第21話 元夫の様子がおかしいようです
今日何度目かの溜息を吐いたカトリーヌは、覗き込んできたジェニーと目が合った。フェリックスはジェニーの膝の上を占領し得意げに絵本を振り回している。
「まさかこれ程までに重症とは……」
わざとらしく首を振ったジェニーは後ろにいるエルザと視線を合わせた。
「どういう意味なの?」
「カトリーヌ様!」
「なによッ!?」
突然呼ばれて背筋を伸ばすと、フェリックスも一緒にぴっと背中を伸ばした。
「ジェニーうるさい!」
フェリックスの怒り顔にもジェニーはふにゃりとした表情で抱き締めた。
「すみません、驚かせるつもりはなかったんですよ?」
そう言いながらふっくらとした頬を突付いているジェニーの腕を掴んだ。
「私の何が重症だっていうの?」
「様子が変ですよ。フィリップ殿下と何かあったんですか?」
「ちょっと! フェリックスの前なのよ!」
するとジェニーはコホンと咳払いをしてから言い直した。
「ドレスはお返しになったんですよね?」
「今日の朝ルイスに持たせたわ」
「ルイス様、きっと戦地に赴くご心境でしたでしょうね」
なぜか憐れむ言い方をされてカトリーヌは思わずムッとしてしまった。
「可哀想なのは私の方よ! アルベルト様と殿下の言い争いに巻き込まれてしまったんだもの」
「まさかお二人でカトリーヌ様の奪い合いをされたんですか?」
楽しげに言うジェニーから顔を逸らす。
「そのご様子はやっぱり何かありましたね?」
「何もないったら! それよりもあなた出掛けるんじゃなかった?」
するとジェニーはフェリックスを膝から降ろした。
「そうでした! 実は今日お見合いなんです」
「お見合い? 用事ってお見合いだったの?」
用事があるから昼前に屋敷を出ると聞いていたが、まさかお見合いだとは思いもしなかった。
「兄の知人と食事を一緒をするだけなんですけどね。商家のご子息でうちよりもずっとお金持ちなんですよ」
「それは立派なお見合いね」
カトリーヌはフェリックスを抱き上げると、玄関まで着いて来てしまっていた。
「すみません馬車をお借りしても宜しいですか? 帰りは歩いて帰りますので」
「それは構わないけれど。というか帰りも乗ってきなさい」
慌ただしく屋敷を出ていくジェニーの背中を見送りながら、カトリーヌはルイスの事を思わずにはいられなかった。
しかしそれと入れ替わるように見覚えのある馬車が入ってくる。
――ベルトラン家の馬車だわ。
馬車の中から出てきたのはアルベルトだった。離婚してからこうも顔を会わせる事になるとは思いもしなかった。
「出掛けるのか?」
「おとうさま!」
フェリックスが手を伸ばすとアルベルトがその手を包むように掴んでいる。その光景を見ただけで、カトリーヌの胸は一気に熱くなってしまう。
「ジェニーを見送っていたところです。今日はどうされました?」
「実は今日ピ……」
「ピ?」
「……たまたま休みが取れたから、ピクニックにでも誘おうかと思ってな」
あまりにアルベルトと掛け離れた単語に思わず固まってしまう。アルベルトの顔もみるみるうちに真っ赤になってしまった。
「ルドルフがフェリックスとピクニックに行ったらどうかと。使用人達を大人数待機させているから安心してくれ」
「分かりました。用意をするので少しお待ち下さい。今日はそのまま連れて帰りますか?」
「それはまだ無理そうだな」
その言葉に内心安堵すると、フェリックスを抱いて二階へと向かった。
シャツにハーフパンツ、ハイソックスに帽子という動きやすい格好をさせ、アルベルトの方に向けてぽんと背中を押した。
「お帰りは何時頃でしょうか?」
「ん?」
何故かアルベルトにじっと服装を見られた気がした。
「いかが致しました?」
「一緒に行かないのか?」
「はい」
アルベルトは強張った表情のまま固まっていた。
「おとうさまはやくいこッ!」
引っ張っぱられ腕が上下している。
「気を付けて下さいね。夕方からの風は冷たくなりますから早めに送り届けてください」
「あぁ、そうするよ」
本日二度目となる背中を見送りながら息を吐いた時、後ろからエルザが声を掛けてきた。
「もしかしたら、お嬢様もご一緒に行かれると思っていたのではないでしょうか」
「私が? まさか」
「ですがあのご様子ですとそう見えました」
もう一度馬車のいなくなった玄関を振り返る。
「ありえないわ。この間の夜会でもフィリップ殿下に元妻だからちょっかいを出さないで欲しいって言っていたくらいだもの」
「それを殿下に仰ったのですか?」
驚いているエルザを通り過ぎながら、腑に落ちない声が漏れてしまった。
「体裁が悪いものね」
「それだけではないように思いますが」
