料を単独で作成した優秀な右腕が扉付近で静かに佇んでいるのを気配で察知する。いつものように音もなく侵入した側近へ、ナフィリンは仕分けした紙束に再度目を通しながら声を飛ばした。


「テロリストの素性が分かった」


「そうですか。………………今、何と?」


「奴らの首根っこを掴んだと言っている」


 珍しく声の調子が変わるザレンを、ナフィリンはそこでようやく両の目に映した。


「不定期ではあるが、軍の一部のものに不審な動きが見られている。今回大規模に調査するまで報告もなかったから、軍内部でも関係者以外には気付く由もなかったことだろう」


 軍部の指揮権を持ち、定期的に視察を行っているナフィリンですら、こうして事が起こるまでその存在に気付けなかった。奴らの頭は相当の切れ者であるか、度が過ぎた慎重さの持ち主だ。


「そして王国の報せではテロリストは例外なく帝国製の武具を所持していたらしい。どうやったかはさておき、これで帝国軍内部の関与が確定した」


「ここまでは私の調査結果と私見と同様ですね。私の敬愛する閣下は、そこから何を見たと?」


「見た、ではないな。見えなかったからこそ、浮かび上がってきたのだ。妾が捉えた不審な動きは増長した末端が残した痕跡だ。奴はそれすら折り込み済みで、分かりやすい手がかりを与えてそれを隠れ蓑にする算段だったのだろうな。――怪しい動きはなにもなく、内部からの信頼も陰るところを知らない。離反の動機も見当たらず、教会の支援などの慈善活動に注力し……特に最近は軍人の慰労にも力を入れているようだ」


「聞くに、今回の件と無関係の人物と思いますが」


「故にだ。正直な所、これが妾の邪推であればと思う部分もある。それほどまでに彼(か)の人物は叛逆とは縁遠い人格者なのだ。なにせ、テロリスト一派の中核となる人物は――」

「失礼。本職です、ナフィリン皇帝閣下」


 その先をナフィリンが告げるより先、扉を叩く第三者の横槍が入った。すぐさま鋭利な爪を出したザレンに視線を飛ばして制止し、若き皇帝は予期せぬ来訪者への対応を開始する。


「――入れ」

「御意に」


 ナフィリンの許可に厳かに応じて入室したのは、燃え盛る赤毛に混ざる理知的な青毛が特徴的な偉丈夫だ。数々の武功を挙げ、軍部の統括官の地位に恥じない高貴な軍服を身に纏った男――カルギュレー・テトルベーグ将軍は物怖じ一つせず最高権力者を見据えている。


「単刀直入に言う。要件はなんだ、カルギュレー将軍」


「ではこちらも単刀直入に請願する。王国への徹底抗戦を決断して頂きたい」


「断る」


「――もう一度確認します。王国への徹底抗戦を」

「くどいぞ。要件がそれだけならば、疾く去れ。でなくば――」


「貴様の首が地に落ちることになります」


「…………ふん」


 ナフィリンの言葉を継いだ一撃が迫っても、カルギュレーの泰然自若とした態度は変わらなかった。

 ザレンの右爪が喉元に宛てがわれ、血が細く伝っていく。それをカルギュレーは茶色の眼で一瞥した後、すぐにナフィリンへと意識を戻した。


「帝国に忠義を尽くしてきた本職にこの扱い、どういう了見か聞いても?」


「たわけ。貴様がよからぬ事を企てていることなど、とっくに調べがついているわ。無関係を装えば装うほど不自然な輪郭が浮き出る。痺れを切らしてこうして自ら出向いた辺り、自覚はあったようだがな」


「……そうですか」


「あっさりと認めるのですね。では、余計な抵抗はしないで下さい。手元が狂ってしまうと尋問ができないので」


 強まる語気に呼応してぐぬ、とザレンの凶爪が更に深く差し込まれる。本来の居場所を離れた命の支流が枝分かれして下へと滴り、執務室のカーペットに新たな彩りを加えていく。

 だが、それをも気に留めていない様子のカルギュレーは「は」と浅く笑い、


「真に調べがついているのなら、かような愚行には及ばないと愚考しますが」


「何を」

「――っ、退け! ザ」


 誠実な薄ら笑いに全てを察し、ザレンを呼び戻そうと声を張り上げるも間に合わない。


 カチッと、何かの――ボタンの音がした。


「……何をした」


「教会を爆破しました」


「………………………………。………………」


 教会を爆破した。

 その一言は賢帝の意識に明確な空白を生じさせた。


「ニンゲン、自らの立場を分かった上での戯言ですか?」


「そう思うのなら構わない。貴殿が何を信じようが本職がした事は変わらない。――もっもと、人質がいることを分かった上で本職に攻撃を仕掛けた貴殿がそれを気にするとは思いもしなかったが」


 ボタンの音に飛びずさり、カーペットに血を滴らせながらナフィリンの傍に控えたザレンを嘲るように、カルギュレーの厳の眼光が突き刺さる。――いや、今の発言に嘲笑の意図は含まれていなかった。

 彼は徹頭徹尾、脳内に浮かぶ台詞を淡々と読み上げているだけだ。その一言一言に淀みはなく、感情も込められていない。誠実であって不誠実、本心であって虚偽。底の知れない不気味さ、不快感をナフィリンはカルギュレーに感じていた。


 彼の用いる言葉は、意思疎通の道具という本来の用途で使用されていない。対話の体を成してはいるものの、実際は話し合いの余地を余すことなく埋め立てた状態でこの場に望んでいる。

 まるで、ここまでの会話のみならずこれからの展開すらも既定路線であるかのように。


「………………閣下」


「いい。想定しようもないことだ。ふん……まさか、帝国の将軍ともあろう者が、南の商人風情に唆されるとはな」


「訂正を。本職は目的遂行にあたって必要な取引を行ったまで。主体は変わらず本職らにあります」


 などと主張しているが、実態がどうかはさらさら怪しい。


 ――帝国内で流通している飛び道具は弓に限る。三大大国に数えられる南の商業大国で主に流通している爆弾は、その危険性と不可逆性により帝国では輸入禁止令を厳重に敷いている。


 同じく商業大国発祥で、帝国内でも普及しているボタンは有効範囲を必要最低限に狭めたものを輸入・生産しており、精々が回路の繋がった近くの灯を灯せる程度である。日常生活に不要である持ち運び可能なボタンは爆弾同様帝国に存在してはならないものだ。


 故に、ナフィリンはともかく俗世に疎いザレンには遠隔起爆可能な爆弾による人質の可能性を思い至れなかった。それを浅慮とは呼ぶまい。

 ナフィリンですら直前まで脳裏にも掠めなかった可能性だ。よもや、人一倍帝国人としての誇りを持つ男が売国奴として他国の商人と内通しているなどと誰も思わないだろう。


「ニンゲン、貴様、閣下の臣下としての誇りを忘れましたか」


「異なことを。そもそも本職は帝国人としての誇りも忠義も手放していない。今もなお、本職は誉ある帝国の剣だ」


 表情一つ変えずに自らの存在意義を宣言したカルギュレーは、「それに」と続けて、


「誇りを忘れたのは貴殿だろう。帝国の威信を損なう政策に加担し続け、今もなお帝国を脅かす貴殿こそ、帝国に仇なす内患と言えよう」


「荒唐無稽な言いがかりに加えて、自身の咎を忘れているときましたか。ふむ、認識を改めるべきですね。どうやらニンゲンは老年期以前でも痴呆が進むようです」


「そこまでだ。――カルギュレー、貴様、いつ仕掛けた。妾の把握している限り、貴様が教会へ最後に赴いたのは三週間前。だが、貴様に疑念が降り掛かることも不審物が撤去されたと報告を受けることも無かったぞ」


「仕掛けは五ヶ月前に。五ヶ月もあれば警戒の糸も計画の痕跡もほつれるというもの。計画を遂行した後のことを考えると、本職の活動が一般市民に知れ渡るのは回避する必要がありましたから」


「たかだか半年で、閣下の気が緩むとでも?」


「緩まないだろう。だが、軍の者はどうだろうか」


「…………貴様、手を回したな」


「大層なことは。精々、心身の疲れを癒す宴会を同志に高頻度で開催させていただけですよ。それも万一を消しただけに過ぎません。遅かれ早かれ本職の計画は実を結び、こうして相見えることになったでしょう」


 これで慰労の謎とこれまで報告にも上がらなかった原因がはっきりした。それにしても、彼の病的なまでの用意周到さにはナフィリンも場違いながらの感心を抱くほどだ。あくまで宴会と無関係の立場貫く手筈だったのが何故調査結果に浮上することになったのかなど疑問は残るが、それについて考えることに緊急性は無い。切り捨てる。


「臆病者が。道具に頼らず自らの手で手を下す度胸すらないとは。このような恥知らずがこれまで閣下の膝元で胡座をかいていたと考えるだけで、耐え難い悪寒が駆け巡ります」


「訂正を要請する、ザレン殿。本職の汚す手は、この瞬間まで取っておいたのですから」


「……戯言を。百億回死になさい」


「事が運んだ後になら幾らでも」


 じりじりと、ザレンの怒りが大気を振るわせていく。滅多に感情を表に出さない彼の激情は背信者の首を刈り取る強靭な爪となって現れ、即座に刃物のような形状に変貌を遂げた。その見た目と鋭利さは最早、素直に爪と呼称することが躊躇われる代物となっていた。

 紛うことなき十本のナイフを両手に備え、憤怒に震えるザレンが大罪人へと肉薄、歓喜の悲鳴を唸らせる怒りの奔流が弁え知らずのニンゲンへと踊りかかり――、


「――『カフェ・ネルヴィス』」


 ――その一言で、全てが決まった。


「………………それが、貴様の正義か?」


「それ以外に何が?」


 開き直ったような返答に、気後れする気配は微塵も感じられなかった。


「本職の望みは王国への国を挙げた侵攻。それを拒絶するのなら、ザレン殿の命で手を打ちましょう。『処刑人』――この災いは貴殿と推察する。閣下への極端な忠誠心も含め、貴殿の存在は帝国の発展の足枷だ」


