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天狗のあまねとテングの隆生  作者: イリ―


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クリスマスイブ

「さみぃ…」


 それでもマイナスになる秋田の寒さに比べれば東京はまだましだった。秋田では例年通り11月中旬には初雪があった。ただ、東京は乾燥しているのが唯一秋田よりも辛い。


 12月24日、久しぶりの東京である。

 隆生は(およ)そ二ヶ月ぶりの新宿に降り立った。

 街はクリスマス一色であちこち電飾や飾り付けがされて、看板を持ったサンタやトナカイの衣装を着た人達が溢れている。クリスマスミュージックが軽快に流れる中、隆生はサザンテラスの電飾の中を歩いた。木々に青や白の光が散りばめられている。決して広くは無いがカフェの雰囲気も相まったその場所が隆生は好きだった。


 サザンテラスとタイムズスクエアを結ぶ橋の上で隆生は真っ白な息を吐いた。


 意識を取戻してからは秋田の叔父夫婦の家に戻っていた。職も無かったしリハビリも考えるとそれが当然だった。当然というものがある、それは本当にありがたいことだと思えた。

 それから携帯電話のメールに驚いた。隆生の事故を聞きつけた知人から沢山の励ましと応援のメールが山ほど入っていて、読むにつれ涙が止まらなくなった。意識が戻ったことが伝わると、またひっきりなしに携帯が着信で揺れた。聞きつけた連中が押しかけてきてお祭り騒ぎになると騒ぎすぎて看護師長に怒られた。


 こんなに自分を思ってくれている人達がいたのかと思うと、幸せとはこういうことなのかも知れないと初めて隆生は実感したのだった。

 彼女もやってきた。彼女はどっと泣き出して「ごめんなさい」と「ありがとう」を繰り返した。「大丈夫だから、君が無事で良かった」そう言うとまた泣いた。

 後から叔母に聞いたのだが、彼女は事故以来毎日のようにお見舞いに来てくれていたらしい。きっと罪悪感に苛まれていたのだろうと思う。何だか逆に辛い思いをさせてしまったようで申し訳なくなった。改めて彼氏の方もやってきて深く頭を下げられた。複雑な気持ちもあったが何故だか自然に受け入れられた。


 それから事故を起こした乗用車だが、過酷な労働環境にあった30代の男性でその日も時間に追われて無茶な運転をしたのだという。業務上過失致傷、道交法違反など複数の罪に問われている。会社自体も責任を問われて現在裁判中とのことだった。


 隆生は必死にリハビリに務め、今は松葉杖(まつばづえ)が1本あれば一人で動き回れるくらいまで回復した。当初は意識回復も無く、頭部のダメージが心配されていたらしい、最悪植物状態も覚悟してくれと叔母は医師からそう言われたそうだ。しかし、目が覚めた後の検査では幸いなことに、脊椎せきついや頭部にも異常は無いという診断が出た。今はとにかく全身数箇所の骨折と、寝たきり生活の影響で落ちてしまった筋力の回復が課題となっている。


 空を見上げると薄らと星空が見えた。秋田の空とは比べ物にならないくらい星が少ないが快晴ではある。ホワイトクリスマスは見られそうにないなと思いつつ、今頃秋田は真っ白すぎるクリスマスが訪れていると思うと少し可笑しかった。都内ではもう40年ほどクリスマスに雪は降っていないのだという。場所が違えば取巻く世界も違う。本当に面白いものだと隆生は思った。

 事故の前の自分の世界は明らかに荒んでいたと思う。閉塞感に満ちていた。いや、己が満たしてしまっていたのかも知れない。事故という悲劇ではあったが、あれを切っ掛けに気付いたものが多く、あんな事故だったが自分の為には良かったのではないか、とさえ今は思えている。口にすれば「馬鹿なことを」と叔母に怒られてしまうから、それは言わないようにしているのだが。

