第二章幕間『あの日見た夢/今で描く未来』
起床。それはフォレオスにとって明るい今日の訪れを意味する。過剰に豪華なカーテンをゆっくり開け、眠気を置き去りにした眼で外を見る。
眼下、まだ光の灯らない街並みが見える。グアトライウスが病に倒れ、フォレオスが戴冠してから今日で五日だ。今王都が静寂に包まれているのは、日付を超えた労働を禁じた法を新たに施行した効果である。
人は条件次第で善にも悪にもなる。悪に傾く要因には環境、人間関係、利害関係、権力、そして疲労があるとフォレオスは考える。中でも疲労は、人本来の感覚を鈍らせ、人格に不可逆の影響を与えかねないものだ。
フォレオスも経験があるのだが、毎日二十冊もの本を休み無しで読んでいるといても立ってもいられない気持ちに苛まれる。一文字一文字に自分を責める意志が込められているように思えて、一刻も早く目的を達成しなければと…………そんなこと、あったかな?
「フォーレ君」
「うわっ!」
自分の記憶に違和感を持った瞬間、背後に人一人分の重量を感じ、危うく窓に衝突するところだった。元気よく抱き着いてきた最愛の人――ミネアはよくこうしたイタズラをしてくる。というのも、一ヶ月ほど前に彼女の虚弱体質が完治したのだ。
医者からも、今後は思う存分はしゃいでくださいと言われているため、ここ最近のミネアは天真爛漫に動き回っている。そう、それ自体はフォレオス達にとって最良の結果なのだが、それはそれとして一つ困った事がある。それは――、
「ミ、ミネア!? 心臓の準備ができてない時はやめてって言ったじゃないか!」
「んー、そう? 私はフォレ君のもので、フォレ君は私のものなんだから、問題なくない?」
「そうだね! 世間体的な問題は無いよね! だけどさ――このままじゃ僕が持たないっ!!」
虚弱体質によって抑制されていたミネアの愛情表現――つまり身体接触の頻度と衝撃が急激に大きくなった。フォレオスの精神が肉体が爆ぜそうになるのも無理のない話だった。
「君がそこにいると認識する度、心臓が跳ねるんだ。君に触れられる度、心臓が止まるんだ。君と話す度、心臓が暴走するんだ。――分かるだろう? 僕はいずれ、君への愛によって死ぬ」
「えーい」
「おわっ!? だからやめてくれって!!」
そんなフォレオスの必死の主張に取り合わず、ミネアは抱きしめる密度と力をより強くし、フォレオスの肩に顔を乗せて破顔する。
視線が合う。至近距離で緑がかった青い瞳に見つめられ、見ているだけでどうにかなってしまいそうなほど愛おしい顔を見つめ、フォレオスは悟った。
「僕は……君を……愛し……て…………」
「え、嘘。本当に……?」
ゆっくりと瞼を閉じ、満面の笑みで窓に衝突する――瀬戸際でミネアが後ろに引き倒し、なんとか免れた。
その気絶顔は、幸福に包まれていた。
□□□ □□□
「と、いうことで。フォレ君には私に慣れてもらいます!」
「悪いけどミネア、それはできないよ。君に慣れてしまうなんて……そんな軽薄な人間に、僕はなりたくない」
フォレオスにとってミネアは唯一無二の存在だ。そんな最愛の妻と過ごす日々を感動を当たり前にしたくない。この想いが薄くなってしまうのなら、死んだ方がマシだ。
「ふふっ」
真剣に伝えたはずなのだが、当のミネアにはクスッと口元に手を当てて笑われてしまった。
「心配しなくても大丈夫、慣れたとしても感情に変化はないはずだよ」
「……思ったんだけど、最近のミネアってグイグイ来るよね。いや、そこもまた凄く愛おしいんだけど」
「ふふ、ありがとっ! ……私だって、フォレ君といると心臓が暴れて痛くなるよ? でも、それでも、それよりもフォレ君と話したい。フォレ君に触れたい。フォレ君に伝えたいって気持ちが沢っっ山溢れてくるから、いても立ってもいられないのっ」