「ふん。勝手な推論で勝手なことを。その主張自体が貴様が悪人であることの証明であると気付かないのですか?」


「本職は帝国に忠を尽くす者。閣下に忠を尽くす貴殿とは本質が異なる。閣下を脅迫し、その唯一の友人を手にかけた本職は貴殿視点では確かに咎人だろう。だが、それは本職が正義の矛を収める理由にはならない」


「……貴様の態度は分かった。だが、解せんな。妾の治世は帝国史に類を見ないほど安定している。無用な血は流れず、『暗愚王』に植え付けられた国民の臨死感覚は今や影も形も残さず消失している」


 自惚れではなく事実だ。

 それは毎日おびただしい数届く、民からの感謝、期待、信頼が紙面一面に綴られた便りによっても裏付けられている。


 無論、まだまだ足りないと自らの未熟を恥じる場面もあるが、ナフィリンの自己評価と帝国の民からの評価は概ね一致していよう。


「貴様の私怨というのなら頷けた。ソランデュー王国は……『暗愚王』は我が国の民を無遠慮に惨たらしく徹底的に蹂躙した。十数年の実質的な休戦の末、報復せずに和平を結んだことに反感を持つ者も当然いるだろう」


 誰の恨みも買わない意志決定など存在しない。平和の訪れに感激する者もいれば、商売上がったりだと非難するものもいる。実利のみに目を向けてさえそうなのだから、感情に起因する受け取り方の明暗はなおさらくっきり分かれる。その高すぎる愛国心のあまり、明暗の暗の方に偏り、論理的でなく情動的に事を起こしたのだとすればまだ納得できた。


「だが、貴様はあくまで帝国のために動いているとのたまった。妾の差配の全ては帝国の輝かしい未来への布石であり、どれもが最善手であると自負している。帝国を思うのなら不満など一欠片もないはずだ――何故だ? それが何故、貴様は民をより苦しめる方向へ突き進もうとする?」


 それはナフィリンの純粋な疑問だった。ここまで言葉を交わしてきて、カルギュレーがここまでする理由が全くと言っていいほど見えない。本人の立場と行動にあらゆる矛盾が付き纏っている。

 無理解を解消し、あわよくばそこから打開の一手を模索する後付けの思惑で尋ねた。そのナフィリンの問いにカルギュレーは僅かに、一瞬だけ眉を上げた。


「そのまま返そう、ナフィリン・ランゴルマージ。王国への宥和政策は帝国の破滅を招く。我が国が生き残る唯一の道は、王国と商業大国を下し統一国家を樹立する以外にありえない。そして閣下――貴女にはそれを為す類まれな頭脳がある。無理難題は何一つ奏上していないつもりだ」


「……それが貴様の本心か。いや、違うな。貴様は端(はな)から妾が方針を転換させると思っていない。無理筋をぶつけて代案という体で目的を果たす――実に奴らの好きそうなやり口だ」


「どうとでも言うがいい。――今一度提言しよう。帝国のために尽くせ、ナフィリン・ランゴルマージ」


「妾の答えは変わらん。これ以上国土を広げれば壮絶な内戦が各地で繰り広げられることになろう。それは大国の破滅の典型例であり、帝国の終わりだ。貴様の野望は愚かと言わざるを得まい」


「……決裂だ」


 予定調和だろうにカルギュレーはそう吐き捨て、ザレンへと白剣を向ける。左手には未使用だろうボタンが握られていた。


「…………」


「何を悩んでいる。――妾を信じろ」


「……御意」


 ザレンは無抵抗のまま、迫り来る剣先を受け入れた。


「ナフィリン・ランゴルマージ……」


「……大儀であった」


 その短いやり取りを最期に、ザレンは瞼を閉じた。


「さぁ。貴様が仕立て上げた『処刑人』は死んだ。妾としても母上と父上の命を握られた状態ではまともな交渉にも応じれん。――帝国人たるもの、当然約束は守るよな?」


「あぁ…………勿論だ」


 引き抜いた帝国剣でボタンを破壊し、カルギュレーがナフィリンへと足を進める。ひりつく空気を直に感じ、「布石」に意識を向け――刹那、斬撃が迸った。


「は、だろうな。愚物――ッ」


 鼻を鳴らし、ナフィリンは右手を真横に伸ばす。中空から出現した身長を優に上回る大鎌を手に取り、向かい来る内患に迎え撃つ。

 鍛え抜かれた大鎌による一閃を放ち、大気を歪めて胴を泣き別れさせる。そのはずだった。


「『妖舞帝』と対峙するのだ。相応の下調べは済ませてある」


 振り抜いた鎌の上に乗られ、飛び降りざまに鎖骨辺りを斜めに切られた。


「ぁ」


 その、自分のものとは思えない女々しい声に思わず自嘲してしまう。だがそれすら女々しい感傷と捨て去り、皇帝として威厳のある制裁を下さねばならないと……。


 ――縦長の黄眼が少女の心の臓を貫く刃先を捉えた時、糸がほつれた。


「……ふ。どうやら、貴様は人ではないらしい」


「光栄な言葉だ。本職は徹頭徹尾仇敵を穿つ矛であるがゆえに」


 余裕の笑みを造ってそう吐き捨てるナフィリンにカルギュレーが淡々と応じる。


 忠臣の終わりを流し目に見届け、改めて離反を決行した背信者に薄ら笑い――、


「悪いが、後は任せたぞ……」


 それが、稀代の賢帝ナフィリン・ランゴルマージの最期だった。






「――これも帝国のためだ」


 計画の第二段階をつつがなく遂行した帝国の忠臣は、今しがた手を下した命を意識の外に追いやった。彼女の一閃によってその大半を二つに分かたれた壁面は、しかして一向に崩れ落ちる気配を見せない。見事な手腕に武人として感心しつつ、その感心をすぐさま手放した。

 そうして今後の算段の反芻を再開し、踵を返した直後だった。


【――――――――――――ッッ!!】


 不意に生じた超常の質量の暴力に、カルギュレー・テトルベーグは押し潰される。

 長い歴史を誇る堅固な皇城が砂のごとく崩落し――、伝説上の災い、『龍』が降臨した。



 ▽ ▲ ▽



「な、に…………あれ……」


 それを呟いたのが誰だったのかは分からない。

 けど、呟かないまでもその場にいる誰もが同じことを思ってたということだけは確かだった。


 大地を轟かせる咆哮を伴い、前触れなくお城を内側から突き破った真っ黒の巨大な怪物。スラリとした身体、軽々と瓦礫を飛ばす強靭な尻尾、歪に発達した双翼、黄色くて細長い瞳――二足歩行のトカゲみたいな、見た事も聞いた事もない生き物だった。


 空気を切り裂く轟音と一緒に、大きな破片となった皇城の残骸と喉を張り裂き続ける生身の人間が四方八方へ飛び散って、混乱の最中にある帝都シャラドへと次々に降り注いでいく――。


「あ、こ、れじゃ、帝都が………………」


「――飽きたな」


「え……?」


 帝国人の絶叫と耐え難い突風に紛れて、小さな声が右から聞こえた。そっちを見ると、一人の女性が目にも止まらない速さで屋根の上を駆けていた。

 やたらめったらに飛んでくる瓦礫を事も無げに躱し、回避し、素通りし、疾駆を強める。やがて点のように小さくなり――地を蹴った。

 紫の残像を残した彼女はそのまま黒い怪物の振り払いを身を逸らして躱し、凶悪な横顔に拳を振り切った。


『「……え、ええええええっっっ!?!?」』


「あれは……ネルヴィス上皇閣下!」


「す、すごい! あの黒いのを殴り飛ばしちゃった……!」


 三者三様の驚愕をあらわにしながら、突然の乱入者――先帝様と彼女が繰り出した一撃によろめく黒い化け物に釘付けになり、絶望的な現状の好転を確信した。


 ――ぎょろりと紫を捉えた黄瞳。拳が入ったその目元に傷一つ無いのを見るまでは。


『「う…………そ………………」』


 あんなすごい一撃ですら、まるで効いてないなんて……。


「……やはり、素手では厳しそうですね」


「ぼ、僕たちも行かなきゃっ!!」


「だ、だね……! 何かの、役には、立てると思うから……っ!」


 そう悲観的になりかけるも、マリーの言葉に気を持ち直し、逃げ出したい心を押さえ付けて怪物への接近を開始。


「ひゃぁっ!?」


「イリスっ! 僕の後ろから離れないでっ!!」


『――右っ、正面っ、右っ!』


「せいっ、やぁっ、たぁ――っ!」


 次から次へと飛来する大小様々な岩々を、サラの指示に従って切る、刻む、打ち砕いていく。そうして細かくなった投擲物を、背後に位置取るマリーの大盾が弾き、非戦闘員のイリスを頑なに守護。

 そうして鉄壁の布陣を崩さないよう風を岩を切り裂き、肉弾戦を仕掛ける先帝様を打ち払おうと大きな身体をよじる黒い怪物との距離を詰めていく――。


「すごいよレティシア! 飛んでくる岩を切っちゃうなんて!」


「ふふんっ、だって私、師匠のっ、一番弟子、だからねっ!」


 師匠――ザレンさんは帝国最強のナフィリンちゃんの側近。その指南を五ヶ月も受けたんだから、このぐらい出来なきゃ不敬罪で師匠に殺されちゃうもんっ!


『――はっ、レティー上っ!! めっちゃ大きいのっ!!』


「……っ、みんな走ってっ!!」


「はいっ!」「了解だよ!」


 マリーとイリスちゃんを先に行かせ、私は立ち止まってサラと大気を震わせながら落ちてくる巨岩を見据える。

 全速力で駆け抜ける二人、それと怪物から少しでも遠ざかろうと一目散に逆行している帝都の人々は未だに巨大な影で覆われている。皇城へと続く大通り、それの広大な横幅がすっぽりと巨影に呑まれていた。


 じわりと滲む汗、震える剣を握り直し、「死」を間近に感じている心を落ち着かせる。

 できるかは分からない。試したこともない。でも、ここで私がやらなきゃ、逃げ惑う帝国の人達が、友達が下敷きになっちゃう。


「――っ!!」


 右足をこれでもかと後ろに引き、地面をこれでもかと踏みしめ、ありったけの力を込めて斜め上目掛けて跳躍――成功っ!


