第二章5話『焔』
――ダリウスとレティシアが会敵する一時間前。
ダリウスの遺体が消失した一報を受け、フォレオスは即座に伝令兵へ指示を伝えた。
「手隙の兵士を総動員し捜索に当たらせ、騎士を筆頭に王都内の警備を強化する」
フォレオスの伝令を受け取った兵士は扉越しに「失礼します!」と言い残し、その場を去った。
「それにしても、前代未聞だ……」
「墓泥棒なら散見されますが、ご遺体を盗むなんて、聞いた事もありません」
「うむ……それにダリウスは余の罪の所在の一人だ。丁重に弔ってやりたい」
肩を落とし、憂鬱な面持ちでフォレオスがひとりごちる。いつもこんな調子だ。全ての罪を自分で背負って、その贖罪の為に全てを捧げている。その一環で理想の実現に死力を尽くすのには頷けるが、だが、それなら共犯者であるヴァインにも少し分けてあげないと不公平だと、フレディは思う。
罪悪感に苛まれている時、自罰的に振る舞っている間は心が救われるものだ。
性格の悪いことを言うようだが、きっと澄み切った性根の持ち主だからこそ、彼は必要以上に罪を背負おうとしている。自分に非のないものであっても、共犯者がいたとしても、全てを自分の罪だと定めることで不健全な安らぎを得ている。
そういった側面も少なからずあるのだろうと、フレディは睨んでいる。
背負うことが救いになり、その救いが彼自身を更に蝕み、また救いを求めて罪を背負う。
目を瞑って内省するフォレオスにミネアも感じているだろうソレを、フレディも感じていた。
「ともあれ、沙汰は下した。気を取り直して、演説の原稿を」
キリリとした顔に戻し、フォレオスが机に向かった――瞬間、轟音と共に窓に影が差した。
「――っ、陛下ぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「むぅ!?」
飛び起き、ベッド脇の鞘から剣を引き抜き咄嗟に駆け出し、フォレオスを横に強く押しのける。すぐさま構え、正面の影の方へと意識を集中する。
――窓ガラスが打ち破られる甲高い轟音と同時、鋼と鋼が重なり、フレディは炎を幻視す……
「――っ!」
いや、本物だ。本物の炎が、じりじりと鉄剣を炙っている。
ごうごうと燃ゆる炎の奥、こちらを睨む女性の双眸と目が合った。
「防がれてしまいましたわね」
襲撃者が後ろに跳び、背後、外気に髪をなびかせながらフォレオスの事務机の上に優雅に着地し、赤色の扇で口元を隠した。
優美な女性だ。豪勢な装飾をふんだんに使用した緋色のドレスで着飾り、下に行くにつれて赤みがかっていく薄黄色の短髪に、藍の髪留めを差している。お淑やかに細められている翡翠の瞳は、えも言われぬ妖艶さを醸し出していた。
「我ながら淑女らしくない登場ですが、目を瞑ってくださらない?」
「はぁ、はぁ――。はい、と素直に頷くとお思いで? ――ここが王城であると知った上での蛮行ですね?」
「えぇ。そうですわね」
ばさり、と扇を閉じあっけらかんと認めた女性に、フレディの額に冷や汗が滲む。呼吸はある程度落ち着いたものの、緊迫する空気が心拍数を急激に上昇させていく。
フォレオスに駆け寄るミネア含めて守れるよう、ゆっくりと斜め後ろに後ずさる。その間も、細く見下ろす華奢な女性から目を逸らさない。
「あなたは騎士の殿方ですの?」
「……いいえ。僕は、ただの秘書官です」
「秘書官……えぇ、分かりましたわ。では、どいてくださいまし」
「断ります」
「……頑固な殿方は嫌われましてよ。ほら、早く退きなさいな」
「――」
「フレディ・カスマンっ!!!」
初めて聞いた国王陛下の怒声に肩が跳ねるも、やることは変わらない。
冷や汗が頬を伝う。胃がムカムカを思い出して嗚咽感が込み上げてくる。それらを無理やり押さえ付け、構え直す。
「そうですの――なら、仕方ありませんわね」
キリリとした目を伏せ、襲撃者は流麗に床へと降り立ち、赤色の扇――否、鉄扇をフレディへ向けた。
硬直。静寂が重く室内に沈殿していく。
「ふふ」
「……」
薄笑いと琥珀の眼光が交差――瞬間、フレディを再び重撃が襲った。
「――――っ!!」
「あら」