顔の前で指先を合わせ、満面の笑みでそう話すミネアに、今朝の一幕が思い返される。フォレオスが気絶した時も、背中越しに感じていた鼓動はフォレオスのそれと遜色なかった。
「……ミネアは凄いな」
「フォレ君だって凄いよ?」
「――ははは」
「ふふっ!」
どちらからともなく笑い合い、賑やかな街道を二人、並んで歩く。
隣を見やると、美しい装飾で身を飾ったミネアがそこにいた。
「服、似合ってるよ」
「ふふ、でしょう? この前お忍びで揃えたの! 一人気ままに外へ遊びに行くの、想像してた何倍も楽しかったわ!」
「――ミネアが……僕とのデートの為に……わざわざ服を見繕って……!」
「おーい、フォレくーん?」
「白を基準としたワンピース、所々に色のある飾り付け……可愛い……それがミネアそのものを引き立てている……どうしようたまらなく可愛い……!」
「嬉しい分析ありがとうだけど、もう着いたよ?」
「ぇ!?」
衝撃の一言に意識が外側へと舞い戻り、咄嗟に辺りを見回す。
入口の上、『スイーツカフェ』と看板に書いてあるお店の前に来ていた。
「じゃじゃーん! スイーツカフェでーす! 私、一度来てみたかったのっ!」
「カフェか……! 僕も初めてだよ、ミネア! ワクワクするね!」
王国においてコーヒーは一般的な飲み物だ。当然、コーヒーを嗜むカフェも数多く王都の街道に店を構えている。
しかし王族であるフォレオスには娯楽に興じる余裕などなかった――いや、王族にも娯楽は許されていたような……? ともあれ、ミネアもその先天的な体質の問題から外食する機会は無かった。
故に、ミネアの選択は正しかった。
「さぁ、行きましょう?」
そう言ってミネアはすたたっと前に出て、真白の手を差し伸べる。
「……あぁ」
ゆっくりと手を取り、るんるんと小走りするミネアの後ろを何とかついて行く。
手繋ぎ。何年経っても慣れないその感覚に、心が沸騰するのを感じた。
□ ■ □
「――内装はこうなっているのか。書物での知識はあったけど、実際にこうしてみると印象がだいぶ変わってくるな」
「本当ね! ふふ、そうやってとんちんかんに真面目なところも好きだよ」
「とんちんかんって……ちょっとミネア、酷い言い草じゃないか」
「えへへっ」
チロっと舌を出し片目を瞑るミネアにやれやれと肩をすくめる。
黒めの木が主な店内、フォレオスたちの他に客の影は見えず、生命を感じさせる観葉植物が清涼感を演出している。
「…………ま……し……た」
「ああ、ありがとう」
「ええ、ありがとう」
長い前髪で両目を隠した女性の店員に感謝を述べつつ、机に置かれた二皿に目を向ける。
「おぉ……これがスイーツか……」
フォレオスが頼んだ「プリン」という甘味は、ちょうど四方八方へと自由自在な揺れが収まったところだ。「カラメル」という焦げ茶色の層と、初めて見る黄色の塊の層とで分かれており、好奇心がそそられる。
「ふふっ、美味しそうねぇ」
と頬を緩めているミネアが見ているのはショートケーキだった。特に何の変哲もない。
「ミネア、どうしてショートケーキを頼んだんだい?」
「どうしてって……今日が誕生日だからでしょう?」
「え?」
ミネアの誕生日は数ヶ月後のはずだ。それがどうして今日に……。
「――っ!」
「フォレ君!?」
刹那、鈍痛が頭の中に発生した。
「だ、大丈夫……だから……それより、いただこうか」
「無理はしないでね……? じゃあ……」
「「いただきます」」
手を合わせ、スプーンを手に取り甘味へと運ぶ。弾力があると思いきや抵抗を感じずそのまますくい上げることに成功。口に入れる。
「…………。……?」
味がしない。
「んーー! 美味しいわねっ! フォレ君!」
「……あぁ、美味しいね、ミネア」
その場は何とか取り繕った。
「じゃ、フォレ君口を開けて?」
「え? う、うん……ほう、はな?」
「そうそう! じゃあ、あーん」
