第16話 深まる疑念
「副団長は随分と気が立っておられるよな」
「シッ! 命が惜しければ黙食しろ」
アルベルトはフィリップに会いに行く前に騎士団宿舎に寄り、訓練と称して部下達を立てなくなるまで付き合わせると食堂へ直行していた。
「戻って早々力が有り余っているみたいだね」
「ラインハルト団長は優し過ぎです。それにあいつらの体力がなさ過ぎるだけですよ」
笑いながら隣に座ったラインハルトは小さく笑った。
「フィリップ殿下と仲良くなったみたいだね」
「どこのどいつです、そんな事を言ったのは」
「フィリップ殿下さ」
アルベルトは咳き込むと袖で口を押さえた。
「仲良くなんてなっていませんよ!」
「そうムキにならなくてもいいのに。それで久し振りの我が家はどうだった? 息子には会ったんだろう?」
「会いましたけど泣かれました」
「父親のあるあるだね。どうしても共に過ごす時間が少ないからよそよそしくなってしまうようだよ」
「うちは妻が出て行ったので互いに苦手とも言ってられないでしょう」
するとラインハルトは、スプーンで掬ったシチューをポタポタと皿に溢しながら唖然とアルベルトを見た。
「落ちてます」
「今のはどういう事? 妻が出て行ったって」
「近日中に離婚する予定です」
「離婚!?」
さすがに声が大きかったのか食堂から視線が集まる。ラインハルトは咳払いをして声を潜めた。
「君の奥さんてモンフォール家のご令嬢だったよね? 相手の家は了承しているの?」
「妻はそう言っていました。手紙でですが」
アルベルトは食べ終わると席を立った。
「これからフィリップ殿下の所に向かいますので失礼致します」
「あぁ、モンフォール領の調査だよね。騎士団の任務からは外すようフィリップ殿下から仰せつかっているから気兼ねなく働いておいで」
「……以前ラインハルト団長が仰っていたフィリップ殿下の事ですが、少しだけ理解出来たような気もします。仲良くはなっていませんが」
そう早口に言うと食堂を出て行ってしまう。ラインハルトは小さく笑ってから冷めてしまったシチューに口を付けた。
フィリップの執務室にはアルベルト、そしてモンフォール伯爵とその従者のカールが同席していた。
「遠い所ご苦労だったね」
カールは姿勢を正すと緊張した面持ちで顔を上げた。
「やはり川の上流は意図的に水が放流されなかったと判断して良いと思われます。水がモンフォールに集まるように細工されていたのは明らかです。そしてそれを行ったのは町の者達ではなく、どこからか現れた“見知らぬ者達”のようでした。町の人々に聞き込みをしても、その者達は姿は隠しており、激しい雨のせいで姿を見る事は出来なかったと口にしていました。数人様子の気になる者達もいましたが、おそらく口を割る事はないでしょう」
「無理にでも吐かせれば良かったんじゃないのかい?」
「お言葉ですが、そうすれば今度はその者達の命が脅かされるかもしれません。それは我々としても望んでおりませんので、そういった場合はカール達には引くように命じておりました」
口を挟んだモンフォール伯爵は、フィリップの視線に捉えられても真っ直ぐな姿勢を崩す事はなかった。
「まぁ結果を出してくれればやり方は好きにして構わないよ。さて、地下の調査だけれど引き続き私とモンフォール家だけで行おうと思う。本当は遺跡や歴史の有識者も連れて行きたいんだけれど選抜に時間を掛けてはいられないからね。私達で調査をして持ち帰り、内容を専門家に分析してもらおうと思う」
「という事は私は不参加ですか?」
アルベルトは、思わず声を上げていた。
「アル君には陛下の護衛に就いてもらいたい。あと数人信頼出来る者を選出してくれ」
「かしこまりました」
「くれぐれも陛下の御身の保護を優先にね」