一度目と遜色ない威力に腕が痺れるも、首を狙って放たれた畳まれた鉄扇による一撃に何とか防御を間に合わせることに成功。
しかしその威力は凄まじく、剣を握り締める手と踏ん張る足がぷるぷると震えているのを見られ、嗜虐的な笑みを向けられる。
「相当無理なさっているんですのね」
「……っ、生憎、こちとら乗り物酔い真っ只中でしてねぇっ!」
勢い任せに鉄扇を弾き返し、そのまま接近。
――最優先事項は国王夫妻の傷一つない生存。そこを違えない。
一秒でも長く襲撃者を惹き付け、一秒でも長く夫妻が体勢を整え離脱する時間を稼ぐ。それが、今フレディがすべき事だ。その為にもフレディは可能な限り長く生き続けなければならない。
「――たぁぁぁっ!!」
フレディは突進し、速度重視の斜め切りを幾度もお見舞いする。元兵士にしては高度に洗練された銀閃は、しかし例外なく空を切った。
「……単調。私程度でも十分躱せますわ」
「そうでしょうね――っ、躱してくれて助かりますっっ!!」
「きゃ!?」
空振りに終わった猛攻。しかしフレディは歯を見せてしたり顔。それに襲撃者が眉をひそめたのも束の間、彼女の体勢が大きく崩れる。
先の窓ガラスを突き破った突入の際、風に舞い地に落ちた書類。それに足元をすくわれた形だ。フレディの誘導にまんまと乗った襲撃者が、書類に右足を滑らせ、後ろに傾く。
「はぁぁぁぁぁ!!」
仰け反るように体勢を崩し、地に倒れていく女性の腹部目掛けて渾身の剣撃――、
「――ふふ」
「づぁ!?」
その一撃は、届かなかった。口角を上げ、薄ら笑いを浮かべる襲撃者の握る鉄扇がフレディに向けられ――瞬間、カチ、という音と同時、フレディの顔面を耐え難い熱気が襲う。
――視界が、眩く燃え盛る橙色に包まれた。
「う、が、がぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!?」
「フレディっ!!!」「フレ君!!!」
転がる。転がる転がる。赤色の絨毯に顔を擦り付け、髪を擦り付け、喉がはち切れんばかりの絶叫を上げながら転がる。
幸い、直撃する寸前で反射で目を瞑り顔を逸らしていたため、髪に燃え移った炎は小さい。黒く焦げる高級絨毯を犠牲に何とか鎮火できたものの、顔は熱に犯され、茶髪の前髪は一部焼失、眉とまつ毛の被害も甚大で、爛れた皮膚は大気に触れているだけでヒリヒリと激痛の焔が燃え盛っていく。
「――悪知恵の働く殿方ですのね」
致命傷を辛うじて免れた死に体のフレディを他所に、受け身を取り立ち上がった淑女が緋色のドレスのホコリを払っていた。
「人を欺くなんて、品性の欠片もありませんわ。――今からでも間に合いましてよ。そこの外道から離れて、私のところに来なさいな。火傷も何とかして差し上げますし、相応のもてなしをいたしましてよ」
「……人の顔燃やしておいて、よく言えますね……っ」
「淑女の嗜みにすぎませんわ。それほど大袈裟なことではなくって?」
「過剰、という点を除けば頷けるんですがね……」
今なお灼熱を訴える瞼によって守られた琥珀色の眼で、涼しい顔をしてこちらに色白の手を差し伸べる淑女を見据える。――まだだ。まだ、引き延ばせる。
「僕がそちらにつくとして、他に利点はあるんですか?」
「私という強固な後ろ盾、私に仕えるという至上の栄誉を得られますわ。望むなら、あなたと一曲踊って差し上げてもよろしくってよ?」
「――では、損失は?」
「特にないと思いますわ。あなたは国王の魔手から解放され、新しい生活を得られる。お金にも食事にも住まいにも身分にも困ることのない、優雅な日々を保証しましてよ」
「――そうですか」
口だけそう応答し、他のリソースを頭に総動員する。幸い相手は話せる口のようだ。殺意はフォレオスにのみ向いており、フレディを手にかけるのには消極的。
故に、会話の中で付け入る隙を探す。そして見つけた。彼女の感情が最も込められた一言を。
「――ところで、あなたは陛下に相当な執念を抱いているご様子。……過去に、何かあったんですか?」
「……っ!」
フレディが指摘した瞬間、先程までの優雅な微笑が一転、激情を隠さない怨嗟の形相でフレディを睨み付けて――、