突然、ケーキの乗ったミネアのスプーンが目の前に現れた。
「み、ミネア!? 大丈夫だから、自分で食べられるから!!」
「それじゃあ意味ないじゃない! これはフォレ君に慣れてもらうための練習なんだから。ほら、あーん」
恥を押し殺せないまま、ミネアに急かされるままスプーンを口に受け入れる。宝石のような碧眼が、フォレオスを一心に見つめている。胸が張り裂けそうで、どうにかなりそうだった。顔が火照っているのも自覚している。
「――――」
「ふふ、どう? 美味しい……?」
「ミネア、愛してる」
「はわ? も、もうっ! こっちは味を聞いてるのに……勝手な人」
味については正直分からなかった。だが、この燃え盛る想いだけは真実だ。
「でも。そこも好きだよ。うん、私も愛しているわ。だから、フォレ君も!」
「え?」
「して、くれないの……?」
上目遣いできゅるると縮こまるミネアに一瞬心臓が喉から飛び出そうになるも、すんでのところで理性が押しのけた。
「……ミネア。なんだか今日の君は変だよ。どうしちゃったんだい?」
「フォレ君がそれ言うの? ……誰のせいだと思ってるのかなぁ」
「君を傷付けた輩がいるのか。名前を教えてくれ。ヴァインに懲らしめてもらうから」
「……ふふふっ!」
「ど、どうしたんだい急に!? み、水持ってくるよ!」
「あははは、ううん、大丈夫よ。それより、フォレ君からはしてくれないの?」
「う……」
必死に話を逸らしていたのに、この素敵な奥さんはどうやらフォレオスを逃がす気はないらしい。
「だって、これをやると…………心臓が動かなくなって手が、麻痺しそうで……」
「……あのね、フォレ君。私はどんなフォレ君も愛してるけど、フォレ君からの愛も同じくらい欲してるんだよ」
「――っ、僕はミネアを愛している! この世で一番、死後も永遠に君一人を愛し続けている!」
「うん、分かってる。嬉しいわ。でもね」
と、そこで言葉を区切り、ミネアは左を見た。つられて見ると、いつの間にか若い女性の客が二人、あーんをしていた。
「――行動で、示して欲しい時だってあるのよ。ほら、あそこの二人みたいに」
「…………あれは……どちらかというと、友達同士の親愛表現なんじゃないかな?」
「親愛表現と愛情表現、本質は同じでしょう?」
「た、確かに……」
「愛してるからこそ素直になれないのも、ちゃんと分かってるのよ? そこも愛おしいし、ドキマギするフォレ君を見てると、好きーって気持ちで溢れちゃうの。でもね、今日はフォレ君のそれを克服するための練習なんだから。――大丈夫。もしまたフォレ君が気絶しちゃったら、膝枕して看病してあげるから」
「……本当、ミネアには敵わないな」
「そんなミネアちゃんがゾッコンなのがフォレ君なのです!」
したり顔でえっへんと胸を張るミネア。愛おしい。
「……心の準備はできた?」
「仮初だけどね。多分、僕にはいつまでたっても用意できないだろうさ」
「ふふっ、じゃあ……」
そこで言葉を切り、ミネアは目を瞑って口を小さく開いた。仮構した勇気を胸に、そこに差し込むようにプリンを近付けていき――、
「あ……あーん」
「――〜〜〜っ!!!」
瞬間、声にならない声を上げたと同時に耳まで真っ赤っかになった。頬に手を当て肩を震わせ身悶えしている。
「――フォレ君。私、ハマっちゃったかも」
「へ?」
「これから食事をとる時は必ずあーんしましょう」
「み、ミネア? それは僕の寿命が縮ま「拒否権はないからっ!!」…………」
反対意見を遮られ、前のめりになり滑らかな手で指差し。…………ゆっくりと、嘆息した。
「……仕方ないな。僕も覚悟を決めるよ」
「ふふっ、決まりね! あぁ、楽しみだわぁ!! フォレ君、大好きだよっ!」
「うん、僕も大好きさ。この世で一番、並び立つものなど存在しな……」
「「あ」」
不意に、口を拭く布へと伸ばした手が重なった。
