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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
2話:【棚網圭子】この恋を叶えるために、剣士に
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2-3

 大間崎は「頼む」と言うと手に持っていた受験者の名簿を志位に渡して道場を出て行った。大間崎はこの後、隊士と共に市中へ巡察に出る予定であった。

「じゃあ、続きを始めるよ。ええと、赤、羽場紗枝。白、棚網圭子。前へ」

 呼ばれて、2人は道場の中心へと進んだ。紗枝は落ち着いたもので、前へ出る動きもしなやかであった。

 ところで、圭子の様子が、それ以前と変わってしまっていた。

 緊張している。

 それは、審判が志位に変わったからであろう。

 普段であれば、目の前の紗枝を仔細に観察しているであろう目が、今は床と志位の間を細かく往復している。

 とても試合に臨める心情ではなかった。

 しかし、試合をするのに――言い換えれば、剣を交わすのに心情を整えるまで待ってくれる者などいない。

「では、はじめ」

 審判の合図とともに、圭子が「はっ」と顔を上げた。

 あげた時には、紗枝が踏み込んでいた。

 面への鋭い一撃。しかし、挨拶がわりでもあった。紗枝には、圭子の気が試合から逸れていることは分かっていたが、それでも簡単に一本を取ることができる相手とは判断していなかった。

 その通り、圭子は咄嗟に竹刀の鍔元で受け止めると、そのまま鍔迫り合った。

 紗枝は、面金の奥からじっと圭子のことを見つめている。剣士の目だった。どうすれば相手を斬ることができるかを考えている目だった。

 おおぉ、と圭子は吠えて強引に紗枝の竹刀を払って後ろに飛びずさった。

 紗枝は深追いはしない。中段に構えると、切っ先で圭子の喉元を指して止まる。ひどく落ち着いていて、傲りや功名心など一切見当たらない。

 一方、圭子はそれどころではなかった。

 まだたいして切り結びもしていないのに、圭子の心臓が短距離走を全力で走り終えた時のように早鐘を打っている。

 きちんと意識は目の前の紗枝に集中している。なのに、そのうちの1割ほどはどうしても志位を意識してしまっているのだ。

 次の動きを見せない圭子に、紗枝は小さく溜息をついた。これまでだ、と思ったのだろう。

 どん、と道場の床を強く踏み込んだ。途端に、圭子の意識の10割が無理やりにそちらを向かされる。気を張っていなかったものだったから、構えが緩んだ。

 緩んだ隙に、紗枝は籠手を狙った。圭子はギリギリ、体をねじって避けた。そこまでだった。

 紗枝は踏み込んだ足に力をこめて、更に前へと弾け飛んだ。

 逆胴を抜き打って、残心。

「一本。それまで」

 圭子は唇を噛んで、竹刀を下げた。

 自分が情けない、と思った。

 

 受験者の全員に3巡目が行き渡ったところで、審判の志位は名簿を見ながら思案している。鉛筆の先端を舐めながら、なにごとかを名簿に書きつけると、

「それでは、この後の選抜者を決めるので、しばらくこのままお待ちください」

 そう言って、道場を出た。

 

 実は、これらの試合を、隊長である武井(たけい)初芽(はつめ)と、副隊長である糸無(いとなし)柚希(ゆずき)が、道場の隅に備えられている隠し部屋から見ている。

 この隠し部屋は、有事の際に逃げ込むための部屋でもあったが、受験者の試合の様子を見るためにも使われた。

 道場側の壁が一面、マジックミラーになっていて、道場の様子を見ることができるのである。部屋の照明は必要最低限にしているため、部屋の中の者同士の表情が分からないほどに暗い。

 この隠し部屋は道場の中から入ることもできるが、隠し部屋と呼んでいるものの入り口を部外者にさらすわけにはいかない。志位は道場を出てからぐるりと回り、誰も見ていないことを確認してから、裏口の引戸を開けた。

 志位は自分と大間崎のメモ書きを記した名簿を初芽に渡した。初芽は弱々しい照明の下まで移動してから、名簿を眺めた。

「まあ、そんな所だろうな」

 初芽は名簿を柚希にも見せる。柚希にも異論はないようで頷いた。

「では、選抜戦は羽場紗枝、黒井(くろい)聡(さとし)、棚網圭子の3人で」

「分かりました。相手は、全員とも俺で大丈夫ですか? それとも、隊長か副隊長がやりますか?」

 初芽はきっぱりと「棚網圭子の相手は柚希にさせる。それ以外は志位でいい」

 柚希は「分かりました」と言って席を立つが、志位にはその真意が分からない。

「1人だけですか? 別に俺が3人を相手にしても大丈夫ですけど」

 初芽は冷たい目で志位を睨む。柚希が、それ以上深追いするな、と志位に目で伝えようとするが、鈍い志位には伝わらない。

「本当に分からないのか?」

「すみません、分かりません。棚網が相手でも、俺は負けないと思いますけど」

 初芽は嘆息すると、柚希に、

「お前が全員の相手をしてやれ。志位には、今から私がここで説明をする」

「……承知しました」

 ばか、と柚希の目が志位を責めているが、志位には分からない。


 つまるところ、圭子の恋慕を初芽と柚希は見抜いていた。過去、どこかで志位を見知っていたのだろう。当の本人がまるで知らないので、近所に住んでるとか学校の先輩だということは無さそうだ。

