7-5
(こんな感じの鼻だったな)
思い出したくもない奴らの顔であったが、珠子の頭の中にはっきりと焼き付いている。
ご要望があれば、笑顔さえ描けるだろう。そんなもの、死んだって描かないが。
珠子にとって、絵を描くといったら大広間だ。
今は隊士が総出で巡察に出ている状態なので、珠子と女の子の他は誰もいなかった。
絵を描くには絶好だった。
(昔から、見たものってなかなか忘れないんだよね)
その特技が無かったら、絵を描いたりはしなかったように思える。
思い返せば、この女の子と同じくらいの年齢の時、何かの絵を描いた時に、珍しく父親に「絵が上手いな」と褒められたことがあるような気がする。
椅子に座っていた女の子だったが、珠子が描いているものが気になったらしく、椅子から降りて珠子の脇にしがみついて珠子の鉛筆の動きを目で追っていた。
「じょうずだね」
「ありがとう」
自分の描いたものを褒められるのは、相手が誰だろうと嬉しい。描いてるのがこんな男の顔でなければもっと嬉しいのだが。
「このひと、きらい。すみれのこと、もちあげたから」
大柄の男だった。はっきり分かるのであれば、似顔絵としては問題ないだろう。
そして、この子の名前がどうやら「菫」らしいことも分かった。
「すみれちゃんは、絵描くの好き?」
「だいすき」
照れたような顔で笑うものだから、珠子は女の子に紙と鉛筆を渡した。「なんでも描いていいよ」
うん、と頷くその姿は、ちょっとだけ元気が戻ってきている気がする。
大柄の男の絵は10分ほどで仕上げた。
次は、突き技でこちらに死ぬ覚悟を少しばかりさせた無宿人風の顔にとりかかる。
描きながら、菫の様子をうかがう。
菫は完成した大柄の男の絵を見て、ふたたび「じょうず」と言うと、再び珠子の紙を覗き込む。
既にうっすらと輪郭は出来上がっている。
「つぎは、だれの絵を描くの?」
「ええっと、私がすごく嫌いな人」
それを聞いて、菫が「おいしゃさん?」
それはすごく分かる。私もお医者さんは大嫌いだ。斬られて痛いって言ってるのに、消毒薬をドバドバかけられたことは決して忘れない。
「これはね、菫ちゃんも嫌いだと思うよ」
「だれだろー」
見ているだけで、何かを早送りしているような速度で描き上がっていくのを、菫は楽しそうに見ていた。
無宿人風の顔も10分ほどで仕上げた。
「あ、すみれもこのひと、きらい」
「だよね」
「このひと、ははうえに、いじわるしたの」
ああ、くそ、ちくしょう。
出来上がったばかりのこの絵を破り捨てたい衝動にかられた。
母親を斬ったのは、こいつか。
「こんな人のこと、すぐに忘れちゃおうね」
「……うん」
珠子は出来上がった2枚の絵を、菫から見えないようにスケッチブックの中に挟み込んだ。
さて、巡察に出るか。
自分を餌にして誘拐犯に一本釣りさせる。とっくに東京国の外に出ているか、どこか人のいない地区に潜伏してしまった可能性の方が高いと思うが、成功すれば東京国の治安は悪人の数分だけ良くなり、菫の仇を討てることにもなる。美しい。
「もう、おえかきしないの?」
立ち上がろうと思ったところだったが、菫の言葉で浮きかけた腰を元に戻した。
「私、これからちょっとお仕事なんだ」
「いじわるしたひと、もうひとりいるよ」
忘れてた……。犯人は3人だった。菫は彼らの顔を見ているのだ。
とすると、ここから先は自分ではなく、菫の記憶で描く必要がある。
できるか、そんなこと……?
