第22話 自覚する気持ち
「本当にどうもありがとう。全部ルイスのおかげよ」
新店の営業を迎えたエレナと叔父は、開店前に様子を見にきたルイスに深々と頭を下げた。
以前の店舗より二倍の広さになった店内は一階と二階に分けられ、二階に上がる階段は造花で飾り付けた装飾兼目隠しで見えにくい造りになっている。二階は予約席にしたので、予約時間になったらそのまま入口付近にある階段から上がればひと目に付く事はほとんどない。かといって閉鎖的な作りではなく、窓から大通りは見えるし、仕切りを置いたのでゆっくりと過ごす事が出来るようになっていた。そしてなにより画期的だったのは、店の入口横に持ち帰り専用の小窓を作った事だった。
ベルを鳴らせば店内に入らなくても購入することが出来る。これで店内に入りにくい男性だけでなく、ふらっと立ち寄った客も購入しやすくなる。これはパン屋の娘だったからこそ浮かんだエレナの発想だった。
「これからは人を雇わないと大変な事になりそうだ」
二人で営業するには大き過ぎる店内を見渡して一抹の不安を口にすると、エレナは小さく笑った。
「大丈夫よ、ちゃんと考えているから」
「誰か雇ったのか?」
「友人に手伝ってもらう事にしたの。もちろん求人もするけれど、しばらくは手伝ってもらうつもり」
「それなら僕も手伝いに来るよ」
その瞬間、エレナと叔父は顔を見合わせて首を振った。
「伯爵家のご子息に店の手伝いなんてさせられる訳ないですよ!」
「男手があった方がいいだろ?」
「もう本当に十分です!」
「そうか。それなら何か困った事があったら騎士団かモンフォールの屋敷を訪ねて来るといい。分かったか?」
「うん、ありがとう」
ルイスは複雑そうにエレナを見てから、溜息を吐いた。
「あれだけ小さかったお前がこんなに大きくなったなんて」
「ねえ、私達二歳しか違わないのに随分年上ぶるのね」
「だってずっとルークと僕の後を追って歩いていたエレナがこんなに立派になったんだぞ」
話を聞いていた叔父は目元をすっと拭うと何度も頷いていた。
「小さい頃も今もルイスは私のもう一人のお兄ちゃんよ」
「当たり前だろ! これからも頼ってくれ。約束だぞ?」
ルイスは無邪気に小指を立てて差し出してくる。エレナはためらいがちに小指を絡ませると、準備があるからと店の奥に入って行ってしまった。
「あの災害でカールとエレナを失ってから、何もする気が起きなかったんだ。でもエレナが生きていてくれて、やっと心が動き出したように感じるよ」
「あの、恐れながらそれはエレナを想って下さっているという事ではありませんか?」
「もちろんさ。エレナには幸せになって欲しい。そして愛する家族に囲まれていて欲しい。ってこれじゃあ父親みたいな考えかな」
叔父は乾いた笑いを浮かべた。
「なるほど。ルイス様にとってエレナは“妹”なのですね」
「妹といえば、エレナと同じ年くらいの友人が……」
言いかけたところでルイスは固まった。
「どうかなさいましたか?」
視線の先には馬車から降りてくる男女がいる。
「お知り合いですか? あぁ、なんだクリストフじゃないか」
その瞬間、ルイスは物凄い速さで振り返った。今エレナの幸せについて話していた同一人物とは思えない程に強張った顔をしていた。
「クリストフとは誰なんだ?」
「フランドル商会の跡取りのクリストフ・フランドルですよ。ご存じありませんか?」
「ご存知も何もフランドル商会はうちの大口取引先だ。モンフォール領で取れた農産物をフランドル商会はいつも大量に買い付けてくれていたんだ。あの時は私も子供だったがなんとなくは覚えている」
ルイスは通りを歩き出す二人を目で追った。
「お相手のお方もお目が高いですね。クリストフは優しいし仕事は出来るし、容姿は普通ですが結婚相手にはむしろ望ましいですよ。でもあの女性確か……」
「急用が出来たのでこれで失礼するよ」
ルイスは勢いよく扉を開けると、通りを渡って行ってしまった。
「叔父さん、ルイスは帰ったの?」
「たった今な。勘違いだったらすまないが、エレナはルイス様が……」
「叔父さん! 早く開店の準備をしましょうよ」
「ああそうだな。よし! 休んでいた分までしっかり働くぞ!」
エレナは頷くと机を拭き始めた。
「ジェニー!」
ルイスは通りを渡ってすぐ、店に入ろうとするジェニーの腕を掴んだ。ジェニーとクリストフは突然現れたルイスに固まっていた。
「まさか、ルイス・モンフォール様でいらっしゃいますか?」
クリストフの方はルイスの事を知っていたらしく、慌てふためいた様子で頭を下げてきた。
「クリストフ・フランドルだな」
「お、俺の事をご存知なんですね! 父に連れられて何度かモンフォールのお屋敷に伺っただけだというのにさすがのご記憶力です!」
ルイスはついさっきエレナの叔父に聞いたとは言えないまま曖昧な返事をした。
「それよりも二人は知り合いなのか?」
するとクリストフは恥ずかしそうに笑った。
「実はいつまでたっても身を固めない俺に痺れをきらした両親が、いつの間にか俺の友人の家に頼み込んでジェニーさんとの見合いをもぎ取ってきまして」
「まさかカールの知り合いなのか?」
「はい。ジェニーさんには申し訳ない事をしました。今お詫びに食事をご馳走しようと思っていたところです」