「だ、あぁぁぁぁぁぁ――っ!!」


 瞬く間に巨岩に肉薄。右下に構えた愛剣を推進力も利用して思いっきり切り上げ、自分の身長の数倍もある巨岩の内部をひたすら切って、切って、切り進み――晴天が目を焼いたと同時、飛来物を縦に両断することに成功。


 でも、跳躍の勢いが減衰、依然として命目掛けて落下していく双岩を前に、私は身体を翻して上空から見下ろすことしか出来ない。


 ――この瞬間、幸運が巡ってこなければ。


「これでっ!」


 私目掛けてお城から飛んできた小さい岩。それを足場にして勢いを反転、再び推進力を得て巨岩へと急接近。


 そのまま真っ二つに割れた大きな岩、その片割れを――、


「せぁせぁせぁせぁぁぁあ――っ!!!」


 右腕を乱舞させ、縦横無尽に削り取る。

 岩の内部を抜け出すまで可能な限り切り刻んだ。結果、その大部分を小石程度の大きさまで削ることに成功した。


 そこから更に街道脇の家々の屋根に着地、即跳躍。取りこぼしたもう片方の断片に斬り掛かりつつ、下を見る。

 マリーやイリスちゃん、逃げ惑う帝都民の多くが岩の射程から逃れるか殺傷力を極限まで減らした小石の下にいた。小石とはいえ地表に降り注ぐ石の雨は人の命をまだ奪いかねない。でも、少なくとも大きな岩に押し潰されるよりは生きる目があると思う。


「あぁぁぁッ!! もうおしまいだぁぁぁぁッ!!」


「――しっ!」 


 そうして分析しながら、数秒に迫る死に怯え、発狂して縮こまる逃げ遅れた男の人の真上を通過。彼の頭上、最後の障害を斬り砕き、彼の圧死を辛うじて防ぐことに成功。無茶な作戦に付き合ってくれた愛剣に感謝しつつ鞘に納め、事態の好転を確信する。

  

「これで…………っ!」


 全員死んでしまう道から多くが助かる道へと変えられたはず。

 振り返って見ると、イリスちゃんへと降りかかる石の雨はマリーが防いでいた。サラもいつの間にか二人の元に合流してるみたい。


「す、ごいや…………もう、僕の知るレティシアじゃなくなっちゃったみたい」


「いいえ。レティシアちゃんはレティシアちゃんですよ。だって、ほら――」


「――あれ? これ、着地ってどうやるんだっけ?」


『レティー!?!?』


「あ、はは…………」


 マリーの苦笑いが視界を掠めたけど、気にしてる余裕なんてこれっぽっちもなかった。

 ――実を言うと、空に跳んで、上空で何かを蹴って勢いを相殺するなんて、今まで一度も試した事がなかった。飛んできた岩を蹴った時も、誰かの家の屋根を蹴り飛ばした時も、普通に考えたら落下死に近い状況になっていて当然だ。

 どうして成功したのか、私にもよく分かってない。あの時どう身体を使ったのかも覚えていない。


 ただ一つ確かなのは、目先の障害を乗り越え気が緩んでしまった今、もう生存本能の助力は受けられないということ。


「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」


 落ちる。墜落する。人が辿り着いてはいけない高さから、地面目掛けて落下する。

 内蔵がふわって持ち上がる不快感に、張り詰めた心が内側から裂け、押さえ付けていた「死」への恐怖が全身を支配する。


 死。逃れようのない死。どうしようもない死。滑稽な死。多分すごく痛い種類の死。一瞬では死ねないだろう死。ぐしゃりとひしゃげる死。みんなとお揃『足曲げてっ! 前に跳んでっ! 転がってっ!』いの「うううううううああああああああああああああああ――ぎ、う、うぅぅぅ…………っ」


 言われるがままに体を動かし――感じたことの無い衝撃が全身を駆け巡る。身体の節々が、内蔵までもが我先にと悲鳴を上げるも、すんでのところでなんとか一命は取り留めたみたい。


「い……たた………………痛いで、済んでる……?」


 足は動く。手も動く。背中と足と内蔵が少し痛むけど、身体は動かせる。

 なら、迷っている暇は無い。


「――二人と合流しなきゃ」


 私が落下したのはイリスちゃんたちのいる場所とは反対側の街道。少し先にそっち側に合流できる道が辛うじて残っている。

 膝をはたいて立ち上がり、全速力で駆け抜けた。



 □ ■ □



「――良かった……無事だったんですね!」


「二人とも、怪我は無いっ!?」


「レティシアのお陰でなんとか! そっちもまだ動けそうで安心したよ……!」


 駆け抜けた先、友達との数十秒ぶりの再会に実家に帰ったような安心感を覚えた。そして実家はもうどこにもないのだから、三人とフローラちゃんの傍が今の私にとっての「実家」だった。


 ――意識した行動ではなかった。ただ、なんとなく、辺りを見回して、


「あ…………」


 その惨状に言葉を失った。

 今もなお降り注ぐ瓦礫に頭蓋を打ち砕かれた人、空から落下しあらゆるものを辺りにぶちまけている人、私が降らせた石の雨に意識を奪われた人、私が合流する間に飛来した岩に押し潰された人。


 これまでの天災を生き延び、重傷者の支援に回れている人の方が数は多い。でも、それで死んだ人の命の価値は無くなったりはしない。


「う」

『今は喪ったものより、救えたものを数えないとだよ。心が持たない』

「動ける? 早く加勢に行かないと」

「応急処置は済ませました。痛みも取れているはずです。――急ぎましょう、レティシアちゃん」


「……………………うん。ありがとう、みんな」


 胃袋が痙攣し、何かが込み上げかけるも、それは抑え込む。抑え込んで、前を向いて、抜剣。

 テロの時以上に酷使した肉体と精神に鞭を打ち、マリーの前に陣取って先頭を駆け抜ける。付近にいた生存者は皇城から離れるように逃げて行った。その流れに逆行し、さっきよりは静かになった一本道を、


『左上っ、足元っ』


「ていっ、とりゃっ!」


「この、くらい、ならっ!」


「二人とも、その調子ですっ!!」


「イリスちゃんっ、体力、足りる!?」


「足り、ません……!! ので、足らせます……!」


「もう少し、もう少しだよイリス! 踏ん張って、耐えてっ!!」


 現状唯一の不安要素だった運動神経と体力に不安があるイリスちゃんも、限界を超えてなんとかマリーの速度についていけているみたい。

 サラが指示して私が切り刻み、取りこぼしをマリーが弾いて私たちの身体能力をイリスちゃんが高める。


 そうしてひたすらに距離を詰めていると、目の前の少し奥、無造作に伸ばした薄紫色が上からふわりと降ってきた。


「――飽きたな。おい、そこの兵士」


 怪物から距離を取った先帝様の一瞥が、剣を構えて足をガクブルさせている兵士さんに向けられた。


「は、はい! なんでありましょうか!」


「貸せ」


「どうぞ!」


 短いやり取り、それで伝わったのか、責務と恐怖の間で揺らぐ兵士さんが先帝様目掛けて自分の剣を投擲。それを悠々と掴み取り――瞬間、周囲の空気が変わった。


「ふ、なかなか手に馴染む――!」


 言い切ったと同時、生じた土煙が距離の離れた私たちの元まで吹き荒れる。

 と共に帝都中に鳴り響いていそうなくらいの轟音がすさまじい風圧を伴って届いた。


「一体、何が……」


 目を擦り、土煙が突風でうち晴れたのを確認し――今日何度目か分からない絶句をした。


 ――ネルヴィスさんの一撃がお城の残骸と共に怪物の尻尾を一刀両断していた。


「――ふむ」


 怪物から距離をとって着地したネルヴィスさんの手元、兵士さんから譲り受けた汎用剣が威力に耐え切れず鉄くずに変わってしまっていた。

 事態を聞き付けたのか、数名の兵士がネルヴィスさんへと駆け寄っていく。


「おい、お前。ネルに他の剣を――」


【オ、オォォォォォォォ――!】


「ぐ」


「ネルヴィスさんっ!!」


 イリスちゃんの絶叫も虚しく、化け物に薙ぎ払われたネルヴィスさんは勢いよく壁を何枚も貫いて吹っ飛んでしまう。その余波で街にも被害が及び、風圧で途上にあった家々も吹っ飛んだ。


 接近中だった私達はというと、突風に煽られ――る前に咄嗟に建物の裏に身を潜めて事なきを得た。

 赤黒く染まった龍石がすぐ隣を通過していく。運良く命を拾ったものの、状況は何も好転しておらず、むしろ悪化の一途を辿っていた。


「そ、そんな……上皇閣下でさえ、打ち負けるなんて……」


「――ネルは、負けてなど、いない」


「閣下!?」


 息も絶え絶えの訂正が意識外、右手の路地裏から聞こえてきた。振り向くとふらふらと傷だらけのネルヴィスさんが壁を支えに立っていた。額と口からは少なくない量の血を流してる。着崩した衣服も物理的にボロボロだ。


「勢いが、緩んだ瞬間に、壁を蹴ったのだ。ネルはまだ、満たされとらん……」


「――これで、動けますか?」


「あぁ……。イリス、褒めて遣わす」


 死に体だった『純白の聖女』による万能治癒魔法を施され、土煙が付着した衣服以外の全てが復調したネルヴィスさんは「これはこれで良いな。丁度あの服装にも飽きてきたところだ」とどこか外れた感想を漏らした。


「それで閣下、あの怪物はなんなんですか?」


「それが分かればネルも手こずっていない。……ナフィリンのやつ、ネルに隠し事をしておったな」


「隠し事?」


 確かに、ナフィリンちゃんは何かを隠してそうだったけど、お母様にまで隠してたのって、それだけ大変なことなんじゃ……。


 ――そんな私の悪い予感は見事に的中した。


「状況から考えるに、あの怪物……『黒龍』とでも呼ぶか。あれはカルギュレーめが解き放った災いだろう。まさか、太古のおとぎ話が現実になるとはな」


「ちょ、ちょっと待ってください! カルギュレー将軍? おとぎ話? い、言っている意味が分かりません!」


 理解の範疇を超えたネルヴィスさんの推論に、普段の落ち着きぶりからは想像もできないくらいイリスちゃんが狼狽えている。マリーも、驚きのあまり大盾を落としそうになっていた。――幸い、私もサラも何を言っているのかちんぷんかんぷんで首を傾げるだけで済んだけど。