 この場所に来ることで過去の自分を俯瞰で見ることができる。そして今の自分を再確認したかった。


 それにしても流石に冷える。カイロくらい用意しておけば良かったと隆生は思った。


「こんばんは」


 不意にかけられた声に振り向くと、そこには女性が立っていた。

 黒髪のショートボブに白いニット帽をかぶり、白のダッフルコートをふわりと(まと)っている。赤いマフラーが鮮烈だった。目が覚めるほどの美人である。


「こ、こんばんは…」


 戸惑う様子を察した女性が(あわ)てて笑った。


「ごめんなさい急に。何となく思い詰めているように見えて、もしかしたら飛び降りちゃうんじゃないかって心配になって。だって今日クリスマスイブだし」


 女性は自分の言葉に、あっと反応して手を振った。


「違うんです! 決して変な意味ではなくて、お怪我もされているようですし、あっ、ごめんなさい!」


 その様子があまりに可笑(おか)しくて隆生は笑った。


「あははははは、俺そんなに思い詰めて見えましたか」

「すみません、わたし早とちりしたみたいで」


 女性は頭を下げた。


「迷惑だなんて、気にしないで下さい。心配してもらったのならむしろ感謝ですよ。心配されても仕方ないですしね。悩んでいたのも事実ですから。実のところ自分自身どうしてここに来たのか分からなくて困っていたんですよね」

「はい? それってどういう」

「どうしようかなぁ。まぁいいか、笑わないでくださいよ」


 女性は関心を持ったようにうんうんと頷く。


「実は俺、今日ここで待ち合わせの約束をしたんです。クリスマスイブにここでって」


 足もとを指差す。


「でも、その約束をいつしたのか。誰としたのかも思い出せないんですよね。おかしいでしょ? もしかしたら入院してるときに……あ、俺二ヶ月前に交通事故で入院してたんです。植物状態も覚悟してくれって言われるくらい寝込んでいて、その時に見た夢とか幻覚とか、そういうものかも知れなくて勘違いかなって思ったこともあるんですけど」

「事故ですか? 植物状態って大変じゃないですか! でも良かった、お元気になられたんですね」

「そうですね、まぁ松葉杖使って自由に動けるようになるまでには本当に地獄のようなリハビリが……。いや、それはいいんですけど。とにかく誰かと約束をした気がするんです」

「お見舞いにいらしたお友達では?」

「思い当たらないんですよね。友達だったらメールとか連絡をくれそうなものじゃないですか? でもそれもない」

「じゃあやっぱり勘違いですかね?」

「うーん。それだけは無いって今は思ってます。根拠も何も無いんですけどね」


 隆生は懐から小さな包みを取り出した。鮮やかな和紙で包装されている。


「贈り物ですか?」

「俺、その人がすごく大事な人のような気がするんです。だからお礼をしなくちゃって、何故だかそう思うんですよ」

「男性? それとも女性かしら?」

「女性です」

「あら、そこは断言するんですね」

「ははは、なんだか気持ち悪いですよね。顔も名前も知らない何だか分からない女性と会う約束してるんだ、なんて」

「あら、そうかしら?」


 女性は夜空を見上げた。


「それって心の(つな)がった人がいるっていうことですよね? 遠くても、見えなくても、想いが繋がった相手がいる。そういうのって何だか素敵じゃないですか、ロマンチックで。そんな人がいたらどんなことだって頑張れちゃいますよね。そういうの、何となくわたしも分かります」


 すると隆生は包みをじっと見て、何かを決めたように顔を上げた。


「あのぉ」

「はい?」


 きょとんとする女性に隆生は包みを差し出した。


「急な話なんですが、良かったらこれ受け取ってもらえませんか?」

「え? わたしがですか? それって大事なものなんですよね? いえいえいえ、そんなの見ず知らずの方に」


 女性は両手をパタパタたさせる。


「いいんです、きっと。今のあなたの言葉で思ったことがあるんです。想いが繋がっていれば、多分それでいいんですよね。俺がその誰かへの想いを忘れずにいれば良いんだって、例えこれが渡せなくても、本当に大事なのは想いなんだって、今そう心から思えたんです」