するとルイスの頬が引き攣った。
「お詫びって、ジェニーに何をしたんだ」
「見合い結婚は俺の望む所ではありませんでした。だから先程馬車の中で、今回は互いの両親の為にお見合いという形を取りましたが、これからは良い友人になりましょうとお話していた所です。といっても俺なんかじゃジェニーさんはもったいないんですが」
「当たり前だ」
「「え?」」
二人の声が被り、ルイスは我に返った。
「食事は結構だからこのまま失礼するよ」
「あのルイス様! クリストフさんをこのままにするのは……」
ジェニーが振り返ると、なぜかクリストフは生暖かい目でこちらを見て手を振っている。
「ルイス様! 一体どうしたんですか!」
振り返ったルイスは痛そうな、切なそうな顔をしていた。
「私は邪魔をしたか?」
「いえただ、両親の決めた事ですので双方の家に申し訳ないなと思いまして」
「お前の家は別にそこまで厳しくないだろ? カールも自由にしているくらいだ」
「自由だなんてとんでもありません! モンフォール伯爵家の当主に仕える筆頭従者なのですから、兄は立派に努めを果たしています」
「それならお前もモンフォール家で働くか? 私の侍女になれ。いや、嫁になれ」
「はい、……はい?」
「待て、今のは間違えた。でも侍女というのは嫌なんだ。どうしたらいいんだ?」
ジェニーの頭の中でたった今聞こえた言葉がぐるぐると回っていた。
「とにかく、私はいつか家の為にどこかの誰かに嫁ぎます!」
「それじゃあやっぱり嫁になれ」
「……」
「ジェニー?」
「大丈夫ですよ。結婚しても私はカトリーヌ様やフェリックス様に会いに行きますからまた会えます」
「それじゃあまるで私には会いに来ないみたいじゃないか」
「だって、お菓子屋さんの女性が気を悪くしてしまうでしょ」
「なんでエレナが出てくるんだよ。というか知っていたのか」
返事をしないままでいると、ルイスは困ったように話し始めた。
「もしかして私がエレナを慕っていると思っていたのか?」
返事の代わりに頷くと、頭上から盛大な溜息が溢れた。
「親友の妹なんだから大事に決まっているだろう」
ジェニーはそこから言葉が続かなかった。気がつくと頬に温かいものが流れていた。
「あれ、私……」
「馬鹿だなお前は」
手を引き寄せられた瞬間、ジェニーはルイスの腕の中にいた。細いのにしっかりした身体に、いつもは少しだけ遠くにあった香水の香りが今は隙間なく肺一杯に広がっている。
「両親の決めた相手に嫁ぐなら私でも構わないよな?」
「ルイス様と結婚ですか?」
「嫌か?」
「嫌な訳ありません!」
抱き締められていた力が更に強くなる。苦しさで少し呻くと腕の力は緩められた。
「あの、ルイス様?」
顔をあげようとした瞬間、ぐいっと顔を掌で押されてしまった。
「何するんですか! 痛いです!」
「すまない。大丈夫か?」
そう言って見えたルイスの顔は真っ赤になっていた。
「今は見るなよ」
「顔が赤いから?」
照れ隠しなのか睨んでくるルイスは怖くはない。ジェニーは小さく笑った。
「私でいいのでしょうか」
「ジェニーがいいんだ。言葉にすると妙に腑に落ちるものなんだな」
掴んでいた指先が握り返される。そう言ったルイスの顔はやはり真っ赤になっていた。
カトリーヌは思ったよりも早くに帰宅したその姿を見て驚いていた。目前には大きなクマのぬいぐるみの顔があったからだ。
「帰ったぞ」
クマのぬいぐるみがアルベルトの声で喋る。その時、横からフェリックスが飛び込んできた。
「おかあさま! ただいま!」
「お帰りなさい! このぬいぐるみはどうしたの?」
ひょいっと横にずらしたクマの横からアルベルトが顔を出す。
「これはクマのぬいぐるみへの土産だ」
「はい!?」
フェリックスは満足そうにクマのぬいぐるみの足にしがみつくと、モフモフとした感触を確かめていた。
「フェリックスが一体では寂しいと言ってな、友達を作る事にしたんだ」
納得したカトリーヌはフェリックスの頭をそっと撫でた。
「優しいのね。きっとクマちゃんも喜ぶわ」
「優しいのはきっとあなたの育て方が良かったのだろう」
「私は何もしておりません」
「あなたは本当に変わっているな」
褒められているかは分からなかったが、アルベルトの表情を見る限りひとまず褒め言葉として受け取る事にした。
「今日はどこかに出掛けていたのか?」
「家におりました」
「それなら近々出かける用事はあるか?」
「いつかは出掛けるとは思いますけど」
訳が分からないまま答えるとアルベルトは一步近づいてきた。
「急に冷え込み始めたからしばらくは出掛けない方がいい。……うっかり風邪を引いてフェリックスに移ったりしたら大変だ」
「だからお帰りが早かったのですね! フェリックス大丈夫だった? 手を貸してみて」
カトリーヌはフェリックスの両手を掴んで、頬に振れた。
「本当に冷えているわ。すぐに暖かい飲み物を飲みましょうね。それではアルベルト様、本日はありがとうございました」
カトリーヌはフェリックスの背を押しながら奥の部屋へと足早に入って行ってしまう。
「ブッ」
吹き出したルドルフを睨みつけると、アルベルトはクマのぬいぐるみを押し付けた。