「とにかくアルベルト様が私の事をどうこう思う日はこれから先も来ないわよ」
ピクニックに選んだ場所は王都から少し離れた湖畔だった。フェリックスは馬車に乗るなり外の景色に吸い寄せられ、窓に張り付いていた。
「見てみろ、鹿がいるぞ」
アルベルトは窓から林の奥にいる鹿を見つけたが、フェリックスが見つける前にすぐにいなくなってしまった。
「どこにもいないよ」
「さっきまでいたんだ」
「いなかったもん!」
「いたさ! あの林の間に……」
フェリックスの隣りでルドルフは静かに首を振っている。アルベルトは座り直すと、窓の外を見つめた。
「まだどこかにいるかもしれないから探してみろ」
「うん! でもクマの方がいいな」
「本物の熊は恐ろしいぞ」
「え……」
ルドルフの咳払いにアルベルトは、フェリックスの頭をぎこちなく撫でた。
「怖いというより強いんだ」
「おとうさまより?」
「同じくらいだ」
「すごいね!」
ラグを敷き、サンドイッチや菓子、果実水を並べていく。しかしフェリックスは草原の上を走り出した。
「子供はあんなに足が速いのか?」
「フェリックス様は特にお速いかもしれません。いつも屋敷中を走り回っていますからね」
「だが湖の方まで行ったら危ないな」
アルベルトが追い掛けて行くと、かけっこが始まったと思ったフェリックスは、捕まらないようにキャッキャと声を上げながら右へ左へ走っていく。アルベルトも捕まえないぎりぎりで手を伸ばしフェリックスの後を追いしばらく走り回った後、一気に持ち上げ肩に乗せた。
視界が変わったフェリックスは歓声を上げながらアルベルトの髪を掴んだ。
「こら! 髪を掴むな!」
息子を肩に乗せて髪を掴まれているアルベルトを感慨深く見ながら、ルドルフは目頭を押さえた。
「変な奴だな」
「いえ、アルベルト様も人の子なのだなと」
「失礼だぞお前は」
「ですがアルベルト様がお子様を肩に乗せて、ピ……ピ……ピクニックに来ているだなんてッ!」
アルベルトは無言のままフェリックスを地面に下ろすと、ルドルフの首根っこを掴んだ。
「常々思っていたがお前は主に対する態度がなっていない。今すぐに湖を十周して来い!」
ルドルフは一気に笑みを引っ込めると、すっと屈んだ。
「フェリックス様、お腹が空いていませんか? お昼に致しましょう」
「おい聞いていたのか? お前はその湖を十周だと言ったんだ」
「さあさあフェリックス様、私が果実水を注いであげましょうね」
「うん! ぼくのどかわいた」
ルドルフの手をフェリックスがぐいぐいと引いていく。フェリックスに捕まってしまえば引き離す訳にもいかず、アルベルトも広げてあるラグの上に座った。
小さな身体のどこに入っているのだろうと思う程食欲旺盛なフェリックスを見つめながら、カトリーヌの面影を宿す薄青い瞳がアルベルトに向いた。
「あそこであそびたい!」
フェリックスが指差しているのは湖。しかし舟がない為湖に出る事は出来ない。
「今度舟を持って来よう」
「ふね?」
「今みたいな格好でも濡れずに、こうやって水の上でも座っていられる物だ」
「すごーいふね! いつ?」
「今度だ。次はお母様も誘ってみるか?」
「そうだね」
「今日だが、なぜお母様は来なかったのか知っているか?」
フェリックスは口一杯に詰め込んでいたサンドイッチを一生懸命に飲み込んでいく。そして驚くべき言葉を口にした。
「んとね、おみあい?」
「「お見合いッ!?」」
アルベルトとルドルフの声が重なる。アルベルトはフェリックスにぐいっと寄った。
「本当にお見合いなのか? カトリーヌが?」
「うん! おかあさまが“おみあい”って言ってた」
「……お見合い、カトリーヌがお見合い……」
ブツブツと呟き出すアルベルトを心配するようにルドルフが覗き込んだ。
「お前は知っていたか?」
「私も初耳です」
「フィリップ殿下だけじゃなかったのか? 他の男達もカトリーヌの美しさに気がついたのだろうか? いやいや、わざわざ王族が気に入っている女に手を出そうとする馬鹿がいるか。まさか相手は庶民? いやそれはないか……」
「アルベルト様!」
ハッとしたアルベルトは、フェリックスとルドルフ、そして近くに控えていた侍女が驚くように見ていた事に気がついて口を噤んだ。
「お気をお確かに。今は折角のピクニックをお楽しみください」
「フェリックス、お土産を買ってすぐにお母様に持って行こう。おもちゃもお菓子も買ってやるぞ」
「やったー! じゃあクマのぬいぐるみ!」
「ぬいぐるみならあるだろ」
「でも一つだよ、かわいそうでしょ」
その時、アルベルトは息を飲んだ。
「そうだな。それじゃそれも買っていこう」
フェリックスは満面の笑みを浮かべると、お菓子に手を伸ばした。