そう言うと、フィリップはヒラヒラと木の葉のような手の振り方で解散させた。
「カールには引き続き水害について調査してもらおうと思っているが、数日屋敷で休息を取っていきなさい。任せ切りですまないね」
「旦那様、謝らないで下さい。せっかくのお言葉ですが俺達はもう出発しようと思います」
「ならばせめてエルザに会って行ったらどうだ? ベルトラン家のお屋敷にいるから立ち寄ってみるといい」
するとカールは日に焼けた顔で微笑みながら言った。
「会いには行きません。俺達にはまだやる事がありますので」
「あれはまだ起きているか?」
屋敷に帰って早々、アルベルトは屋敷の中をぐるりと見渡した。
「お部屋におられますよ。運が良ければまだ起きていらっしゃるかもしれません」
「部屋はどこだ?」
ルドルフが案内した部屋は、二階にある主人の寝室から二つ離れた場所だった。軽くノックをしてから扉を開いてみると、部屋の中にはおもちゃが散乱していた。積み木やぬいぐるみ、おままごとセットまで。足の踏み場もない程に散らかり、部屋の奥に鎮座している一際大きなクマのぬいぐるみに目が留まった。じっとこちらを見ているようで目が逸らせないでいると、後ろから笑いを堪えるような声色が聞こえてきた。
「アルベルト様がお送り下さったぬいぐるみです」
「俺が送った?」
しばらく思考を巡らせた後、再び巨大なクマのぬいぐるみを見た。
「あのリスト、どうして大きさまで書いておいてくれないんだ」
「最初は大泣きしてしまい大変でしたが、今では一番のお気に入りですよ」
投げ出されたぬいぐるみの足に引っ掛かるようにして小さな子供が倒れている。そしてその横には共に寝落ちしてしまったエルザがいた。
「よくあのようにしてそばで眠る事があるのです。あとはぬいぐるみの下に敷いてある絨毯がお気に入りというのも理由だそうですよ」
ぬいぐるみの下には毛足の長い白く丸い絨毯が敷かれていた。
「奥様がぬいぐるみのお尻が冷たいだろうからご準備されたのです」
「ぬいぐるみだから冷たくはないだろう?」
「奥様の優しさですよ」
アルベルトは床に散乱している物を避けながらフェリックスの元に向かうと、小さな後頭部を指差した。
「ところでこれはいつになったら起きるんだ?」
「これなどと。そのうち目を覚まされますよ」
「子供だからと遊んでばかりでいいのか?」
「遊ぶのが仕事みたいなものですから」
壁は薄水色と淡黄色の二色で塗られ、天井には白い雲が描かれている。寝具に使われているリネンや毛布も水色で統一されていた。不意に足元に違和感を感じると、いつの間にかズボンの裾を小さな手が握っていた。
「おい、起きたのか?」
返事はない。足を動かして引いてみると小さな身体は付いてきてぬいぐるみからずり落ち、今度は仰向けで寝息を立てていた。
「このままベッドに運んでしまいましょう。エルザ、エルザ起きて下さい」
ルドルフはエルザの口に触れないよう押さえた。
「今日はこのまま静かに寝かせて差し上げましょう」
エルザはいつの間にか部屋の中にいたこの屋敷の主人を驚いた目で追いながらも、コクコクと頷いてフェリックスをそっと抱き上げた。
アルベルトは寝室に向かうと、暗い部屋の中で立ち尽くした。
この部屋で夫婦で過ごしたのはあの最悪な一夜だけ。正直に言えばカトリーヌの顔さえうろ覚えだった。覚えているのはさらりとした薄茶色の長い髪に幼い声。身長差があるからか見る気がなかったのか、顔ははっきりと思い出せなかった。
ベッドに近づいて行くと小さく溜息が漏れた。本当は少しだけ期待していた。もしかしたらカトリーヌが自分好みの好きな寝具にしているかもしれないと。触れたベッドはあの日のままのようにひんやりとしていた。