「イリス、お前も知っているだろう? 『オビュミニアルデの反転龍』――暴虐の限りを尽くした『黒龍』が通りすがりの『白龍』に宥められ、人の世への理解を深めていくという帝国に古くから伝わるおとぎ話のことよ。そもそも龍は伝説上の生物だ。書物でしか言及のないそれを将軍風情が発見並びに飼い慣らせるとは到底考えられん。我が娘がネルの目を欺きながら御していたと見るのが自然だろうよ」


「『黒龍』……あの『黒龍』ですか!?」


「特徴は合致している。それに未曾有の災害を帝国にもたらす脅威だ。ぽっと出の謎の生命体より、同一個体と暫定した方が納得できよう」


「で、では、カルギュレーさんは!? この惨状と何の関係が!? むしろ、今もどこかで指揮を執ってあの『黒龍』に立ち向かっているのではないんですか!?」


「逆だ。先も言ったが、この厄災はカルギュレーめが引き起こした可能性が極めて高い」


「――っ、信じ、られません……」


 首を振り、手を握りしめるイリスと同じ気持ちだ。

 確かに怖そうな人だったけど、帝国への忠誠心は本物だった。そんな人が帝国を壊そうとするなんて、どうしても考えられない。


「半年前、『カフェ・ネルヴィス』のカウンター横に『ネルの威光』に扮した爆弾が仕掛けられた。面倒だったが故に放置していたが、来店したカルギュレーの席と位置からして十中八九黒だ。ネルと同様に聡明な我が娘なら奴の暗躍も気づいておろうと捨て置いていたが……それすらも奴の計画の内だったようだな」


「そ、んな………………」


 どうしても考えられないのに、ネルヴィスさんが提示した根拠はカルギュレーさんの関与を裏付けるものだった。これだけではまだ首謀者と確定した訳ではないが、帝国の将軍に対する不信感は確実に募っていく。


 その一方で、マリーは「待って、待ってよ」と別の情報に意識を向けているようで、


「それじゃあ、『カフェ・ネルヴィス』は……」


「たわけ。そのままにしておくのに飽きて今朝壊しておいたわ」


「なんで気付いた時に処理しなかったのっ!?」


「それがネルヴィス閣下なので深く考えないのが賢明です!! ですが私もレティシアちゃんに同意します! なんでなんですか!?」


「先も言ったろう。面倒が故に」


 「三度はないぞ」と不機嫌そうに釘を刺され、私たちはモヤモヤを抱えたまま押し黙るしかなかった。


「本題に戻ろう。何の目的かは知れんが、あやつがあの『黒龍』を野放しにしたことは間違いない。そしてあれを調伏できるのは我が娘ナフィリン・ランゴルマー以外にいなかろう。用意周到なやつの事だ。当然その事も折り込み済みで行動を起こしたに違いない。つまり、ナフィリンはカルギュレーの術中にはまり身動きが取れずにいると見ていい」


 そこで「故に」と一拍おいて、


「戦える者で『黒龍』を対処もとい引き付ける。その間に非戦闘員はナフィリンを探し出せ。この盤面を覆せるとしたら、帝国最強の我が娘をおいて他にいまいよ」


 ネルヴィスさんの結論に全員がこくりと頷いた。


「行くぞ」


『「「「はい――っ!」」」』


 威勢のいい返事と共に、全員で突撃、『黒龍』巣食う皇城跡地へと突っ走る。戦闘力としての活躍を期待された私とネルヴィスさんは前衛で、イリスちゃんは後方支援、治癒魔法を活用した私たちの細胞の活性化に徹し、マリーもそれに付きっきりのイリスちゃんを護るのに専念している。

 けれど向かう先は同じ。イリスちゃんに向かう石礫を切り落とし、拳で粉砕し、盾で防ぎ、全速力で直行する。私たちの役割は二人を皇城に送り届け、時間を稼ぐこと。作戦の生命線はイリスちゃんたちの持ち帰る成果にかかっていた。


「剣士!」「ネルヴィスさん!」


 そうして巨体を見上げるくらい接近したくらいで一団から離れ、ネルヴィスさんと共に通り脇の屋根へ跳ぶ。彼女は道中横たわっていた兵士から拝借した二対の剣を手に、器用に着陸。屋根の上を疾駆し、止まない石礫を躱して切って……それを繰り返して黒が近くなってきた辺りで、思いっきり力を貯めて空へ跳んだ。

 何度目か分からない風を切り裂いて、減速し次第石礫を蹴り推進力を得ながら上へ上へと――『黒龍』の胴体へと一直線に突き進んでいく。


 そして突然視界が影に包まれた。


「構うなッ! このまま貫けッ!」


「分かり、ました――っ!」


 突進の勢いをふんだんに利用し、振り払おうと迫る左腕に剣先をめり込ませる。大きな手応えの後、貫通した腕の先、再び『黒龍』の怖い顔を視界に捉えた。


「通った……!」


「悪くない一撃だった。次が来るぞ」


『「もうっ!?」』


 裏返る声が虚しく響き、警告通り一息つく暇もなく、今度は上から細身の右腕がすごい速度で落ちてきた。相対的にと言うだけで十分以上に質量が桁違いのそれが刻一刻と近づいてきている。先行して猛威を振るう暴風に煽られ、


「きゃっ」


 なんとか耐えようとする努力虚しく、私の身体はあっけなく下へと吹き飛ばされてしまった。


「――ふん、好都合だなッ!」


 辛うじて聞こえた虚勢を最後に、ネルヴィスさんの気配が消えた。ゆっくりと時間が流れていく。寸前まで迫る巨腕が目と鼻の先に迫り、それでも何とか打開の一手を模索していた。

 ――その最中、焼き切れるくらい回転する思考の片隅で密かに渦巻いていた違和感に気付く。


 あの性格のネルヴィスさんが、わざわざ落下する私にも聞こえる声量で啖呵を切るかな……?

 面倒という理由で爆弾処理を五ヶ月も先延ばしにするような人が、意味の無い言葉をわざとらしく私に聞かせたりするのかな……?

 ……なんだか子供っぽい一面もありそうだから否定はできないけど。でも、大一番ではやらなそう。


 なら、あるんだ。私が見落としてて、ネルヴィスさんが好機と判断した何かが。


「……ぁ」


 そこまで考えて、脳裏を掠めた突飛な発想に電撃を打たれる。事ここに至ってできるかできないかを考えてる余裕は無い。


(なんとか、なって――っ!!)


 一か八か、全身を思いっきり伸ばして、衝突前の風圧でひしゃげちゃう前に右腕の側面へと剣を突き刺した。暴風に煽られながらなんとかしがみつき、身体を脱出させることができ、一安心……する余裕もないけど、九死に一生を得た。

 そのままの勢いで宙を半々回転するのに歯を食いしばって耐え、何がなんでも命綱から手を離すまいと腕にありったけの力を込め続ける。左腕の追撃を警戒していたけど、ぶら下がってる右腕含めて落ち着いたみたい。様子を見つつ、慎重に腕をよじ登っていく。


「無事か、剣士――!!」


「な、なんとか――!! まだ、戦えます――!!」


 そんな折に無事を知らせる呼び掛けがあり、そちらを確認すると、ネルヴィスさんは左腕に器用に飛び乗って剣を両方とも突き刺して踏ん張ってたらしい。理由はよく分からないけど、追撃が止まったのは両腕に剣を刺したからなのかな……?


 そんな疑問はさておき、私も大声を絞り出して自分の無事を知らせる。


「この状況は想定していなかってが、またとない好機だ――!!」


 続けて聞こえて来た大声の内容は、さっき私が命拾いしたものと同じ。剣を支えに立ち膝してるネルヴィスさんと、剣をたよりに腕にしがみついてる私でも試せること。


 ――意を察し、突き刺した剣をさらに深く食い込ませる。想定していたけたたましい苦鳴は訪れず、代わりに本命の変化――肘から下が持ち上がり、勾配が気持ち緩やかになった。足場の変化に細心の注意を払いつつ、辛うじて立てるようになった鱗まみれの黒い腕を駆け上がっていく。

 左ではネルヴィスさんも同じことをしてると思う。


 右と左、双方から喉元へ挟み撃ちを仕掛ける。狙いに気付いたのか『黒龍』が暴れ始めるも、勢いは止まらない。


「はぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」

「てりゃぁぁぁぁぁぁ――っ!!」


 力強く踏み出し、私達の影が空中で交錯する形で首元を一閃。甲高い金属音と『黒龍』の息吹が耳元を劈いた。


「――なにっ!?」

「かたっ……!」


 ――しかし、私たちの刃は通らなくなっていた。


「ネルヴィスさん、これって……」


「あぁ――ネルと貴様の斬撃を基準に、外皮の強度を上げられたな」


 ――さっきだ。さっきの硬直していた時間で適応されたんだ。私たちの攻撃はもう通らない。でも、地面を駆ける二人はまだまだ皇城に辿り着いていない。二人の速度を考えるに、辿り着くのでさえ早くて十分、捜索にはもっと必要だこのままだと、充分な時間も稼げずに撤退を余儀なくされることになってしまう。


「ならどうすれば……!」


「ふむ……ネルが思うに、あれだけの巨体を動かすには相当なエネルギーが必要だ。供給源を確保しているのなら話は別だが、そうでないのなら必要最小限の消費に済ませていよう。そこを突く」


「えっと、つまり?」


「つまり、内部には攻撃が通る。強化したのは外皮だけだろう」


 外側は固くて中は柔らかい……木の実みたいなことかな?