「フレディ!! もういい! 彼女とは余が話す! だから君はレティシアを呼んでくるんだ!」
「そうよ、フレ君! 話の通じる相手なんだから大丈夫。私たちを信じて! 心配しないで呼んできてちょうだい!」
何かを放ちかけた淑女を遮り、背後から国王夫妻の諭す声が飛んでくる。
「……断ります」
「フレディ・カスマンっ!!!」
フォレオスの初めて聞く怒号に、だがフレディは微動だにしない。寄り添い合う国王夫妻に背を向けたまま、
「あなたを……フォレオス様とミネア様をお守りできるならっ、僕の命は、安いものです……!」
「っ……、余は…………その為に、そなたを雇用したわけでは」
「分かってます! 分かってるから、引けません」
「――っ」
フォレオスを黙殺したのを耳で確認し、改めてドレスの女性に向ける剣を握り直す。
「虫唾が走る。高潔な青年をも、その毒牙にかけたなんて」
「何とでも言えばいいです。その程度で、陛下はへこたれませんから……!」
フォレオスへの信頼を理由に暴言を流し、淑女の整った顔に苛立ちを滲ませた。
「――フォレ君。逃げましょう」
「ミネア!? 何を言って……」
背後、布の擦れる音が聞こえた。恐らくミネアが意固地になっているフォレオスを抱擁している。
「フォレ君も分かっているでしょう? フレ君の覚悟は、誰にも挫けない」
そう伝えるミネアの声は震えていた。
「だから、フレ君の献身を無駄にしちゃダメ。ダメ……なんだから…………っ」
「……ぁ」
「……私たちがいても、フレ君の足を引っ張るだけ。だから……私たちの、最善を尽くそ……?」
そう涙声でフォレオスを諭すミネアに心の中で感謝しつつ、淑女の動向に注視して――。
「させると思って?」
「させてくださいっ!!」
逃げ道を塞ごうと襲撃者が閉じた鉄扇を扉に向けて放った火を、フレディが立ちはだかり、真正面から剣風で消し散らした。その余波でフレディの耳が黒ずんだ。
「……愚かな真似をっ!」
「行ってくださいっ! さぁ早く!!」
「――くっ」
凄まじい剣幕で怒鳴るフレディに口内を噛みちぎり、込み上げるモノを押し殺し、フォレオスはミネアと共に王室の出口へと走り出した。
そして扉の前にたどり着いたところで振り返り、
「あとでじっくり話し合…………」
フォレオスの張り詰めた声が、途中で止まった。それも当然だろう。何せ、
「……ぁ」
「――存分に、恨みなさいな」
その一言を最後に、フレディは膝から崩れ落ちる。
フレディの胴体が、金の模様が入った赤の扇に斜めに切られていた。
「……」
――少し前まで、フレディは王都を守る一門番として王国に忠誠を尽くしてきた。勤務を怠ったことは一度もなく、国民・入国者問わず自分の良心に従って接してきた。よく言えば模範的な王国兵士、悪く言えば融通の利かない紋切り型兵士。
勤務時間中に同僚に酒場に誘われたこともある。お礼として国民から金銭を渡されたこともある。後輩から賄賂を提示されハメをはずしたのを黙認して欲しいとせがまれたこともある。
だが、フレディは誘いを断り、金銭をその場でそのまま返し、賄賂を受け取らなかった。忠誠心と一般人よりかはある剣才を見込まれ国王に任ぜられた自負が、フレディをフレディたらしめていた。
そんな折、闇を纏った一人の少女の要望を叶えたことで、フレディの平穏な人生は終わりを告げた。
「……ふ」
脳裏を鮮烈に過ぎるのは、失職してからの失意の日々ではなく、その後、休む間もなくせっせと働く地獄の日々。役者不足だった。見たこともない膨大な書類に悩殺され、気付いたら光が差していたことも多々あった。
けれど、何故かその時間はフレディの人生の中でも特に輝いていて。
『フレディ・カスマン。唐突だが、そなたを余専属の秘書官に任命する』
『これからよろしくね、フレ君! 就任祝いにケーキを作ってみたの! 良かったら食べてくれると嬉しいわ!』
『誰?』
色んな声が脳内に響く。それだけで、当時の光景が自然と浮かび上がってきて、心が満たされる。
でも、そうだなぁ……。