 が、柚希は17歳の女子高生である以前に、剣隊士の副隊長であり、剣士だった。

 圭子について見るべきは、修羅場でも、恋慕といった私情を無視して行動できるか、であった。


 柚希は道場の中の更衣室に行き自分の剣道着に着替えると、道場に入った。

 選抜者は羽場、黒井、棚網の三名であることを受験者の皆に告げて、落選したものを家に帰した。中には顔を真っ青にしてなかなか動けない者もいた|(圭子に一戦目で敗れた飯塚もその一人)。

 生活のため、国のため、入隊動機は様々だが、ここまでの人生を全て賭けたのであれば、そのような反応になるのも仕方ない。圭子はそんな風に考えて落選者たちを見送った。

 残った3人は防具を着たまま、正座で待っていた。

「今から試合稽古を行う。相手は、私、糸無柚希が務める。審判も私が行うので、そのつもりで」

 3人が神妙に頷く。

「君たちの合否は、私との試合稽古の内容で決める。あっさり一本を取られるようなら不合格だ。使うのは竹刀だが、死力を尽くせ。それが、合格する条件だ」


 一人ずつ柚希と試合を行ったが、いずれも柚希の一本で終わった。

 最初の相手の黒井聡は、斜めに倒した青眼で構える柚希に対し、全く動けずに柚希の迅速な面で一本。

 次の紗枝は、果敢にも打ち込んだが、柚希は危なげなくあしらうと、胴に一本。

 次に圭子との試合を行うというところで、柚希は黒井と紗枝を帰した。

 圭子は面金の奥の目をぱちくりとさせていた。なぜ2人を帰す必要がある?

「棚網圭子。試合前に聞いておきたいことがある」

「はい」

 圭子は正座したまま、はっきりと返事をした。

「剣志隊に入った後は、東京国のために身を捧げることとなる。浮浪の者や東京国に仇なす者と争闘に入れば、命を落とすかもしれん。それでも構わないか?」

「はい。その覚悟はできています」

「私人としての棚網圭子は、入隊後もそのまま棚網圭子であるが、公人としての棚網圭子は、中学生であると同時に剣志隊の隊士となる。それで良いか?」

「はい。それが、私の望む道です」

 ふむ、と柚希も頷いた。この後の問いは、少々柚希には気が重かった。柚希は、色恋について経験が豊富ではない。絶無と言ってよい。

「お前は、志位健市と面識があるのか?」

 圭子が、目に見えてうろたえた。そして、言い淀んだ。それまでの問いには流暢に返答していただけに、その無言が目立った。

「……あります」

「率直に聞こう。たとえ志位が斬られるような状況でも、お前が生き残るべき時には、逃げなければならない。できるか?」

 圭子は、膝の上で固く結んでいた拳を、さらに固くした。頭の中で咀嚼し、噛み砕かなければ返答できない内容であった。

 柚希は、促すことはしなかった。

 この問答も、試験の一部である、と圭子は思った。

 おそらく、1分に近い沈黙があった。しかし、圭子は答えた。

「逃げられます」

「よし。面を取れ」

 圭子は言われた通り面を取った。久しぶりに外気に触れた肌が冷えていく。

 柚希も面を取った。

 互いに素顔で向かい合う。

「最後の問いだ」

「はい」

「ここまでの質問でお前も承知しただろうが、私はお前が志位に対して恋愛感情を持っていることを察している。その事自体には何ら問題はない。だが、それが公務の妨げになり、仲間である剣志隊の隊士たちや、市井(しせい)の人々が危機に陥るかもしれない。私はそれを許さない。

 もし大きな問題に発展した時には、お前には投獄や切腹といった罰を下す。それでも構わないな」

「はい」

 圭子はまっすぐに柚希の目を見たまま、言葉を継いだ。微塵の迷いも無かった。

「そのようなことには、私が決してさせません。なったとしても、私の命をもって償い、他の人の命で支払うようなことはさせません。その後に私がまだ生き延びていたら、ふさわしい罰を、どうか」

 柚希は満足そうに笑みを浮かべた。こういった、覚悟ある者の決意を聞いて、柚希は安心したようだった。

「分かった。信じよう。面を着けて、試合だ」


 柚希と圭子が立ち会った。

 心情の奥まで確認させられた圭子は、心の中は晴れやかだった。

 晴れやかなまま、一本を取られた。柚希の鮮やかな面の一本だった。

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