「それは分かったけど、どうするの!? どの道外皮を突破しないと無理ってことじゃないですか!」


「内部を損傷させるのに外殻を破壊する必要は無い。殺傷力のある衝撃波さえ届けば上手くいくはずだ。とはいえそこらで拾った急拵えの二振りではさすがのネルでも難しい。――故に、ゴリ押す」


「……へ?」


 んん? 作戦? ではあまり聞かない言葉が聞こえた気がしたんだけど……。


「これは攻防を繰り広げる中で掴んできたことだが……『黒龍』に理性は無く、本能あるいは反射行動で動いている。なれば同じ戦術も通るというもの。基本方針は変えずに仕上げだけを挿げ替えればいい。即ち――」


「とにかく斬りまくる、ってことですか?」


「ほう? ネルの言葉を盗むとは見所があるな。だが惜しい。ただがむしゃらに斬るのではまるで意味が無い。――ネルらがやるのは、最高速度の猛連撃による一点突破だ」


「最高速度の、猛連撃……」


「一度の衝撃波では足りん。二度の衝撃波では足りん。三度四度はもれなく論外、ただでさえ外皮に阻まれて威力が減衰しているのだ。それらを束ねかさ増しし、瞬きの間に叩き込む! ……仕留め損なっても脅威と見なされれば目的は果たされる。貴様の能力を評価した上での、極めて論理的なゴリ押しだ」


 ……確かに、それなら目はあるかもしれない。ゴリ押しだなんて言った時は心配になっちゃったけど、流石ナフィリンちゃんのお母様、頭がすごくいい。


「――ふむ。飽きた」


「え?」


「ネルにしてはもった方だ。――始めるぞ」


 前言に追加。気分屋なところはナフィリンちゃんとは比べられないぐらい酷いっ!!


 そんな私のぼやきも露知らず、両手を広げたネルヴィスさんは脅威判定から外れてそっぽを向く『黒龍』の肩から垂直に落下――。両腕を乱舞させて暴れ回り、陽動を開始した。


 悲鳴は上げないまでも、一撃一撃に込められる重たい衝撃は少しは堪えているようで、身をよじらせたり手で押し潰そうとしたりと、少なくない意識を割いている。その間に私は左肩から左腕へ場所を移し、振り落とされないよう都度しがみつきながら機会を探る。


 縦横無尽に駆け回るネルヴィスさんを追いかけて二つの腕と二つの翼が慌ただしく動き回る。紫の残像がお腹から人間で言う肋あたりに、肋あたりから背中へとぐるぐる回り、やがて紫(左腕)が首元の前付近に来た(首元の前付近に来た)時。


 遠心力に振り落とされる力をふんだんに活用し、首元へ突撃した。

 ネルヴィスさんも、迫る左腕を蹴りつけて方向転換し、すさまじい速度で突進を始める。


「ぎ」

「ご」


 ――大気が切り裂かれる爆音と同時、痛みを感じる間もないまま弾き飛ばされ、硬いものに衝突して全身の骨という骨が砕け散る生々しい音がした。


「レティシアちゃん……っ!!」

「ネルヴィス閣下……っ!!」


 なに、が、起きたの……? 身体が動かない。でも二人の声は近くで聞こえる。


 無理を押して瞼を開けると、遠くにいる『黒龍』の、切断されたはずの尻尾が元に戻っていた。


 ……二人が皇城に探しに行く時間を稼げなかった。これじゃあ、ナフィリンちゃんを助けられないし、『黒龍』を倒せない……。失敗、したんだ。私たち。


 それに、疲労困憊なイリスちゃんじゃ完治に時間がかかりすぎる。そもそも瀕死の人間をこっちに引き留める応急治癒すら今の彼女には酷だと思う。それでも、イリスちゃんなら命を削ってでも完治させてしまうと、朧気な意識の中で警鐘だけが無意味に鳴り響き――。



「――ほほ。大丈夫ですかな」


 辛うじて生きていた聴覚が脳天気な音を拾い、億劫ながらも瞼を開ける。


「………………に、むれっと……さん……?」


 帝国に来てからお世話になりっぱなしだったおじいさん。教会爆破に巻き込まれて死んでしまったと思っていたニムレットさんが、私の顔をひょいっと覗き込んでいた。


 ――ニムレットさんの目って、灰色だったんだ……。


 なんて場違いな感想を抱きながら、身体が癒えていく温かい感覚に身を委ねる。


「ニムレットさん!? あなた、あぁ、生きて…………!」


「感動の再会は後です。応急処置は済ませました。イリス、二人の治癒を」


「わ、分かりました……。お二人とも、今、治しますね……!」


 言うが早いかイリスちゃんはテキパキと治癒に取り掛かり、私はものの数秒で立ち上がれるようになった。先帝様も同じだった。


 どうやら、再生した尻尾に叩き落とされたらしい。あまりの威力にめり込んだ地面が、『黒龍』の超常性を物語っていた。


 皇城跡地に目を向けてみると、『黒龍』が必死に翼をはためかせているのが見えた。

 どうやら追随被害がなかったのは、『黒龍』がそっぽを向き飛翔への挑戦に夢中だったからのようだ。その余波で少なくない家が吹き飛んでいる。


「どうやら、あれはまだ飛行能力を持っていないようです。理由は分かりませんが、頑なに皇城から離れようとしないのも不幸中の幸いですな」


「……でなくば、帝国のみならずこの世界全てが地図から抹消されていたところだろうな。神父、救援大義である」


「ほほ、それより突破力はどうなさるおつもりですか? 戦闘継続力は私とイリスで、防御力はマリーで何とかしてみせますが、見たところお二人では決め手に欠けるご様子。未だにお姿を見せていない閣下を当てに考えているのであれば些か浅慮と言わざるを得ませんな」


「……業腹だが事実だな。そも、あの巨体相手に二人では圧倒的に足りん。あやつの攻撃を分散あるいは集中させつつ複数人で瞬きのうちに数十連撃を叩き込む必要がある。せめてもう一人、動ける頭数が増えてくれれば話は変わるのだが……」


 そこで言葉を打ち切り、ネルヴィスさんは思案に耽ってしまう。


 会話は無くなり、その場のみんなの顔に暗いものが滲み始めた。俯き、手詰まりの状況に諦めるという選択肢が尾を引く影に映し出されていた。


 その影に呑まれてしまえば、二度と戻れない。今救えるものも救えなくなってしまう。……たとえそこに私たちの姿が無くとも。


「でも、今は私たちでやるしかない。――合わせますね、ネルヴィスさん」


「……そうだな。それしかネル達に道は残されていない。己が清き信念に準じ、月光を……ふん、退屈な響きだ。――ネルを満たせ、ネルを楽しませろ。『倦怠帝』を酷使し隣に並ぶ蛮行、大義と知れ」


 ――だから、私は欺瞞を嘯く。他でもない自分自身が虚勢であると理解している態度で、士気向上を促して狡猾な影を打ち払う。


 ずっと言葉をつぐんでいたサラも、苦虫を噛み潰したような表情で前を向いた。その意味を噛み締めながら、私も前――否、打ち砕くべき災いの方を向く。


 覚悟を決めた。



「――へぇ、ワタシがいない間にずいぶん開放的になったじゃない。憎たらしいわ」


 ――それは、いとも自然な流れで緊張で張り詰めた意識に割り込んできた。

 始めて聞く人の声だ。高く耳に馴染む声色は弦楽器のように澄んでいて、自然と心が安らいでいく。


 背が高いお姉さんが、腰に手を当てて隣に立っていた。


「■⬛︎■⬛︎■■■!? ……あなたはあちらへ赴いていたはずでは?」


「細かい事はいいわ、ニムレット。それよりよくも抜け駆けしてくれたわね! おかげでワタシの完璧な登場が退屈な二番煎じのように…………コホン。ともあれ、無事で……ぐぬぬ…………無事で………………」


「言いたくないなら言わなくて構いませんよ。――■■、戦況を教えてもらっても?」


「…………端的に言って最悪よ。あの生意気な小娘……コホン、ナフィリンの生死は不明。兵士の大半は住民の避難にあてられているようだけど、はっきり言って手遅れね。日が落ちるより、帝都が滅ぶ方が早いんじゃないかしら」


「……あなたにも、閣下の安否は分からないと」


「だから、そう言っているじゃない! ……はぁ、イリスが恋しいわ。これまでも性悪神父との会話はイリスと会えるからって断腸の思いで我慢してきたんだもの。そうじゃなきゃ割に合わない――って、イリス!?」


 目まぐるしく表情がコロコロ変わるお姉さんは、ニムレットさんだけでなくイリスちゃんとも面識があるみたい。

 でも小首を傾げるイリスちゃんには心当たりがないようで――、


「……えっと、あなたは?」


「んん、そうでしたわね。まぁ、ワタシの事は通りすがりの聖職者とでも思ってください。――そこの老いぼれとは格が違うので、間違っても勘違いしないように」


「ニムレットさん、何をやらかしたんですか?」


「ほほ、私がやらかした前提ですか」


「……ふん。久しい顔が来たな。息災か?」


「ん? ――はぁ!? ネルヴィス、アナタが出張ってるって……今日は星でも降るんじゃないかしら!?」


「岩なら星の数ほど降っていようが。ともあれ、よくぞ来た」


「ごちゃごちゃ喋ってる時間ないよ! 僕たちがもたもたしてる合間にも、街が壊されてっちゃってる……!」


「それに、またそっぽ向かれちゃったみたい! 何とかして意識を引き付けないと……」


 マリーの言う通り、談笑している今も瓦礫が依然として降り注ぎ、人々の営みを無に還していっている。その被害規模は刻一刻と増大している。

 帝国の人たちが少しでも遠くに逃げられるよう、戦える私たちが注意を引き続けなくちゃ……。


『とはいってもレティー、どうするの!? アタシたちでどうにかなる相手じゃないと思うよ? やっぱり逃げた方が……』


 そうやって伏し目がちに私の身を案じてくれてるサラは、逃げる寄りの立場みたい。でも今回ばかりは親友の提案も聞いてあげられない。


 ――見捨てることなんてできない。かといって私たちにできるのはせいぜい、みんなが逃げる数分を稼いで命を散らすことくらい。焼け石に水だ。

 第一、このお姉さんを戦力として当てにしていいのかすらも怪しい。見たところ武具の類の持ち合わせがないからイリスちゃんたちと同じく後方支援組として数えておくけど、やっぱりネルヴィスさんが指摘していたように決定打に欠ける。


 ……結局、堂々巡りだ。それでも、他に手立てがなくて、騎士見習いとして逃げることもできない以上、その数分でも稼がないよりはマシだよね。





「――む。あれは……?」


 そうして後ろ向きの覚悟を決めた私の思考に、怪訝げなネルヴィスさんの呟きが割って入ってきた。気怠さの滲む双眸が見つめる先、雲一つない空に目を向ける。


 そこにあったのは大きな影――違う、瓦礫の飛び交う大空を羽ばたくのは黒に白、茶色に黄色と大小種類様々な鳥……鳥だ。鳥の集団が一目散にこちらに向かってきている。


「でも、何で……」


 動物なのだから、今の帝都で羽ばたく危険さは本能で理解しているはず。なのにどうして……。


 と私が視線を少し外している間に、鳥の軍勢が『黒龍』の至近距離まで近づいていた。それを意にも介さず破壊活動を続ける怪物に向けて、鳥たちは一斉に囀り出し――そのまま捨て身の突撃を開始した。