 隆生は包みを開けた。小さな桐箱(きりばこ)の中には朱珠(しゅだま)の付いた黒漆(くろうるし)の髪留めが収まっていた。


「わぁ、かわいい。綺麗ですね」

「その人に似合うんじゃないかと思って選んだんです。変なものではないので受け取ってもらえませんか? あなたにだったら似合いそうだし。あぁでもそんなの気持ち悪いですかね、やっぱり」


 隆生は頭を()いた。


「気持ち悪いなんてそんな、でもそれって高価なものなんじゃなんじゃないんですか?」

「それは本当に気にしないで下さい。ここであなたに会ったのも何かのご縁でしょう。是非そうさせて下さい。そうしたいんです、声をかけてくれたお礼もかねて。お嫌じゃなければなんですが」


 女性は躊躇(ちゅうちょ)していたが「それじゃあ」と髪留めを手にした。


「ありがとうございます。良かったら付けてみてもらってもいいですか? それだけ見たら帰りますので」


 女性はニット帽を脱いで髪を整えると左側に髪留めをつけた。


「どうですかね?」

「とてもよく似合ってますよ。本当に」


 その時、隆生の頬をひと筋の涙が零れた。


「あの……」

「あれ? なんだ俺、なんで泣いてんだろ。おかしいなぁ。でもなんだか嬉しくて」


 そう言って笑った隆生に女性が微笑んだ。


「あなたの気持ち、きっとその方に伝わってますよ」

「ありがとうございます。そう願います」


 女性が躊躇(ためら)いがちに微笑む。


「本当に頂いてしまっていいんですか? わたし今日ここを離れてしまうので、後で返してと言われても返せませんよ?」

「構いませんよ。もう差し上げたんです、返せだなんて言いません。もしかして海外とかにいかれるんですか?」

「いえ、でもとても遠くです。ですからあのイルミネーションも見納めですね。残念。本当にとても綺麗」

「そうですね、この時期はとても綺麗ですよね」


 女性は本当に名残(なごり)惜しそうに周囲のイルミネーションを眺めた。


「遠くかぁ、北海道とか沖縄とかかな。実は俺も今日は秋田から出てきているんで遠いんですよ。そちらはご実家に帰られるんですか?」

「えぇ、まぁ」

「そうですか、でも全然大丈夫ですよ。きっとまた見ることができます。生きてさえいればいつか」


 隆生はそう言って笑った。


「生きてさえいれば、ですか?」

「えぇ、今はそんな風に思えるんですよ。事故の前まではほんとにネガティブな陰気臭い人間だったんですけどね、事故を経験してなのかなぁ、命を拾ったからなのかも知れませんがそう思えるようになりました」

「そうですか。じゃあ、またわたしもいつか来れますね」


 もちろんですよ、隆生は親指を立てた。


「それじゃあそろそろ俺は行きます。すみません、大切な日に変なことに付き合わせてしまって。それではメリークリスマス」


 隆生は恥ずかしそうに頭を下げた。

 女性も小さく微笑む。


「こちらこそありがとうございます。忘れられない思い出になりました。とても楽しかったです。メリークリスマス」


 女性が深々と一礼すると、隆生は小さく手を上げ松葉杖を突きながらザンテラスを後にして駅へと向かってゆっくりと歩いていった。




 女性は隆生の姿が見えなくなるまでその後姿を見送った。

 そしてそっと髪留めに触れ、小さな桐箱を大事そうに両手で包み込む。

 その桐箱にぽたりと(しずく)が落ちた。


「ありがとう隆生、ちゃあんと約束守ってくれたね」


 空をひと筋の星が流れる。

 次の瞬間、漆黒の翼が大きく広がった。

 同時に翼を羽ばたかせた女性の姿は、

 あっという間に空高く舞い上がり、

 きらきらと輝く聖夜の星空に消えていった。


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