第23話 加速する事態
数年前までは寂れていた記憶があった町は、今は潤っているように見えた。
海水と淡水の交じるこの辺り一帯の川は魚が豊富だったが、複雑な地形で小型の舟しか出す事が出来ず、網を投げても岩場に引っ掛けて網を駄目にしてしまう事が多いと聞いた事があった。
「どうする? このまま町に入るか?」
今までいくつかの町と川を辿って調べてきたが、町の人々はどこも協力的とは言い難かった。時には今更災害の事を思い出させるなと怒られる事さえあった。
「川を調査してから町に入るか。前みたいに目を付けられたら川の調査にも支障が出るだろうしな」
「あぁもう! 絶対に何か隠しているんだけどな!」
グリは町の人々に絡まれた時は怒りのあまり喧嘩になりそうになって以来、町人に声を掛けるのが憂鬱になっているようだった。
「今回はくれぐれも暴走するなよ」
「分かってるって。でも今更川を見回った所で何か出てくんのかな」
確かに日々、雨も降れば風も吹き嵐もきている。川周辺の様子が変わっていない訳がない。
「ここらは確かドウラ子爵の領地だよな」
「ベルガー辺境伯のご親類に当たるお方らしい」
「協力はしてもらえないのかな?」
「……今は誰が敵か味方か分からないから下手に動かない方がいいだろう」
グリの雰囲気が暗くなっていく。
「先に行くぞ! 海へは俺が一番乗りだ!」
カールは馬の足を速め、二人で競うように川沿いに進んでいく。そして見えてきた景色に息を呑んだ。
川幅が一気に広くなりその先には広大な海が広がっていた。川と海の境界には僅かに色の明暗がある。同じ水なのに色が違うというのも妙だが、それよりも目を奪われたのは果てしない地平線だった。
「海、初めて見たかも」
「俺もだよ」
「……あの水害から本当は川を見るのが嫌だったんだ。海に行くなんてなんてとんでもないって思ってた」
グリは平民の出だった為、あの全てを押し流す黒い水を目の当たりにした領民の一人で、その時はまだ十四歳の少年だった。
「お前はよくやっているよ。こうして皆の為に旅に出て本当に偉いな」
頭をポンと叩くと強引に払われてしまう。
「子供扱いすんなよ」
「すまんすまん。お前はもう立派な男だ」
「な、急に何なんだよ!」
カールもグリの隣りに立ったが、敢えて顔は見ないようにした。
「あの恐ろしかった水と同じ物だなんてなんか不思議だよ」
「俺許せないよ。あの水害は人のせいだったって絶対に暴いてやる!」
「モンフォール領の人間は絶対にこのままじゃ終わらないって証明しよう!」
その時、一艘の立派な船が入り江に入って来たのが見えた。大きな船とこの入り江の相性は悪かったはず。それに船は高級品でドウラ子爵が保有出来るなどありえない。だからこそ、大型の船を何艘も失ったベルトラン侯爵家は没落しかけたのだ。
「ドウラ子爵って金持ちなの?」
「どうもきな臭いな。お前はここで隠れて待っていろ」
「あ、待てよ! カール!」
カールは馬を降りて、船が停泊した場所まで進んで行ってしまった。
「ちょっといいですか?」
漁師達は突然現れた見知らぬ男に警戒心を顕にしながら、ゾロゾロと降りてきた。
「兄ちゃん何の用だ? 俺達は航海で疲れてんだ」
日に焼けた太い腕をした中年の男は仲間に目配せをするとカールの周囲を取り囲んできた。
「俺仕事が欲しいんですけどここで雇ってもらえませんか?」
返事はない。その代わり上から下まで舐めるように視線が動いた。
「モンフォールから来たんですけど、仕事が見つからなくって困っているんです。それにしても立派な船ですね! いやぁ凄いなぁ!」
カールは目をキラキラさせて船を見つめた。すると突然大きな笑い声が上がった。
「そうだろ! この船はなぁ、領主様が俺達に下さった大切な商売道具なのさ!」
中年の男は船を褒められた瞬間、日に焼けた赤ら顔で豪快に笑った。
「領主様ってドウラ子爵ですか?」
「あぁ? 今の領主様はフェンゼン大公だぞ。仕事は終わりだから飯を食わせてやるよ。そんなに細っこい体しやがって漁師になんてなれるもんか!」