 十数匹かが一撃のうちに薙ぎ払われるも、大半は迂回して再び突撃。そうこうしている間にも四方八方から増援が来て、数は減るどころか増えるばかり。


 ――『黒龍』の気が、帝国から逸れた。


「あれは――モーハルラントだわ!!」


「手段を選んでいませんね。あの方らしくもない。しかし、これほど心強い援軍もそうありません」


「よく分からないけど、これなら……行けるねっ!」

『ちょ、レティーっ!! さっき死にかけたの忘れたのっ!?』


「……ちゃんと覚えてるよ。痛みも、恐怖も、何もかも。でもさ、サラ」


 そこで区切り、ゆっくりと辺りを見渡す。頑張ろうって気持ちが戻ったみんなの顔がそこにはあった。


「こんなに頼もしい仲間が揃ってて、今更引き下がれる?」


『…………』


「それに、私たちが頑張らないと、帝都のみんなはもっと死んじゃうんだよ。――あの時みたいに」


『……っ、それ、は』


「これじゃ足りない? なら――さっき思ったんだけど、私とサラだけが生き残ったのは多分、この時のためなんじゃないかな」


『…………そんなこと、ない。レティーが生き残ったのは、レティーに生きていて欲しいって、幸せになって欲しいって、皆が思ったから』


「なら、なんでそのみんなは死んじゃったの?」


『………………。ひ、どいよ』


「だよね。ごめんね」


 目を瞑り、心の中でも謝る。サラの善意に漬け込んだのは、自分の退路を断つためでもあった。


『……っ、絶対っ、絶対生きて帰るんだよ、レティー』

「それはサラも、でしょ? ここにいるみんなも同じ」


 涙を堪えてるサラに薄く微笑んで、もう一回みんなと顔を合わせる。


「…………あれ。あなた、誰?」


「ニムレットより優秀な通りすがりの聖職者よ!」


「そっか。よろしくね」


「ええ! こちらこそ、よろしくだわ、レティシア!」


 その中にいつの間にか加わっていたお姉さん――背の高い聖職者さんがいたけど、手短に身分を教えてくれた彼女への挨拶を済ませ、再度気を引き締める。


「――そこな娘の言う通りだな。戦闘要員の頭数も増えた今、何処にいるかも分からん最高戦力を当てに持久戦を仕掛けるのは現実的では無い。そも、捜索に充てるだけの人員も余力も持ち合わせがない」


 モーハルラントさんの参戦で私の中で固まった方針に初めて賛同の意を示してくれたのはネルヴィスさんだった。

 叩き落とされた時に落とした双剣を調達し直した彼女は大きく息を吸い、


「目標変更! 全戦力を以て、我が国を破滅へと導く『黒龍』を討伐する!! 総員、夜空に浮かぶ月から離れるな!!」


 告げられた勅令に、私たちは言葉なく動き出す。

 ネルヴィスさんを筆頭に矢印のような陣形で、きれいな帝都を蹂躙する壊滅の権化に立ち向かっていく。


【オォォォォォォォォォォォ――ッ!】


「はんっ、単調な雄叫びなど小鳥のさえずりも同然!」


 破壊を伴う爆音をものともせず、ネルヴィスさんは飛んでくる石を一人で斬り伏せ、道を確保する。後ろにはマリーとイリスちゃんが続き、イリスちゃんの左右にそれぞれサラとニムレットさんが並んで守備を磐石にしている。


「レティシア、飛びなさい!」


「えっ、と、うん!」


 私の名前を知っていることにびっくりしたけど、一緒に走ってるから多分味方。並走する背の高いお姉さんに合わせて足に力を入れ、再び空へと舞い戻る。


 ――さっきよりももっと身体が動かしやすくなってる。イリスちゃんも、走りながら死力を尽くしてくれてるんだ……。


「よ、は、とぅ!」


 そうした感想を脇に置き、飛来する石を足場に空中から距離を詰めていく。知らないお姉さんも軽やかに着地瞬発を繰り返していて、数歩先を進んでいる。何も無い空中を蹴って瓦礫の流星群を掻い潜る様子を見るに、私の知らない奇術の使い手なんだと思う。


『黒龍』の攻撃は次第に激しさを増していき、やたらめったらに大小様々な瓦礫が私とお姉さん目掛けて飛んで来る。

 足場は蹴って、障害は切る。刹那の峻別と即時の行動を何度も何度も繰り返し、ふとした時に『黒龍』の視線がこっちに向いているのに気付いた。


 私をギョロリと一瞥する縦長の黄色い目は、一見すると宝石のような輝きを放つ綺麗な瞳だ。

 でも、その中心。一番内側の黒い瞳孔。そこにあるのは見るものを引き摺り込んで離さない、暗く暗く逆巻く巨大な渦だった。


【オ、オォォォォォォォォォォォ――ッ!!】


 その咆哮は、どこか悲しそうで。


「あなたは……」


「――っ、詰めるぞぉぉぉぉ!!」


 思わず漏れ出た独り言は大気の嘶きに掻き消され、代わりに真下から空をも切り裂く怒号が細く届いた。

 意識を戻して見た足元、一団から離れて独走中のネルヴィスさんが右の剣を上に掲げていた。


「――レティシア!!」


「うぇ!?」


 前方からの別の大声にまたもや意識を引き戻し――迫り来る瓦礫の中に、一回り大きい足場を見つけた。


「これ、なら――っ!!」


 すぐさま足場を蹴り繋いで目的の足場へ到着。――この大きさだったら、全力で踏み抜いても下に抜けなそうだ。


「い、っけぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!!」


『黒龍』目掛けて一直線、風を切り裂き瓦礫を砕いて空を貫いていく。一秒二秒とみるみるうちに縮まっていく彼我の距離。下には紫、後ろにはお姉さんが同じように空を貫いている。


 今度は腹部、同じ場所へ同じ間に最速の一撃を同時に叩き込む。外皮に阻まれても、斬撃の衝撃が内部を貫通できればいい。一撃でだめならニ撃目を。次の攻撃を意識して、突進の勢いをふんだんに乗せた初撃をお見舞いする。


 ――堅い反応と衝突の衝撃だけが返ってきた。


「なんの……っ、これしき…………ッ!!」


「何度でも蹴り飛ばしてやるわ……っ!」


 三人でニ撃目を放った直後に比類ない暴風が押し迫り、すぐさま散開。自らの胴を叩く右腕から距離を取り、一度『黒龍』の翼の上で足を休める。


「剣士、貴様の所感はどうだ……?」


「どの部位でもそんなに変わんないと思います。一番中が柔らかいと思ってたお腹も、芳しくなかったですから」


「ネルも同感だ。となると、考えるべきはネルら側の問題だな」


「ネルヴィス? ワタシの所感はまだ聞かれてないのだけど、信頼の証と受け取っていいのかしら?」


「状況を考えろ、焼きもち■■め。それ、一旦頭部に移るぞ」


「わきゃっ!?」「だーれが焼きもち■■ですってぇっ!?」


 悲鳴と非難を置き去りに、ネルヴィスが私たちを抱えてその場を後にする。と、そこに左翼の放つ暴風が着弾し、背後の大地がごっそり削られた。


「方針は伝えた通り。一点集中、最高打撃を猛連打だ」


「……理解力と状況把握能力に優れたワタシに感謝することね。任せなさい、『倦怠帝』。コイツの中身をぐっちゃぐちゃに掻き乱してやるんだから」


 背の高いお姉さんの勝気な文句を皮切りに、揺らぐ足元から脱却、足場と言えない足場を転々とし合間合間に追撃を挟む。


「そろそろ、貴様の顔も見飽きた……ッ!!」


 痛烈な連撃を放ち、『黒龍』の視線を一身に浴びるネルヴィスさんを隠れ蓑にして、その反対側、背中へと飛び移る。前回の応用、同一範囲への挟み撃ち作戦だ。衝撃の逃げ場を無くして内部で破裂させる思惑で、日に光る剣を振るう――弱々しい金属音が反響するだけだった。


「それでもっ!! ぁ」


 足が滑った。

 下を見ると、途方もない距離の果てに瓦礫まみれの地面が私の訪れを今か今かと待ち望んでいる。


 今度こそ、死――、


「――支援はっ、任せなさい……っ!」


 落下の衝撃に備える背中に何かが衝突、その余韻に痺れるままに落下――する間もなく安定した足場に足が吸い込まれた。

 見れば、背中と両足元にそれぞれ、円形の小さな、薄い膜が空を浮かんでいた。


 弾かれるように上を見上げると、空中に浮かんだ――いいや、空中に立っている知らないお姉さんが一生懸命腕を振ったり何かをしていた。冷や汗と鼻血を流しているのが遠目からでもよく分かった。


「恩に着るッ!」


「けほっ、言質、取ったわよ……!」


 二人のやり取りから考えても、多分この人のおかげだ。この人が足場を作ってくれている。戦場へと駆け出した私の足が置かれる座標に、その前に薄い膜を都度設置してくれている。


 ――これで、足場の限られた『黒龍』周辺でも足場を考えずに戦える。


 それに、何故か『黒龍』の攻撃が狙いを外すことが多くなってきている。それが命中しそうになり誰かが危なくなった時には、勇敢な小鳥たちが特攻して気を逸らし、守ってくれる。


 そしてなにより――、


「……うん」


 天上の激戦を繰り広げる下で、頼もしい友達が一緒に戦ってくれてるから。

 めげそうになる気持ちを漏れ出た笑顔で塗り固めて、治癒魔法の応用でさらに軽くなっている身体を捻って再び攻撃に転じる。


 透明な足場を踏み抜き一気に這い上がり、一切の反応を許さないまま『黒龍』の喉元を切り払う。手応えは変わらない。けれど『黒龍』の意識の裏をかいた一閃は、僅かに『黒龍』の体勢を後ろに逸らした。