ただの一般兵が、ひょんな事から国王陛下の秘書官になって、こうして御身をお守りする栄誉に預かるなんて。
「あはは……」
――ほんと、荷が勝ちすぎている。
「フレディっっ!!」「フレ君っ!!!」
敬愛する二人の悲痛な声を最後に、フレディはゆっくりと目を瞑った。
□ ■ □
――扉に到達し振り返り、フォレオスが死を覚悟した秘書官に現世に繋ぎ止める楔を打ち込もうとしたところで……赤色の鉄扇が、フレディを切り裂いたのが見えた。鮮血が飛び散り、忠義に散った男が膝から崩れ落ちた。
「――安心なさいな。息の根までは止めていませんのよ。……それも、お前次第ですけれど」
「……っ」
口をきつく結び、怨恨がふんだんに込められた翡翠の双眼を目に映す。
「……余を、恨んでいるのだな」
「当然でしてよ。一時も、忘れることはありませんでしたわ」
「……そなたの、その憎しみは受け入れよう。その責任が、余にはある。だが、余はそなたと面識がない。受け入れようにも、理由が分からねばどうしようもない」
「……えぇ、そうです。そうですわね。私としたことが、失礼しました」
頷き、黄髪の女性が豊満な胸の下で腕を組み、一歩、距離を近づける。そうして一息、微かな一息を吐き出したあとで――、
「――私はフラリッテ・ローア・ソランデュー。ソールディンナスとレイミィの孫、と言えば伝わるのではなくって?」
「――っ!」
ソールディンナス、レイミィ。その響きに、フォレオスは全てを察した。
ソールディンナス・ソランデューは『暗愚王』グアトライウス・ソランデューの実弟だった。と同時に、実兄により追放された数年後に処刑された悲劇の王族として王国史に名を刻んでいる。
レイミィ・アスガレーテは紛れもないフォレオスの母の名だ。それが何故、この者が祖母と言ったのかは理解できなかったが、彼女がグアトライウスの被害者であることは容易に察しがついた。
「――いや、まて」
今、彼女――フラリッテは「ソールディンナスとレイミィの孫」と言った。フォレオスの知る限り、レイミィはフォレオスを産んで以降他の男性と結ばれることはなかった。今は実家に戻り健やかに過ごしている。
で、あるのなら。フォレオスをして言葉を失う最悪の可能性に、思い至ってしまった。
すなわち、レイミィはグアトライウスに――、
「フォレ君はあの人とは違うっ!! 『暗愚王』の悪逆とは何の関わりもないわ!」
「何が違うんですの?――この男は戦争を継続し、国民の声も聞かず、挙句の果てに私利私欲の為に妻であるあなたを無理矢理蘇生し人生を弄んだ!!……あぁ、そうですのね。あなたも、洗脳されているんですのね」
「洗脳……?」
「そう信じ込まされているのでしょう?あるいは、そう思い込む事こそが生きるよすがになっているとか――反吐が出ますわ」
それまで優美さを崩さなかったフラリッテが、初めて明確に声を荒げた。
「愚劣極まりないフォレオス・ソランデュー。お祖父様、お祖母様、そしてお母様の無念、このフラリッテが晴らしますわ――っ!!」
憎悪に濁った怒声を上げ、フラリッテが広げた鉄扇を手に持ち距離を詰めてくる。
回避の術を持たないフォレオスはせめて腕で顔を覆い、目を瞑った。
――今ここでは死ねない。まだ、贖罪も平和の創造も何も成せていない。何より、ミネアともっと一緒にいたい。満ち足りない。
「――そうか」
皮肉にも、フォレオスはこの時初めて自分の「欲」を自覚した。ミネアと添い遂げたい。死ぬのならミネアと共に死にたい。いや、違う――ただ、手を繋いでミネアと笑って道を歩いていたい。それは、フォレオスの嘘偽りのない本心であり、大衆が聞けば呆れてものも言えなくなるほどささやかな「欲」だった。
ザシュ、と肉が切れる音と血飛沫が舞う音が聞こえ、無痛のうちに訪れる死もあるのかと場違いな感想を抱きながら――、
「なん……、ですの…………」
フラリッテの、掠れた呟きが聞こえた。恐る恐る腕を下げ、目を開
「……ぁ …………………………………………………………………………………………………は……………………………」
腹部から血を流した王妃がフォレオスの前に立っていた。