肩を組まれバシバシとそのまま連れて行かれる。汗と海の匂いが染み付いた男に連れられるまま、カールは通り過ぎた町へと向かって行った。
船長だというこの男は面倒見のいい男だった。連れて行かれたのは漁師達で賑わう小さな酒場。昼を過ぎたばかりの酒場ではすぐに宴会が始まり、ひとしきり船を褒めた所で酔いが回ってきた船長を見ながらまた先程の話に会話を戻した。
「でもこの地がフェンゼン大公の領地になっていたなんて、全然知りませんでした」
「ドウラ子爵は良いお方だったが商売はからきしだったからな」
「でももし俺なら、領主様が変わるなんて不安でしかないですよ」
「でもフェンゼン大公は高貴なご身分でありながら、下々の事をよく考えて下さっているんだ」
こんな風に支持するのはおそらく船を貰った事が大きいのかもしれない。
「入り江にもスイスイ入れちゃうなんて、やっぱり船長の腕のおかげですか?」
「ハハッ、それもあるがあの船が凄いのさ。こんな耐久がある優れ物なんてベルトラン侯爵家の船以来……って、あれ酔ってきたかな」
「そんな船だなんてさすがはフェンゼン大公ですね」
「それがなんでもグロースアーマイゼ国の造船所で作ったって噂だぞ」
「グロースアーマイゼ国!?」
「まぁまぁ! 若いもんが驚くのも無理はないがな、国交を断絶していた訳じゃないから、海沿いの町は昔から交流があってそれなりに良い関係を築いていたんだ」
すると料理を運んできた女主人が呆れたように大皿を机の上に置いた。
「また船の自慢話かい? この人は船を褒められると調子に乗るからね」
「でもあまりその話が広まっていないのが不思議ですね」
すると女主人は困ったように笑った。
「だってそれは船長が……あら、寝てるよ。あんたも明日から漁に出るなら祠に手でも合わせてから船に乗るんだね」
「祠、ですか?」
「川の近くにあってこの人らが大事にしているのさ」
机に突っ伏した船長は鼾をかき始めている。カールは他の漁師達とも酒を飲み交わしながら、そっと酒場を抜け出たのは空がとっぷり暗くなってからだった。
酒場を抜け出し人気のない真っ暗な川辺りに戻って来ていた。
「グリはどこ行ったんだ?」
ランプの灯りを頼りに川辺りを上がって行くと、いつしか海との境界まで来ていた。ぼんやりとしか見えない足元を用心深く進み、女主人の言っていた言葉を思い出していた。
「祠があるって言ってたな」
航海の無事を祈る為の祠。ただの祠に決まっている。でも無骨な男達が何かに祈るというのも違和感がある。神か精霊か、それとも自然そのものになのか。
――でも危険な海に出るんだから誰でも安全祈願ぐらいするか。
やがて石が積まれた祠がポツンとあった。祠があると教えられなければそこが祠だとは気が付かなかったかもしれない。
「無駄足か」
そこには酒瓶が転がっているだけ。若干の生臭い腐った臭いもするから、もしかしたら供え物をしているのかもしれない。でもここでは獣や鳥が奪われていてもおかしくはないだろう。戻ろうとした時だった。後ろに気配を感じ、振り返った時には数人の男達に囲まれていた。
「こんな所で何をしている」
振り上げられたランプに照らされ顔を背けると、砂利を踏む音が近付いてくる。
「怪しいもんじゃありませんよ。漁師です」
「こんな時間から漁か? 仲間は?」
「雇って貰ったばかりなので安全祈願に来たんです。さっき酒場のおばちゃんに教えてもらったもんで」
砂利を踏む足音が止まる。するとすっとランプの灯りも下がった。
「あまりウロウロせずに町に戻るんだな。この辺りにも稀だが肉食の獣が出るぞ」
「ご忠告どうも。もう戻りますよ」
監視するように見てくる巡回兵らしく者達を横目で見ながら、カールは足早に過ぎようとした時だった。
「止まれ。お前どこかで見た事があるな」
そろりと抜かれた金属音と、肩に置かれた物をちらりを見た。
「どこにでもいるような顔ですからね」
「違う、その声にその顔……他の町でも川について調べていたな!」
――チッ、あの時顔を見られていたのか。