「――今だッ!」


「てりゃぁぁぁぁぁっ!!」

「観念しなさいっ!」


 その隙を見逃さず、ネルヴィスさんとお姉さんが凄まじい速度で追いすがる。突っ切っちゃった私もお姉さんが出してくれた薄い膜で方向転換、勢いそのままに『黒龍』の首元に突撃――。


【オォォォォォォォォ――ッ!】


 光速に迫る連撃の末、ぶちっ、と鈍い音が世界を揺らした。――成功だ。内部をわずかでも切り裂けた。

 言葉なく示し合わせ、お姉さんの奇術による支援を受けながら下へ下へと降りていく。その先には感極まったのか目元に涙を浮かべるマリーと力強い笑顔で迎え入れるイリスちゃん、飛び跳ねてはしゃいでるサラと眉を上げたニムレットさんがいた。


「やりましたね、レティシアちゃん!! 細胞の活性化は無理やりにでももたせますので安心してください。その調子、その調子ですよ……!」


『レティー……!! アタシ、感動しすぎて言葉が出ないよ!! と、とにかくお疲れ様っ!!』


「おかえり、レティシア! 傷はない? ……もう一回、頑張れそう?」


「ありがとう、みんな。うん、私は大丈夫。まだまだ戦えるよっ」


 痩せ我慢だったけど、言葉にしてみたら不思議とそう思えてきた。


「すごいわ、レティシア! ……あの傲岸不遜な小娘、こんな逸材をワタシから隠してたなんて。後で徹底的に問い詰めてやるわ……」


「あなたも……えっと、誰? かは分からないけど、不思議な技を使うよね。後でもっと見せてくれる?」


「もちろんよ! いくらでも見て行きなさい!」


「貴様ら、今のをもう一回だ。イリスは細胞の活性化を維持、神父は勝手に動け、緑の女は二人を死守しろ」


「任せてください!」

「ほほ、そのように」

「はい、絶対に」


 額に汗を滲ませたネルヴィスさんの采配に、『癒し手』二人の前に立つマリーががちゃんと大盾を構えた。支援組の安全はこのかっこいい友達が保証してくれている。

 地上への憂いがなくなり、再び攻勢に出ようとした――矢先のことだった。


【オ、オオオオオオオオオオォォ――ッ!!】


「え?」


 痛烈な雄叫びと同時、視界が一面赤に染まる。

 色を認識した次に感じたのは、耐え難い熱気と強風。

 髪がぶわっと逆さになったのが分かる。服も今にも吹き飛びそうなくらい暴風に煽られていた。


 ――時間がゆっくり、流れている。

 赤に染まった視界に、左端から緑が混ざってきた。

 だんだんと視界の中央にその緑が移動していき、ついには動かなくなった。


 そして、私の視界は「赤」に包まれ――、



 ■ ■ ■



 ゆらゆら、ゆらゆらと揺れている。


 波紋の広がる水面みたいな視界に映っているのは、手入れの行き届いた桃髪を横に束ねた可愛らしい少女。橙のリボン、桃のインナー、黄緑のスカート、赤のブレスレット、そして黒のケープ――奇妙なことに、目に覚えがないのに私は毎日似た姿を見ていたような気がする。


 それに、どうしてだろう。彼女を見ていると心がざわめき立って仕方がない。

 揺らめく視界に同期するように心も意識も輪郭がほつれていき、段々と危うくなっていく……。


「――っ、あな、たも……っ!」


 朦朧となる意識の中、最後の力を伸ばす右手と呼びかけに費やした。

 何に変えても、私は儚げな笑みを浮かべる少女を連れ出さなければならない。連れ出さなければ。なければ。れば――――。


『もう、大丈夫だよ』


 もう顔さえもぼやけてしまった少女の返答が辛うじて皮膚を透過した。

 意味は分からない。分かる機能がどこかに行ってしまった。だから、その音の調べだけを大事に抱えて。


『…………でね。……ィー』


 かか、えて。

 か……か…………。









「――――ぅ」


 …………あれ? 私、意識、失ってたの……?

 途切れてる記憶の再生を試みながら、震える瞼をゆっくりと持ち上げ、何が起きたのかを確認する。


 ぼやけた眼でも分かるぐらい酷い有様だった。建物という建物が薙がれ崩れ崩壊し、私たちの周縁はごっそりとえぐり取られている。


 想像以上の被害規模で咄嗟に人影を探す。

 ……ニムレットさんは、無事。ニムレットさんの知り合いっぽいお姉さんも無事。まだ少し目が霞んでるけど、そこまでは目視でまず確認できた。


「……目覚めましたか」


「ニムレットさん……だよね?」


「えぇ。本当に、よくぞご無事で」


 ほっ、とニムレットさんが安堵に息をつく。その横、泣き腫らした目元を無理やり引き締めたお姉さんに自然と意識が向いて、


「それにあなたも…………えっと」


「ワタシのことは置いておきなさい。それよりレティシアが生きてて本当に良かったわ! 動ける、わよね?」


「う、うん…………動、ける。動けるよ? でも、どうして……」


 周囲の状況からして、私たちが甚大な被害を被ったのは間違いない。それも、生きているのすら奇跡と言った具合に。

 二人が生きているのはまだ分かる。ニムレットさんはあの教会襲撃の生き残りだし、このお姉さんは……よく分からないけど、多分強い。何かしらの対抗策を持ってたんだと思う。そうじゃないと説明できない。だからそう思っておく。


 でも、私にはそれがない。

 ――記憶を辿れば、こうなる直前、私は「赤」を見た。皮膚が蒸発しそうな熱と圧倒的な質量を持った「赤」い何かが私たちを襲ったみたい。


 だから余計に分からない。

 そんなすごい一撃を受けてどうして私が意識を失っただけで済んでいるのか。身体が動くのはどうしてか。――消し炭になっていないのは、何故。


「……ぁ」


 理由を求めて視線を泳がせた先、生き残った理由に至ってしまった。


 最後の記憶で私が立ってた場所、その少し前の位置。

 ――塵となった大盾から手を離さずに立ち尽くすマリーの、死体だった。


「……ぇ。………………ぁ、あ、あぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああっっっ!!!!」

 死体。死体。死体。死体。死んでる。生きてない。動かない。動いてない。死ん、死ん、だ。

「あああああああああああっっっっっ!!!」

 死んだ。死んじゃった。マリーが死んじゃった。なんなの。もう訳わかんない。どうしてなの。嫌だよ。やめてよ。もう奪わないでよ。私の大切な人を奪わないでよ。散々だよ。こんなの、何度されたって慣れない。耐えられない。私が、私が何をしたっていうの? 誰かに嫌なことをした? お花さんを踏み潰した? 人を殺した? してない。そんなことしてない。ちゃんと良い子にしてた。お父様たちと平和に暮らしてたの。普通の女の子なんだよ? なのに、なのにどうして私が好きな人はみんなみぃんな痛くて辛い終わりを迎えなきゃいけないの? 爆弾に吹き飛ばされて死んで庇って切られて死んで柄にもなく人助けして死んで帝国の人たちからも愛されてたのに爆発に巻き込まれて死んでみんなを守って死んで――――死んで、死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「――ァ。――ィシア。レティシア。深呼吸。今は、取り乱している余裕が無いのよ」あああ、あ……ぁ………………」


 ――――。

 ――――――。


 …………背中を撫でられる感覚、心を委ねる。


「そう。それでいいのよ」


「ふ、ふ、ふ、ふ――」


「ちゃんと吸いなさい。吸って、吐く。背中を撫でる間隔に合わせて」


「――す、は、す、は、す――」


「そう。そのまま続けて」


 吸って、吐いて、吸って、吐いて――。

 言われるがままに繰り返していくうちに、頭に血が通っていった。


「あ、りがとう……ございます」


「気にすることないわ。本当はもっと構ってあげたいけれど……邪念抹殺。立てるかしら?」


「う、うん……」


 差し出された手を取ってゆっくりと立ち上がる。気持ち平静を取り戻した思考は、あるべき回転を取り戻していく。

 その一貫でふと、さっきから姿が見当たらない存在に思い至った。思い至ってしまった。


「サラ、サラは……!?」


 血なまこになって探すも返事は無い。そうして隅々まで目を走らせる中で、見つけた。


「……………………ぇ」


 荒い、か細い息をたよりに薄い胸を必死に上下させている。健気な心臓の献身も、悲しいかな、それも長くはないと見た瞬間に察してしまった。

 ――顔が青ざめたイリス・ミリネスが、隣に横たわっていた。


 自分の体を見る。傷が全て消えている。流れ出た血はそのまま。しかし新たに流出しているものはない。


 全てを察した。



 赤く、紅く、赫く染まる。視界が一面、赤く染まる。

 赤く、紅く、赫く染まる。照らす紅色が、赤く染まる。

 赤く、紅く、赫く染まる。明瞭な思考が、■く染まる。



 赤く、紅く、赫く染まる――。



「――――」


「レティシア……? ど、どうしたのかしら? なにか、怖い、わよ?」


「――――」


 剣を握る。まだ持てる。


「ニムレットっ!! ワタシたちも何か援護を……」


「その必要は無いでしょう。「…………もう一回、言ってみなさい。命の保証は」それより、今助かる命を。私たち『癒し手』にしかできないことです」


「――っ、――――っっ!! そういうところ、ほんっっっっっっっっとうに嫌いだわ」


 前を見る。霞みは消えた。

 地面を蹴る。音が消えた。

 体をよじる。その横を黒が落ちた。

 逆手に持つ。そうした方がいいと思った。

 斬る。よじる。斬る。斬る。斬る。斬る。そらす。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。飛ぶ。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。蹴る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。蹴る。斬る。斬る。斬る。斬る。叩く。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。貫く。斬る。斬る。蹴る。屈む。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬った。


 ――そこに、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬るをした。


「ぅあァァァァァァァァっっ!!!」



 ――本当はね、分かってたの。サラはもう、死んでるんだって。


 でもね。私には無理だったんだ。たとえ幻覚だとしても、サラを疑うなんて私にはできなかった。

 サラは今も生きてるんだって。こうしていつまでも私と一緒に居てくれてるんだって。そう信じるしか、なかったの。


 これはきっと私への罰。親友の死から目を背けた私への。


 でも。だからこそ。私は剣を手放さない。


 ――家族とサラを殺した「世界」に。フローラちゃんをモネねんをムニアちゃんをシスターのみんなを殺した「帝国人」に。マリーを️️ネルヴィスさんを️️殺してイリスちゃんをこんな目に遭わせた「化け物」に。