「ご、ごめん! そんなつもりはなくて……!」
「――フォレ君」
咄嗟に離した手に、薄く微笑んだミネアが指を絡めてくる。
「こうした予想外も、あなたとならご褒美なんだよ?」
「――――ぁ」
「ほら、こっちの手も」
恐る恐る差し出し、言われるがまま、されるがままにミネアの指を受け入れる。
――心臓が痛い。全身が熱を帯びている。手から伝わってくるミネアの体温と心地よい感触。潤んだ瞳でじーっと見詰めるミネアの真っ赤な顔。
「これからも、こうして一緒に――」
「思い残すことは…………もう……な………………」
「え?」
フォレオスは爆発した。込み上げる愛おしさがフォレオスの精神を打ち破り、生命活動を停止させた。役目を終えた瞳孔が最後に捉えたのは、丸い瞳を更に丸くし、口をちょこんと開いた可憐なミネアだった。
□ ■ □
「――これは僕の悪癖だな。早急に治さないと」
ミネアが体調を崩す前は心臓の痛みと全身の熱に悶えるだけで済んでいたから、きっとミネアが倒れた絶望と快復した安堵が相まっての症状なのだろう。
だが、ミネアと接する度に気絶するとあっては不便すぎる。フォレオスはミネアと片時たりとも離れるつもりはないのだから。
「大丈夫よ。ゆっくり、少しずつ慣れていけばいいの。今日のは、私が急ぎすぎちゃっただけだから」
そうしょぼんとしているミネアに何と声をかけようか、即座に判断できなかった。
辺りは既に闇に包まれていて、人気の少ないが街道を二人、横並びになって歩いている。
「……ねぇ、フォレ君」
「何だい……うわ!?」
伏し目がちに頬を赤く染めているミネアに顔を向けたと同時、左手に未知――いや、既知の感覚が生じた。
「……あそこ、行きましょう?」
指された指の方を見やると、高塔があった。
「……うん」
何度繋いでも慣れない心臓の痛みだったが、この時だけは何故か気にならなかった。
□ ■ □
「…………綺麗だ」
「ふふっ、そうね」
高塔の壁の広く凹んでいるところに少し隙間をあけてして座り、満天の星空を眺めているミネアの横顔を眺める。
髪の毛には編み込みがあり、朱の差した可愛らしい右耳が冷たい空気に晒されている。
しばらく見とれていると、熱視線に気づいたようでミネアが振り返り、あたふたと手をパタパタ口をパクパクさせて、
「あ、今のって私のことを言ってくれたのかしら……!?」
「他に何があると言うんだい? この美しい夜景も、夜景に心を奪われている君の横顔には到底敵わないさ」
「……もう、フォレ君ったら……」
本音を告げたところ、ミネアは頬を染め、ぷくーっと膨らませてそっぽを向いてしまった。目を伏せ、艶やかな橙色の髪をいじいじしている。
「――何か変なことを言ってしまったかな!? 気に障ったなら謝るよ!」
「……ううん。そういうことじゃないの……はぁ」
「そういうことじゃないか!! え、ごめん本当に心当たりがなくて……!!」
「……むぅー」
じとーっと透き通った碧眼に見つめられ、フォレオスの生命活動は硬直した。気付いた時には、肩に頭が乗っかっていて、寄りかかられていた。
「わ、え、ちょ、ミネア!?」
「こんな気持ちにさせた責任、とってよね……フォレ君のおかげで私、頭の中ごちゃごちゃしてるんだから」
「……ごめんよ、まったく身に覚えが…………」
「……罪な人」
ぼそっと呟かれた言葉にさえ心当たりがなく、フォレオスはどことなく気まずい感覚を覚える。
「太陽には、手が届きそう……?」
「――っ」
鈍痛。心臓が鈍く痛む。耐え難い痛み。まるで先程まで止まっていた呼吸がいきなり再開した時のような痛みが、左胸を劈く。
「それは、君が一番知ってるはずだよ」
そう。そのはずだ。だってミネアはフォレオスの努力と成果を特等席で見守り、時に助力してくれていたのだから。――だから、この痛みは、なんなんだ……?