カールは剣を振り下ろされる前に思い切り後ろに下がると後ろにいた男ごと倒れた。衝撃で祠にぶつかり崩れてしまう。素早く起き上がると、男から剣を奪った。その時同時に小石も手の中に入ってくる。手の中で痛みがあったが二人の男が同時に襲ってきた為、異物を取る事も出来ずに一人を斬り付けた。一人目はそのまた横に倒れたが、もう一人が投げたナイフが肩に刺さってしまう。その瞬間後ろから羽交い締めにされ、カールは身動きが取れないまま押さえつけられてしまった。
「正直に吐け! 誰の命令で何を探っているんだ!」
ギリギリと締め上げられれば声を出す事も出来ない。意識が遠退きかけた時、馬の足音で我に返った。二頭の馬が男達を蹴散らし、一人は夜の川に、もう一人は倒れている。後ろから抑えてきていた男に頭突きをすると、カールは手を伸ばした。
「グリ! 手綱を寄越せ!」
器用に二頭を操っていたグリは声の方向に一頭を向かわせた。
「うえぇ、痛そう」
肩の応急手当をした後、ベルガーの町で医者の手当てを受け終えたカールは、その間に食料を買い込んできたグリの額をコツンと叩いた。
「見た目程酷くはならないから大丈夫だ」
「油断するから斬られたりするんだよ」
するとグリは買い物袋の中から焼き立ての肉の串を押し付けてきた。香ばしい匂いにつられて受け取ると、どかりとベッドに腰掛けた。
「危なくエルザさんにどやされるところだった。エルザさんと約束したんだ、無鉄砲なあんたを守るってさ」
「エルザと? いつ?」
「エルザさんがモンフォール領を出るずっと前だよ」
「それってお前がまだガキの頃の話か?」
「誰がガキだ! やっぱもう教えてやんねぇ!」
カールは斬られた肩を抑えながらグリの近くに寄った。
「孤児院に通っていた時にでも話したんだろ」
「分かってんなら聞くな」
「さすがにそんな話してたのは知らなかったさ」
「エルザさんは孤児院を出てモンフォールのお屋敷で働くようになっても、たまに来てくれてたんだ。旦那様と一緒の時もあったけど、あんたが一緒に来た時もあったな」
するとグリは短い髪をガシガシと掻いた。照れ隠しだと分かるその動きにカールは小さく微笑んだ。
「エルザさんがあんたと来た時は嬉しそうだったからな。ってキモいから笑うなよ!」
カールは無意識に緩んでいた頬を引き締めた。
「その時、エルザさんが笑顔でいる為にはあんたが元気じゃないとって思ったんだ。俺がカールと一緒に旦那様の為に働くって言ったら喜んでいたよ」
するとカールは気が付いたように目を見開いた。
「お前まさかエルザの事をす、す、す……」
「やめろ! あんたと恋バナする気なんてないから!」
「俺だってそんな話する気はない! それにお前はどうせ恋バナのネタになる相手もいないだろ!」
「言ったな! そんなんじゃ王都に行ったエルザさんに愛想尽かされるんだからな! というか尽かされろ!」
「なッ、別に俺とエルザはそんな関係じゃない!」
するとグリは残念なものでも見るように目を細めた。
「クロード! クロードはいないか?」
騎士団寄宿舎でアルベルトは声を張り上げていた。遠くからバタバタという足音と共に飛び出して来たのは、ベルガー領で捕虜にした青年の内の一人だった。最初は解放してまた敵になるのを防ぐ目的だったが、何の縁か二人はこの国に留まる事を望んだ。元々傭兵だったらしく国という概念が薄かったのかもしれない。しかし終戦間近でもう一人のオヴァルが戦死した。だからこそクロードに対して自責の念があり、今でももうして面倒を見ていた。
「どうされました? こんな朝早くに」
眠い目を擦りながら無意識に肩を擦っている。朝は冷え込むから古傷が痛むらしい。
「今日は息子とその母親が来るから俺の所まで案内を頼みたい」
「承知しました。息子さんと、えっと確かカトリーヌ様でしたよね?」
「……何故名前を知っているんだ」
「そりゃ有名なお方ですから。それじゃあなんとお呼びすれば……元奥様ですか?」
アルベルトのこめかみにピキンと筋が走る。クロードは慌てて背筋を伸ばした。
「奥様! 奥様とお呼びしても宜しいですか?」
「構わない」
満更でもない顔でそう言うと踵を返していく。クロードはポリポリと首を搔きながら、今度こそ大きな欠伸をした。