「そうだね。描かないとだね。どんな人だったのか、教えてくれるかな」
「うんいいよ」
徐々に、大広間でたむろす隊士たちが増えてきていた。
最初に初芽が出した全隊士の出動命令で巡察に出かけた隊士は、成果を上げられなければいったん本営に戻って改めて指示を仰ごうとする。そこで、初芽の指示で珠子が作った『全て中止、本営に待機命令。帰宅厳禁』という張り紙を見て帰ることもできないという状態だった。極太の絵筆で書いたので見逃すことはない、はず。
珠子が女の子と一緒に絵を描いてるのを見て、隊士たちが奇異な目をしている。
珠子としては「これは隊長にお願いされた仕事だ」と弁解しておかないと、のちに柚希に怒られそうではあるが、当の珠子はそれどころではなかった。
今まで、絵を描くことでこんなに苦労したことは無かった。
自分の好きなものを描いているからで、好きなものは無限に近くあるからだ。
しかし、描かなければいけないというものを描くのがこんなに難しいとは。
「ちがうよ。おかおのここは、もっとこんなかんじ」
少し描き進めては、菫に見せる。すると、菫の拙い言葉と身振り手振りで修正が入る。
本当にこれ、合ってるのか?
「めはね、もっとこんなかんじなの」
「こんなかんじ?」
「ううん、こんなかんじ」
そんなやり取りをしながら、描いたり消したり描いたり消したり。
山頂がどこにあるかも分からないまま登山をしている気分だった。
「ちょっとにてきたー」
本当か? 本当にそうなのか?
さっきから、主に背中の汗が止まらない。絵を描くことに、ここまでの圧を感じたことはなかった。
「ここ、ちがうよ。もっとね、こんなかんじなの」
ああ、そうだね。そんなかんじなんだね。
で、合ってるのか?
そんな感じに苦労しながら少しずつ描き進めていると、大広間で時間を過ごす隊士の数がますます増えてきた。
(道場で稽古しようとしたら、あまりに混雑してるから、家にも帰れずここで時間を潰してるって感じかな)
珠子は宿舎の一室をほぼ私室化しているが、今晩ばかりは隊士の誰かと同室することになりそうだ。出遅れた隊士は宿舎の二段ベッドを確保できずに、大広間で雑魚寝する者もいるかもしれない。ここまで来ると修学旅行みたいだった。
「あれ、長谷部先輩。こんな時に絵描いてるんですか? 隊長や副隊長に怒られますよ」
そんな風に気安く声をかけてきたのは、隊士の遠山法子だった。去年に入隊して、まだ1年も経過していない。明るい性格で気安く話しかけてきてくれるので、珠子は好きだった。
「これね、仕事なの。誘拐――」菫を見てから言い直す。「今みんなで探してる人の顔なの。この子が見てるから」
「ああ、なるほど」
法子の顔がちょっぴり曇る。菫の母が斬死しているのを知っているのだろう。
「お姉ちゃんと遊ぶー?」
うーん、と菫が悩んでから、きっぱりと「え、かきたい」
「じゃあ、お姉ちゃんも描こうかなー」
参加してくれるそうなので、珠子は紙とペンを法子に渡した。
何かを絵に描いては、2人して笑っている。菫に笑顔が戻ってきたみたいだ。
それは嬉しいのだが……。
「菫ちゃん。これ、どう?」
「すごくにてる」
「じゃあ、これで終わり?」
「ううん。すごくにてる」
「似てないのは、どこ?」
絵をじっくり見て、うーーんと10秒考えたのち、「わかんない」
ああ、どうしよう。
私はどうしたらよいか分からない!
「ねえねえ、目は似てるの?」
法子が助け舟を出してくれる。
「鼻は? 口は?」と1つずつ確認していくと、菫は頬の一点を指差した。
「ここが、くろいの」
「黒い? ホクロかな」
「ほくろ?」
とりあえず、ホクロを描いてみる。しかも、ただ描くのではない。菫が指さした時の速度と角度、「くろいの」と言った時の声の大きさと抑揚。それら全ての情報から、どのくらいの大きさのホクロなのかを予想する!
「これで、どう……?」
素晴らしく立体的なホクロが追加された絵を見て、菫が両手をばっと挙げた。
「うん、おなじかお! このひと、きらい!」
私も大嫌いだよ、こんなやつ。
もう珠子は精魂尽き果てた。
刀を振ることもできないほどに。
がっくりと床に突っ伏すと、菫が「わーい」と乗っかってくる。
好きにしてくれ、今はちょっと休ませて……。