「そう。それなら良かったわ」
そう破顔するミネアがさらに存在しない傷口に突き刺さる。
その痛みを上書きするように、フォレオスは唯一確かな真実を、口に出した。
「ミネア。愛してるよ」
「うん……私も、愛しているわ、フォレ君」
どちらからともなく、唇を重ねる。背中に回す手を更に深く回し、最愛の人の体温を肌で感じる。
――いつ死んでもおかしくなかった状態から、健常な状態へと快復したミネアの存在を、満足のいくまで――いや、満足なんてできっこない。いつまでも、優しく、抱き締める。
「――しばらくこうしていたいんだけど、いいかな?」
「奇遇ね! 私もよ、フォレ君……」
永遠の愛を契る二人の影は、満天の星々が飾る夜景に淡く溶けていった――。
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起床。それはフォレオスにとって昨日の、一昨日の、数日前の、数百日前の――あの日の延長を意味する。沈殿した意識が現実世界へ浮上した時には既に現状把握に目を向けていた。
「……何分無駄にした?」
睡眠はフォレオスにとっての禁忌だ。呑気に寝ている暇があったら目を動かせ。一刻も早く手がかりを見つけ出さなければ。
必ずある、あるはずなのだ。でなければ、この世界は残酷で幸せなどどこにも無いと認めざるを得ない。ミネアを奪った運命とやらを憎まなければならない。
きっと、ある。運命が残した、幸福な結末へと至る道筋が。それを途方もない量の文献の山々から探し当てる。それが今のフォレオスの存在理由。故に、それ以外の全てを捨て去った。
食事はお腹が空いたら。睡眠は十三分。寝落ちは許されない。――しかし今のように、どうしても防ぎ切れない途切れ目は存在する。
「……何分、無駄にした?」
「八十三分です、二位様」
「何故、起こしてくれなかった」
「それは……」
唯一の共犯者であり理解者でもあるヴァインを睨み、静かに詰め寄る。
フォレオス達に許された時間は限られている。そうでなくともフォレオスは一秒でも早くミネアの声が聞きたい。それをフォレオスの次に解っていて何故、睡眠という無為から目覚めさせてくれなかったのだろう。
「……」
ヴァインの顔が悲痛に歪む。だが、聞かなければならない。信用の問題だ。返答次第では、フォレオスは孤独の道を歩むことになる。
「遠慮はいらない。早く話してくれ。その時間が惜しい」
そう促すと、歪み切った表情に決意が灯り、遂にヴァインの重い口が開かれる。
「――――そうか」
その返答を聞いたフォレオスは、それ以上ヴァインに詰問するのをやめた。いつも通り、禁書に目を走らせるのを再開した。
――これはフォレオス・ソランデューの長い一日の中の一幕。ミネア・ソランデューの運命が遡行するまでの、連続する反復の断片。
最愛の人を生き返らせるために、それ以外の全てを投げ打ち、それ以外の全ての信念を麻痺させた国王の、刹那の微睡み。
「二位様の寝顔が、あまりにも健やかでしたので」
「――という夢を見たのだ」
「……えーっと?」
早朝。可愛らしく小首を傾げているミネアの橙色の髪を撫でる。
民衆への演説後初めての朝だ。国民投票も行っている真っ只中。とはいえ今のフォレオスにできることは新任後の取り組みについて詰めることしかなく、それは演説前にミネアとみっちり詰めてあるので、つまりは久方ぶりにこうした穏やかな一日を享受できているわけである。
「つまり、昔見た夢を見たの?」
「うむ……我ながらややこしいことこの上ないがな」
正確に説明しようとするとこんがらがりそうなので、ひとまずミネアにはそうした認識に留めてもらう。
実際にはミネア蘇生のために禁書を漁っていた時に見た幻想、ありえるはずのない今を再び見てしまった形だ。
なお、最後の一幕については伝えていない。
「当時は余を苛む悪夢であったに違いないが、今となっては幸せな微睡みだ。寝てもそなたと共に在れるなんて、余にはもったいない幸せとすら思う」