「――――」


 自分の血で赤くなっちゃってる視界。それでも「黒」って分かる「化け物」が、まだ生きてる。どれだけ斬っても、斬れない。両断できない。切り口を刻めても、両断できなければ意味が無い。


「――――」


 これで終われるはずがない。これで死ねるはずがない。

 私は、レティシア・パレットは。


 ――「世界」に。「帝国人」に。「化け物」に。


 同じ痛みを、味わわせるまで。


「――死ねないっ!」


 意識を現世に強引に引き戻し、「化け物」を睨み付ける。

 敵の攻撃を利用して飛び跳ね、剣戟に剣戟を重ねる。

 両断できないのなら、一度は切り口を作った猛連撃を一撃と数えて斬れるまで叩き込むのみ。


 瞬時に同じ箇所を何度も切ることで、駆け上がりながら外皮の至る所に傷口を作ることに成功。そのまま目的地――首へと到着、抵抗許す間もなく一撃(二十三連撃)を叩き込む。何度も、何度も。満足のいくまでありったけを叩き込む。


 ――頑強な外皮に深い傷を無数に刻んだのを確認し、とんと後ろに飛び降りる。落下の感覚に身を預け、少し経つと皇城のてっぺんだった瓦礫へと足が着いた。

 その足を爆ぜさせ、下から一閃。自己修復が間に合っていない傷口に一撃(二十三連撃)、貫通した先の内部へ二撃(四十六連撃)、斬り進めるのに三撃(六十九連撃)、外皮を突き破るのに二撃(四十六連撃)――晴れ晴れしいほどの青空が、敵の首を突っ切った私を優しく抱擁してくれた。


 振り向きざま、黄に覆われた闇と目が合った。


【ェ、ィ、ィア――――】


 胴体から切り離され、下手人の私と一緒に落下の運命を辿っている敵はそう言い残し、そのまま何も無かったように消えていく。後には何も残らなかった。






 そこで、ぷつりと意識が途絶えた。



 ー ー ー ー ー ー ー ー



 ――そして世界の壊滅は少女の憤怒と無数の犠牲、捨て身の献身によって辛うじて食い止められた。


 めくるめく運命に翻弄されし少女の最後の足掻きは絶対の不条理を断ち切り、一連の騒動を大災程度の被害に留めた。

 縁とゆかりを深めた地に自らの足跡を刻んだ少女は、後の世に『救世の黒騎士』という名で知られるようになる。一般の出自で、無念の死を遂げた家族や友人の遺志を継ぎ、異国の滅亡を防いだ『救世の黒騎士』は、復興途上にある帝国における新たな英雄譚として人々に生きる活力を与えている。


 収束した因果の中にあっても藻掻くことをやめず、悲劇的な離別を経ても壊れた心を抱えて進み、己が身に降り掛かる理不尽な宿命に抗って見せた『死神』の器。少女――レティシア・パレットの歩んだ軌跡は世界の命運をも変容させた。

 少女が終末世界に残したか細い希望の種は、終わった世界を土壌にすくすくと育っていき、やがて動乱の世を平定する大木となった。本来の路線を外れて生き長らえた『異国の聖女』、少女が飛来する大岩から救った商業大国の間者、"遺された者"として差配を振るう女王。少女の介入により消滅を免れた因数の一つ一つが、終わりを免れた世で平和の叙事詩を紡いでいく。その過程で彼らは新たな脅威に立ち向かうこととなるが……これ以上は本題から外れるためこの辺りにしておく。


 ――こうして、約千二百年続くランゴルマージ帝国は未曾有の危機を脱した。後継者には然るべき人物が抜擢され、「龍災」から五年後には世界各国の技術者の尽力により帝都再建を実現、『救世の黒騎士』『純白の聖女』に匹敵する生ける英傑として被災者の心の拠り所となった。


 そして、その代価は。



 ー ー ー ー ー ー ー ー





 ――あれ。どこだろう、ここ。

 私、さっきまで『黒龍』と戦ってて…………そっか。これは夢みたいなものなんだね。気、失っちゃったんだ。


 あはは、あれだけ無理してたら当然だよね。今まで何とかもってたのが不思議なくらい。



 ――思い返せば、色んなことがあったなぁ。


 ニックさん……は、確かソファラ地区から離れた場所で勤務してたから、多分無事。無事であって欲しい。ヴィーダムさんとリノさんも、あの二人ならきっと死地を切り抜けたはず。重役がほとんど死んじゃった今の騎士団を纏められるのはヴァイン兄さん直属の部下である彼らかニックさんぐらいだから、王国内のごたごたがこっちに伝わって来てないってことは、心配はいらなそう。


 あぁ、そうだ。帝国に来たばかりの頃、花瓶を割っちゃったモネねんに頬を膨らませてるムニアちゃんのほっぺたを出来心でつんってしちゃった時は大変だったなぁ。困惑と憤慨で顔を真っ赤にしたムニアちゃんと、ずるいずるい私も私もって割れた花瓶そっちのけで詰め寄ってくるモネねんと、何故かお説教状態に入ってるサラ……結局一番籠絡しやすそうだったムニアちゃんを抱えて逃げ切ってから誠心誠意謝って、私が掃除するで事なきを得たんだったっけ。

 ……思い返せばあの一件以来、モネねんの積極性がもう一段階上がってたような気がする。それはそれで嬉しかったけど。


 イリスちゃんと猫ちゃん追跡したのも忘れられないや。意外とノリがいいって知れたし、何よりお互い猫ちゃん好きだって分かってさらに仲良くなれたんだよね! それ以来度々『天界の庭』で猫ちゃん談義をしたり、ニムレットさんに対する愚痴を聞いたり……うん。幸せな毎日だった。


 そうそう、ナフィリンちゃんのお部屋でのお泊まり会も楽しかったよね。私のために用意してくれた枕がふかふかで寝心地最高で、すぐ寝ちゃってナフィリンちゃんが不機嫌になっちゃってたのも、振り返るといい思い出。結局イリスちゃんには顔を真っ赤にして断られちゃったし、マリーやフローラちゃんは誘えずじまいで終わっちゃった。……みんなでお泊まり、したかったな。


 ふふ。楽しかったなぁ。戻りたいなぁ、あの頃に。



 …………そっか。サラと結び直した約束も、私の独り善がりだったんだね。お菓子屋さんじゃなくて騎士になるって決意を最終的に後押ししてくれたのも、私が死なないように指示を飛ばしてくれてたのも、私だったんだ。

 ……え、じゃあ、お父様たちの真実を知ってめちゃくちゃになってた私に寄り添って励ましてくれてたのも私ってこと!? うぅ、なんだか恥ずかしい……。

 ううん、待って。それなら、これまでの私の独り芝居は全部みんなに見られてたってこと!? き、気まずい…………! 恥ずかしすぎて『黒龍』の口の中に潜りたい! もうみんなの顔見れないよ……っ!!



 このまま死んじゃうのかな。ううん、もしかしたらもう死んじゃってるのかも。イリスちゃんは助かったかな。助かってるといいなぁ。あ、その時はイリスちゃんの夢に遊びに行こう。サラとマリーとフローラちゃんとナフィリンちゃんとネルヴィスさんとモネねんとムニアちゃんとアモネラさんと、あ、お父様たちも忘れちゃダメだ、お父様たちと……あれ、大所帯になっちゃった。やっぱり一人で行こうかな。


 ――えへへ。考えたらキリがないや。





 ――ただ、生きていただけだった。


 お父様に見送られ、ヴァイン兄さん、ミハエル兄さんと会話して、月に一回サラと遊んで健やかに寝る。そんな、何不自由ない幸せな人生。


 欲しいものも特になくて、毎日が満ち足りてた。

 だから、最後がこんなになっちゃっても、私は幸せでしたって胸を張って言える。言いたいの。



 でも、一つだけ。

 心残りがあるとすれば。




「……………………あはは」



 ――最期に、サラの声を聞きたかったな。




END




本日もお読みいただきありがとうございましたっ!!

(更新長らくお待たせしてしまいごめんなさい!)

本編IFは初の試みでしたが、如何でしたでしょうか。

本ルートは国王フォレオスの願望が全て叶ったという前提で成り立っています。なおそんなことは起こり得ないので、仮定の仮定の話というIFルートの定石から外れた分岐を第一作に持ってきた形です。


性格からアホ毛の有無まで全てが本編と異なるレティシア、どの世界線でも光なサンドラ、世界線が違ってもイリスなイリスたちを描けて、作者的には非常に楽しかったです。

(何がとは言いませんが、本編はこんなにはならない予定なので安心してください。大丈夫!ちゃんとほのぼのするからっ!!)


詳しくは後日『活動報告』で投稿予定の補足資料にて!

次はこちらでお会いしましょう!

では、また!!


(2026/9/18追記)

先程『活動報告』にて「お誕生日企画『ルベウスルート』補足資料」を投稿しました!

文字数いっぱい書きましたので、是非ルベウス本編と合わせてお楽しみくださいっ(^^)

【https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/3003240/blogkey/3708366/】


①よろしければ評価・ブックマークの『侵色』お願いします。

②感想も切にお待ちしております。

もれなく咽び泣いて喜びますし、私の創作意欲が爆増しますっ!

何卒!よろしくお願いします!


③匿名で文章を送れる「マシュマロ」、やってます!

【https://marshmallow-qa.com/116fffnttdqkob2】

こちら、本編やキャラに関する質問でも、ルベウスルートの感想でも何でもお待ちしておりますので、よろしければ何卒……っ!!✨✨

(返信遅れてます……! でもしっかり一つ一つ喜びを噛み締めながら拝読しています! いつもありがとうございます!)


以上、執筆の励みになります。

よろしくお願いします!

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読ませていただきました…。 文量と熱意もさることながら、物語の反転、死にゆく仲間達(IFとはいえキツい。いや、IFで良かった!)、そして救われないラスト…重たいですが圧倒されました。でも、イリスもこの…
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