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さっき珠子が鞘を投げた意趣返しなのか、男は持っていた刀をまっすぐに珠子へ投げつけた。
(なにっ……)
上手い。切っ先がぐるぐる回りながら、しかし珠子にぶつかる時には刃が刺さるような回転であることが分かった。
珠子は咄嗟に右に飛んでかわした。
かわした時には、男はその手に槍を持っていた。
(槍かよ……)
これが、この男本来の獲物なのだろう。刀を投げつけた後、近くに立てかけてあった槍を手にしたのだと分かった。
誘拐の時には刀を使っていたのは、こんなものを担いで道を歩けば、すぐに警官隊か剣志隊の尋問を受けてしまうからだろう。
この男が槍を使うというだけで、珠子は不利だった。
刀よりはるかに長尺のため、同じ刀同士の時とはまるで違う戦い方を強いられるのだ。
穂、二尺、茎一尺六寸、柄も含めると六尺くらいであろう。成人男性の背丈ほどの長さである。
刃は、真っ直ぐ。素槍という種であった。
「下に1人いるだろ。あと、外にもいたな。全部で3人か? 4人か?」
「もっといっぱいいるに決まってるでしょ」
ビビって欲しいので、とりあえず嘘をついておく。
しかし、男は嬉しそうに目を細めた。
「いっぱいいるなら、結構だぁ。お前を人質に取れずに殺しちまっても、他の奴を人質にできるからなぁ」
人質にしたら身代金を要求する気らしい。
どこまでも金、か。
男は槍を低く構え、じりじりと間合いを詰めてくる。
「あんまり暴れるなよぉ。うっかり、やっちまうかもしれねえからな」
珠子は、背筋が恐怖で暴れ出したくなるのを懸命に抑えながら、槍との戦い方を思い出そうとしていた。
記憶の限り、槍と戦ったことがあるのは、2度だけである。
最初は小さい頃の他流試合で、まるで勝負にならなかった。2度目は巡察中にあった泥棒の用心棒だった。勝つことはできたが、右の腹に突きを食らった。今も傷跡が残っている。
刀が槍の術者を斬ろうという場合、槍の突きと同時に前へ出て、次の突きが来るよりも前に斬るしかない。刀が届く位置まで近づかなければ、なにがどうなっても勝てる道理はないからだ。
突きと同時に、前へ出る。遅れれば、二の突きを食う。
相手の出方を窺いながら、珠子も相手に合わせて間合いを詰める。
珠子は初太刀で決めるつもりである。右足を前に、左足を後ろにしたまま、すり足で少しずつ、少しずつ前へ。
珠子が、下段に構えた剣先を上下に揺らしている。突きを誘っているのだ。
今、珠子は自分の命を餌にして釣りをしているのと同然である。
思わず笑ってしまいそうなほどの怖さが、背筋を上下していた。
男は、珠子と同様にすり足で近づいてきている。
両者の間の距離が、3メートルまで狭まる。
包帯男が1歩踏み出せば、珠子を突ける距離である。
(来い、来い、来い)
一触即発、ほんの少しの刺激で爆発する。
男はニヤニヤしながら、何も焦っていなかった。
そのままの雰囲気で、男の手足が動いた。
足が1歩前へ。
槍を握る右手と左手が、同時に左へ流れる。
(引かない……?)
突きであれば、槍を持つ手を引くのが必然。
珠子の背筋で暴れている恐怖が、別の恐怖に変わる。
突きではなく、なぎ払いだった。
ぶぅん、という音を立てて、素槍が真横から襲ってくる。
(止めようと受ければ、殺られる)
刀と槍では、質量からして違う。もし刀で槍のなぎ払いを受ければ、それだけで刀は折れるだろう。
後ろに飛び退いても槍の間合いから逃れられない。全力で体を後に引いても、肋骨を真横に裂かれて、それまでだ。
残る回避は――
しゃがむしかない。
隙あらば前に飛び込もうとしていた足の力を無理やりにねじこみ、膝を折った。
珠子の頭上を、素槍の刃が素通りした。
(いただき!)
飛び上がろうとした珠子の目に映ったのは、しかし、空振りをして隙を見せている男ではなかった。
なぎ払いをかわされたと同時に両手を引いている。既に、突きの姿勢であった。
(そういえば、突きが得意だった、この男)
しかし、突きの筋は読める。突きとは、体の一点を狙う最速攻撃であるが故に、攻撃される面積が小さい。どこを狙うかさえ分かればかわせる。
珠子は男の手足を見た。それは、観察などという悠長な行為ではない。男が突くための構えを見せて、そして突きが始まるまでのわずかな間での行為である。
(右手の絞りが強め、左脇が締まっている。肩が右を向いている)
(敵は、私を人質にとろうとしている。命を取らず、動きを止めるだけだ)
(狙いは、刀を持つ右腕)
珠子は体を左へ流す。突きの瞬間に左へ飛んで避けるか、前へ飛んで切り倒すか。次こそ、隙を見つけてやるという気概だった。
「しゃぁぁぁっ!」
包帯男が奇声をあげて突きを繰り出す。
狙いは、左胸。心臓である。
(くそっ!)
まるで自分の読みが当たらない。珠子は心の中で歯ぎしりしながら、後ろへ飛び退く。それを追うように男の槍が迫る。
珠子は全力で槍の刃を横から叩いた。突きを止めることなどできない。軌道を逸らすのが精一杯である。
槍の穂先は左の胸からは狙いが外れたが、珠子の左腕を裂いた。
痛みがはしる。筋肉や腱はまだ動くが、浅くはない。目を落とさずとも、左腕から血が流れるのを感じる。
後ろに飛んで距離を取った珠子は、しかし息を整える間も与えられなかった。
男は突いた槍を手元に引き戻すと、再びなぎ払い。
もう前に出ることはできない。珠子は槍の攻撃から逃れるため、後ろに下がるしかない。この男は、なぎ払いから突きへの連続技が得意なのだ。なぎ払いをかわして前に出ても、同じように突きを食わされるだけである。
珠子は攻撃に詰まった。これでは、斬りあうどころではない。
2度、3度となぎ払いを後ろへ避けながら珠子は押されていき、やがて背中が壁についた。
進退窮まる。