「でも、手放すつもりもないんでしょう?」
「当然だ。余はそなただけを愛しているからな」
堂々と愛を囁くと、ミネアのくすくす笑いが聞こえてきた。
「私もよ、フォレ君。でもひとつ聞きたいんだけど、夢の中の私、なんか積極的すぎない?」
「むう……そうだな。奥ゆかしさという点ではそなたに大分劣る。――いや、幻なのだからそなたより何もかもが劣って当然……そうじゃないな。幻のミネアも現実のミネアも、記憶に焼き付いたミネアも別勘定で可憐で愛らしく余の光だ」
「ちょっ、フォレ君…………」
思ったことをそのまま告げただけなのだが、こちらに背を向けるミネアの耳が真っ赤に染まった。
「と、とにかく、うん。それは、分かったわ。分かりました。でも、ならどうして私に抱き着いているのかしら?」
「……どうしてだろう。なんとなく、そうしなければいけない気がしたのだ」
「そ、そう……?」
起床後、カーテンを開けながら「おはよう、フォレ君!」と挨拶してくれたミネアを見て、何故だか身体が動いた。背後から抱き着き、そのまま先程見た夢について語っていた……というあらましである。
「……実はね。私も夢を見たの。あの時のフォレ君とデートする夢。……世間的にはもうフォレ君はそんな歳じゃないかもだけど、私達には関係ないわよね」
「あぁ……余らの愛は、年月を経る毎に増幅する」
「そうそう! だから一旦離して?」
「う、うむ……」
名残惜しさに手が震えるも、そっと添えられた体温に回していた腕を渋々解く。そうして離れた後、振り返ったミネアは腕を後ろで組み、上目遣いで笑いかけてきた。そして、
「フォレ君、だーぁいすき!」
「うぉっ!?」
手を広げ、勢いよく飛び付いてくる。そのままベッドに大の字になり、満面の笑みを浮かべるミネアの背中に優しく手を添えた。
幸福感に満たされる中、運命に抗い世界に叛逆した二人は穏やかに笑い合うのだった。
□ ■ □
「ねぇ、フォレ君。お願いがあるの」
「なんでも聞くぞ」
ベッドの端に座り、互いの手の指を絡ませながら、フォレオスは頷く。
「私の前では、王様じゃないフォレ君で居て欲しいの」
「……すまない、どういうことだ?」
「今は癖になってるかもだけど、その話し方も、一人称も、王様に相応しくなるためにって努力して獲得したものでしょ?」
「う、うむ……」
「勿論一生懸命頑張るフォレ君もそうして頑張った結果の今のフォレ君も好きだよ? でもやっぱり私にとってのフォレ君は、実直で二位様で、本が好きで平和を愛しててたまに物語みたいなセリフを真顔で口にしてそれがカッコよくて愛しくって…………コホン、脱線しちゃったけど、そんな背伸びをしない等身大のフォレ君が、私が最初に惚れたフォレ君だから」
「ミネア……」
「――それに、せめて私の前でだけは……王様の重責を降ろして、ただのフォレオスになっていいんだよ?」
――。
――――。
――――――は。
「……はは、やはりミネアには頭が上がらないな」
「ふふ、私はフォレ君から顔を逸らせないよ」
愛を込めた軽口にひとしきり笑い合った後。左拳を軽く握り、右隣、目元を細める碧眼を見て、言う。
「十数年も続けてきたから、すぐには変えられん……ない。だが、少しずつ……僕も努力してみるよ」
「うん。……それでいいの」
ゆっくりと頷き、向けられた優しい微笑が、凝り固まった国王の心を優しく溶かしていった――。
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私達の願いは叶えた。だから次は、私達が願いの犠牲になった人々に償い、貢献し、寄り添い、奔走する番。
私の命はフォレ君がくれたものだけど、それは無数の嘆きや苦しみ、無念――死で形作られたものだって、ちゃんと分かってる。
この身体はフォレ君に添い遂げる事を望むけど、同時に世界中の人々のために尽くす使命が埋め込まれているの。
だから、ね。
――もしも「その時」が来ても、ちょっと悲しんだあとに笑って受け入れて欲しいな。




